悪の組織*1
僕が差し出した桜貝をまじまじと見つめて、兵長蜘蛛は『なんと!本当によろしいのですか!?』と驚き半分、喜び半分の声を上げる。僕が、『君の働きのすばらしさが異例の昇進に繋がったのだ』と説明してやると、彼は噛みしめるように頷いて、晴れ晴れとした顔で桜貝を受け取った。
『これで自分は本日付けで軍曹蜘蛛となります!』と胸を張ってくれた軍曹蜘蛛は、新兵蜘蛛達に大いに祝福され、嬉しそうにしていた。僕もそっと、敬礼し返して、この喜ばしいことを一緒に祝うことにした。
それから、軍曹蜘蛛の叙勲お祝いパーティ、兼、ペーパーナイフ係として新たに赴任してきたぺしゃんこの五寸釘の歓迎会を開催した。
かつて塊と化していたデスクの引き出しの中には、ビーフジャーキーやサラミの他、ハイネケンのグリーンボトルがいくつか入っていたのだ。それらの食品はカウンターの上に広げられ、死体をいれたこともあった冷蔵庫の中でフルーティな愛すべきラガービールが冷やされて、そうして僕らのパーティの材料になった。
業務時間内の飲酒だが、カウンターには『終業』の札を出しておいた。まあ、今日くらいはお目こぼししてもらえるだろう。
こんな日には例の緑茶の彼すら住民票のことを忘れたらしい。緑茶の彼は『庭で採れた住民票です!あげます!』と言ってミカン印の段ボールを持ってきてくれた。中身は野生の糖蜜タルトだった。収穫してすぐのものらしく、瑞々しい甘味が大変に美味しかった。僕らはそれを食べながら、大いに軍曹蜘蛛を祝う。
緑茶の彼もいつのまにかパーティに加わっていたし、サボテンは針をすっかり柔らかくし、更にその毛を伸ばしに伸ばしたものだから毛足の長い猫か何かのようになっていたし、ガラス戸もシャイながらお祝いに加わって、慎ましやかに糖蜜タルトをつついていた。タワシは酔って『もしかして私って麦ですか?それともホップですか?』と聞いてきたので『どちらも違うよ。君はタワシだ』と教えてやった。
それからぺしゃんこの五寸釘も、戸惑いがちにビーフジャーキーを裂いていたし、早速、サボテンと打ち解けているようだった。早くなじめるといいな、と思う。
そして本日の主役の軍曹蜘蛛は、ハイネケンを節度ある飲み方で楽しみながら、『これからは多くの兵を率いてより一層、この出張所とこの町の保安に努める所存であります!』と決意表明をしてくれた。これには新兵蜘蛛達も大いに沸き、やんやの大喝采となった。軍曹蜘蛛は部下達に慕われているようだ。
ちなみに軍曹蜘蛛の憧れは、あのニワトリらしい。『彼のような強さを持つ軍人であれるよう、これからも努力して参ります!』とのことだ。後でニワトリに教えよう。きっと、彼も喜んでくれる。
……ところで、よくよく考えてみると、この日僕が飲んだハイネケンのグリーンボトルは、僕がストレンジタウンで初めて飲んだアルコール飲料だった。
まあ、そういう意味でも、記念すべき日になったと言えるだろう。
定時で会をお開きにして帰路に就いた。ハイネケン1本程度でどうしようもなく酔えるわけでもない僕は、全く怪しいところの無い足取りでパブへ向かう。
スーパーヒーローが倒された喜びは未だ、ストレンジタウンを包んでいた。道の脇ではビールやワインを開ける奴らが見られたし、それらは幾分、理性的に見えた。ああ、それから、甲類焼酎を2.7リットルのボトルから直に飲んでいる素晴らしいキチガイも居た。実に命知らずで、まあ、いいんじゃないかなと思った。
どことなく浮かれた町の様子に、街灯達も『今宵はパーリーナイッ!』と浮かれてカラフルな光を灯している。それら街灯の光の届くところに、ゴルフボールなんかじゃない、ちゃんとしたミラーボール頭がやってきて、ブレイクダンスを踊り出す。その頭に反射した光がキラキラと道を照らしては、多くのものに『鬱陶しい』と怒られた。可哀相に。
ミラーボールはすごすごと帰っていくと、やがて、バラクラバマスクを装着して帰ってきた。その状態でまたブレイクダンスを踊り出したのだけれど、今度はニット帽によって光が遮られたため、多くのものからちゃんと喝采を受けることができていた。よかったね。
まあ、そんな調子に浮かれた町を、壁から生えてきたヤギに段ボールの欠片を与えてやりながら歩いていくと、ふと、白い光が路地裏に見えた気がして、僕は脚を止める。
街灯が浮かれて騒ぐ夜に、真白い光は珍しい。ましてや、街灯が無いはずの路地裏に、ともなれば、ますます。
僕は数歩戻って、路地裏を覗く。するとそこには、随分と風変わりなものが居た。
真白い髪に、透き通るような肌。そして白い翼。それらが街灯の光に頼らず、ただ白銀に輝いて見える。
……天使だ。
ストレンジタウンには珍しいくらいの神秘的な光景に、僕は思わず目を疑ったし、自分が酔っているんじゃないかと疑った。
けれど、目をこすってみても瞬きをしても、天使の姿はそこにあった。天使はただぼんやりと佇んで空を見上げている。
「……綺麗だ」
僕は思わず、声を漏らした。ついでに一歩ばかり、踏み出す。天使はあまりにも美しかったから、僕が手出しをしてはいけないような気もしたのだけれど、そんな理性を失いかけるほど、天使の姿は美しかったのだ。もっと近くで見たくて、慎ましやかに一歩、近づく。
すると、天使が振り返る。可憐な少女の姿をした天使は、どこか、あの小さなレディやフォーリンに似ているような気がする。
天使は僕を見ると、ぱち、と瞬きして、首を傾げる。それからたっぷり三秒後、何かを思い出したかのように頷くと、にっこりと僕に微笑みかけて、そして、消えてしまった。
……そう。天使は消えてしまった。
後には、薄暗い路地裏が残るばかりだ。さっきまでここにあった、白銀の輝きはもうどこにも見当たらない。
ただ、後には天使の羽根が一枚、残されていた。月の光に煌めくそれを僕はそっと拾い上げてみる。不思議なこともあるものだ、と思いながら、僕はその美しい羽根を手帳に挟んで鞄にしまうことにした。
まあ、こういう夜にはこういう素敵な出会いがあるってことだろう。
それから僕はまた騒がしい表通りを歩いて、パブへと向かった。
パブの中は、フォーリンが来た時の半分くらいは賑わっていた。何せ、ここには今日素晴らしい働きを見せてくれたニワトリが居るのだから。
ぼたもち伯爵が吹き戻しを吹いてニワトリの勝利を祝福していたし、耳と尻尾が生えたポリ袋はニワトリの足元に懐っこく転がってカサカサと音を立てている。整合性売りがテーブル席でバンドネオンを演奏している。曲はチック・コリアの『スペイン』だ。テーブルの上ではそれに合わせて体長3㎝のトリケラトプス達が踊っていた。
他にもたくさんの奇妙で愉快な客が詰めかけている。見たことのない顔も、見たことのある顔もある。中々賑やかな夜だ。
それから、いつの間にかパブの窓際や床の片隅には、サボテンの小さな鉢植えが並んでいた。どうやら萎びたナスから生まれたサボテンの内の1つはここに定住することにしたらしい。住処が見つかってよかったね。
「ああ、ストレンジャー!いらっしゃい!さあ、今日はスーパーヒーローの命日だ!痛快な日だが、何にする?今日のおすすめは秋ナスの肉詰めフライ!それに、ナスのグラタンだ!まあつまり、今日空から降ってきたナスによる特別メニューさ」
「成程ね。じゃあ、それで」
空から降ってきた秋ナスはこんなところで有効利用されているらしい。ちょっと横を見てみれば、ニワトリがつまんでいるのもそれだ。ニワトリは僕の視線に気づくと、『美味いぞ』とばかり、にやりと笑って小さくビールのジョッキを掲げてくれた。これは期待が持てるね。
僕はニワトリの隣のカウンター席に座って、食事を待ちつつ、ニワトリと雑談することにした。まあ、主に兵長蜘蛛が軍曹蜘蛛になったことについて。そして、軍曹蜘蛛がニワトリに憧れている、という話について。これをニワトリも喜んでくれて、僕はますます嬉しくなる。よく働いてくれている軍曹蜘蛛が皆によく思われているなら、それはとても喜ばしいことだ。
そしてニワトリの方の話も聞く。やはりと言うべきか、彼は今日一日、大変な人気者だったらしい。ニワトリの足元の紙袋の中には、上等なチョコレートリキュールの瓶が入っていた。これは『よくやってくれた!』と、街灯一同から贈られたものらしい。中々いいね。
それから食事が出てきたところで、僕は夕食を楽しむ。
ジューシーなナスにたっぷりの肉パテを挟んで揚げたものには、甘みの強いソースが掛けられていて、これが中々美味い。ニワトリがビールを飲んでいるのがよく分かる味だ。まあ、僕は既にビールを一本飲んできてしまっているから、飲み物は麦茶にしておくけれど。
それから、グラタンも最高だった。とろりと蕩けるようなナスに、旨味たっぷりのミートソースとまろやかなコクのホワイトソースが掛けられて、更にその上を、溶けたチーズが焦げ目と共に覆っていて、そして、中央には、卵!
「この卵、中々いいね」
グラタンの中、半熟に焼けた卵は、ほんのりスパイスの風味の効いた、キレのある味わいだった。
「まあ、今日は一日、機嫌が良かったからな。そういう味だ」
スプーンでつつけば、半熟の黄身が割れてとろりとチーズの上に溢れ出す。それをチーズの下のミートソースやホワイトソース、そしてとろけるようなナスと共に一気に掬って口へ運べば、至上の美味さがやってくるのだ。ニワトリがゴキゲンな時に生んだ卵は、他の誰かをゴキゲンにしてくれる。最高じゃないか。
僕が今日の料理を楽しんでいると、また客が入ってくる。ここらでは見ない顔だ。まあ、顔がスフィンクスのそれだから、エジプトにでも行けばよく見る顔なのかもしれない。
スフィンクス頭は空いていたカウンター席……つまり僕の隣へやってくると、そこでマスターから今日のおすすめを聞き、それを聞いておきながらホットドッグを注文した。まあ、ここのホットドッグは美味いに決まっているし、ナスが嫌いなスフィンクスなのかもしれないから、文句は無い。
そうして注文を終えたスフィンクスは、店内を見回して、それから隣に座っている僕に微笑みかけてきた。まあ、折角だ。
「やあ。君はここによく来るのかね?」
「そうだね。毎日ここで食事してる」
ついでに話しかけてきたスフィンクスに答える。まあ、知らない相手とでも多少の雑談を楽しむゆとりは持ち合わせているつもりだ。それに何より、今日はいい夜だから。
「仕事は、何を?」
「役場の職員。パブの前の道を真っ直ぐ進んでいった右手側にある出張所で働いてるよ。そちらは?」
答えると、スフィンクス頭は『それは素晴らしいことだ』なんて言いながら頷いて、そして、少々勿体ぶりながら答えてくれた。
「芸術家をしている。立体物を作っていて……まあ、造形作家、といったところか」
僕はよく分からないながらも頷いて聞いた。彼の頭部ももしかすると彼の作品なのかもしれない。
「最近作ったものだと……そうだな」
そしてスフィンクス頭は店内を見回して、カウンターの脇に置いてある小さなバスケットに目を留めた。
「そこの卵は私の作品さ!」
……小さなバスケットの中には、ニワトリの卵が入っている。
「この卵を?あなたが?」
バスケットの方じゃなくて?という気持ちを込めて聞いてみたら、スフィンクス頭は自慢げに頷いてみせてくれた。
「ああ。卵を。中々作るのが難しかったよ。殻の色合いを調整したのもそうだし、何より、中身。とろりとした具合に作るのが中々難しくてね。けれど上手くいったよ。努力の甲斐あって、納得のいくものができた」
スフィンクス頭の言葉に店内が静まり返る。そして数秒後、わっ、と沸いた。
突然の沸きようにスフィンクス頭は半ば戸惑い、半ば自慢げにしていたが……僕はここの客達やカウンターの中のマスターがウキウキしながら歓声を上げている理由が分かるので、やれやれ、と思っておくことにした。
整合性売りが『やったー!おかわりだ!今日はついてるぞ!』と歓声を上げる中、客達の期待を背負って、ニワトリがゆっくりと、立ち上がる。
「おい、ニワトリ!これをやろう!そしていつもの如く、頼むぜ!」
「分かってる。外でやるさ」
マスターから鉄パイプを受け取ったニワトリはそう言うと、進み出て、スフィンクス頭の襟首を掴む。
「な、何をする!無礼な!」
スフィンクス頭はそれに驚き、ニワトリに文句を言いかけたが……。
「あの卵は俺が産んだ」
ニワトリに見下ろされて、スフィンクス頭は青ざめ、黙った。まあ、今更気づいてもね。
ニワトリはパブのドアに向かってスフィンクス頭を投げ飛ばした。
丁度ドアの脇に居たぼたもち伯爵が、丁度良くドアを開けたので、そのままスフィンクス頭は店の外へと飛んでいった。
それを追いかけてニワトリが走って行けば、わっ、と店内は盛り上がって、野次馬しようと店の外にまで覗きに行く。
「おや、ストレンジャー。見に行かなくていいのかい?」
「ああ、うん。まあ、偶には他の人に見物役を譲るよ」
ニワトリとスフィンクス頭の戦いの結果は見ずとも分かるので、僕は引き続き素晴らしい食事を楽しむことにする。そしてマスターも、店の外に出る気は無いらしかった。
「やれやれ。あの客、金を払う前にくたばりそうだな。全く……ストレンジャー。さっきの奴の鞄があったら貸してくれるかい?」
「ああ。これだと思うよ」
僕はカウンターの下に置いてあったブランドものの鞄を取って、マスターに渡す。……よくよく見てみたら、ブランドものじゃなくて偽物だった。まあ、さっきのスフィンクス頭にお似合いの鞄だと思うよ。
「よし、財布、財布。あったぞ、よかった。無銭飲食の罪には問わずに済みそうだな」
マスターはスフィンクスの鞄から財布を取り出して、その中から紙幣を数枚抜き取りつつ、『ホットドック代』として500円玉をとり、『ビール代』として100円玉を3枚とり、そして『クリーニング代ならびにPUB POTATO HEADへの寄付』として紙幣を数枚抜き取った。実に明瞭な会計だね。
「……ほうほう、色々入ってるなあ。まあ、お客の個人情報だからあまりじっくりとは見ないこととして……どれどれ」
ついでに、マスターは財布の中の名刺やポイントカードの類も眺め始めた。期限切れになったクーポン券や、1つだけスタンプが押されたポイントカードが沢山出てきて、それから、数枚の名刺が出てくる。全て同じ名刺であるところを見ると、スフィンクス頭の名刺なんだろう。名前が『羅夢背酢2世』だし。あいつ、名前までパチモノなのか。徹底しているな。これはこれで芸術家っぽい気がする。
「……ん?」
突然、マスターが声を上げた。まじまじと、スフィンクス頭の名刺を眺めて……そして急に、カウンターから飛び出して、外へ駆けていく。
「おい、待て、ニワトリ!そいつは殺すな!」
マスターが叫ぶのを聞いて、これはいよいよ何かあったな、と悟った僕は、ようやく外へ出てみることにした。