正義のヒーロー*3
僕とニワトリ、そして小さなレディは、マスターとぼたもち伯爵に見送られて、パブを出る。
そうして僕らが向かう先は、パブ前の大通りだ。昨日、干からびた巨大ナスがフランベされたあたりの路上で、僕らは早速、動き出す。
僕は小さなレディのお手を拝借して、一緒に歩き出す。このまま、小さなレディには程よいところで『助けて!』と叫んでもらう算段だ。そうすればスーパーヒーローはきっと来ざるを得ない。ついでに僕は、小さなレディを人質にしてスーパーヒーローを引き留めるつもりだ。正義を名乗るなら当然、小さなレディが人質にされているのを放って逃げ出すわけにはいかないだろう。
そしてニワトリは僕らから離れて、その辺りの建物の屋根へと向かった。折角なら格好良く、上空からご登場頂こうじゃないか。
ちなみに僕はこのために、半日分の有休を使用している。今、出張所では窓口業務をタワシが、案内業務を兵長蜘蛛が、そして威嚇をサボテンが行っているはずだ。僕が居なくても業務を回せるようになっているというのはありがたい。つくづく人員に恵まれた。
「ねえ、異邦人さん!私は悪い奴に攫われたレディ役、っていうことよね?」
「ああ、そうだね。ごめんね、迷惑をかけるけれど」
そして僕よりもニワトリよりも、この状況を楽しんでいるのは、この小さなレディだろう。さっきから目を輝かせっぱなしで、見ていてとても微笑ましい。こんなに嬉しそうな人質が居るんだから、やっぱりストレンジタウンはそう悪い場所じゃない。
「構わないわ。立派なレディなら、演技くらいスマートにこなせなきゃね」
小さなレディは精一杯背筋を伸ばして隣を歩く。そして僕はそんなレディの姿に、ついつい笑みが零れてしまう、という訳なのだ。
そして、僕が手を繋いだレディと顔を見合わせて笑い合った、その時だった。
「そこまでだ!」
なんと、早速正義のスーパーヒーローのお出ましだ。おかしいな。まだ僕は何も悪いことはしていないはずなんだけれど。
まあ、このスーパーヒーローにとっては街灯も煉瓦壁も悪の手先だということらしいから、誰が攻撃の対象になってもおかしくはない。おかしくはないが、それにしても、何もしていない状況から発見されてこうなるとは思っていなかったな。
「悪しき幼女誘拐犯め!卑劣な犯罪は、このスーパーヒーローが許さない!」
……ああ、成程。
昨今のご時世に配慮した素敵な理由付けだ。気にくわないね。
「あら!私、別に誘拐されてないわ!変な言いがかりはよしてちょうだい!」
小さなレディは驚きのあまり、役作りを忘れてしまったらしい。それから数秒後、僕に『あっ、もしかしてあの人、台詞をいくつか飛ばしてしまったのかしら!?』と気づきの報告をしてくれた。まあ、多分そんなところだと思うよ。彼は本来言うべき台詞を全て忘れて、言うべきではない台詞に置き換えてしまった哀れな怪人だ。
「そこのお嬢ちゃん、大丈夫だ!君は脅されているんだね?安心したまえ!この正義の味方、皆のスーパーヒーローは、悪を決して見逃さない!」
悪ぶってやるつもりでいたのに、悪ぶる前から言いがかりをつけられた僕としては、最早、悪ぶってやる気が失せた。ただやさぐれた気分だけが残る。
「平日の昼間に出歩いている男は全員犯罪者だ!ましてや幼女を連れているなど言語道断!間違いなく犯罪者だ!」
折角有休を取得してもこれだ。世間の目は厳しいね、全く。
「まあ!平日のお昼に歩いている男の人が全員犯罪者っていうことは……つまりあなたも犯罪者っていうことね!」
そこに、小さなレディの素晴らしい攻撃が冴え渡る。これはスーパーヒーローにとって、下手な鉄パイプのフルスイングよりも痛いはずだ。何せ、小さな可愛いレディ本人から言われているんだから。
道端から、わっ、と歓声が上がる。「素敵だ!やっちゃえー!」と声を上げているのは整合性売りだ。こっちに加担しているということは、今日は早くも店じまいしたのかもしれない。
整合性売りの声に、なんだなんだ、と人が集まってくる。
空飛ぶナイフも、うねる標識も、タップダンスを踊るパラボナアンテナも、スーパーヒーローの敗北を見ようと押し掛けてくるのだ。
これはいよいよ舞台じみてきたな、なんて思いながら、僕は戸惑うスーパーヒーローを前に、口上を述べてやることにする。
「『正義は必ず勝つ』。よく聞くけれど、それはそうだ。正義と正義が戦っていたら、常に勝つのは正義だから」
「何を言っている?俺が2人いるわけがない!」
「正義が必ず勝つんじゃない。勝った方が正義なんだ。単純なルールだ。そうだろう?」
スーパーヒーローの意味の分からない反論を無視して続けると、ふと、空が陰る。
さあ、いよいよ真打の登場だ。
「そして勝つのは……」
僕が小さなレディの手を引いて、さっ、と一緒に後ろに下がれば、丁度そこに飛び込むようにして、ニワトリが上空からやってくる。
「より、イかれてる方だ」
着地したニワトリはスーツの襟を正しながら、ぐるり、と鉄パイプを振り回してみせた。いいね。最高にイカしてる。
わっ、と歓声が上がる中、ニワトリとスーパーヒーローの戦いが始まった。
スーパーヒーローはとにかく、戸惑っているようだった。それはそうだ。今まで彼が相手にしていたのはきっと、彼のために用意された『滅ぶべき悪』だったんだろうから。
そしてストレンジタウンでは、大人しいキチガイと大人しくないキチガイが居る。今、スーパーヒーローの前に立ちはだかるニワトリは、紳士的だが大人しくないキチガイだ。
早速、ニワトリが振るった鉄パイプがスーパーヒーローの肩を強打した。スーパーヒーローはそれに驚きながらも空を飛んで、大きくニワトリから距離を取る。
「正々堂々と戦え!正々堂々とだ!」
「お前の言う『正々堂々と戦え』というのはつまり、接待しろ、という意味か?随分と都合のいい正義だ」
スーパーヒーローを嘲笑って、ニワトリは尚も突進した。『気にくわない』を動機に振り回される鉄パイプには、まるきり容赦が無い。
「俺は正義だ何だと、そんなつまらないことは言わない。ただ、『死ね』とだけ言わせてもらおう」
そう。『気にくわない』。『苛立った』。人を殺す理由なんて、本来それで十分なんだよ。なあ、そう思わないか?
そうして数分後、スーパーヒーローは衣装をすっかりダメージ加工にして、地面に倒れていた。
さて、ここから先は、小さなレディには刺激が強すぎるから見せないようにする。……と思ったのだけれど、小さなレディはぼたもち伯爵と一緒に『それいけー!』と拳を天に突き上げていたため、僕は彼女を退避させるのを止めた。そうだね。小さなレディにだって、刺激的なシーンを見る権利がある。このストレンジタウンではね。
「ヒーロー映画では、ヴィランの死は描かれない」
歓声を浴びながらもそれをまるきり気にせず、ニワトリがゆっくりとやってくる。既に血が付着している鉄パイプを片手に、堂々と、悠々と。
「死ぬ描写が無いのさ。高いところから落ちて、そこで終わり。爆発して、それっきり。地面に叩きつけられて内臓をぶちまけるシーンも、爆発に巻き込まれて脳味噌を撒き散らすシーンも全てカットだ。それがヒーロー映画のお約束らしい」
スーパーヒーローが表情を強張らせた。正義を嘯いていた口からは訳の分からない音が漏れていたけれど、そんなものを一々聞く奴は誰も居なかった。
「だが悪いな。これはヒーロー映画じゃない。俺達キチガイは、ヒーローの死に配慮なんてしない。貴様は内臓をぶちまけて、ここで死ぬ」
歓声の中、ニワトリはただ、鉄パイプを振りかぶる。そしてその瞬間、スーパーヒーローが何か言いかけた。多分、『話し合おう』とか『話せばわかる』とかそういう類の奴を。
だがその次の瞬間には、スーパーヒーローは無残な肉片となって辺りに撒き散らされたのだった。
そうしてストレンジタウンは平和になった。片結びにされた街灯もニワトリの暴力を見て気が済んだらしい。更には小さなレディに『紳士たるもの、背筋を伸ばしてピンとしてなきゃ!』と叱咤激励されたところ、気力を取り戻したのだろう。自力でもぞもぞ動いて片結びを解消し、真っ当な街灯に戻っていた。ああよかった。
街灯の他にも、多少はこのショーを楽しめるくらいに理性がある奴らも居たので、そういった奴らは『むかつく奴が死んだ!』と楽しんでいる。まあ、理性があればあるだけ、あのスーパーヒーローには辟易させられただろうからね。
「あ、お兄さーん!それから隣のニワトリさんも!お疲れ様!景気づけに、ほら、どう?一缶買ってかない?」
そして整合性売りは、楽しくも缶コーラ売りになっていた。だが、僕の呼び名が昨今のご時世に配慮していないところを見ると、これは業務ではなく趣味だということなのだろう。
僕とニワトリは笑って、コーラを買う。小さなレディにも1缶。本当なら彼女には出演料としてちょっといいディナーでも御馳走すべきなのだろうけれど、『今日は普通の日だもの。夜にはいい子にしてなきゃ……』とのことだったので、コーラで乾杯ということにさせてもらおう。
「コーラか。まあ、こういう時には悪くない。フォーリンの気持ちが分からないでもないな。だが、コーラだけというのも侘しいか」
だが確かに、勝利の宴というにはささやかすぎるかもしれない。僕はこれも嫌いじゃないけれどね。
けれど、やっぱりコーラだけ、ということにはならなさそうだ。
「おーい!皆!ポテト・チップスはどうだ!?むかつく奴が死んだなら、ポテト・チップスとコーラで乾杯するのがいいぞ!」
なんと、マスターが揚げたてらしいポテト・チップスを盛った小さな籠をいくつも、ワゴンに載せてやってきた!
「丁度いい。1つ貰おうか」
「僕も。レディ。君はどうする?」
「私も頂くわ!」
「なら御馳走しよう。今日のところはこれでお礼ってことにさせてほしい。正式なのは、また後日」
マスターのポテト・チップスは飛ぶように売れて、辺りにはコーラとポテト・チップスを楽しむ人々(やそれ以外の生き物、そして生き物でもないもの達)ばかりになった。
頭部が鞄の男が自らの頭部の中から綺麗な桜貝を取り出しては配り歩いていたし、ペリカンがメタリックなテープを吐き出しながら飛び回っていた。そして空から秋ナスが降ってきて、この楽しい日を祝福していた。
スーパーヒーローの死体は不愉快なことを何も喋らず、ただ、そこにある。野良犬や野良猫、野良ポリ袋や野良チンアナゴなんかが早速やってきていて、死体はじきに食べ尽くされ、片付くものと思われた。まあ、野良の生き物達だって、こんな日にはお祝いしたいだろうし。
まあ、いいんだ。これはめでたいことだ。ストレンジタウンはヒーローの悪の手から守られた。狂気も暴力も、この町から消えずに残ってる。狂気や暴力に辟易させられることも多いこの町だけれど、狂気や暴力に救いを与えられてもいるんだ。この町が『いつも通り』を取り戻したことを、僕は喜ばしく思う。
それから僕は、出社した。当然だ。僕の有休は半日休だったんだから、午後からは出社する。
ガラス戸が軽やかに開いてくれたのにお礼を言って職場に入れば、「うるとらさぼてんあたっくー!」とサボテンがぶつかってきた。
この『うるとらさぼてんあたっく』はスーパーヒーローにぶつけた『ウルトラサボテンアタック』とは別物だ。鋭かったはずの棘は柔らかい毛並みと化して、ふわふわとした手触りの丸っこいものがぶつかってきた、という具合になっている。身長を伸び縮みさせるのではなく、針の硬さを変えてみるのがサボテンのマイブームになったらしい。
僕はサボテンを抱えつつ、カウンターの上のタワシに留守番の礼を言う。タワシは『私はタワシなので!』と快く返事をしてくれた。そうしてタワシとサボテンと一緒にデスクへ向かうと、そこで兵長蜘蛛達が出迎えてくれた。
『中尉!お疲れ様であります!』と兵長蜘蛛が敬礼すれば、『おつかれさまであります!』と新兵蜘蛛達が揃って挨拶する。僕もそれに挨拶を返して……それからふと、最近の兵長蜘蛛の働きを思い出す。昨日もその前も、ストレンジタウンを見回る時に同行してくれたし、肉まんを襲う豚を射殺してくれたのも兵長蜘蛛だ。
「兵長。ちょっといいかな」
僕は、さっき鞄頭の男から貰った桜貝を、兵長蜘蛛に差し出した。
「君は今日から軍曹蜘蛛だ」