正義のヒーロー*2
ひとまず、僕は片結びにされてしまった哀れな街灯の元へと駆け寄る。街灯は電球を交換した僕のことを覚えていたらしい。『ああ、あの時の戦友……共に戦った仲だ、頼みがある。もし俺が死んだら、骨は電球の墓の横に……』などと話しかけてきたので、『当面死にそうにないから気を確かに持ってくれ』と言っておく。
さて、僕はこの街灯をなんとかしなきゃならない。一応、役所の職員としての仕事の中に街灯の管理も含まれているのだから。
しかし、どう見ても街灯は片結びされている。そして僕は街灯を捩じったり捻ったり結んだりできるような力を持っていない。そっとニワトリを振り返ってみるも、黙って首を横に振られた。ニワトリにもどうしようもないなら僕には本当にどうしようもない。
だが、今も街灯は『ああ、電球……今、傍に行くよ……』などと泣き言を言っている。これは駄目だ。『君、今の電球を遺して死ぬ気か?』と言ってやれば、多少街灯は持ち直したが、片結びされてしまったショックが大きいらしく、まるきり駄目になってしまっている。なんてこった。
「おや、君は昨日の、役所の職員じゃあないか!」
更に、そんな僕の所に例のスーパーヒーローがやってきた。今日も甘いマスクの中で白い歯が眩しい。そして僕は太陽然り、スーパーヒーローの白い歯然り、こういう図々しく眩しいものが嫌いな性質だ。
「見たまえ!ここに、悪の手先が居たから懲らしめてやったんだ!」
「街灯は悪の手先じゃないから戻してくれないか。こいつが居ないとこの辺りの夜道が暗いんだよ」
自慢げなスーパーヒーローに苛立ちを覚えつつ駄目元で聞いてみると、案の定、スーパーヒーローは黙って首を横に振った。
「いや、そういう訳にはいかない。君はこの悪の手先に騙されているのだ。こいつは間違いなく、悪だ。この世界の平和を脅かし、この町に狂気と暴力をもたらす一因なんだよ」
まるで聞き分けの無い子供に言い聞かせるような口ぶりに、ますます苛立ちが増す。僕はズボンのポケットに手を突っ込んでみたが、そこにはカッターナイフもカトラリーの類も入っていない。なんてこった。
「現実は厳しいかもしれないが、どうか受け入れてくれ。悪は滅ぼさなくてはならない」
「この町の全てを滅ぼすつもりか?」
皮肉を込めて聞いてみるが、最早、スーパーヒーローは聞いていなかった。そして舞台役者めいた動きで語り始める。
「この町は狂気と暴力に満ちている!これが正しい姿だと思うのか!?ああ、弱き者達が今日も苦しんでいる!私に助けを求めているんだ!」
今も街灯が『おお……救いは無いのか……』と死にかけているが、それにお構いなしに、スーパーヒーローは続ける。
「私はこの町を正しい姿へ導く!何故なら私は、皆を救う、スーパーヒーローだからだ!」
皆を救うというのなら街灯を直してほしいんだが、スーパーヒーローは何も聞いていない。何かに耳を貸していたらスーパーヒーローなんてできないだろうな、と僕は思った。
「では、さらばだ!困ったことがあればいつでも呼びたまえ!」
「なら街灯を直してくれないかな」
そして最後まで話を聞かないまま、スーパーヒーローは去っていった。その後ろ姿をげんなりとした気持ちで見送ると、隣にニワトリがやってくる。
「あいつは何だ?」
「狂人だよ。この町でも珍しいくらいじゃないかな、彼」
「違いないな」
ニワトリからしてみても、あのスーパーヒーローは少々難あり、といったところなのだろう。ニワトリの表情も非常にげんなりとしていた。
僕らは顔を見合わせつつ、ため息を吐いた。いつの時代、どんな場所にも、困った奴は居るものだ。
「ああ……この街灯、どうしようかな」
さて、僕は一度出社してから、スーパーヒーローが去った後の片付けを始めることにする。手始めに、街灯の修理を行わなきゃいけないだろう。片結びにされてしまった街灯は今もすすり泣いている。少し鬱陶しい。
「なあ、街灯。君、自力で戻る気は無いか?」
聞いてみるも街灯は『ああ、これが噂に聞くサンズ・リバー……俺はヴァルハラへ還ってきたのか……』などと呟いている。この街灯の中の神話はどうなっているのやら。
それからもしばらく、僕と兵長蜘蛛とで街灯を励ましてみたのだが、街灯はさめざめとすすり泣くばかりでまるで戻る気が無いらしい。
電球を取り換える時、くねくね曲がって頭を下げて、僕に電球を取り換えてもらおうと頑張っていたのだから、あの時の要領でちょっと体を捻れば片結び程度、なんとか戻せそうな気もするんだが。まあ、この町で真っ当を期待しちゃいけない。僕はさっさと街灯の対処を諦めた。もう少し時間をおいて、この街灯の気分が良くなってくるのを待とう。
それから僕は兵長蜘蛛や新兵蜘蛛達と一緒に、ストレンジタウンの見回りを始めた。他にもスーパーヒーローが何か危害を加えていないとも限らないからだ。
そして、僕の予感は的中してしまったのである。
歩き始めてすぐ、町の一角の壁がすっかり破壊されているのを発見してしまった。割れ砕けた漆喰の中からは、煉瓦が『ん?朝か?』と寝ぼけた声を上げている。大変だ、漆喰が剥がれたせいで、煉瓦が起きてしまっている。これは後始末が面倒そうだ。
出張所に戻って漆喰を調達してくることを検討していると、ずっと放置されていた干からびたナスが炎上していた。どうやら、ブランデーを掛けられて着火されたらしい。干からびたナスは『フランベ!』と悲鳴を上げながら燃え上がり、やがて、後にはサボテンを遺すのみとなってしまった。
それから、道に落ちていた五寸釘がぺしゃんこにされていた。五寸釘は『俺はもう丑の刻参りに使われないんだ!ああ、俺はもうペラッペラで、ただのゴミだ!』と慟哭している。仕事を全うする前に、あのスーパーヒーローによって職業生命を絶たれてしまった五寸釘に憐憫を感じつつ、僕にはどうすることもできない。
他にも、子供達はティラノサウルスを発射する火縄銃を取り上げられて泣いていたし、オキシドールを売っている薬局は、一緒に売っていた人骨を取り上げられ、火縄銃と一緒に埋葬されてしまったらしい。なんてこった。
僕と兵長蜘蛛達が見回りをする中で、あれもこれも、あちこちから困りごとが湧いて出る。これなら狂気が漫然と蔓延していた方が余程マシというものだろう。狂気というのはあれはあれで秩序立っているものなのだと、僕は今、ようやく実感していた。
僕は煉瓦壁に漆喰を塗り直して『ん?気のせいか。おやすみ……』と煉瓦が眠りに就いたのを見届け、炎上したナスの跡地に遺されたサボテン達を小さな鉢植えに植え替えてやり、潰れた釘の再就職先としてペーパーナイフの役を斡旋してやった。
それから火縄銃と人骨が埋められた墓を探して、『歴史の闇に葬られた者達よ、安らかに』と明朝体で刻まれた墓石を蹴り飛ばし、その下に埋まっていた火縄銃と人骨を掘り返した。火縄銃も人骨も、埋められたのが余程怖かったらしく、掘り返してすぐ、僕に縋りついて泣き出していた。
その後、僕は火縄銃を子供達に返し、そこで感動の再会を見届け、それから人骨を薬局へ返却しに行った。人骨は薬局の店主であるプロテインシェーカー頭の男に駆け寄ると、強く抱きしめ合っていた。恋人同士なのかもしれない。まあ、あまり深く立ち入るのも野暮というものだろうから、僕はすぐ立ち去った。
……と、まあ、僕は随分、働いた。この町に来て一番働いた日だったかもしれない。
スーパーヒーローの爽やかな高笑いが響くこんな町では、僕が仕事を失うことは無いだろう。全く、本当にありがたいことだ。死ねばいいのに。
僕は疲れ切ってパブへ向かい、マスターに心配されながらなんとか食事を摂り、帰宅して、鍵と一緒に入浴して、鍵と一緒にベッドに入って、鍵がころんころんと寝返りを打つのをぼんやり眺めて過ごす。
鍵は僕が指を伸ばすと、そこにじゃれついてくる。……この町に来た当初こそ、鍵が甘えん坊で曲がって鳴いて寝返りを打つ、なんて正気じゃないと思ったが、今となってはこの可愛い鍵がとても大切に思える。
そうだ。この町の狂気は、そう悪いことばかりじゃない。当然、あのスーパーヒーローや僕の上司だった奴、時々パブに来る迷惑な客など、只々不愉快で迷惑なだけの狂気も存在しているのだが、まあ、全ての狂気に等しく暴力が関係している訳ではないし、全ての狂気が消えてしまったらこの町はただの最悪な場所にしかならないだろう。
スーパーヒーローとやらが何をするつもりなのかは分からないが、あの狂人がこの町の狂気を取り払おうとしているのなら、僕はそれに抵抗する必要があるのかもしれない。
「お前には手出しさせないからな」
鍵を指先でくすぐってやりつつそう呟けば、鍵は、む!と元気に鳴いた。
翌朝。僕はパブへ向かうと、そこで朝食を摂る。小さなレディは僕を見て、『なんだか今日の異邦人さんは決意に満ちているみたい。今日は大事なお仕事があるの?』と案外鋭いことを言い、ぼたもち伯爵は平行四辺形の体を揺らして、僕の昨日の働きを労ってくれた。
そして僕がコーヒーのお代わりを頼んだ時、かろん、と音がして、パブのドアが開く。
「ああ、早いな、ストレンジャー」
案の定、そこにはニワトリが居た。……僕が今朝の内に、何としても会いたかった相手だ。
「おはよう、ニワトリ。突然で悪いんだけれど、1つ、頼みを聞いてくれないかな」
僕がそう切り出すと、ニワトリは面白そうに片目を細めて笑った。
「あのスーパーヒーローとやらを始末したい。協力してくれないか」
そして僕がそう言えば、ニワトリはいよいよ面白そうに声を上げて笑って、言う。
「面白い。乗った」
僕は若干、拍子抜けした。こんなにあっさりと承諾されるとは思っていなかったから。
いや、気のいい紳士なニワトリのことだ。ストレンジタウンの危機に際して……そして何より、昨日、目の前であれだけ不愉快なことをやってくれたスーパーヒーローをぶちのめすために、きっと協力してくれるだろうとは、思っていた。けれど僕が予想していたより、ニワトリの返答が早かったものだから、僕は少々、ニワトリを見誤っていたことを知る。
ニワトリは僕が思っていた以上に、あのスーパーヒーローに対して苛立ってくれていたらしい。
「よかったよ。あいつに苛立ったのは僕だけかと思ったんでね」
「正気か?ストレンジャー。あれを見て苛立たない奴が居たら、そいつは救いようの無い狂人だ」
ニワトリはそう言って笑うと、カウンター席に腰を下ろしてトーストと卵料理を注文する。今日の卵料理はハムエッグだ。卵の美味さもいつも通り最高だったけれど、こんがりと焼かれた厚めのハムも最高に美味かったから、ニワトリもきっと気に入ると思う。
「それで、俺は何をすればいい?」
「そうだな、あいつがスーパーヒーローなら、君にはヴィランをやってもらいたい」
僕は、街灯を片結びにしたり、煉瓦壁を破壊したりするような奴相手にできる何かを持っていない。それこそ、何かを喋りかけるくらいしかできないし、それじゃあ話を聞かない狂人には何も意味がない。昨日のスーパーヒーローみたいに。
だから僕には、ニワトリの助けが必要だと思った。あの知性の無い暴力に立ち向かえる、知性と品格ある暴力の助けが欲しかったのだ。
本当なら、僕がその役目を担えればよかったんだろう。だが、どうも、自分がそれをできる気がしなかった。……ストレンジタウンになじんできたとは言っても、まだ、どうもね。
「ヴィラン、か。成程な。そしてあいつはヴィランに負けるスーパーヒーローになる、というわけか」
「ああ。最高だろう?」
ニワトリに応えるように僕も笑うと、マスターがカウンターの中から『いいね!』と親指を立てて見せてくれた。ありがとう、マスター。
「だが、あのスーパーヒーローとやら、厄介なことに身体能力は高いように見えたな。逃げられたらそれまでだが……できれば逃がしたくはない」
ニワトリは運ばれたコーヒーを飲みながら、そう言って思案し始める。その通りだ。僕もそう思う。ストレンジタウンから去ってくれるならそれでいいのかもしれないが、生憎、僕はそれで許せるほどには心が広くない。何と言っても昨日一日、随分と働かされたから。
……それに何より、『気にくわない』。そして『僕は苛立ってる』。理由はそれで十分すぎる程だ。この町ではね。
「ああ、大丈夫。あいつを絶対に逃がさない仕掛けを、考えてある」
「ほう。なら、ストレンジャー。お前はさしずめ、悪の参謀、といったところか?」
「いいね。悪くない」
ヴィランと手を組む悪の参謀、か。僕には勿体ない肩書きのような気もするけれど。まあ、そう言ってもらえるなら悪の参謀として、スーパーヒーローを殺すために卑劣なことをしてやろうじゃないか。
「それで……小さなレディ」
「何かしら?」
僕は小さなレディに声を掛ける。途端、小さなレディは、それはそれは、わくわくとした、そわそわとした、期待に目をきらきらと輝かせた素敵な表情で僕を見上げてくれる。
「君にも1つ、お願いがあるんだけれど、いいかな」
……そうして僕のお願いは、一瞬にして承諾されたのだった。
小さなレディ曰く、『あそこはもう少し勿体ぶってからお返事した方がレディらしかったかしら……』とのことだったけれどね。