正義のヒーロー*1
「この町はひどいな!暴力に支配され、混沌が町を覆い尽くしている!」
スーパーヒーローと名乗った男は、仰々しく嘆いて見せながらカウンターの前で、急に、謎のポーズをとり始める。
「そうして弱者が虐げられて陰で泣いている!私はそんな者達の声なき声を聴き、この町へやってきた!」
しかとポーズを決めて、スーパーヒーローは白い歯を見せて笑った。
声なき声とは幻聴のことではないだろうか、と僕は訝しんだ。
スーパーヒーローはそのまま10秒以上謎のポーズを取っていたが、やがて元の体勢に戻る。僕は早速、少しばかり困ってきている。
「そういうわけで、この町に巣食う悪の組織の所在地を教えてほしい!そこを私が叩き潰してこよう!」
「そのようなものは特にありませんが……」
分かりやすく正義と悪が存在しているだけの世界なんて存在するんだろうか。そしてそれ以前に、役所に所在地が発覚している悪の組織なんて存在するんだろうか。そんなものはたとえ存在したとしても個人情報の保護の観点から、お伝えできないが。
「なんだと!?そんなはずはない!この役所はどうなっているんだ!?ちゃんと仕事をしているのか!?」
仕事をしているかと言われると少々痛いところではある。何せこの町の仕事はこの町の外の仕事とは結構異なる。他の町では当たり前に行われている住民票の管理や戸籍の管理なんかも、ストレンジタウンでは行われていない。少なくとも前任が狂人だったからね。そんな記録はもう残っていないし、一時期でも管理されなかったそれらを再び管理するのは不可能だ。
「ああ、信じられない……君は弱者の味方ではないのか!?」
「申し訳ありませんが、味方であったとしても存在しない悪の組織の所在地はお教えできないんですよ」
僕の返答の意味が、スーパーヒーローには分からなかったらしい。『信じられない、信じられない』と嘆くばかりで、まるで話を聞いてくれない。
「もしや、ここが悪の組織か?」
「ここに居るのは私と町の保安維持に努めてくれている蜘蛛達とタワシ、そして育ちざかりのサボテンくらいですが……」
『育ち盛り』と評されたサボテンは、嬉しそうに、にゅっ、にゅっ、と伸びたり縮んだりする。君、動揺した時だけじゃなくて嬉しい時にも伸び縮みするのか。
「では、悪の組織はどこに!?」
「どこにも無いとは言えませんが、少なくともここへ届け出はありませんね」
「だとしたらこの町はどうしてこんなにも悲しみに満ちているんだ!?あり得ない!」
悪の組織が役所に届け出をすると悲しみが消えるというのだろうか。それこそあり得ない話だろうに。
「ああ、この町は私を必要としている!私がこの町を混沌から救い出してやるのだ!」
この町は混沌から救い出されることを全く望んでいない気がするが、まあ好きにしてくれ、と僕は思う。ついでに早く帰ってくれ、とも思う。
「暴力と混沌に満ちたこの町は、私の救いを求めている!」
スーパーヒーローはストレンジタウンではないのだが、ストレンジタウンの気持ちが分かるらしい。素晴らしい狂気だね。
「私は間違ったことは許さない!この町は間違いだらけだが、その全てを私が正してやろう!」
ストレンジタウンがストレンジタウンである理由を全て否定されてしまった。これにはストレンジタウンも怒るんじゃないだろうか。
「暴力がはびこることがあってはいけないのだ。すべては話し合いで解決できる!全人類は皆手を取り合って、仲良く暮らせるはずだ!」
そんな愉快なことが起こるなら僕は異動の憂き目に遭っていない。
「悪の組織がいけないんだ。あいつらがこの町に悲しみをもたらしている!それを許すわけにはいかない!」
話が長い。そろそろ帰ってくれ。
「そう!私はスーパーヒーロー!強きを挫き、弱きを助ける……それが私の」
「ウルトラサボテンアタック!」
途端、にゅっ!と伸びたサボテンが、勢いよくスーパーヒーローの胸部に激突した。どうやらサボテンが我慢の限界だったらしい。
気が合うね。僕もそろそろ限界だったよ。
鋭い棘の生えたサボテンの頭部はスーパーヒーローのピチピチの服にいくつもの穴を開け、その下の胸筋にまで突き刺さる。
「ぐわあーっ!」
スーパーヒーローの服は、何故か胸部だけでなく全身においてビリビリと破れていく。そうしてスーパーヒーローの服は、瞬時に全身ダメージ加工仕上げとなった。
『中尉!あれは害獣でありますか!?』と兵長蜘蛛が聞いてきたので、ちょっと待とうか、と提案しておく。下手につつくと面倒だと思うから。
「く、くそ……まさか、ここにまで悪の手先が居るとは!」
「いえ、こちらのサボテンはごく普通の、善良なサボテンです。いじめないでください」
「だがこのサボテンはいきなり伸びたぞ!悪の組織によって改造されたブラックサボテンに違いない!」
スーパーヒーローがサボテンを攻撃しようとしてきたので、慌ててサボテンを背後に庇う。サボテンはそそくさ、と僕の後ろに隠れて、ひゅん、と元の大きさまで縮んだ。
「サボテンが伸びた?それは見間違いでは?サボテンは普通、そんなに急激に伸びませんよ」
僕が咄嗟にそう言ってみると、一瞬、スーパーヒーローの目に理性が戻ってきた。そう。ストレンジタウンの外の常識である。『サボテンは伸び縮みしないしウルトラサボテンアタックも仕掛けてこない』。恐らくスーパーヒーローはそれを思い出してしまったのだろう。
「い、いや、しかし……しかし、私はスーパーヒーローだ。この町を、救うのだ!」
スーパーヒーローは自分の中の正気を思い出しかけたが故に自分の中の狂気を発見しかけていたが、即座にそれを振り払ったらしい。うーん、手強い。
だが、そんなスーパーヒーローの前に、タワシがもそもそと進み出る。
『私はタワシです!』とタワシが主張する。すると、弱者を守らなければならないスーパーヒーローは、もう手出しができない。
結局、スーパーヒーローは『タワシのお嬢さんがお元気そうでよかった』などと言いながら、すごすごと帰っていったのだった。僕らは『私はタワシ!』と胸を張るタワシを褒め称えておいた。
その夜も僕はパブで食事を摂る。ハッセルバックポテトは、カリカリとよく焼けていて、ジャガイモの切れ込みの間に挟まれたベーコンやチーズがジャガイモの旨味をより引き立てていた。
僕は最高のジャガイモ料理を味わいながら、ついでにチキンのローストを頂く。そして僕の隣では、ニワトリが僕と同じものを食べている。まあ、卵の時点で分かってはいたが、このニワトリはチキンを食べることにも抵抗が特にないらしい。『鶏肉は旨い』と笑顔で語ってくれた。
「そういえば、ストレンジャー。君、最近随分と働いているんだって?うちの表の蛇口が、他の蛇口が就職を支援してもらったって教えてくれたよ」
マスターにそう言われて、僕は少々驚く。蛇口ネットワークは馬鹿にできないな。
「街灯も灯るようになった。ガス管と水道管もまともに動いてる。随分と働き者だな、ストレンジャー」
「特にガス管が喧嘩してないってのは最高だ!カセットボンベに頼らなくても安定して料理ができる!助かるよ、ストレンジャー。君、まるでこの町を守るヒーローのようじゃないか!」
ニワトリとマスターが褒めてくれるのが、少々気恥ずかしい。少し離れたテーブル席に居たぼたもち伯爵も、こちらの会話が聞こえたのか、ぱちぱち、と拍手をしてくれた。ありがとう。
「僕はヒーローなんかじゃない。リトルハット行政区の職員としてやるべきことをやろうとしているだけだし……」
こういう時にどういう反応をするのが正解なんだろうな、と思いつつ、ひとまず僕は、自分から話題を逸らすことでこの気恥ずかしさから逃れることにする。そうでもしなきゃ、延々と褒められかねない!
「それに、スーパーヒーローと言うなら、そう名乗る奴が来たよ」
折角だ、僕はそのまま、今日来たスーパーヒーローの話をして聞かせた。マスターは『ウルトラサボテンアタック』がお気に召したらしく、そのくだりで笑い転げていた。後でサボテンに伝えてやろう。きっと喜ぶ。
「まあ、そういう訳だ。驚くべきことに、この町には本当にスーパーヒーローが居るんだよ」
一通り話を終えると、ニワトリもマスターも苦い顔をする。
「スーパーヒーロー、か。碌でもないものが紛れ込んだみたいだな」
「ま、騒ぎを起こさなければいいがね……」
ああ、全くだ。僕もそう思う。だが、どうせ何か騒ぎを起こすだろうという予感もしている。
「正義を名乗る奴が正義の味方だったためしがない。大抵の正義は正義じゃなくて独善か自己愛、或いは信仰だからな」
「時々単に暴力が好きってだけなのも居るしな。ま、そのスーパーヒーローとやらがこの店に来ないことを祈るよ」
ニワトリもマスターもため息交じりにそう言いつつ、『窓に板を打ち付けておいた方がいいか?』なんて話を始める。まあ、碌な話題じゃないが、知らずにいるよりは知っていた方が対応を考えられるだけマシだろう。僕も、明日の業務の対策をしなくては。
そうして翌日。
朝のパブでマスターと小さなレディに挨拶する。今日の小さなレディはそば粉のクレープを選んだらしい。それに、ミルクたっぷりお砂糖少しのコーヒーだ。
そば粉のクレープが美味しそうだったので、僕もそれを頼む。蕎麦の香りのするクレープはパリッと焼けていて、ナイフを入れると中に包んだベーコンと卵、そしてとろけたチーズを溢れさせるのだ。これが美味くないわけがない。特に、焼いている途中で溶けて溢れてフライパンにくっついたらしいチーズが、香ばしく、塩気と旨味たっぷりな焦げになっているのが中々いい。
僕は、ナイフを入れたクレープからまろやかな卵が皿に溢れ出す芸術的な光景を楽しみつつ、小さなレディとコーヒー談義なんかを楽しみつつ、朝の楽しい時間を過ごすことができた。
失礼な奴が誰も押し掛けてこない朝というのは良いものだ。できれば、これが毎日当たり前にあると、尚良いんだが。
お会計を済ませた僕は店を出る。すると、ニワトリが店の前に居た。丁度、パブに来たところだったのか。
「ああ、びっくりした。どうしたんだ、そんなところで」
「ストレンジャー。あれを見ろ」
ニワトリは眉間に皺を寄せつつ、店の前から見える通りの先を指し示す。
そこには、片結びにされて『くそ、俺もここまでか……』と呻く街灯と、その街灯の前で爽やかな高笑いをしている昨日の男の姿があった。つまり、スーパーヒーローと名乗っていた、例の。
「悪の手先はこのスーパーヒーローが許さない!正義は必ず勝つのだ!」
僕とニワトリは顔を見合せて、頷き合う。
やっぱりあいつ、騒ぎを起こしているぞ、と。