肉まんに光あれ
肉まん聖人達は列を成して、厳かに行進していく。肉まん聖人の内の数人が鳴らす鈴が『にくまーん……にくまーん……』と音を響かせて、彼らの行進をより一層厳かなものへと変えていた。
「おお、肉まん聖人の行進か」
ニワトリが感嘆の声を上げつつ、ゆっくりと歩いていく肉まん聖人達を見守る。僕も倣ってそうしていると、やがて、肉まん聖人の内の1人が行列を外れ、道の脇に積み重ねられた段ボールの前に屈む。すると、段ボールの山の中から、おずおずと、肉まんが1匹出てきた。
肉まんは冷めて硬くなり、ついでに少々、油で汚れてしまっている。だが、肉まん聖人はそんな肉まんへそっと手を伸ばし、優しく両手で包み込んで持ち上げると、『にくまん』と聖句を唱えた。
救われない肉まんはそのまま、肉まん聖人が背中に背負ったほかほかの蒸篭に移された。肉まん聖人の蒸篭に入れてもらった肉まんは、どんなにカチカチでもふわふわを取り戻し、汚れは全て消え去り、柔らかく温かな肉まんへと生まれ変わるのだ。
僕とニワトリは、肉まん聖人達が進む脇に立ち、彼らの内の何人かが持っている鉢の中へ、硬貨を数枚、そっと入れる。
すると、肉まん聖人は『にくまん』と聖句を唱え、蒸篭から2匹の肉まんを取り出した。
蒸篭の中ですっかりふかふかになった立派な肉まんは、僕らの手の上に1匹ずつ、そっと載せられた。
そしてまた、行列は進んでいく。『にくまーん……にくまーん……』と鈴の音を響かせながら、肉まん聖人達はまた救われない肉まんを拾い上げ、救い、そして救われた肉まんを望む者と巡り合わせていくのである。
「肉まん聖人の行列を見るのは初めてだ。本で読んだことはあったけれど」
「実際に見てみると、本で読むのとはやはり違うだろう」
「そうだね。とても神聖な気配がする」
僕は神を信仰している訳ではないが、汚してはならない、清浄なものがこの世にあることは知っている。その内の1つが、肉まん聖人だ。
僕とニワトリは揃って『にくまん』と聖句を唱えてから、ほかほかの肉まんに齧りつく。
朝食を食べた直後だったが、肉まんはほわりと柔く温かく、醤油と肉の旨味がぎっしりと詰まって、最高に美味かった。
こうしてまた、救われぬ肉まんが人の胃の腑に落ち着いたことで、この世は少し良くなっていくのだろう。
僕はどこか清々しい心地で、遠ざかっていく肉まん聖人達の行列を見送った。
肉まん聖人の行列を見守っていたら、すっかり始業ギリギリになってしまった。僕はなんとか遅刻せずに職場へ駈け込んで、胸を撫で下ろす。ガラス戸がそっと自動で開いてくれたからこそ、ギリギリで間に合ったようなものだ。僕はガラス戸に礼を言って、早速、仕事に取り掛かる。
今日の仕事はまた多岐に渡った。『私達、結婚します!』とやってきたボルトとナットに婚姻届の書式を渡してやったり、怨嗟を背負ってやってきたしらたきが『金を出せ!』とやり始めたのでタワシに『私はタワシです!』と撃退してもらったり、大きくなり過ぎたサボテンが反省して30㎝程まで縮んだので褒めておいたり。いや、最後のは仕事じゃないか。
続いて害虫や害獣の駆除のため、僕は兵長蜘蛛達と一緒に外に出た。ストレンジタウンは清潔にしようと心がける者が住んでいるわけではないのだが、狂気が狂気を洗い流していくせいで然程汚くはない。それでも害虫や害獣が生息しているので不思議なものだ。
溝に住んでいながらにして『俺はドブネズミじゃねえ!』と喚くドブネズミを駆除し、物干しにかけてあったホタテを盗んで食っていた空飛ぶラッコを駆除し、道を塞ごうとしていたぬりかべを駆除する。
更に、木材を齧っていた白蟻や、鉄骨を齧っていた黒蟻、きなこを啜っていた黄蟻などをどんどん駆除していく。特に、黄蟻は和菓子屋にとっては大変な害虫だ。念入りに駆除しておいた。
新兵蜘蛛の一匹が宙を揺蕩っていたミドリムシを誤射してしまったが、トラブルといえばその程度だった。ミドリムシには誤射の詫びに、整合性売りが売っていた『シェフの気まぐれ』を買ってやったところ、ミドリムシはるんるんとご機嫌で宙へ飛んでいった。『シェフの気まぐれ』を夕飯のサラダに載せて楽しむつもりらしい。中々いいね。
そうして町の中を兵長蜘蛛達と共に歩いていると、ふと、肉まん達が路地からまろび出てきた。
不思議に思って路地の中を覗くと、そこには、とんでもない光景があったのである。
「こんな白いだけの肉まんじゃ売れっこないからな!赤のチョコレートスプレーをかけてやろう!」
なんと、そこではぶよぶよと豚のように太った男が、アメリカンなチョコレートスプレーの瓶を片手に、肉まんを襲っていたのである。
男の手から逃げるように、わらわらと肉まんが動く。だが、無情にも男は肉まんを1匹無遠慮に掴み、そして、そこにチョコレートスプレーを掛けていくのだ。
肉まんは必死にもがいて逃げ出そうとしていたが、チョコレートスプレーを掛けられ、どんどん弱っていく。そしてやがて、何の罪もない肉まんは死んだ。
「やはり時代は赤だ!白い肉まんなんて地味すぎる!こんなんじゃ売れっこないんだよ!」
男は赤いチョコレートスプレーに汚された肉まんを放り捨てると、次の肉まんへと襲い掛かる。肉まん達は必死に逃げているが、何せ、肉まんだ。そう早く動けるものではないし、遂に、次の肉まんも捕まってしまう。
だが、捕まってしまった哀れな肉まんが、カラースプレーを掛けられることは無かった。
『害獣発見!目標、肉まんを汚す豚である!撃てー!』
兵長蜘蛛の勇ましい声が聞こえたと思ったら、次の瞬間、銃声が響き渡ったのだ。
蜘蛛達が抱えた機関銃から、弾丸が発射される。弾丸はしかと、豚のような男へ命中した。流石、兵長の腕は伊達じゃない。
そうして豚のような男は死んだ。醜い悲鳴を上げて、血飛沫を上げて、その場に倒れて二度と動かなくなる。
僕は咄嗟に動いて、肉まん達を汚い血飛沫から守った。血飛沫は僕のシャツの背中を汚したが、肉まん達は幸い、無事だ。僕のシャツ程度、構わない。血の汚れはオキシドールで落ちるのだから。
肉まん達の無事に安堵し、ついでに、自分の中にこんな良心がまだちゃんと残っていることにも安堵する。ストレンジタウンに住んでいたって、良心も理性も、失う必要はない。
だが、血飛沫を浴びずとも、犠牲になってしまっている肉まんは居る。
そう。豚男にカラースプレーを掛けられてしまった肉まんは、もう息絶えていた。
肉まん達は仲間の無残な死にショックを受けているらしく、茫然と仲間の死体に近づいては体を震わせる。
僕も蜘蛛達も、このあまりに悲しい光景を前に、何もできずにいる。
兵長蜘蛛達が哀悼を示しながらすすり泣く声が聞こえる。
遠く関係なく、町の喧騒が聞こえる。
こんな悲しいことがあるなら狂気に浸っていた方がいいじゃないか、と囁く声が聞こえる。
『……まーん……くまーん……』
それから、救いの鈴の音も、聞こえた。
ふと僕らが気づくと、そこに肉まん聖人が立っていた。
『にくまーん……』
鈴の音を響かせて、肉まん聖人はそっと、肉まん達の中心、カラースプレーを掛けられて死んだ肉まんの前へとやってくる。
その肉まん聖人は、朝に見た肉まん聖人よりも随分と小柄だった。もしかすると、修行中の肉まん聖人なのかもしれない。
だが、生成りの衣を纏い、蒸篭を背負ったその姿は神々しく、手出しができないような清廉な気配を纏っていた。
そっと屈んだ肉まん聖人は、哀れな肉まんの死体を、そっと、両手に包むように持ち上げる。そして、『にくまん』と聖句を唱え、ほかほかと湯気を上げる背中の蒸篭へ、その肉まんの死体を納めたのだ。
「聖人。その肉まんは救われるだろうか」
つい、僕は期待を込めてそう、尋ねてしまった。だが、肉まん聖人は僕の無作法を気に留める様子もなく、ただ黙って、こくり、と頷いてくれた。
更に、肉まん聖人はその場でしばらくじっとしていると……きっかり5分後、そっと、蒸篭の蓋を開ける。
「……奇跡だ」
するとそこには、甘ったるい上に赤いカラースプレーで汚された哀れな肉まんの死体はどこにもなく、ただ代わりに、白くふんわりと柔らかそうなピザまんの姿があったのである。
僕は、肉まん聖人がそっと差し出した鉢の中に硬貨を入れる。すると、肉まん聖人は僕の手に、生まれ変わったばかりのピザまんを載せてくれた。
ピザまんはほっこりと温かく、蒸かされて適度にしっとりとし、そして何より、柔らかかった。そこに、安らぎと救いが確かにあったのである。
僕は静かな感動を覚えながら、ピザまんに齧りつく。甘酸っぱいトマトソースと旨味の詰まったベーコンの細切り、そしてまろやかに蕩けるチーズが口の中に溢れ出て、僕は、あの哀れな肉まんがしかと救われたことを知った。
肉まんがピザまんになったことについて、ピザまん本人は喜びこそすれ、憂う様子は無かった。それもそのはず、饅頭は皆等しく温かくふわふわで美味いのである。
僕は『にくまん、ぴざまん』と聖句を唱えた。すると肉まん聖人は、にこ、と笑って、ぱたぱたと駆けていく。駆け足に合わせて鈴の音も、『にっくまん、にっくまん』とリズミカルで明るいものに聞こえた。
「あれ」
そんな肉まん聖人の背中を見送っていると、その肉まん聖人の衣がふわりと風に翻り、その奥に白い翼が見えた。
ニワトリの羽にも似た、白い翼。それを背から生やしたその肉まん聖人は、背中の蒸篭をもう一度背負い直しながら、軽やかに駆けて去っていく。
「もしかすると、あの肉まん聖人は天使だったのかもしれない」
僕の呟きも、『にっくまん、にっくまん』という明るい鈴の音も、やがて喧騒に紛れて聞こえなくなった。
その日の仕事はそれで終いにすることにした。僕は蜘蛛達と一緒に出張所へ戻って、そこで定時まで時間を潰す。
兵長蜘蛛とたわしとサボテンと共にポーカーをやってみたのだが、これはタワシが強かった。何せ、ポーカーフェイスなのだ。タワシは。逆に、サボテンは伸びたり縮んだりして表情豊かなので、ブラフがすぐに分かる。
そうして数ゲーム分ポーカーをやっていたところ、窓口カウンターが乱暴に叩かれる。
また茹ですぎのスパゲッティだの怨嗟のしらたきだのが来たんじゃないだろうな、と、僕はタワシと兵長蜘蛛とサボテンと共にカウンターへ向かう。
「やあ!ブルーバード特別区の役所はここかい?」
そこに居たのは、妙にぴっちりとした服を着た男だった。背が高く、体つきは逞しい逆三角形。甘いマスクに白い歯が光る。
「私はスーパーヒーロー!この狂った町を救いにやってきたのさ!」
また煩そうなのが来たな、と僕は思った。




