リトルレディ*4
「やあ、ニワトリ、ぼたもち伯爵、それから小さなレディ。こんばんは。同席してもいいかな」
それから僕はこの月夜を共に楽しむ仲間達へ挨拶をする。ニワトリは楽し気に、平行四辺形のぼたもちは優しく、そして小さなレディは澄まして、それぞれに快諾してくれたので、僕も皆と同じテーブルに着く。
「異邦人さん、こんばんは。今夜はお月様が綺麗ね」
「ああ。とてもいい月夜だ。しかし、こんな夜に、一人でお出かけ?」
「ええ。今日はお月様が綺麗だから、一人でお出かけしてもいいことにしたの」
少々背伸びした様子の小さなレディは、にこにこそわそわと、少々浮足立っている。こんな月夜に一人でパブに来て食事を摂る『大人っぽい』時間を存分に楽しんでいるらしい。
それから僕らは少々、小さなレディの話を聞いていた。
どうも、彼女は今日のおやつに出たジンジャーブレッドが間違いなくクリスマスの残り物であったことについて『最初はちょっとどうかと思ったのだけれど、でも、オーブンで焼き直して食べたら美味しかったから何も文句は無いわ!素敵なおやつだった!』との見解を持っているらしかった。中々興味深いね。
そうして小さなレディの話を聞いている内に、僕の分のオムライスが運ばれてくる。
だが、少々風変わりだ。何せ、卵の部分が僅かにも黄色くない。まるで白身だけで作ったような、しかしその割にはふんわりと滑らかでまろやかそうな見た目の、不思議な白銀の卵だ。
「ねえ、ニワトリさん。その卵は色が違うのね」
「ああ。これを生んだ時は、少し悲観的な気分だったからな」
どうやら、今日か昨夜かのニワトリは少々悲観的だったらしい。彼にもそういうことがあるのか、と思うと少し不思議な気もするが、彼の卵の繊細で奥深い味わいを考えれば、悲観的になることだってあるような、そういう思慮深い精神がニワトリに宿っていることにも納得がいく。
「そういえば、ぼたもち伯爵さんのも、ニワトリさんのも、白かったわ。私のは黄色かったのに!」
「ああ。白い卵は大人向けだからな」
ニワトリが小さなレディに笑いかけてそう答える。となると僕も俄然興味がわいてきて、早速、目の前の皿から一匙、白いオムライスを掬い取る。
白いオムライスの中身は、ケチャップライスではなく、たっぷりのパセリと玉ねぎとベーコンを刻んで炒めて飯に混ぜ合わせた、一風変わったライスだ。そして肝心の卵は、口に入れた途端にふわり、と華やかな香りを漂わせる。
胡椒のような、華やかながら鋭い香り。そして、そこに胡椒や山椒のような辛みが混ざり、そして旨味が舌の上にぶわりと広がる。上等なホップにも似た苦みが僅かに残る。程よい塩味がつけられ、とろりとまろやかな口当たりに火が入ったそれは、成程、正に大人向けの味だ。
「卵としては邪道かもしれないが、俺はこういう卵も生む」
ニワトリは僕の表情を見て、にやりと笑ってそう言う。
「確かに卵としては邪道かもね。でも、僕はこれが気に入った」
「そいつは何よりだ」
僕らはお互いに笑い合って、僕はコーヒーのカップを、ニワトリはブランデーのグラスをそれぞれ傾ける。
「あの……」
すると、横から小さなレディがおずおずと、声を掛けてくる。おずおずと、もじもじと、少し頬を紅潮させて。
「とても失礼だっていうことは承知の上で、お願いするのだけれど……」
「何かな、レディ」
「そちらの、大人向けの卵……一口分けていただけないかしら」
小さなレディは、スプーンを手に、ただもじもじとしていた。失礼だと思ったものの、どうしても大人の味への興味が抑えられなかったのだろう。
「構わないよ。どうぞ」
大人になりたい小さなレディのお願いだ。応えないわけにはいかない。僕がそっと皿を差し出すと、小さなレディは小さなスプーンをそっとオムライスに差し入れて、白い卵とライスとを慎ましやかに掬っていく。
そして、それを小さい口へと運んで……。
「どう?」
「……あんまり、美味しくなかったわ」
そう、感想を述べてくれた。心底残念そうな、悔しそうな、そんな表情を見てしまっては、僕もニワトリもぼたもち伯爵も、笑顔にならざるを得ない。
「やっぱり私、まだ子供なのかしら……」
「君は小さいけれど立派にレディだ。だからこそ、味覚まで急いで大人になる必要はないと思うよ」
小さなレディは肩を落としながら、ホットミルクのカップをそっと傾けた。ホットミルクにはほんの少し、ブランデーが香りづけに入れてあるようだ。きっと、ニワトリが飲んでいるのを見てブランデーを飲みたがった彼女のためにマスターが用意したんだろう。
「うん……ちょっとずつ頑張ってみるわ。まずは、ミルクを入れたコーヒーから少しずつ慣れていくの」
少し前向きな気分になってきたらしい小さなレディの意気込みを聞いて、ぼたもち伯爵がぱちぱちと拍手する。是非、ゆっくり頑張ってほしいね。
食事を終えた僕らは解散したが、そのまま部屋に帰らずストレンジタウンを歩くことになった。
勿論、小さなレディを送っていくためだ。『レディにこんな夜道を一人で歩かせちゃいけない。送っていこう』とニワトリが申し出たので、折角だから僕も一緒に散歩させてもらうことにした。こんなに月が綺麗な夜だし、丁度いいだろう。
ぼたもち伯爵は途中で別れて、彼の家であるトーテムポールの中へと入っていった。僕とニワトリは小さなレディの先導の下、のんびりと夜の町を歩いていく。
夜の町は、明るい。満月が出ていることもそうだし、街灯達が生き返ったことも大きな要因の一つだ。電球を交換されてすっかり元気になった街灯達は、『さあ、俺達が照らしている間に行くんだ!』と元気に声を上げている。照らしている間、というと、まあ、彼らは一晩中灯っているわけなんだけれど。
「あっ、ここだわ!」
そうして僕らが歩いていくと、小さなレディは道の突き当たりでそう声を上げる。
「送って頂いて、ありがとう。おやすみなさい!」
「ああ、お休み」
「良い夢を!」
小さなレディはお辞儀すると、道の突き当りにあった穴の中へ、ぴょこん、と飛び込んでいく。ひゅん、と小さく音が聞こえて、そしてそれきり、穴は見当たらなくなった。
「変わったお住まいだ」
「変わったお住まいだな」
もしかすると、彼女、不思議の国のアリスだったんだろうか。まあ、確かめようもないのだけれど……。
帰り道、僕はニワトリに聞いてみる。
「ところで、君は卵についてとやかく言われるのはあまり好きじゃないように見えるけれど、やっぱりあの小さなレディに関しては別かい?」
思い出されるのは、初めてニワトリと会ったあの時。卵を割りながら不味い不味いとぎゃあぎゃあ喚いていた醜い女達。それから、やはり卵を不味い不味いと嬉しそうに騒いでいた批評家気取りのウィンナーソーセージ。ニワトリの前で卵について不味い不味いと言った奴は皆、死んでいる。死んで当然だとも思うが。
「勿論。礼節と品性を損なっていないなら俺は卵について不味いと言われたとしても気にしない」
その点、小さなレディは『美味しくないわ』と言っていても然程気にならなかった。何せ、彼女、ちゃんとしているから。ニワトリとしても、そんな気持ちらしい。
「それに、あの小さなレディは可愛らしい」
「うん。同意するよ、ニワトリ」
まあ、何にせよ、可愛いものは許される。世界の真理について深く考えつつ、僕は道の脇で丸くなっている、耳と尻尾の生えたポリ袋を眺める。まあ、あれも少々可愛いから存在を許されているんだろう。フォーリンはあれを気に入っているらしいし。
「それにしても、ストレンジャー。実にいい月夜だ」
「そうだね」
月はまろやかに丸く、とろりとした風合いでありながら、優しく柔らかく、光り輝いている。まるで、卵のようだ。
あれを一匙掬って食べてみたら、どんな味がするだろうか。小さなレディにも好ましい味だといいけれど。
さて。
そうして翌朝も、小さなレディは元気にやってきた。
「おはよう、マスター!それから、異邦人さんとニワトリさんも!」
今日も可愛い小さなレディは、僕らと並んでカウンター席によじ登る。このスツール、彼女にはやっぱり高すぎるんじゃないだろうか。
「おはよう、小さなレディ!今日は何にする?」
「今日はトーストと卵のプレートにするわ。それから、ミルクを入れたコーヒーをお願い!」
にこにこと嬉しそうな彼女は、今日も優雅に注文を済ませた。それから隣のニワトリに『今日の卵もニワトリさんの卵かしら?』と尋ねて、『ああ、そうだ。今日のは少し浮かれた気分で生んだから甘めだな』との返答を受けている。ちなみに、その浮かれた気分の卵は僕も今頂いているが、少し甘味を感じさせるとろりとまろやかな卵がカリカリのベーコンと合わさって中々美味しい。古き善き卵を踏襲していながら、少しばかりのアクセント。こういうのも悪くない。
僕とニワトリがコーヒーのお代わりを貰っている間に、小さなレディは今日も立派に完食した。少し量が控えめの食事は、それでも彼女には少しだけ量が多いようなのだけれど、彼女は出された食事を残すようなことはしなかった。
「はい、マスター。お会計をお願い」
「はいはい、小さなレディ。確かに。またのご来店をお待ちしているよ!」
マスターはにっこり笑って、小さなレディが外へ出ていくのを見送った。そうして小さなレディが店の外へ出るのを見送ってから、ニワトリがにやりと笑って、マスターに尋ねる。
「ポテトヘッド。今ので元が取れるのか?」
ニワトリに倣って少し身を乗り出してみると、マスターの手の中にある硬貨が見えた。
50円玉が1枚と10円玉が5枚、そして5円玉が2枚だ。110円。成程ね、特別価格って訳だ。
「ああ。その分、小さなレディに朝食を提供する栄誉に与ってるからね。まあ、足りない分があるとしたら、それは将来、あのレディが大人になってもここに通い続けてくれればそれで元が取れるだろう」
マスターは笑って、小さなレディの食器を片付け始める。
「或いは、ニワトリ。お前にその分を吹っかけてもいいなあ」
「なんてこった」
僕らは笑い合いつつ、どうか、今後もあの小さなレディが大人になってもここへ来てくれますように、と思う。
まあ、本当に彼女の幸せを望むなら、こんな町で食事を摂らなくてもいい環境に移れるように祈るべきなのだろうけれど、そこは、ストレンジタウンの狂人共のお祈り、ということで。
僕とニワトリがそれぞれにコーヒーを飲み終え、会計を始めていた、その時だった。
『……まーん……』
店の外から、ふと、そんな音が聞こえてきた。
『……まーん……』
音は次第に近づいてくる。僕もニワトリも店の外に出て、音の出処を探す。
『……くまーん……』
そして、それはすぐに見つかった。
音を鳴らしているのは、手のひらほどの大きさの鈴。
そしてその鈴の持ち主達は、生成りの衣に身を包み、背中に蒸篭を背負い、厳かに歩いている。
『にくまーん……にくまーん……』
そんな音のする鈴を鳴らしながら歩いていたのは、肉まん聖人の行列だった。