リトルレディ*3
「さあ、素敵なレディ。今日は何にする?トーストか、パンケーキか、フレンチトーストか。クロワッサンもあるよ。クレープ・シュゼットっていうのもアリだ」
少々元気を失っているマスターは、この小さなレディに存分にサービスすることに決めたらしい。まあ、気持ちは分かるよ。汚いものを殺した後には美しいものを慈しむことで正気が保てるんだろう。
「それから、飲みものはどうする?」
「ええと、パンケーキと、それからコーヒーをお願い」
どうやら、今日も小さなレディはコーヒーをご所望らしい。昨日の様子を見る限り、彼女はコーヒーがあまり好きじゃないように見えるのだけれど。だって、エスプレッソ用のカップに半分だって、持て余し気味に見えたのに。
「オーケー。パンケーキと、コーヒー。少々お待ちを」
だが、マスターは素直にそれらを用意するらしい。パンケーキ用の生地を冷蔵庫から出してきて、フライパンで焼き始める。
それを見ながら、僕は小さなレディの様子をちらり、と伺う。小さなレディは少々緊張気味だ。まあ、彼女はこれからコーヒーへの戦いに臨もうとしているようだから。
それから、小さなレディは今日も少し背伸びしてお洒落している。可愛らしいエプロンドレスを着ていて、頭にはリボン。不思議の国のアリスのような、そんな恰好だ。案外本当に、ウサギ穴に落ちてストレンジタウンへ来てしまった子なのかもしれない。
僕は小さなレディのことが気になったが、あまり気にするのも失礼だろう。カウンターの方へ視線を戻すと、丁度、カウンターの向こうではパンケーキの片面が焼けたところだったらしい。ふんわりとしたきつね色の円盤が宙を舞って、綺麗に180度回転してフライパンに着地した。これには僕も平行四辺形のぼたもちも小さなレディも、歓声を上げる。お見事だ。
やがて、軽業師のようなパンケーキが焼き上がって、また宙を舞い、ぱふん、と皿の上へ着地する。そこに古き善きバターと蜂蜜が載せられて、そして、エスプレッソ用のカップのコーヒーと共に、小さなレディの前に置かれた。
「……いただきます」
小さなレディはナイフとフォークを上手に使ってパンケーキを小さく切り分けると、その小さな一切れを、小さな口へ運んだ。そうして、ぱっ、と表情を明るくする。彼女の顔を見て、僕も明日はトーストじゃなくてパンケーキにしてみようかな、なんて思う。彼女、とても美味しそうに食べるから。
だが、小さなレディは美味しい思いばかりもしていられない。彼女の前には、コーヒーのカップがあるのだ。
小さなレディは死地へ赴く兵士のような表情でコーヒーのカップを持ち上げると、それに口を付け……そして、『苦い!』というような顔をする。美味しいと思って飲んでいるようには見えないね。
「失礼、小さなレディ。少々、お伺いしても?」
そこへ、マスターがそっと、声を掛ける。小さなレディは小さいながらに『何かしら』と少し気取って返事をする。そんな小さなレディのことを見つめ返して、マスターは首を傾げつつ、尋ねた。
「どうも、あなたはコーヒーが苦手なように見えてね。正直なご感想をお伺いしたい」
実にシンプルかつ深く切り込んだ質問に、小さなレディは少々、戸惑う様子を見せた。『私、コーヒーが苦手なように見えたかしら』というような表情で、恥ずかしそうに肩を落とす。
「……そうね。コーヒーって、美味しくないわ。とっても苦くって、口の中が、ぎゅっ、てするかんじよ」
そう言いつつ、小さなレディはコーヒーをちびり、ちびり、と誤魔化すように飲む。
「大丈夫かい?苦手なようなら、別の飲み物もあるよ。交換することもできるけれど、どうする?」
マスターの言葉には、少々元気が無い。さっきのキチガイ共のせいだろうか。だが、小さなレディはマスターの言葉に、首を横に振った。
「飲むって決めたのは私よ。文句なんか言わないわ。レディは自分の行動に自分で責任を持つものよ」
小さなレディは立派だった。ああ、彼女こそ、レディの中のレディだ!
「ところで、どうしてコーヒーを飲むことにしたんだい?」
小さなレディに敬意を払いつつ、そう、尋ねてみる。すると、小さなレディは少しむくれたような顔で、答えてくれた。
「だって、大人はみんなこれを飲んでるわ。これを美味しいって思えるようになったらきっと一人前のレディになれるの」
「既に君は立派なレディだと思うけれど」
少々気取り屋でおしゃまなレディは、僕の言葉に首を横に振る。
「あなた達は美味しそうにこれを飲んでるわ。なら、私に分からないだけで、美味しいのかもしれないじゃない。飲んでいたら、分かるようになるかもしれないじゃない。そのチャンスを逃したくないの」
「おお、御見それした。やはり貴女は立派なレディだ!」
澄まして答える小さなレディに、マスターは拍手を送った。
「だが、パブのマスターおよび一人のジャガイモとして言わせてもらうとね。何も、無理をして自分が美味しいと思えないものを味わい続けるのは、大人の嗜みとはいえない。何故なら、大人っていうのは、こう……もっと身勝手で我儘なものだから。特に、このストレンジタウンでは!」
マスターの言葉を、小さなレディは神妙な顔で聞く。背伸びして大人になりたい小さなレディは、大人講座に興味津々のようだ。
「こちらのぼたもち伯爵を見てごらん。爵位のある立派な大人だって、甘いお汁粉を飲んでいるよ」
平行四辺形のぼたもちは、にっこりと優雅に微笑んで、小さなレディに小さく手を振ってみせた。
「まあ、もしコーヒーに挑戦し続けたいなら、それも君の選択だ。けれど、まあ、パブのマスターおよび一人のジャガイモとして言わせてもらうなら、どうせ味わってもらうなら美味しいと思うものを選んで味わってほしいな」
マスターがそう言うと、小さなレディはしゅんとした。
「私、コーヒーに失礼だったかしら」
「まあ、そうかもしれない。だが、君は礼節を弁えたレディだ。コーヒーだって、そんなに嫌な思いはしていないよ。勿論、俺もね」
マスターはにっこり笑うと、さて、とばかりに尋ねる。
「ということで、どうする?今日はこのままコーヒーに挑戦してみるかい?他の飲み物にするっていう手もあるし、そうだな、コーヒーにミルクを足すっていうこともできるよ。どれを選んだって、失礼にはあたらない!」
「えっ?ミルク?コーヒーにミルクを足すの?」
「ああ。ミルクは決して、子供の飲み物じゃない。ミルクを加えると、コーヒーはまた新たな味わいになる。後は……もし、少しエキゾチックな味わいに挑戦してみるなら、コンデンス・ミルクを加えてみるのも面白いね。いかがいたしますか、レディ?」
マスターが選択肢をどんどん出していくと、小さなレディは少し頬を紅潮させながら、努めて澄ました顔で……しかし、なんとも嬉しそうに……注文するのだ。
「なら、コンデンス・ミルクを試してみるわ!」
そうして小さなレディのカップには、コンデンス・ミルクが一匙追加された。
優しくカフェオレ色に濁るコーヒーを見て、小さなレディは目を瞠る。きっとこれも、彼女にとっては未知の経験なのだろう。
小さなレディはコーヒーのカップを手に取ると、そっと、警戒しながらそれを飲む。最初は、ちびり、と。そしてその次は、こくり、と。
「苦いけれど、そんなに嫌じゃないわ。それに、香りがとっても、いい香り!」
輝かんばかりの表情でそう言う小さなレディを見て、僕もマスターも平行四辺形のぼたもちも、思わずにっこりする。
小さなレディが喜ぶ様子というのは、どうにも見ていて嬉しくなるね。
そうして小さなレディは小さな口でパンケーキとベトナム風のエキゾチックなコーヒーを食べ進め、そして、完食すると『おなかいっぱい!』となんとも幸せそうに笑う。
それから小さなレディは会計を済ませて帰っていった。マスターは手の平に乗せてもらった硬貨を眺めつつ、幾分元気を取り戻した顔になっていた。やっぱり、あの可愛らしい小さなレディは僕らを元気にしてくれたようだ。
さて、僕も会計を済ませて店を出ることにする。会計を済ませて、脱いでいたジャケットを羽織っていると、その間にマスターは店の奥に一度引っ込んで、『おーい、店の前で殺して死体は処理できたんだが、血だまりが残ってる!ちょっと片付けといてくれ!』と声を掛ける。
すると、中からジャージを着たジャガイモ頭と、スウェットを着たジャガイモ頭と、バスローブ姿のジャガイモ頭が出てきた。
3人のジャガイモ頭……それぞれにマスターらしい彼らは、『やあストレンジャー。驚かせたね』とか『今晩も来てくれよ?』とか『ところで生まれて初めてバスローブを着てみたんだが、これ、すーすーして落ち着かないね』とか僕に声を掛けつつ、店を出て行った。
「マスター。彼らは、マスターかな」
「ん?勿論。俺だよ」
平然としたマスターは、すっかり元気を取り戻している。そう、流石はジャガイモだ。実に、無性生殖ができるジャガイモらしいじゃないか。地面に埋めておくなり何なりすれば、マスターはいくらでも分身が生み出せるということなのだろう。ジャガイモから生えるジャガイモは実質クローンのようなものだし。それに、やっぱりこれでマスターの24時間営業にも説明がつく。
ついでに……もしかすると、やはり、PUB POTATO HEADで出てくるジャガイモ料理は、マスターの……いや、なんでもない。
その日も色々と仕事をした。こまごまとした仕事だった。
倉庫から発掘されたコンクリートミキサーに首輪とリードを付けてストレンジタウンを散歩させてやりながら罅割れた道にコンクリートを流しておいたり、喧嘩していた水道管とガス管の仲裁に入ったり。
昼休みには鍵を鞄から出して、少し戯れることにした。手の平に乗せながら指先でこちょこちょとやってやると鍵は大層喜ぶ。すっかり僕に懐いた今も甘えん坊は健在で、こうして構ってやると、む、む、と鳴きながら嬉しそうにするのだ。これがまた可愛らしい。
午後もこまごま働いた。がま口の就職活動をサポートしたり、緑茶の人に新しい住民票としてフラミンゴの羽を渡したり、まあ、こまごまとした仕事だった。
定時の少し前には、兵長蜘蛛と新兵蜘蛛達の戦いを見せてもらった。彼らは緑色のタコに向かっていき、そのタコのぎょろりとした目玉を見事、機関銃で破壊したのだ。新兵達もすっかりこの職場に慣れて、よく働いてくれている。嬉しい限りだ。
さて。定時で帰路に就いた僕だが、この夜は素晴らしいことに、満月だった。
ストレンジタウンの壊れた街並みに太陽が沈み、心地よい断末魔が聞こえる。それを合図に暗くなっていく空には、やがて不定形の月がぽわんと浮かんでいく。不定形の月は空の真ん中にうまく引っかかって、そこでもったりと柔らかく形を変えながら、丸く明るく、整ったのだ。
こんな月夜なので、僕は幾分、機嫌がいい。そして、他の奴らだってそうだ。
ストレンジタウンは珍しく、皆が穏やかに上機嫌だった。月がこんなに綺麗なんだから、こうなるのも已む無しといったところだろう。
「おお、ストレンジャー!お帰り!今日はいい月夜だね!」
パブへ戻ると、やはりと言うべきか、店の前にテーブルとイスを出して、そこで営業しているマスターが居た。そしてテーブルの一つでは、ニワトリが食事を楽しんでいる。更に、そのテーブルには平行四辺形のぼたもちと、なんと、あの小さなレディなのだ。
「今日は月が綺麗だから趣向を変えて、オムライスだ!さあストレンジャー、君もオムライスを頼むだろうね?ニワトリの生みたて卵のオムライス、それも月夜の、だぞ!」
「じゃあ、是非それを頼むよ。アルコールは抜きで」
「任せろ!最高なのをこしらえてやる!」
いつにも増してうきうきと上機嫌なマスターにつられて、僕もますます上機嫌になってくる。こんな月夜だ、少し浮かれたって罰は当たらないだろう。
ニワトリにぼたもち伯爵に、小さなレディ。この卓に同席して夕食を摂る、っていうのは中々にいいアイデアだと思うよ。