リトルレディ*2
「お嬢ちゃん、1人かい?」
「ええ、そうよ」
マスターが少々腰をかがめて尋ねるも、少女は澄ました態度を崩さない。カウンター席のスツールは少々彼女には高すぎたようで、座るのに苦労しているけれど、この小さなレディを手伝うのも失礼に当たる気がして……それ以上に、咄嗟に何もできず、ぽかん、としていたため、僕もマスターも手を出しそびれた。
「ええと……コーヒーかい?カフェオレもあるがね」
「ええ、コーヒーよ!それから、モーニングをくださいな!」
なんとか席に座った小さなレディは、一丁前にモーニングなんて注文する。まあ、この店の朝食はどれも美味いが。
「ふむ……では、モーニングはトーストにするかい?それとも、パンケーキ?フレンチトーストもできるよ」
「じゃあ、フレンチトーストをお願い」
注文を終えた小さなレディは、少し緊張気味に、それでいてそうと気取られないようにか澄ました顔で、カウンター脇の窓の外を眺めている。
「あー……隣、いいかな」
そんなレディに声を掛けるのは少し緊張したけれど、僕は意を決して、断りを入れる。案の定、小さなレディは緊張した面持ちで僕を警戒していたようだけれど、『どうぞ』と気丈にも言ってのけた。
僕は礼を言って席に座ると、早速、いつものやつを注文する。コーヒーと、トーストと卵料理のプレートだ。
マスターは僕らの注文を早速処理すべく、カウンターの内側で卵を焼いたり、フレンチトーストを焼いたりし始めた。どうやら今日の卵料理はオムレツらしい。
「はい、どうぞ」
そうして、小さなレディの前にフレンチトーストの皿とコーヒーのカップが置かれる。小さなレディはきっと胃も小さいだろう、との配慮か、フレンチトーストは控えめな量で、そして何より、コーヒーが控えめな量だった。まあ、苦手な味でもなんとか飲み切れるであろう量だ。
小さなレディは緊張気味に『いただきます』と呟くと、早速、コーヒーのカップに口を付けて……。
……ああ、苦かったんだなあ、と明らかに分かる顔をした。その表情がなんとも可愛らしかったので僕の表情は綻びかけたけれど、小さなレディ相手にそれも失礼だろう。僕は懸命に、小さなレディの方を見ないようにしながら僕の分のコーヒーを待つ。
「はい、お待ち」
そして僕の分のコーヒーとトーストとオムレツが出てきたので早速それらを楽しむ。コーヒーはいつも通り、素晴らしい香りと豊かな苦み、そして苦みの向こうの甘みが美味い、至高の一杯だった。
素晴らしい朝の始まりを楽しみながら、ちら、と小さなレディの様子を見てみれば、蜂蜜をとろりと掛けたフレンチトーストを上品に食べて、コーヒーの口直しをしているところだった。
小さなレディはフレンチトーストの合間に、苦行に耐える修行僧のような面持ちでコーヒーをちびちび飲み、そしてフレンチトーストの甘さへと逃げ帰る。それを繰り返しているらしい。
マスターの方を見てみると、マスターも少々困惑している様子だ。マスターにとっても彼女は珍しいお客様なんだろう。
そうして僕が朝食を食べ終わって、もう一杯コーヒーを飲んでいると、小さなレディも無事、フレンチトーストを完食し、エスプレッソ用の小さなコーヒーカップに半分ほど入っていたコーヒーもまた、空にしていた。
「ふう……ごちそうさま、美味しかったわ」
そして小さなレディは少々無理をした様子で、しかし上品にそう挨拶すると、ポケットに入っていた小さながま口から硬貨を数えて、マスターに手渡す。マスターは笑顔で『またのご来店をお待ちしております』と挨拶して、小さなレディが去っていくのを見送った。
パブから小さなレディが出ていってしまうと、途端に店内が静かになったように感じる。あの小さなレディは行儀が良かったから、食べる時に食器の音をさせるでもなく、騒ぐでもなく、とても静かだったはずなのだけれどね。
「マスター。彼女、中々珍しいお客様だったね」
「ああ。ビックリだ。本当にこの町の子供か?親は一体何をしているんだか……」
マスターは心配そうな顔をしながら、小さなレディの食器を片付け始める。
「まあ、不愉快なお客様じゃあ、ないね」
「そうだね。背伸びして、ちょっぴり可愛らしかった」
本人に直接言ったら怒られそうな気もしたけれど、正直に感想を漏らしておく。するとマスターは『違いない!』と明るく笑う。
ここにニワトリが居なかったのが残念だ。彼の見解も聞いてみたかったけれど。
また、あの小さなレディが来店したら、そこに居合わせられるといいな、と思う。
それから僕は出社して、朝から電球の墓を作った。
丁重に弔ってやってくれ、とのことだったので、ちゃんと深めに穴を掘って、そこに使用済みの電球を埋めていく。電球なので火葬はしない。あくまでも土葬で、合同葬だ。
しっかり地面に電球を埋めて、被せた土を軽く叩く。すると見る見るうちに電球の木が生えて、電球が実り始めた。
これには流石に驚かされる。こんなに早く電球の木が生えるなんて聞いたことが無い。街灯の祈りが通じた結果だろうか。
実った電球達は口をそろえて『見よ、我らの大転生!』と自慢げにしてきたので、とりあえず拍手しておいた。すごいね。数日経ってもう少し電球が熟したら収穫して、また倉庫にしまっておこうと思う。
電球の墓づくりが終わったら、僕は早速、出張所内の掃除を始めた。
上司が住み着いていた倉庫を確認して、物資の在庫のリストを作ったり、単純に埃を払って綺麗にしておいたり。それから、昨日植えたサボテンは天井に届くほどになっていた。これ以上は本当に大きくならないでくれ、と念押ししておいた。
兵長蜘蛛とその部下達による軍事演習を見学させてもらったり、今日も蜘蛛達は絶好調で、倉庫に住み着いていたらしいミシシッピアカミミガメを捕縛していた。
それから僕は緑茶の人が『住民票ください!』と来たのに対して『こちらです。時々甲羅干しさせてやってください』と捕縛されたミシシッピアカミミガメを差し出して彼を笑顔にしたり、『これ捨てといて!』とやってきた二足歩行のヒョウモンダコから『新聞紙』と書かれた藁半紙を頂いてしまったり、唐突に壁からヤギが生えてきたので『新聞紙』と書かれた藁半紙を与えてみたり。
ああ、それと、多少、業務らしいことをやった。倉庫に『診療所組み立てキット』なるものが入っていたので、出張所の近くにそれを組み立ててみたのだ。
そうして、二段ベッドくらいの大きさの診療所が出来上がって、そこにいつの間にか、ナース帽を被ったシマエナガが巣を作り始めた。その内医者が来てくれるといいな。
他にも細々と業務を終えて、僕はパブへと向かう。
今日はカレーの日だった。イギリス風のカレーを楽しませてもらって、それから、常連客らしい平行四辺形のぼたもちと少し話すことができた。
実は彼はかつてぼたもちではなかったらしい。……実は、おはぎだったんだそうだ。人は見かけによらないね。
そこへニワトリがやってきて、彼のかつての姿も話してくれた。ニワトリは……実は、卵から生まれたわけじゃないらしい。実に神秘的だ。
そして、マスターも話に加わって、とんでもない秘密を話してくれた。実は、マスターは……無性生殖ができるらしい。まあ、ジャガイモだからね。そうか、マスターは無性生殖によって自分自身のコピーを増やして、それによってワンオペ24時間営業を続けているのか。マスターが奥に引っ込んだ時、マスターとマスターが入れ替わっているのだろう。成程ね。マスター数人による交代制でこのパブは運営されているっていうわけだ。
と、まあ、そんな風に楽しい夜を過ごして、部屋に帰って、鍵と一緒に穏やかな時間を過ごして、テトリスを一緒に楽しんで……そうして眠れば、朝が来る。
朝、僕は幾分うきうきしながらパブへ向かった。昨日の小さなレディが来ているかもしれない、と思ったからだ。
だが、パブに入ってみると、また思いもよらない先客が居た。
先客はきゃらきゃらと姦しい女性の団体客だ。頭部が金銀でメッキしてある連中だ。連中の頭部にはラインストーンがちりばめられていたり、ギラギラとラメが入っていたり、はたまた男性アイドルの顔写真が大量に貼り付けてあったりするのだが、総じて品が無い。
彼女達の話し声にも品が無い。それぞれがばらばらに自分の話したいものだけを話し、聞かせることも聞くこともしていないものだから、余計に煩い。朝っぱらから随分と煩いものを聞かされて、少々辟易させられた。
僕はマスターと目配せすると、マスターは肩を竦めて『お手上げ』のポーズを取る。カウンター席の端では常連客の平行四辺形ぼたもちが、少々肩身が狭いような様子でお汁粉を飲んでいた。
僕も概ね平行四辺形のぼたもちと同じようにカウンター席に着き、そして、そこでコーヒーを頼む。
コーヒーとトースト、そしてハムエッグが用意されて、僕は嬉々としてそれを口にする。煩い奴らが居る場所でも、卵とコーヒーの美味さは確かなものだった。
だが、煩い女の集団は、この素晴らしさをまるで理解できないらしい。
「はー、まっず!」
下品な咀嚼音混じりに、金メッキの女が叫ぶ。そんなに大きな声で言うべきことではない。少なくとも、多少なりとも慎みか良識かのどちらかを持ち合わせているなら、言うべきことではない。
「ほんとこの店さー、女に嫌われるような食べ物ばっか出すよねー。わざとやってんの?ってかんじ」
「一々味付けがわざとらしいっていうか、私が敏感すぎるのかもしれないけど、なんかもにょるんだよねー」
そう思うなら、何故わざわざこの店に来るのか甚だ理解に苦しむが、銀メッキの女達は黙らない。申し訳なさそうにするどころか、『言ってやった』と自分自身に酔い痴れているかのような素振りがこれ以上ないほどに醜悪だ。
「作る奴が駄目なんでしょ。しょうがないじゃん。安かろう悪かろうって奴?」
「所詮ストレンジタウンの料理だもんねー」
「妙に信者が多いのが余計にキモい。だからこの店には悪いけど、余計に嫌いなんだわ」
言い合ってはゲタゲタと笑う女達を見て、僕はいよいよ、カトラリーのナイフを使おうと握りしめたが、マスターがカウンター越しに僕を止める。
「ストレンジャー、早まっちゃいけない」
首を横に振るマスターにも怒りを向けそうになるが、それを堪える。
「そう。早まっちゃ、いけない。店の中で殺すと、後が面倒なんだ……」
何故なら、マスターがカウンターの中で磨いてるのはコーヒーカップではなく、クロスボウだったので。
いいね。是非やってくれ。
女達は会計せずに店を出て行った。『さも当然』と言わんばかりの蛮行に、最早何も言えない。
あいつらには何の言葉も必要ない。必要なのはただ1つ、死だけだ。
「よーし、ストレンジャー。ちょっと屈んでくれ。ぼたもち伯爵はそのままで」
マスターはカウンターの下から、クロスボウを取り出していた。そこには既に矢が番えられている。僕は少し屈みつつ、開けっ放しにされたドアの向こう、思慮というものをまるで持たない化け物共が歩いていくのを眺める。平行四辺形のぼたもちも、どこかわくわくとした様子でドアの向こうを見つめている。
「じゃあ、いくぞ。3、2、1……ファイア!」
そうして金銀のメッキ頭の女達が店を出て、10歩。
ぱっ、と頭がはじけ飛ぶ。血が飛び散って、他の女が悲鳴を上げる。
だが、悲鳴を上げた奴も、次の矢にまっすぐ頭部を射抜かれて死ぬ。逃げようとした奴も、死んだ。
……こうしてマスターは、カウンターの中に居ながらにして、『店の外でやってくれ』を見事に実践したのだった。
「ストレンジタウンのロビン・フッドと呼んでくれ」
少々気取ってそう言ったマスターに、僕も平行四辺形のぼたもちも、大いに拍手を送った。
「いやあ、碌でもないクソ共だった」
マスターは女達が使っていたテーブルを掃除しながらため息を吐いた。
「死体を通りがかりのちり紙回収に持って行ってもらえたから楽だったがね。まあ、それにしたって碌でもない……」
「同情するよ、マスター」
僕が声を掛けると、僕の横で平行四辺形のぼたもちが『その通り』とばかりに頷く。
「全く、あれでいて、『別に面と向かって文句なんて言ってない、私達は間違ってない、わざわざ聞いている奴が悪い、キモイ』……というんだから参ったね」
マスターは肩を竦めながら掃除を進める。女達は食べ方が非常に下品で汚らしかったので、その分、掃除が大変そうだ。
「ああまで悪し様に言われると、流石に少々、嫌な気分になる」
マスターがもう一度、深いため息を吐く。僕は相変わらず最高に美味いコーヒーを飲みながら、何かマスターに言葉を掛けようと考え……。
そこで、かろん、とドアベルが鳴った。
ニワトリかな、と思って振り向くと、そこには昨日の小さなレディが立っていた。
「ごきげんよう。今日もコーヒーとモーニングをくださる?」
これから戦いに挑むかのような勇ましい表情でいる可愛らしいお客様を見て、僕も平行四辺形のぼたもちも、思わずにっこりする。
これは、気分を変えるのに一番いいお客様が来た!