リトルレディ*1
さて、『太陽に悪態をつく』という有意義な過ごし方で日曜日を消費した僕は、月曜日に出社して、そこで、上司の死体を発見した。
職場の前に倒れた上司の死体の傍らには、消火器(サルモネラフレーバー、なるラベルだ)が1本転がっていて、そして、上司の頭部には何か鋭いもので殴られたような痕跡が見られた。要は、星が落ちてきてぶつかって死んだのだろう。多分ね。
反消火器勢力の技術力の高さに脱帽させられつつ、僕はガラス戸に挨拶して出社した。
今日から、職場に人間は僕1人だ。
上司のいない職場というものは、つくづく、居心地がいい。
妙な上に無意味な仕事を押し付けられることも無いし、臓器を売り捌かれる恐れもない。そして、何をやるにも僕の自由だ。
僕は最初に、PCに繋がれたままだったマッチ箱とタワシを解放した。マッチ箱は『これで俺も自由の身だ!』と喜びの声を上げつつ、空を飛んで窓から出て行った。タワシは『もしかして私ってタワシですか?』と聞いてきたので、『そうだよ』と教えてやった。その結果、職場の使われていない流し台へと這って移動して、そこに落ち着くことに決めたらしい。『私はタワシです!』と堂々と宣言するタワシの表情は明るかった。
次に、僕は枯れた観葉植物を撤去した。空になった植木鉢にはマスターから貰ってきたコーヒーがらを詰め、そこに、表のナスから生えていたサボテンを植える。サボテンは植え替えられたのが嬉しかったのか、みるみる内に成長して、3時間で僕の身長を超えるほどに大きくなった。これ以上は大きくならないでくれ。
それから、上司が死んだ旨をリトルハット行政区へ連絡した。ただし、『増員は不要』とも添えておいた。
増員を求めたら、この町へ異動させられる生贄めいた職員がまた1人、生まれることになる。それを厭うだけの良心くらいは、まだ僕の中にある。
続いて、デスクの兵長蜘蛛とその部下の新米兵達に挨拶する。僕が声を掛けると、彼らは『おはようございます!昇格おめでとうございます、中尉!』と元気に挨拶してくれた。どうやら、上司が死んだら僕が中尉になったらしい。元は何だったんだろうか。
さて、新米の蜘蛛達はやはりどこか初々しい。それでも害虫駆除のために訓練を積んで、この職場を立派に守る役目を果たしてくれるのだろうから、成長が楽しみだ。彼らの軍事訓練を見ていると、戸棚の裏に居たらしい体長18㎝ほどのカミツキガメが無事に駆除されていた。外来種の駆除もしているらしい。立派な蜘蛛達だ。
そんなこんなで職場は昼を過ぎ、今日も元気に緑茶の住民票の人がやってきた。
『この住民票間違ってます』とのことだったので確認してみると、それは、僕が以前渡したものでもなんでもない、どんぐりだった。それが、3粒ほど。
なので『こちらですね。土や砂に植えて、週に一度ほど水を与えて育ててください』と余ったサボテンを渡しておいた。緑茶の人とサボテンは満足気に帰っていった。
そして緑茶の人が帰っていった後は、僕はこの職場で多少、理性的な仕事をすることにする。
キャビネットにしまいっぱなしになっているらしい書類を整理し直したり、上司の机から必要そうな書類やマニュアルを引っ張り出してキャビネットに片付けたり。
色々と確認していく内に、本来僕らが行わなければならない業務が幾らか分かってきた。それによると、どうやら、街灯の整備も僕らの仕事だったらしい。道理で死にかけの街灯が多いわけだ。あの上司が街灯を管理していたとは思い難い。
さて、そうとなれば、街灯の整備を委託されてくれる業者を探すことにしよう。それが駄目だったら、自分で脚立に登って電球を付け替えることになるだろうか。
ふと、カウンターがバンバン叩かれる。品の無い呼び出しに辟易しながらそちらに向かうと、そこには茹ですぎたスパゲッティを頭部に装着した生き物が居た。
「ちょっと!この窓口はどうなっているの!なんで私が呼んでいるのに1秒以上も待たせるの!差別よ!私が素麺だからわざと待たせているんでしょう!」
そして開口一番にそう言うと、素麺だったらしい茹ですぎスパゲッティは僕に紙きれを一枚、投げて寄越した。
「さっさとそれ、受理してよ!」
生活保護に関する書類なのだが、チラシの裏に書かれたその様式は、手書きだ。そして、何故か全くの別人のプリクラが貼ってある。目玉が実物の25倍ほどになっており(いや、元々がこのサイズなのかもしれないけれど)中々に不気味だ。
尚、他には何も書いていない。氏名くらいは欲しいところだが、何も無い。
「ではこちらです」
仕方がないので、輪ゴムを数本、茹ですぎスパゲッティの手に乗せた。これでなんとか収まってほしいが。
「馬鹿にしてるの!?お金よ!お金を出しなさいよ!どうして出さないの!?私が茹ですぎスパゲッティだから馬鹿にしてるんでしょ!」
僕は、咄嗟に輪ゴムを出した自分の判断の正確さに感謝することになった。要は、投げつけられても痛くない、という点において輪ゴムは非常に優秀なんだ。
「どうして受理しないのよ!さっさとお金、出しなさいよ!私はコオロギなの!可哀相なの!これ以上待たせないで!」
この茹ですぎスパゲッティは中途半端に気が狂っていないのか、それともとことん自分に対して甘い気の狂い方をしているだけなのかはさておき、僕は心の中で緑茶の住民票の彼への好感度をそっと上げておいた。彼は聞き分けのいい狂人だ。
「ちょっと!早くして!お金を出して!さもないと殺すわよ!でもいいの!殺したって私は罪に問われないわ!だって私は素麺だし茹ですぎスパゲッティだしコオロギだし、可哀相だから!ほら、さっさと公務員は死ね!」
僕は目の前の、聞き分けの悪い狂人に対してどうするか考えて……結論を出した。
「少々お待ちください。窓口担当のタワシを連れてまいります」
そうして僕はタワシを連れてきた。タワシには事情を説明してあるが、理解できているかは怪しい。
それはさておき、タワシがカウンターの上にちょこんと載ると、それだけで茹ですぎスパゲッティは怯んだ。そこへ早速、僕は説明を重ねていく。
「この通り、彼女は茶色です」
『私は茶色です!』とタワシは胸を張った。
「そして当然ながらとげとげで……」
『私はとげとげです!』とタワシは胸を張った。
「つい最近まで、自分をディスプレイだと思い込んでいました」
『私は自分をディスプレイだと思い込んでいました!』とタワシは胸を張った。
「そして、今は流し台に住んでいます」
『流し台が我が家です!』とタワシは胸を張った。
「そして、タワシです」
いよいよタワシは胸を張って、『そう!私はタワシです!』と宣言した。
途端、茹ですぎスパゲッティが悲鳴を上げてひれ伏す。このバトルはタワシの圧勝だ。
そうしてバトルに圧勝したタワシの前で、茹ですぎスパゲッティはこの世の苦しみという苦しみを味わい尽くしてから灰になって消滅した。闇のゲームの敗者はこうなる運命なんだ。仕方がない。これが嫌なら、最初から闇のゲームになんて臨むべきじゃない。
僕はタワシをまた、そっと流し台に戻してから、茹ですぎスパゲッティが灰と化した後の床を掃除することにした。
茹ですぎスパゲッティの襲来後、僕は電球を取り換えてくれる業者を探した。だが、そんなものはどこにもなかった。
仕方がないので、倉庫に眠っていた電球を起こして、電球達と一緒に街灯を直しに行くことにする。
電球達が眠っていた倉庫は、上司が寝室として使っていた場所だったらしい。消火器の空き容器がいくつか転がっていたし、いつ洗濯したのか分からない衣類や、いつ購入されたのか分からない食料品も転がっていた。それらを適当にゴミ袋につっこみながら倉庫を見ていけば、すやすやと眠っている電球達を見つけることができたのだ。電球のパッケージには『食用(街灯にも使えます!)』とあったので、多分、これでいいんだろう。
そうして電球と共に外に出た僕らは、すぐさま、街灯達に囲まれることになった。
街灯は『おお、おお!電球!会いたかった、会いたかったよ!』と涙を流したり、『やれやれ、まだくたばってられないようだな……』と声を上げたり、『なんて可愛らしい電球なんだ!ああ、私の光、私の希望!』と騒いだり、何かと忙しい。
僕は早速脚立を持ってこようと思ったのだが、その必要は無かったらしい。電球達を前にして、街灯はすっかり、平身低頭していた。『どうか、俺の元へきておくれ!』と頭を下げる街灯相手なら、電球の交換が非常に楽なのだ。
そうして僕が、頭を下げた街灯から順番に電球を交換していけば、街灯達は皆、頭を下げて一列に並ぶようになる。
その内、ストレンジタウン中の街灯がわらわらとやってきては一列に並んで電球の交換を待つようになったので、仕方がない、僕はひたすら、電球の交換を続けることになったのだった。
定時を過ぎて働くのは少しばかり久しぶりだ。そう。凡そ、一週間ぶりくらいか。
日が落ちても僕は電球の交換を続けて、その内、『中尉!お手伝いします!』とやってきてくれた兵長蜘蛛とその部下の新兵蜘蛛達にも手伝ってもらって、ようやく、僕らはストレンジタウン中の街灯を明るくすることに成功したのだった。
ストレンジタウンの夜道がここまで明るいのは、初めてだ。街灯達は今日を電球記念日と定めたらしく、皆で浮かれて、色とりどりの光を灯しつつ道の脇に並んでいる。
僕はどこか清々しい気持ちで街灯の並びと藍色の夜空を眺めてから、使用済みの電球を片付ける。
これらの電球については、街灯達から『この電球は俺がこの仕事に就いてからずっと、一緒に働いてきた相棒だったんだ……丁重に弔ってやってくれ……』と涙ながらに頼まれたので、職場の裏に電球の墓を作ることにする。まあ、それは明日の仕事、ということで。
「おや、今日は少々遅かったね、ストレンジャー。今日はシェパーズパイの日だよ!」
僕がパブに到着すると、カウンター席のニワトリとその向こうのマスターが出迎えてくれた。他の客は居ないらしい。
「あと、ガトーショコラがあるよ。自信作だ」
隣を見れば、ニワトリの前には素朴なガトーショコラの皿があり、その横には琥珀色の液体を湛えたウイスキーグラスがある。どうやら、チョコレートケーキをつまみに飲んでいるらしい。
そしてよく見てみたら、マスターもカウンターの内側でガトーショコラの切れ端の皿と琥珀色の液体を湛えたウイスキーグラスを抱えている。マスターも飲んでいるのか。
「おお、ストレンジャー。誤解のないように先に言っておくよ。グラスの中身だが、ニワトリのは10年物の味醂で、俺のは麦茶だ!」
なんと、どちらもバーボンじゃなかったらしい。これは一本取られたね。
「じゃあ、シェパーズパイと、ガトーショコラ。あとコーヒーを頼もうかな」
「了解。シェパーズパイに、ジャケットポテト。あと、ガトーショコラに……麦茶じゃなくて、コーヒー!」
マスターが早速僕の料理を準備し始めてくれたのを嬉しく眺めながら、僕は一言断ってニワトリの隣の席に座る。
「賢明だ、ストレンジャー。ガトーショコラに麦茶はイマイチ合わないらしい」
ニワトリが肩を震わせて笑う横で、マスターは『だが見た目はそれっぽい!』と堂々と胸を張る。
「成程ね。マスターと同じものを、と言わなくてよかった」
「ストレンジャー。味醂はどうだ?味醂はガトーショコラによく合うぞ。豚の角煮なんかにも味醂はよく合う」
成程ね。今度からガトーショコラを食べる時には、味醂も考えに入れておこう。
それからしばらく、僕らは食べて、雑談して過ごした。食事はとても美味しかったし、案の定、ガトーショコラにはコーヒーがよく合った。
それから、僕の今日の業務について話したりもした。
街灯が明るくなったよ、と伝えると、マスターもニワトリも喜んでくれた。誰かに喜ばれる仕事っていうのは、いいものだ。僕はとても久しぶりに、仕事にやりがいを感じることができた。
そうして僕は、明日も元気に働こう、と軽やかな気持ちでパブを後にしたのだった。
僕はニワトリと一緒にパブを出て、一緒に外階段を上がって、部屋の前で別れる。
「じゃあ、お休み、ストレンジャー」
「ああ、お休み。良い夢を」
僕らは微笑みあって、それぞれの鍵を撫でてやりつつ部屋へと入る。防音性の高い部屋なので、隣の様子はまるで分からない。これが案外、良好な隣人関係を築く上で大切なことなのかもしれないね。
僕はいつも通り鍵と過ごしながら、さて、明日は電球の墓を作ってやって、それから塊になっているデスクをそろそろ分解して、上司のデスクの中身を確認して……と、明日の仕事についてのんびり考える。
中々、悪くない気分だ。
翌日、鍵におはようの挨拶をすると、鍵は、む、と鳴きながら僕の頬にキスしてきた。なんとも可愛らしい甘えん坊さんだ。
僕は早速、鍵を連れて家を出る。そうして今日もコーヒーを飲むべく、パブへ向かう。
すると、珍しいことに、先客が居た。
……それも、大層珍しい客だ。
「コーヒー1つ、くださる?」
少し気取った話し方で丁度注文していたその客は……10歳に満たないであろう小さな女の子だった。