星降る町*4
休日なので、その後、僕は外に散歩に出た。まあ、この町での散歩なんてしないに越したことは無い。わざわざ死ぬ可能性を上げるなんて馬鹿馬鹿しい。けれど、気が向いた。ついでに、フォーリンと話していて、『なら、散歩に出ましょうか』と誘われてしまった以上、散歩に出ないわけにはいかなくなった。
「今日もいい天気ね」
「ああ。最高の曇り空だ」
素晴らしいことに、今日、太陽は居ない。雲の向こうに隠れてしまって、あの忌々しい光はここまで届かないのだ。絶好の散歩日和と言えるだろう。
町は今日も煙るようで、一昨日から往来にある萎びたナスからは順調に芽が生えてきている。明後日にはサボテンになっているかもしれない。
今日は整合性売りも休日なのか、町に知り合いは居ない。そもそもこの町に知り合いなんてほとんどいないのだから、知り合いと出くわす可能性は限りなく低いんだが。
だが、今日も今日とて、消火器を販売している露店はある。反消火器勢力に狙われるのが怖くないのか、堂々と、『違法な合法消火器あります』と看板を出している。露店に近づいてみると、露店商の牛は『もー』とだけ鳴いた。店番なのか店主なのかは分からないが、まともな接客は望めなさそうだ。
僕は『消火器(白ワイン味)』のパッケージを眺めながら、もしかしてあの上司は喫煙ではなく飲酒の延長として消火器を吸引しているのかもしれない、なんて考える。
まあ、それはそれとして、僕は今日、一応、目的があってここに散歩に来た。
目的は簡単だ。僕は、反消火器勢力と接触したい。
「さあ、こっちよ」
フォーリンに案内されるまま、僕は路地裏へと入っていく。
僕らが向かっているのは、反消火器勢力がよく出没するという場所だ。フォーリン曰く、とある袋小路が反消火器勢力のたまり場となっているらしい。
反消火器勢力と接触して何をするか、なんて、もう決まっている。そう。上司の通報だ。
どうも、フォーリンは『私、消火器愛好家を見つけたら通報しなきゃいけない立場なのよね』ということらしいので、僕は上司のことを打ち明けることにした。
あの上司はまともじゃない。少なくとも、今後、まともになる見込みは無く、それでいて、僕に危害を加える見込みは存分にある。昨日も僕の給与を横領しようとしていたわけだし、その前は僕を殺そうとしていたわけだし。まあ、そういう訳で、僕は上司を売り渡すことにした。少なくとも、庇う義理は無いので、抵抗はない。
「さっきも確認したけれど、反消火器勢力は決して理性的な奴らじゃないわ。でも、腕は確かよ。消火器愛好家について通報すれば、奴らは必ず動くはず」
このストレンジタウンらしく、反消火器勢力もまた、気が狂った奴ららしい。まあ、どこもかしこも法や常識や理性からはみ出したものだらけのこの町で、何かを取り締まるなんて馬鹿げている。そんなことをしたがる奴は決まって全員狂人だろう。
「反消火器勢力の人達には、どう説明すればいいかな」
「まあ、普通に話しかけたって駄目よ。狂人なんだもの。でも、あいつらを動かす方法なら任せておいて。私に考えがあるの」
フォーリンもまた狂人だが、一応、顔見知りになった、多少頼れるであろう狂人だ。そして僕の取引相手にもなった訳だから、信用しないわけにはいかない。
僕はフォーリンを信じて、それでいて逃げるとなればいつでも逃げられるように注意しながら、迷路のようにぐにゃぐにゃと入り組んだ路地を歩いていく。
ぐにゃぐにゃとした曲線美の路地を抜けていくと、僕が入ったことのないエリアが広がっている。
丁度、そこでは子供達が火縄銃を持って遊んでいた。火縄銃からは体高2㎝のティラノサウルスが発射されては壁に突き刺さる。哀れなティラノサウルス。絶滅した後もこうやって発射されているのだから。まあ、火縄銃だから連射が利かない分、多少、救いはあるかもしれない。
オーガニックチーズバーガーの店があって、グラデーションのかかった腐葉土が積まれていて、そして砂浜が4畳半ほどの面積上に広がっている。
そんな砂浜は袋小路に位置していて、どこからともなく聞こえてくる波の音(大方幻聴だろう)と共に、ラジオからノスタルジックなノイズ混じりの音楽が流れている。ラジオの音楽は、ベートーベンの月光第一楽章だ。昼間に聞く曲でもないように思う。
そして、その袋小路の砂浜の上に人が2人居た。1人はペーパーナイフで封筒の封を開け続けていて、もう1人はシュレッダーに封筒をかけ続けている。シュレッダーからは白い砂が溢れ出て、成程、これがここの砂浜を構成しているらしい。
ラジオから『それではVTRをどうぞ!』と音声が流れてきて、それから無音が続く。その無音の間に、フォーリンがペーパーナイフの人の後ろから、さっ、と一通、封筒を取った。ペーパーナイフの人もシュレッダーの人もまるで気にしない。
フォーリンは封筒をそっと開けると、中の紙を引っ張り出した。そこには『お釈迦様時刻表』なる印刷物が入っていたのだが、それは丁度壁から出てきたヤギに食べさせる。ああ、この間はどうも。このヤギのおかげで僕は臓器を売られる前に気づけたわけだから、お礼はちゃんと言っておこう。聞いている様子はないけれど。
それから僕は、予めパブで用意してきたペーパーナプキンを確認する。ボールペンで『区役所出張所の所長は消火器愛好家である』と書いただけのそれを折り畳んで、封筒に入れる。
そしてその封筒をペーパーナイフの人の近くにそっと置いておくと、少しの後、ペーパーナイフの人がその封筒の封を切った。
中から出てきたペーパーナプキンに目を通して、ペーパーナイフの人は、『うなぎ!』と声を上げた。するとシュレッダーの人もペーパーナプキンを覗き込んで、『鯉!』と叫ぶ。
そして2人は封筒もペーパーナイフもシュレッダーも放り出して、どこかへ去っていった。
「これでいいのかな」
「ええ。これで奴らは今日中に星空と交信するはずよ。そうなれば月曜日までには、あなたの上司は消えるはず。それからきっと、他の消火器愛好家達も何人かね」
そうか。一体どういうメカニズムでそういうことが起きるのかはまるで分からないけれど、まあ、そういうことならそれでいいか、と思う。
あの上司について、いい思い出と悪い思い出、どちらがより多いかと言われれば、当然、悪い思い出の方が多い。いい思い出が思い浮かばない時点で、まあ、お察しといったところだ。
だから……まあ、これでいい。今夜くらいは上司に思いを馳せつつ過ごそうかな、と思ったが、それだけ、ということで。僕らは所詮、その程度の間柄だ。そしてこの町では、その程度の間柄なら、一々気にしているべきじゃない。
それから僕は、フォーリンに薬局を教えてもらった。この間ニワトリから聞いていたのにすっかり忘れていたオキシドールを購入するためだ。
フォーリン曰く、『ニワトリにオキシドールを教えたのは私よ。この町に居るとどうもすぐ、あれこれ血まみれになっちゃうものだから必需品よね』とのことだった。
そうだろうな、と思いながら僕は、茶葉や人骨やさくらんぼが並ぶ薬局で、オキシドールを一瓶、購入した。帰ったらこの間のシャツの染み抜きに挑戦してみよう。
途中でフォーリンと別れて、僕は帰路に就いた。帰宅すると、本日3回目の開錠とあって鍵が大変困惑していたが、『休日はこうなることもあるよ』と教えつつ撫でてやれば、少し落ち着いてきたらしい。
そのまま鍵と一緒に部屋に入って、蟹と共に掃除したばかりのフローリングの上を歩く。
部屋の突き当りにある窓からは、ストレンジタウンの景色が多少、見える。窓の向こうは他の建物の窓だが、そのさらに向こうにはさらに他の建物が見えるし、裏通りの様子も多少、見える。そして、窓を開けて外の空気を吸い込んでみれば、幾分、食べ物の香りがふわりと漂ってきた。恐らく、もうマスターがディナーを作り始めているんだろう。
「この匂いから推理すると……今日はハンバーグのような気がする」
スパイスを利かせた挽肉を焼く時の香りを吸い込んで、曇り空ながら暮れ泥むストレンジタウンの景色を、しばらく、眺めていることにした。
その夜、パブに入ると、ニワトリが居た。
「隣、いいかな」
「ああ、勿論」
ニワトリから快諾をもらって、僕はいつものカウンター席に座る。ニワトリが食べているのは、ロコモコだった。やっぱりハンバーグだったな、と思いつつ、どちらかというとハンバーグ以上に上の目玉焼きに期待しつつ、僕も同じものを注文する。
「今日はフォーリンと出掛けていたらしいな」
「ああ。ええと、反消火器勢力の件で、少しね」
「成程な。あいつは消火器愛好家を通報しなければならない立場だからな。お前が協力してくれてあいつも助かっただろう」
ニワトリは微笑んで、嘴の端についていたグレイビーソースをそっと、ペーパーナプキンで拭う。それと同時に僕の分のロコモコが出来上がったらしいので、それを食べ始める。
案の定、上に乗った目玉焼きが最高の味わいだった。焼かれて尚瑞々しい白身と、まろやかなだけでなく旨味がはっきりと感じられる黄身。この美味さは他では味わえないだろう。僕は、この愛すべきニワトリの隣人であれたことに感謝したい気持ちでいっぱいになった。
「ところで、ストレンジャー」
ニワトリはナイフとフォークで上品にロコモコのハンバーグを切り分けながら、ふと、何気ないように問いかけてくる。
「お前はフォーリンの歌を、どう思う」
この質問は、然程、答えるのが難しい質問じゃない。僕の中に答えははっきりしていて、それを偽る必要もないだろうと思われたからだ。
「すごくいいと思った。あまり音楽について詳しくは無いけれど、技巧的だな、とも思ったな。けれどそれ以上に、何か、うーん、突き動かされるようなものがある。そう感じた」
ひとまず、自分の中にある思いを言葉にするのにだけ苦労しながらそう伝えると、ニワトリは満足気に笑った。
「成程な。なら、ストレンジャー。お前は多少、この町に適性があるということなんだろう」
「え?」
意味が分からず聞き返すと、ニワトリは笑みを湛えて、パブの片隅……ピアノの方を見つめる。
「狂人の歌は狂人によく響く。そういうことだ」
確かに、そうかもしれない。
僕がフォーリンの歌に惹かれたのは、あの、出鱈目なようで技巧的で、バラバラなようで整った、あのアンバランスな具合が妙にしっくりきたからだ。あの歌の中に一本通った筋は、もしかすると、フォーリン自身の狂気だったのかもしれない。
そして、フォーリンの歌に、何か突き動かされるものがあったのは……あれは、僕自身の中にある狂気だったのかも。
「まあ、それくらいがいい。それくらいでいろ、ストレンジャー。完璧な正気の奴なんて、この町では生きていけない」
「だろうね」
自分の中の狂気を自覚してしまって少々滅入るような気持ちになりつつ、けれど、隣に頼もしいニワトリが居るから、そこまで嫌な気分でもない。
何より、僕の中に狂気があるからこそフォーリンの歌があれ程まで美しく聞こえたのだとしたら、まあ、狂気があるだけの価値はあった、と思う。
ロコモコを食べて、ニワトリやマスターと少し雑談して、店にやってきた平行四辺形のぼたもちに軽く挨拶してから僕は部屋に戻った。4回目の開錠にあたって、鍵がいよいよ困り果ててふにゅふにゅ曲がっていたが、『何度も働かせてごめんよ』と撫でて機嫌を治してやって、そうしてようやく部屋に入る。
いつも通り、鍵と一緒に風呂に入れば、温まった鍵はすっかりご機嫌になって、僕のシャンプーの泡まみれの頭の上で遊んでいた。最近の鍵は、泡と僕の髪との中に埋もれてみるのがお気に入りらしい。
ゆっくり湯船に入って疲れを癒していると、ふと、外からきらきらとした音が聞こえてくる。
尚もゆっくり入浴を楽しんでから、ようやく風呂を出て、鍵と自分の体をタオルで拭きつつ、窓の外を見に行くと……そこには、幻想的な風景があった。
「綺麗だ」
星が降っていた。
クリスタルめいて、しかしもっと鋭く脆い美しい星が、いくつもいくつも、町に降り注いでいる。
きらきらと透明な儚い音を響かせて夜空を裂いては、星が夜空を横切って、そうして町のあちこちへと落ちていくのだ。
これがストレンジタウンの雨なのか、とも思ったが、どうやら違うらしい。窓の外では『星だなあ』『よく降るじゃねえか』『ああ、俺のボディに星が突き刺さる!』といった言葉が交わされている。
多少、この家の屋根を突き破って星が落ちてくることを危惧したが、そんなものを気にしていても仕方が無いだろう。気にしたところでどうしようもないことは気にしないに限る。
それに、そんなことがどうでもよくなるくらい、星降る町は美しかった。
昼にラジオから聞いたベートーベンの月光を、今聞きたいような気分になる。いや、もう少し華やかな曲の方がいいな。モーツァルトのきらきら星変奏曲、というのは安直すぎるだろうか。でも、あれくらい明るい曲がこの景色にきっと似合う。或いは、フォーリンの歌が丁度いいだろうか。
そんなことを考えながら、僕はただ、星の降る町をずっと眺めていることにした。
……その星がぶつかって例の上司が死んだ、という知らせを聞いたのは、月曜日に僕が出社してからだった。