祭壇での祈祷②
「それは違います、姫殿下。 神の加護のおかげで、この程度で済んでいるのです」
「それは、どういう意味ですか?」
状況が理解できないマインを諭すように、司教は言葉を続けた。
「魔王は自らを封印した、人間を憎んでいます。その怨念の力は凄まじく、想像を絶するほどのダメージを与えてくるのです」
「想像を絶するほどのダメージですって………?」
ゴクリと息を呑むマインに、司教はゆっくり頷く。
「はい、祈りを行っている間、彼らは魔王によって幻覚を見せられています。その人間が最も苦痛に感じることを。その力は、かの最上位レイスが赤子に見えるほどの強力なものです。神の加護がない者なら、数秒も持たずに正気を失っうでしょう」
マインは背筋を震わせた。レイスと言えば一体で一国の軍隊に匹敵する力を持つといわれる強力な魔物だ。太古の昔、我が国も危機にさわされた事があるらしいが、強力な神の加護により撥ね退けたという。
チャールズ様が受けているダメージは、それよりもはるかに強いという。
怯えるような目をするマインを見て、司教は再び口を開く。
「祈りとは過酷なものです。今まで何人も心を病み、教会を去った聖者たちを見てきました」
司教はため息を吐きながら、残念そうにいう。
「そ、そんなはずないわ! だって、今までチャールズ様はそんな素振り一度もお見せになった事ないのよ!?」
マインはたまに教会にきては聖者候補や聖女候補たちと触れ合っていたが、誰一人として心を病んでいる者を見ることはなかった。
マインの問いに司教は即答する。
「アスタ様がいたからに過ぎません」
「アスタですって………? なんであの男の名前が出てくるの?」
予想だにしていなかった名前が出てきて困惑するマインに、司教は続ける。
「聖者候補だったアスタ様は、尋常でないほどの力と精神力をお持ちでした。並みの聖者候補なら一時間と耐えられない祈りを、毎日十時間以上も続けていたのです」
「そっ そんなバカな、こんな恐ろしい行為を、十時間ずっと? それも毎日………?」
そんなはずはない。チャールズ様があんなに苦しんでいるのに、それ以外の人間がそんなことできるわけがない。
それじゃまるで――あのアスタが本当の聖者にふさわしいとでもいうようじゃないの。
愕然とするマインに、司教はさらに言う。
「姫殿下は先ほど『惨い』とおっしゃいましたな。ですが、これが本来の聖者候補の祈りというものなのですよ。今まで、アスタ様が一人で何人分もの祈りをしていたこと自体が異常なのです」
「………」
マインは目の前の光景に言葉が出なかった。
大きなアーチのある祭壇。
そこで奇声をあげならがら祈りを捧げる聖者候補のチャールズ。そんなチャールズを逃がさないよう、祭壇を取り囲む修道士たち。今までマインが想像していた聖者のイメージとはかけ離れていた。
言葉が出ないマインに司教が言う。
「心配には及びません、姫殿下」
「どういうこと?」
「かつての聖者候補たちは、この程度の祈りでこんなに取り乱したりはしませんでした。祈る時間が減った事で、なまってはいるようですが……時間をかけて慣らしていけば耐えられるようになり、普通に祈れるようになるでしょう」
時間をかけて慣らしていけばーー
それはつまり、司教には今のこの状況をそれ以外の手立てはないということだ。――愛しのチャールズ様があんなにも苦しんでいるというのに!
「すぐにチャールズ様をあそこから出しなさい! チャールズ様が可哀想です!」
マインは眉を吊り上げて怒鳴ったが、司教は目を閉じながら首を横に振った。
「残念ですが、それはできません。彼達が祈りをやめれば、魔王が復活してします」
「私にチャールズ様を見殺しにしろとでも言うの!?」
「そ、そう言われましても……」
声を荒げるマインに、司教は眉根を寄せる。たとえ国の王でも、祈りをやめさせる事はない。国を守るためには仕方がない事なのだ。
どんなにチャールズが気の毒だとしても。だから、マインがどんなに癇癪を起こしても何も変わらない。
何もしようとしない司教に、マインはさらに苛立つ。
「もう、無理ですっ……! これ以上は本当にっ、マイン、助けてくれれれれ……!」
祭壇ではチャールズが助けを求めて叫び声をあげている。
それを聞いた、マインは居ても立っても居られなず行動に出た。
「言う事を聞かないというのならーードラコ、レスタ! 司教と修道士を押さえなさい!」
「は!」
マインは護衛の二人に命じ、司教と修道士を取り押えさせた。騎士が修道士の1人を取り押さえると祭壇にかけられた結界が解けていく。
「な、何をするのですか!」
司教が叫んでいるにも構わず、マインは祭壇へと向かう。
「チャールズ様、大丈夫ですか?」
「はぁ、はぁ、マイン……!」
祭壇から降りてくるチャールズに、マインは手を差し伸べた。
「あぁ、私の愛しいチャールズ様。よく頑張りました。ゆっくりお休みください」
マインはチャールズを抱き支え、満足げな笑みを浮かべる。
まるで母親が子供を包み込むように。
そんな状況に司教は血相を変えて叫んだ。
「いけません、姫殿下! チャールズ殿を祭壇に早くお戻しください!」
「しつこいですよ司教! これ以上チャールズ様を苦しめるならただじゃすみません!」
「ち、違います、そうではないのです! 絶対に、聖者候補たちによる祈りを片時も絶やしてはならないのです!」
「だからしつこいとーーー」
言い募る司教にマインが言い返そうとした、その瞬間。
祭壇の中央にあるアーチが赤く光出した。
マインは、その光景に目を見開く。
「何事です!?」
アーチは禍々しい赤い光を部屋全体にまき散らす。
やがて真っ赤な光はアーチの中央で一塊りになり、天井めがけて飛んでいった。
それは天井にぶつかり、染み込むように消えていった。
「なんなのですか………!」
呆然とするマインの隣で、司教が声にならない呻き声をしている。まるで取り返しのつかない大失態をしてしまったかのように。
「ああ、あああ………」
「なんです司教? 言いたいことがあるならはっきり言いなさい!」
「ま、まずいことになりました」
司教は真っ青な顔で、マインに言う。
「ーーー魔王の封印が解けました。王都近辺に『ダンジョン』が現れます」