祭壇での祈祷
王城の一室で金髪の美女が、窓際から外を眺めている。
王女のマインは、ふと思いついたように護衛たちに声をかけた。
「今から教会にいきます。すぐに支度をしなさい」
「はいっ」
侍女の二人は迅速に動き、外出の準備を手際よく整えていく。
「それと、手土産を忘れないで。 チャールズ様は甘いもの大好きですから。きっとお疲れになってる事でしょう」
「かしこまりました。マイン様。……しかし、マイン様はチャールズ殿と仲がよろしいですね」
「当然ですわ。チャールズ様と私は運命共同体。聖者候補の中でもっとも気品があって、チャールズ様こそ私の未来の夫にふさわしいお方ですわ」
チャールズはマインにことあるごとにアスタが悪男だと言う話をした。アスタは誰とでも身体の関係を持つうえ、傍若無人な最低の聖者候補だと。そして、自分こそが聖者に相応しいと信じ込ませていった。
それを信じたマインは、アスタを教会から追放することを決めたのだ。
「……準備が出来たのなら出発しますよ」
「はいっ」
マインは護衛二人を引き連れて教会に向かった。
馬車に揺られてマインが教会の前へ到着すると、修道士の一人が出迎える。
「こ、これはマイン様! 本日はどういったご用件で!?」
「チャールズ様の様子を見にきました。 チャールズ様はどこ?」
「チャールズ殿は、ミトラ司教と祭壇で祈祷の最中です」
「そうですか」
この教会の奥には大きな部屋がある。
その部屋にはかつてこの世界を襲ったーー魔王を封じるのに必要な祭壇があるらしい。
らしいと言うのは、マインは実物をみた事がないからだ。祭壇の部屋は、聖職者の中でも位が高い者と聖者候補と聖女候補しか入ることができない掟がある。
「申し訳ございません。しばらく別室でお待ちいただけますか」
恐縮そうに言う修道士。
だが、マインは首を横に振った。
「いいえ、せっかくなので祭壇とやらを見たいです。案内しなさい」
修道士は目と口を大きく開けて驚き、焦り始める。
「い、いけません! あの部屋は外部の人間が入る事は固く禁じられてーー」
「黙りなさい! 修道士の分際で!」
修道士が止めようとした途端、マインは癇癪を起こしたように大声をあげた。
「私を誰だと思っているのです。マンタ王国が王女マイン・アントワネットですよ! まして国王が不在の今、この国でもっとも身分が高いのは私ですよ! 身の程を知りなさい! あなたの首を飛ばすなど簡単にできるのですよ」
マインの大声に、修道士は完全に怯えてしまう。
国王であるマインの父と母は、隣国との会談のために現在国を空けている。そのせいで、歯止めが効かなくなったマインの横暴は日に日に増していた。
「し、失礼しました! 入り口はこちらです!」
怯えきった修道士は、マインたちを祭壇の入り口に案内する。マインと護衛達は教会の奥に進んでいく。
騎士の一人がマインに質問した。
「それにしても妃殿下、なぜ急に祭壇をご覧になりたいなどと?」
「ただの気まぐれですわ。チャールズ様はカッコイイ殿方です。神聖なる祈祷を捧げてるお姿はさぞ素晴らしい事でしょう。一度そのお姿を見てみたかったのです」
そう言うとマインは機嫌良さそうに笑う。
マインの脳内には、真っ白な祭服に身を包み、静かに祈りを捧ているチャールズの姿が浮かんでいた。
「ここが祭壇の間です……」
そんな想像をしていると、修道士が大きな重々しい鉄の扉の前に立った。その扉は例え砲撃を受けたとしても壊れそうにない造りでできている。
「この扉の向こうにチャールズ様がいるのですね。 あなた達はもう下がっていいですよ」
シッシッと用済みとばかりに修道士を押しのけ、騎士達に扉を開けさせる。向こうには聖者候補として立派に務めを果たすレイ様がいる。
そんな想像をしながら、高鳴る鼓動にゆっくりと扉は開きーーーそして
「ーー嫌ぁだあああああ! や、やめてくれ! ここ から出してくれ! ああああああああああっ」
甲高い男の叫び声が部屋中に響いていた。
「……えっ?」
その大きな部屋にあるのは巨大なアーチと、それを囲むように修道士たちが立ち結界を張っている。中央には石の台座があり、アーチには擦り切れた黒いベールがかかっている。
黒いベールは風が吹いていないのに静かに波打っている。
そしてその中央に頭を抑えながら、おかしくなったような叫び声をあげるーーチャールズの姿があった。
「な、何をしているの! 早くやめさせなさい!」
発狂を繰り返すチャールズの姿を見て、マインは思わず声を上げた。その声に祭壇の前にいたミトラ司教がビクッとして振り返る。
「マ、マイン様!あなたがなぜこんなところに!?」
「私はチャールズ様に会いに来たのです!それより、これはどういうわけです?なぜこんな酷いことをしているのです!?」
はじめて見る風景にマインにはとうてい理解できない。
チャールズ様がああも苦しんでいらっしゃるというのに、どうしてこの司教は平然としているのか。まるで、この光景が当たり前かのようだ。すると、祭壇に座っていたチャールズ様が私に気づいて振り返った。
「あぁっ、マイン! 俺を助けるために来てくれたんだな!」
「チャールズ………様」
マインはチャールズを見て、呆然とした。
その姿はマインが普段見ているチャールズの姿とはかけ離れていたからだ。目は血走っているし、頭を掻きむしりながら言葉にならない声を出している。
「マイン! 助けてくれ!お願いだ! このままでは頭がおかしくなってしまう!」
チャールズは祈りを中断し、マインのもとへ駆け寄ろうとする。しかし、祭壇から降り結界を出ようとした時、電撃ががチャールズの体に流れる。
「うわぁぁぁぁぁぁぁ!」
「チャールズ様ーー!」
マインがチャールズに近づこうとすると、修道士が立ち塞がる。
「そこをどきなさい!」
「それはできません」
「一介の修道士ごときが! 王女である私に逆らうつもりですか 」
マインは激怒するが、修道士たちはピクリとも動じずに続ける。
「まだ祈りの時間が終わっていません。次の聖者候補様がやってくるまで、祭壇にお戻りください」
「うわぁぁぁぁぁぁっ!!」
チャールズの身体に再び電撃が走る。
修道士たちは魔法か何かで、無理矢理チャールズを祭壇に押し戻そうとする。
「あ、あなた達! よくもチャールズ様を――!」
苛立つマインを、司教がなだめようとする。
「どうか落ち着いてください、マイン姫殿下。 これは仕方がないことなのです」
「仕方がないでは済ませられません! こんな状況を見て見ぬふりしろと言うのですか!?」
「………聖者候補でない我らは、祭壇内で祈ることができません。聖者候補のチャールズ殿に祈りをして頂くには、ああするしかないのです」
司教は眼差しと口調は真剣そのものだ。
「ああ、やめてくれ、嫌だあああああああああああ!!」
チャールズが祭壇の上で発狂し続ける。
「神様ぁっ………どうかこの悪夢から私をお守りください! 祈ります! 真剣に祈りますからぁ………!」
ひざまずき、祈りを捧げるチャールズの姿は、神聖などではなかった。そこにいるのは耐えがたい恐怖にさらされ、神に助けを乞う惨めな男にしか見えない。
「………司教。これはなんなのですか? あなたたちの言う祈りとはなんなのですか?」
呆然としたヘマインの問いに、司教は静かに応じた。
「魔王を沈めるための儀式です。聖者候補がこの祭壇の上で祈りを捧げることで、魔王の封印は保たれます」
「では、なぜチャールズ様はああも苦しんでいらっしゃるのですか? 聖者候補は神の加護を受けていると聞きました。 その神の加護はどうしたのです?」
聖者候補の持つ神の加護は、あらゆる憎悪を撥ねのける力がある――マインはそう習った。
彼たちが行う浄化の力は途轍もなく強力だ。どんなにおぞましい怨霊や悪霊だとしても、実体がないものが彼たちを害することは決してできないはず。
マインは司教を睨みつけると、察したかのように彼は目を伏せて首を横に振った。