うちなしじゃダメなくらいにします
ついに、ベッドルームの扉が開く音が聞こえ、少しベッドが揺れることで彼女もベッドに入ったことがわかった。
もうこうなってしまえば、このままの姿勢でいて、眠くなるのを待とうと思っていたら、背中にぴとっと夜見さんがくっついてきた。風呂上がりのあたたかな彼女の熱が背中にじんわりと広がっていき、いい香りがふわりと俺を包む。
「これは独り言です。なんで、そないに端で背中を向けて寝てはる? そないにうちのこと嫌いですか? うちが許嫁ではあきまへんか?」
俺のパジャマを握った手は小刻みに震え、途中から涙声になりながら夜見さんは続けた。
「もし、そないならちゃんと言ってください。明日にはここ出ていきます。そうすれば、新たにマッチングされたうちよりいい子が来てくれはりますから安心してください。うちは一日だけでも陽さんの許嫁として一緒にいれて幸せでした」
出て行くって……、そんなことすれば、夜見さんはキツネの姿で襟巻にされるんじゃないのか。夜見さんそれでいいの……、いや、夜見さんが言っているのは彼女の気持ちじゃない。俺が夜見さんをどう思っているかだ。
それに気づくと何を言うかを考えるより先に起き上がった。
「夜見さんは俺の許嫁にはもったいないくらいいい人です。可愛いし、俺のこと気遣ってくれるし、服が俺の涙や鼻水で汚れることも気にしないで慰めてくれるし、料理もすごく美味しい。本当に俺には出来過ぎている許嫁だと思っています。でも、さすがに今日振られたばかりで気持ちの整理がつききれていないから、すぐに夜見さんの気持ちにすべて応えることは出来ないかもしれないけど、出て行くなんて言わないでください」
とにかく思いついた言葉を特に考えず吐き出した。上手くまとまってないかもしれない。でも、今、俺が思っていることをちゃんと伝えないといけないと思った。
夜見さんは顔を手で隠しているので、どんな表情をしているかわからない。
「ほな、明日からもここにいてええの?」
「はい、こちらこそよろしくお願いします」
俺はベッドの上で正座をして深く頭を下げた。
「やっと、陽さん、自分の気持ちを言うてくれたわぁ」
さっきまでとは声色が違いいつもの調子の声が聞こえた。
えっ⁉ と思って顔を上げるとニヘラと笑っている夜見さんがいた。まさか、さっきのあれは全部夜見さんの計算⁉
「ほんま、陽さんはいけずな人やから、なかなかうちのことどう思っているか言うてくれんからなぁ。本当はさっきうちが陽さんの背中くっついた時に、陽さんがうちの方に向きを変えて、抱きしめてくれて、そのままの勢いで……とも思っていたんですが、陽さんの理性が永久凍土並に硬いみたいやわぁ」
ころころと表情を変えながら嬉しそうにしている。一方こっちは身体にガチガチに力が入っていたのが抜けてへなへなとベッドに倒れこんだ。
「大丈夫ですか?」
夜見さんは膝をついた四つ這いの格好で俺の上に覆いかぶさった。傍から見ればキツネ娘に捕食されているように見えるかもしれない。
カーテンの隙間から差し込む青白い光が夜見さんの銀色の髪と尻尾に反射して妖艶な魅力を醸し出す。
逃げ出そうと思えば、逃げ出せたかしれない。でも、そうしないでこの状況を受け入れているのは俺が本能的に彼女に食べられることを欲しているのだろうか。
彼女の鼻と俺の鼻がすぐにくっつくような距離にあって、視界は彼女の整った顔に埋め尽くされ、吐息が唇をくすぐる。
思わず食べられると思って目を瞑った。
しかし、昼の時のように唇を塞がれることはなかった。はてと思って、ゆっくりと目を開けるとさっきまで視界を覆っていた彼女の顔がないことに気づいたその瞬間。
「陽さんの永久凍土みたいな理性をいつか溶かしてみせますね。その時はどんな風になるか楽しみにしてます。そして、うちなしじゃダメなくらいにしますんで覚悟してな」
夜見さんが耳元で甘く、熱い吐息が掛かるようにささやく。
完全なる不意打ちに身体がビクンと反応してしまう。
夜見さんは俺の反応を見てかわいいと言うと同時に今度は口を塞ぐ。彼女の髪が俺の頬を撫でて石鹸だけではない、いい香りがグッと濃くなって頭がくらくらする。
口づけを終えた夜見さんは俺から離れるとこちら側を向いて横になった。
「今のはおやすみのキスです。ほな、おやすみなさい」
今のがおやすみのキスって……、あんなの毎日されたら俺の理性なんかあっという間に溶かされてしまう……。
本日二度目のキスに呆然としながらも睡魔が俺の方にもやってきた。
まどろみゆく意識の中で俺はおやすみなさい、明日からもよろしくと呟いて夢路を辿った。
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