思考のラビリンス
そうして、無事に夕食の後片付けが終わると、いよいよデンジャラス・イベントであるお風呂時間がやって来た。
「陽さん、お風呂はいかがしはります? うちは一緒に入ってもええねんけど……、お背中流しますよ」
やはりそうきたか。絶対に一緒に入ると言ってくると思っていた。
これは罠だ。
いや、夜見さんは罠だなんて思っていないと思うが、俺からしたら大いに罠である。女性の裸なるものをマイ・イマジネーションとファンタスティック作品でしか知らない俺にとって、学年で一、二を争うような美少女である夜見さんと一緒にお風呂に入るという行為は、正常な判断を狂わすには十分過ぎる刺激である。
いや、正常な判断以前に、その強すぎる刺激によって鼻血を出してしまうかもしれない。クラスメイトの裸を見て鼻血を出すなんてそんな昔のマンガみたいなことが起こるのかわからないが、万が一にもそんなことがあれば、トラウマになること折り紙付きである。
だからこそ、夕食前から念入りに心の中で何度も唱えていた台詞を言う。
「気を使ってくれて、ありがとう。でも、俺一人で入るから大丈夫。先に夜見さん入って」
ハハッ、完璧に決まった。一発OKの完璧なセリフ回しだ。
「フフッ、そのセリフ何回練習しはったんですか? えらいガチガチで不自然やわぁ。まあ、陽さんが一人がええならそれでかまいまへん。でも、先に入るは陽さんにしてください。うち、まだ荷物の整理が終わってなくて、そっちを先にしたいんです」
全部バレてる。
さっきの俺の台詞の何がダメだったんだ。俺の中ではこの一言だけでアカデミー賞助演男優賞にノミネートされると思っていたのに。
ただ、一人で入るということを勝ち取ったので、結果としては勝利と言っていいだろう。
脱衣所にタオルやパジャマを準備して風呂に入る。入口のドアには鍵があるが、施錠はしていない。これは決して夜見さんがスク水で突撃してくるのを期待しているものではないことをここに宣言しておく。
「あ゛ー気持ちいい。マジ天国だわ」
思わず心からの感想が口から洩れてしまう。今日一日かなり緊張の時間が長かったけど、湯に浸かっているとそれが溶けて身体が軽くなるような気がする。
この部屋の湯船は俺の足が短い可能性もあるが、足を伸ばせるほどゆったりしている。
体育座りをしないと入れなかった大沼荘のお風呂とは大違いである。
元カノに振られてから怒涛の勢いでここまで来てしまった。今朝の俺にあと十二時間以内に彼女に振られて、許嫁が現れて、高級マンションで銀髪美少女と一緒に生活するなんてことを話しても絶対に信じなかっただろう。なんなら、そんなことがあれば鼻でスパゲッティ食べてやるって言うくらいだ。
でも、これから俺はどうすればいいのだろう。いろいろなことが起こり過ぎて頭の中がぐちゃぐちゃしている。
夜見さんを拒むことも受け入れることも出来ない。拒むということは彼女を殺すトリガーを引くということだし、受け入れることもそれが本当にいいことなのかわからない。そもそもキツネ娘の夜見さんと俺が上手くやっていけるのか。元カノの浮気の写真を見てあれだけ泣いたくせに縒りを戻そうと言われた時にすぐにそれを拒める自信もない。
全てにおいて中途半端、自分の意志がはっきりしない。自分はあの頃と結局何も変わってない。
思考の無限ループがとめどなく続き、考えているようで結局は何も考えていない時間を過ごしていると湯船の中でうとうとしてきたので出ることにした。俺が思っているより身体は疲れているようだ。
風呂から出て寝る準備を整えると、夜見さんに疲れたから先にベッドに入ることを伝えた。
二人で寝るには十分な大きさのベッドの端の方にちょこんと外側を向くように横向きになって寝た。ソファーで寝ることも考えたが、きっとそれは夜見さんが許してくれないだろうと考え、最善の策としてこの形を選択した。
風呂ではうとうとしていたのにベッドに入った途端に急に眼が冴えてきた。それはいつもと違う寝床だからだろうか、それともこのあとここに夜見さんが来て一緒に寝るからだろうか。
さっきまで夜見さんを許嫁として受け入れることが本当にいいことなのかなんて考えていたのに俺は何を期待しているのだろう。
しばらくして、扉越しに小さい音だけれどドライヤーを使う音が聞こえてきた。夜見さんがお風呂から出たのだろう。ということは彼女がもうすぐここに来ることになる。それまでに寝ないとますます寝付きにくいと思うが、それが余計に緊張を生んでしまい寝付くことが出来ない。
ついに、ベッドルームの扉が開く音が聞こえ、少しベッドが揺れることで彼女もベッドに入ったことがわかった。
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