キスしちゃった
俺は大久保さんの勘違いを解こうと、大人が子供に話しかける時のように小柄な彼女の目の高さに合うように少ししゃがんだ。彼女は目の高さが合った瞬間に片方の口角を少し上げた。
「私たちもう一度やり直しましょ」
大久保さんは言い終えるより前にギュッと俺の身体が自由にならないように腕ごと抱き付き、そのことに驚いていた俺の唇を電光石火で奪いにきた。あまりの早業に俺が抵抗する時間はなかった。
触手のように俺に巻き付いた大久保さんの手はそのまま背中から首と頭までするすると移動して、キスをしている俺を逃がすまいと絡め捕る。
チュッと唇と唇を合わすようなキスではない誰かに見せつけるようなねっとりと激しく俺を奪うかのようなキスだった。
俺はやっと自由になった両手で大久保さんの肩を掴んで彼女を押し剥がした。
「な、何のつもり⁉」
「だって、私は陽ともう一度やり直したいの。相手の弱みを握りながら付き合うって不健全だと思わない? 私と陽ならそんなこともないし、今度は私も夜見さんみたいに積極的に陽に接していこうと思ったからキスしちゃった」
キスしちゃったじゃないと思いながら、手の甲で唇の辺りを拭った。
どうもさっきから大久保さんの様子がおかしい。何か妄想に憑りつかれているような感じだ。
「やり直すも何も大久保さんは、俺以外に好きな人ができたから俺と別れたんじゃないの。俺とは行かなかった映画やテーマパークにも行ってたんだろ」
穏やかな雰囲気のままなら話つもりはなかったけど状況が変わった。俺は語気を強めながら突き離すように言った。
「知ってたんだ……」
「知ったのは別れてからだけどさ……、そんないい人がいるなら俺とやり直す必要なんてないだろ」
「あれは罠だったの。ハニートラップっていうのかな。だって、おかしいでしょ。陽と付き合いだしてちょっとしたら、また別の人に急にアプローチされるって。もちろん、その罠に引っ掛かって、陽に黙って遊びに行ったことは悪いと思ってる。でも、テーマパークだって二人きりじゃなくてグループで行ったし。彼から告白されてるけど、それも断るし。もちろん、陽を傷つけたことはわかってる。簡単には償えないと思うけど、時間をかけてちゃんと償うから」
「どうして、罠だなんて考えるの。大久保さんを何のために罠にかけるの」
「それは、夜見さんが……、私と陽が付合ったままじゃ、自分が陽と付き合えないから私を罠にかけて、別の人に好意を向かせて、陽がフリーになるのを待ってたんじゃないかな。だから、私が別れ話をしたその日にすぐに陽に告白したのよ」
たしかに大久保さんからすれば、別れ話をしたその日に夜見さんが告白をすれば、そういうふうに見えるかもしれない。
でも、夜見さんは俺に再び会うために四年、付き合うために五年も待っていたのだから、そんな小賢しい手段は使わないはず。それに万が一にもそれが露呈してしまったときは全てを失う諸刃の剣のような作戦はリスクが高すぎる。
ただ、ちょっとだけ気になることがあるとすれば夜見さんが持っていたあの証拠写真だ。
あれはどうやって撮影したのだろう。週刊誌のカメラマンでも雇ってキャノン砲みたいなカメラで撮影したのだろうか。テーマパークの写真は大久保さんと彼のツーショットばかりだった。今の大久保さんの話が本当なら他の友人が一緒に写っているものがあってもいいのでないか。
「ほら、黙って考えてるってことは思い当たる節があるってことでしょ」
「いや、そういうわけじゃないけど……」
「それなら、本人に説明してもらいましょうか」
えっ⁉ と思うと同時に大久保さんの視線が俺の後ろの方に飛んでいるので、振り返るがそこには誰もいなかった。
「あれ? もういないみたい」
いないみたいって、さっきまでここに夜見さんいたのか⁉ ここに来ることは伝えていなかったのにどうしてだ。俺の後をついて来て、隠れていたのだろうか。
「本当に夜見さんがいたのか」
「ええ、陽のことを心配したのかもね」
大久保さんは夜見さんが隠れてこちらの様子を見ていたことを知っていたから、あんな見せつけるようなキスをしたんだ。
夜見さんが隠れていたであろう場所からではこちらの会話は聞き取れないだろうから、その状況であのキスを見たとなるとこれは滅茶苦茶まずい。
俺はすぐに自分が来た道を引き返すように走り夜見さんを探し始めた。
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