陽と天明
「えっ⁉ だって、あの話は本当のことやあらへんの?」
夜見さんは顔を赤くしながら手をバタバタさせている。これはもしかするともしかするのかもしれない。
「あれは、子供がちゃんと大人の言うことを聞くようにするための常套句だよ。役目を果たせなかったら即襟巻にされていたんじゃ僕たちの世界はとてつもない恐怖政治支配だろ。まさか、まだ信じていたとはね。意外と美月もこどもっぽいところが残ってるね」
俺もまさかという思いだ。でも、これで俺の気持ちはちょっと軽くなった。夜見さんの生殺与奪の権を持っているなんて俺には荷が重すぎる。こんなものあっても何一ついいことがない。これがあったから今までお互いにどこか遠慮していたところがあったと思うからね。
夜見さんは下に俯いたまま耳まで朱くしている。
そりゃ、恥ずかしいだろう。小学生が担任の女の先生を間違ってお母さんと呼んでしまった時ぐらい恥ずかしいと思う。
「兄さん、これ以上襟巻の話をしはるなら、うちは兄さんのこと嫌いになりますよ」
顔を上げた夜見さんはジト目で睨んでいる。
「おっと、それは困るな。僕は美月に嫌われると生きている希望の三分の一くらいを失ってしまうからさ」
三分の一って微妙……、でも、天明さんは夜見さんのことは好きみたいでよかった。ちょっとシスコンぽいところもありそうだけど。
「陽さんの前でこれ以上阿呆なこと言うても嫌いになります」
「まじか、それではこれ以上阿呆なことを言わないうちにおいとましようかな。これでも新社会人だからすげー忙しい身なんだよ」
天明さんは残っていた紅茶をくいっと飲干すとご馳走様と言って帰る準備を始めた。
「じゃあ、俺、そこまで送りますよ」
天明さんに続いて部屋を出ようとすると、後ろから夜見さんに呼び止められた。
「陽さんが行かんでも、うちが行くからええよ」
「いや、陽君にお願いしようかな。ね、美月」
天明さんが夜見さんへ視線を送ると夜見さんも察してか、それ以上は何も言わなかった。天明さんは俺と二人で話がしたいということだ。
マンションのエントランスを抜けたところで横に並んでいた天明さんが話し始めた。
「さっきも言ったけど、許嫁の件は僕個人としては大変なことに巻き込んでしまってという思いだよ。もちろん誰が悪いというものではないのだけれどね。しかも、許嫁が人じゃないという摩訶不思議な状況をよく受け入れられたね」
姿勢もよく歩く姿はやっぱりモデルの様だと思ってしまう。きっと、学生時代はモテてしょうがなかったんじゃないだろうか。
「そうですね。美月さんから耳と尻尾が生えたときは無茶苦茶驚きました。でも、不思議と怖いとか嫌いとかいう嫌悪感はなかったですね。その辺りの感覚が俺は普通の人とは違うのかもしれません。あとは、襟巻の件に助けられたと思います」
本当に夜見さんが高校生になってもサンタクロースを信じているような子でよかったと思う。あの話がなかったら初日に俺は夜見さんに俺の許嫁をやめるように強く言っていたと思う。
「まさか。美月の天然さに助けられるとはね。僕はきっと僕たちの姿に驚いたり、急な許嫁の話に理解が追い付かなくて、美月が送り返されると思っていたんだ。でも、数日してもその様子がないからどうしたものかと思ってね。両親も心配してさ。もし無理に頑張って元気がないようなら僕が縛ってでも連れて帰ろうかと思っていたところだったんだ」
夜見さんは実家を嫌っている様子だけど、天明さんの話を聞く感じだと普通の親御さんな気がする。夜見さんは何をそんなに嫌っているのだろう。
「でも、天明さんも知ってのとおり、俺はまだ正式に美月さんを許嫁として受け入れたわけではありません。そのことについては本当に申し訳ありません。俺は美月さんのことが嫌いとかそういうわけじゃないのですが、それこそ理解が追い付かないというか、心の準備ができないというか……」
「うんうん、それが普通だよ。高校生の君が背負うには大変な問題だと思うよ。だから、僕はそこまで気負わないでいいと思うんだ。高校生なんて自由に恋愛をして青春を謳歌する時だからさ。そんな時にあなたの許嫁ですなんて来られても困っちゃうよね」
きっと、天明さんは陽キャでイケてるグループにいたんだろうな。俺の学生生活に青春を謳歌するなんて言葉は出てこない。
「俺はまだ美月さんと一緒に一週間も暮らしてないので、美月さんが俺のことをどう思っているのかとかがよくわからないところがあります。そんなこともあって一歩踏み出せないでいるのだと思います」
たぶん、これが俺の今の率直な気持ちだと思う。襟巻の件が解決したからといって夜見さんが俺のことを本当に好きかという問題は解決していない。
しかし、天明さんは歩きながら手を顎に当てつつ首を傾げて、ちょっと考え事をしているようなポーズを取っている。
「うーん、美月の気持ちねぇ。まあ、美月もいろいろあったからね。でも、それはきっと美月が話さないといけないことだからね。まあ、僕の口から言えることは陽君は美月と一緒にいるのだからきっと楽しく幸せに暮らせると思うよ」
なっ⁉ この人も夜見さんと変わらずなかなかすごいことをズバッと言ってくる。これが夜見家の血筋なのか。俺はこれにどう答えればいいんだ。「はい」なんて答えれば、もう許嫁として受け入れるとかじゃなくて結婚おめでとうルートに入ってしまうのではないか。
「さて、もうこの辺でいいよ。あまり遅いと美月が心配するだろうからさ。うちの両親には僕の方から上手く話しておくから心配しなくていいよ。今度、顔出す時はちゃんとお土産も持ってくるから」
それじゃあと、手を振りながら地下鉄の入り口に天明さんは消えていった。
なんだろう、イケメンでノリが良くてちょっとお茶目さがあるなんてモテの塊みたいな人だな。夜見さんはお兄さんがあのレベルだと交際相手に求めるレベルも高そうな気がする。ますます、俺では届かなそうだ。
― ― ― ― ― ―
本日も読んでいただき誠にありがとうございます。評価、ブックマークをしていただいた読者の方感謝です。




