可愛さより愛おしさ
こ、これは……、どう考えても夜見さんのものが……。
気付いてしまったが最後だ。もう、そちらの方から意識が離れない。そうしていると、今までは意識していなかった彼女の息遣いの音も大きく聞こえ始めた。
ふにょんふにょんとハァハァの相乗攻撃はこちらの城門を破るには十分すぎる攻撃力を持っている。もはや落城は時間の問題だ。
きっと、きっと夜見さんは一生懸命シャンプーをしてくれているだけだから、当たっていることなんか気にしていないはず。もしここで、俺がそのことを指摘してしまったら、彼女の善意を台無しにして、こちらが助平なことしか考えていない変態野郎ということになってしまう。そうなれば「結局、陽さんはうちのことをそないな目でしか見てへんのね」と言われてしまう。それだけは避けなければならない。
「かゆいところはございませんか?」
美容師さんのように尋ねてきたが、これはもうすぐ終了の合図。
特にないですと消え入りそうな声で答えて、無事にシャンプーを流してもらった。
落城寸前まで追い込まれはしたものの首の皮一枚の所で踏み止まれた気がする。あの状況下において落城しなかった俺を是非とも褒めてしい。もし、ヘタレというのならそれで結構、俺は彼女の善意の行動を無駄にしなかっただけで十分なのだ。
湯船に入って深呼吸をしながら暴れまわっている心臓をなだめる。もはや気分はソロプレイでダンジョン攻略に成功した冒険者である。
「それでは、うちも入りますね」
濡れてしまったTシャツを脱いだ夜見さんも湯船に入ってきた。
横並びに体育座りをするような形で入るように勧めたのだが、それでは俺が足が伸ばせなくて窮屈だろうということで、伸ばした足の間に夜見さんが入って縦の列を作るような形になった。
向かい合っていないのが救いである。もし、向い合いなら距離は近いし、なにより目のやり場に困る。
「陽さん、どうやった? ちょっとは癒されました?」
「うん、特にシャンプーは普段自分がやるよりも丁寧だったし、マッサージも固まった頭皮がほぐれてよかったよ。ありがとう」
「おおきに、喜んでもらえてよかったわぁ」
振向いた夜見さんは目が合うとへへっと笑って得意げな様子だ。
彼女のその笑顔を見た瞬間に今までなら可愛いと思っていただけだったのに、今はそれが愛おしいというような気持ちなって、今までなら可愛いと思っても見ているだけで恥ずかしくなるからすぐに視線を外すのに、今はその笑顔をずっと見ていたい。いや、このまま彼女を抱きしめてしまいたい。
きっと、ここで彼女を抱きしめたとしても最初は驚いたような反応をするかもしれないが、拒まれることはないと思う。きっと、俺を受け止めてくれるはずだ。
でも、それを行動に移すことが出来なかった。
抱きしめたいと思うと同時に青空に投げたはずの紙飛行機が俺のもとに戻ってきた。
紙飛行機は俺の前まで来ると広がってノートの形に戻り、そこに書かれている文字を見せつけてくる。
『夜見さんは本当に俺のことが好きなのだろうか』
ノートを破って作った紙飛行機なのにそれが心に刺さると抱きしめることも彼女の顔を見ることも出来なくなった。
夜見さんの近くに居ることが辛くなり、先に上がることを告げて浴室をあとにした。
脱衣所で身体を拭きながら俺は自己評価が低いのか考えすぎなのか、それとも夜見さんの気持ちを聞くだけの勇気のない奴なだけなのか様々に自問自答してしまうが答えは出ない。
リビングで冷たい水を一気に飲んで落着きを取り戻そうとしたときにスマホに着信があったことに気付いた。
メッセージが一件。
『いきなり、夜見さんと付合うってどういうこと?』
送り主は大久保夕――元カノだった。
何を今さらと思って、俺はその通知のヘッドラインだけを見て本文は未読スルーを決め込むことにした。
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