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危険な目覚め

 ラブコメもののラノベや漫画なんかでは彼女が泊まったりした翌朝にご飯を作ってくれているシーンがある。だいたいは味噌汁のいい香りや包丁の子気味いい音が目覚まし代わりとなることが多い。


 誰だって一度は見たことはあるし、男子諸君であれば憧れるシーンでもある。


 さて、昨日いきなり許嫁として銀髪碧眼のキツネ娘がやって来た俺の場合はというと、まどろむ意識の中ではあるが、包丁の子気味いい音は聞こえない気がする。ただ、夜見さんが朝食の準備をしているからだろうか美味しそうな香りはこの寝室までも漂っている。でも、それ以上に顔の両側をふにふにと何か柔らかなものが挟んでいることが気になる。


 うっすらと目を開けると既にカーテンが開けられていて部屋は明るい。日が差し込んでいて眩しいと思ったが、その眩しさが次の瞬間に遮られた。


「おはようさんです。陽さん」


 突如視界にくりっとした碧く吸い込まれるような目、さらさらとした銀髪、ピンと立ったキツネ耳の夜見さんが飛び込んできた。


 しかし、夜見さんの顔は上下さかさまでこちらを見つめている。


 つまり彼女の身体が俺の頭の上にあるということで、いま俺の顔の両側を挟んでいる柔らかなものは彼女の太もも……。そのことに気付くと一気に意識が覚醒する。


 覚醒するのと同時に顔が熱くなるのがわかった。さっきまではふにふにとした気持ちのいい感触だったのに、夜見さんの太ももだとわかった瞬間それは俺の理性を溶かしにかかる危険な凶器と化している。


 この危険極まりない状況から脱出するべく起き上がろうとしたが、夜見さんが俺の顎を手で抑え込むことでそれが制された。

 これは逆顎クイの形⁉ 顎クイって男性が女性にするやつじゃないの?


 そんなことを考えていたら、あっという間に俺の唇は塞がれた。


「お疲れのようやったさかい、起こさんでいたんやけど、そろそろご飯にしよかと思って……」


 唇が重なったのはほんの一瞬ではあったけど、夜見さんはキスなど全く無かったかのように普通に会話を始めた。呆気にとられながらも、次回から起こし方はもう少し普通にして欲しいと願う。


「でも、最初は普通に起こそうとしたんです。まずは陽さんの寝顔を見つめて、次にほっぺをつんつんして、その後で太ももで――」

「わかった、わかったよ。起きなかった俺が悪かった。だからそれ以上解説しないで!」


 太ももでふにふにされるまでの過程を聞かされてますます恥ずかしくなってきたので、さっさと投了することにした。明日からはスマホのアラームをセットして寝ないと朝から何をされるかわかったものではない。


 寝室を出てダイニングに行くとすでに朝食の用意が出来ている。

 これ以上待たせては悪いと思いながらもとりあえず、顔だけでも最低洗うことにした。向かいに座っている夜見さんに目ヤニの付いた顔を晒すのはさすがに悪い。


 朝ごはんから夜見さんはしっかり作ってくれていて、アジの開き、卵焼き、ほうれん草のお浸し、味噌汁という俺からすれば豪華すぎるメニューだ。


「そんなに褒めんといてください。お味噌汁は昨日の夕ご飯の時の残りやし、お浸しも昨日の胡麻和えと一緒に作ったもんです。だから、今朝作ったんは魚焼いたのと卵焼きだけです」

「いやいや、それだけ作れば十分でしょ。俺は今まで朝はコンビニかスーパーで買ったパンをかじっていただけだから。こんなにたくさんおかずが並んでいて嬉しいよ」

「お、おおきに。陽さん、朝からほめ過ぎちゃいます?」


 俺としては特に意識してお世辞や盛った感想を言ったわけではなかったのだけどな。ご飯をわざわざ作ってくれたのだから大変感謝している。


「あのー、昨日の夜のことなんやけど、ちょっとだますようなまねして本当にすいません。でも、うちは陽さんがうちのことをどう思っているか知りたかったんです。陽さんは優しいからいつもうちの気持ちの方ばかり気にしていはるようだったんで……、そ、それとあんなこと言いましたがうちのことはしたない女なんて思わんといてください」


 最後の方は消え入りそうなぼそぼそとした声で俯きながら話して、卵焼きをつんつんと突いている。


 昨夜のベッドでの出来事はどこまでが計算だったのだろう? 正直、背中を掴まれて涙声になっているところなんかは演技に思えなかった。そういうところを見破れないから元カノの浮気にも気が付かなかったのかもしれないけどさ。

 自分から許嫁の件を保留と言っておきながら、夜見さんが覆いかぶさったときに俺は何を期待いていいたのだろう。


「いや、だますようなまねなんて言わないで。もとはといえば、俺が夜見さんをどう思っているとか、今後の生活についてどうするかということを全く言わずにずるずるとしていたのがいけなかっただけだから」


 このことについては、俺がいけない。着の身着のままの荷物で来た夜見さんに許嫁の件を受入れるとも拒むとも言わず、ここに居てもいいとも、だめと言わず何も決めないでいたからだ。彼女からしたら宙ぶらりんな状態で放置されて不安だったのだろうと思う。


「うちの方こそ急かすようなまねをして……、でも、ここにいていいって言うてもらえて嬉しかったわぁ」


 夜見さんは箸と茶碗と持った格好でニコッと笑った。

 そのストレートな笑顔はずるい。この笑顔の写真をお米の広告に使えば売り上げはきっと上がると思う。


「でも、昨日も言ったけど、許嫁の方はまだ待って欲しい。話が急すぎて俺の中で整理できていないからさ」


 整理できていない問題はたくさんある。例えば、周りの人に元カノに振られてその日のうちに別の子に乗換えたみたいな感じに思われるのが嫌みたいなものまである。そんな自分の見栄を気にするようなことまで問題としている自分が嫌いだ。結局は自己保身なのだ。


「それについては、うちもわかってます。だから、陽さんにはもっとうちのこと知って欲しいんです。そして、うちも陽さんのこともっと知りたいんです。だから、今日はお天気もいいさかい親睦もかねてピクニックに行きたいと思うのですがかかですか?」


 唐突なるピクニックのお誘い。

 おそらくピクニックなるイベントにお花見を含んだとしても五年以上行っていない。オタクの陰キャにとってはかなり縁遠いイベントである。


「ピクニックってどこに行くの? これから準備しても間に合うかな?」

「大丈夫です。そんな遠くまで行かへんでもここからなら新宿御苑で十分です。実はそれを見越してお弁当の準備もすでに始めたりして……、えっと、ピクニックとか嫌いですか?」


 ここまで言われて行きたくないです、と言えるほど鬼でもなく、頑なな引きこもりでもない。何より両手の人差し指同士をつんつんしながら言うその姿が反則です。


 新宿御苑ならここから歩いて二十分程度の距離にあるから散歩の延長みたいなものだ。それにそこなら繁華街の店に行くよりもクラスメイトとかに見つかる心配も少ない。


 自分の中にあるいろいろなもやもやした問題を解決するには夜見さんの言うように彼女のことをもっと知る必要があるだろう。それには部屋の中に閉じこもっているよりも気分を変えた方がいいかもしれない。


 ― ― ― ― ― ―


 本日も読んでいただき誠にありがとうございます。評価、ブックマークをしていただいた読者の方感謝です。

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