覚醒
ソーニアを掴んでいた一匹は、腹から下が消え、驚いた様に目を見開いて吹っ飛んでいった
そしてそれが余の仕業と気付いたのか、直ぐにもう一匹の豚が、狂ったように余に牙を剥いて突進してくる。
「ヨクモ……ッオトウト達ヲ!!」
「アリエンッ!! 危ないっ!」
豚に放りだされたソーニアも叫ぶ。
ここに来て、尚も己の事より余を気に掛けているとでもいうのか。―――忌々しい。
余は羊を追う棒を地に突き刺し拳に魔力を集めると、それを大きく振りかぶりながら抗議の声を上げた。
「心配はいらない。ソーニアはっ、絶対にこんな所で死なせないから!」
ちっ、やはりあやつに掛ける言葉には何故か癖が出てしまう。
……ともかく! 人間の小娘如きが余を守るなぞ、言語道断だ!!
余を噛み殺そうと迫る大きく開かれた豚の口に、余は拳に貯めた魔力を打ち込んだ。
「口が臭いンだよっ、このブタがっ!!」
「ブガアァッ」
魔力を存分に込めた右ストレートはきれいに決まり、豚の頭は木っ端微塵に吹っ飛んだ。
だが、頭のない豚がゆっくりと崩れ落ちてゆく様を眺めていると、余はふと重要な事を思い出した。
……あ、しまった。
そう言えば、こいつ等に聞きたいことがあったのだった。
なのに、つい加減を忘れてやってしまった!
余が既に事切れた頭のない豚をがっかりと見下ろしていると、ふと遠くの方からうめき声があがった。
「アニ……ゴブッ、アニジャ……オト……ウト……、ヨ……クモ……」
見れば上半身だけとなった豚が、地に伏しながら、凄まじい形相で余を睨んでいるのが目に入った。
……ほぅ。あれで即死しなかったとは、なかなかに根性のある奴だ。
余は軋む体を動かし、つくばる魔物の前に歩み寄った。
そして奴の目の前に立ち、瀕死の魔物を見下ろした。
「ブギイィ……オマエ……何者ダ……?」
「余か? 余はカイザー・ヴァロ厶・ディブロ……改め、羊飼いのアリエンだ。冥土の土産に覚えておくがよい」
余がそう名乗った途端、魔物から今までとは比較できぬ程の、凄まじい憎しみのオーラが吹き出した。
「ヴァロ厶、ディブロ……? 裏切リ者ノ、カイザー・ヴァロ厶・ディブロッ!! 人間ト手ヲ組ンデ、オイ達ノ故郷焼イテ、森ニ毒撒イタ、カイザー・ヴァロ厶・ディブロ!! 裏切リ者ッ、裏切リ者!! オ前、魔王様ガユルサナイ! 魔王ヘロイン様に報告スル! オ前、コレデモウ死ヌ。……ユルサナイ、ユルサナイ、ユル……サナ、イ……ユル……」
魔物は余を汚物でも見るような目で睨み付け、呪言を吐きながら間もなくこと切れた。
余は動かなくなった骸を見下ろしながら、豚の言葉を反芻していた。
……余が裏切り者? 余がこいつらの故郷を焼き、毒を撒いただと? 身に覚えがない。―――だが、心当たりはある。
「―――ふむ。なる程な。……ヘロインめ。余に全ての罪をなすりつけ、その王位を乗っ取ったか」
状況は把握した。だが余の目的は欠片も変わらない。
そう。あの憎きヘロインをいたぶり尽くして地獄に堕とし、掠め盗られた王位を取り戻すのだ。
そんな事を考えていると、余はふと胸部にむず痒さを感じ、小さな咳を一つこぼした。
「……ゴホッ」
小さな咳だった。
だがその咳と共に、余の口からボタボタと大量の血が溢れ出したのだ。
「……な"、な"ん"だ……? ゴボッ……」
余は反射的に手で口を覆ったが、到底受け止めきれる量ではなかった。
余は焦りながら現状脱回しようと思考を巡らす。だが……
いかん……目の前が歪む。己の血で溺れそうだ。
魔力の暴走のせいで、体内がズタズタになってしまったか。
っくそ、魔王の頃と違い体の再生が始まらぬわ。体の内側が……崩れていくようだ。
余の目の前が暗転する。そして酷い耳鳴りの響く耳に、誰かが慌ただしげに騒ぐ声が聞こえてきた。
「アリエン! アリエンしっかりして!」
「な、なんだ? オーク達が死んでいる? ソーニア無事か!? アリエンは?」
「叔父さんっ、助けて……アリエンが……アリエンが……っ」
「っなんて酷い傷だ。は、早く応急処置をっ!」
まったく、慌ただしい奴らだ。
危急の時こそ落ち着いて対処するのが常識だろう。ましてや泣いた所で何一つ事態は好転せぬと言うのに、人間は本当に愚かだ。
そんな事を内心で毒づいていると、段々と耳の方も聞こえ辛くなってきた。
余は意識が途切れる刹那、最後に一つだけ、ホッと胸を撫で下ろした。
……ソーニアとジェイドは無事だったか。
まったく、お前達が余を助ける為など言いながら死ねば、余の永劫の恥となる所であったわ。
よかった。―――……本当に、 よかった……。
お前達が無事で……ほん、とうに…………。
◇
あれからどれ程の時がたったのだろうか?
深い深い眠りの底を、宛もなく揺蕩っていると
―――ふと、誰かに呼ばれた気がした。
眠りの底から身を浮上させるのは難儀であった。
身体はだるく、指一本動かすのも億劫。まるで深い泥沼の底に閉じ込められた様な重さを全身に感じながら、余は耳を澄ませた。
―――……リエ…… アリエン…… お願い起きて お願い……
―――誰だ?
……いや、余はこいつを知っている。ソーニアだ。
―――だが、何故余を呼ぶ?
分からん。魔力暴走を起こし、肉体を崩壊させた余は、今はもうなんの役にも立たぬ死にぞこないよ。
そんな面倒な物を、何故呼び戻そうなどとする?
―――それに、何故泣く?
かつて余が王となった時、7百万の軍勢を手に入れ、余は世界を統べた。世界が余を認知していたのだ。
―――だが余の崩御に、誰ひとり泣くことなどなかった。
……なのに何故、知れた名などない矮小な羊飼いに、こうもとめどない涙を流す?
「―――……泣くな。ソーニア」
余は目の前にぼんやりと浮かぶ顔に、そっと手を伸ばしてそう呟いた。
途端、周りの景色が一気に鮮明さを取り戻す。そしてソーニアの隣にしゃがんでいたケイトが、跳ね起きて叫んだ。
「気がついた……っ、アリエンの意識が戻った! ……奇跡だわ!」
「……ケイト……母さん……」
「バカ息子が……っ、俺の言うことなんざこれっぽっちも聞きゃしねぇ……。―――あぁでもアリエン、ありがとう。お前は俺の命の恩人だ。本当に……本当にっ目が覚めてよかった!」
「……ジェイド父さんも……なんで……」
何故泣いているんだ?
余がまだ霧の掛かったような思考で、そんな泣き続ける人間共をボーッと眺めていると、部屋の扉がカチャリと押し開けられ、向こうから黒い聖衣を纏った息も絶え絶えの神父が現れた。
神父はまだ若く、ジェイドと同じかそれより下かといったくらいの細身の男。
それがハァハァと荒い息を吐きながら、部屋を見回して未だ男泣きをしているジェイドに声を掛けた。
「……あの、失礼。こちらにオークに害された信徒がいると聞いて祈りにきたのですが、どなたがそうでしょうか……?」
どうやらこの神父、余の回復治療にやって来たらしい。
だが余の身体は、未だ気だるさこそ残るが、傷一つ負った形跡もない。
余も不思議に思い、腕を回して己の身体を確かめていると、ジェイドとケイトが嬉しそう口々に説明を始めた。
「はいっ、オークを撃退し、重症を負ったのはこのアリエンです」
「し、しかし見たところ、怪我はさほど酷いようには……」
「それが、神父様が到着なさるまで、このソーニアが三日三晩、寝ずに神に祈りを捧げていたのです。―――どうかアリエンを助けたいと」
「そう! するとなんと、ソーニアに神聖力が宿り、アリエンの傷を全て癒やしたのです!」
「え……えぇ?」
……神聖力? 確かそれは聖者や聖女が使えるとかいう、清らかな祈りから得られる神の加護を、癒しや護りの魔法に変えるとかいう人間共のオリジナル魔法……。
余がふとソーニアに視線を向ければ、ソーニアは泣き腫らした目で、少しはにかんだ笑顔を余に向けてきた。
そしてジェイドとケイトの話に、神父も目を丸くしながら余とソーニアを交互に見る。
「なんと……神聖力とは元来、幼少の頃より神殿で修行を積み、漸く得られるものなのです。ですのでにわかには信じがたい話ではあるのですが、確かにそちらのソーニアさんは、今も強い神気を纏っておられるように感じる……」
そう言って神父がまじまじとソーニアを見つめた時だった。
ふと、ソーニアがおずおずと手を挙げ神父に質問をした。
「あの、神父様……」
「どうしたのですか?」
「じ、実はアリエンの傷は無事消えた様なのですが、……代わりのようにアリエンの肩に、不思議な紋様が浮かび上がってきたのです」
「そうなのですか。まぁ神聖力を受けた者は、稀にそに身に聖紋が浮かび上がる事があるのですよ。おそらくその類でしょうが、念の為に見せていただけますか?」
余はダルさも相まって言われるがまま、なされるがままに腕を捲り挙げ、肩を神父に晒した。
すると確かに余の肩には、肌の色にうっすら馴染むような金色の、一振りの剣を一対の翼で包み込んでいる紋章の様な痣が浮かんでいた。
ソーニアが不安気に神父に尋ねる。
「後遺症なんかでなければいいのですが……」
だが、神父はそんなソーニアの声など耳に入らなかったのか、目を剥いて余の腕を凝視しながら、家の外迄届きそうな大声で叫んだ。
「なんと……これはっ、まさか【勇者の紋章】!?」
……なに? 勇者だと?
余は眉間に深いシワを刻みながら、神父を詐欺師を見るように睨んだ。