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村に戻って、どれほどの時が過ぎただろうか。
魔女の家から無事に帰還した俺は、肌の色ややけに明るくなったことを多少気味悪がられながらも、働き手として村に居たいという申し出自体はありがたく受け入れてくれていた。
元々、食料に困る地域ではなかったし、村に立ち寄る旅人たちのおかげで交流だって少ないわけでもない。そんな村なので働き手自体は少ないくらいだったので、男手が戻ってきてくれたのがうれしかったらしい。
それから俺は、妻の事や俺の体のことを心配されつつも、畑仕事やら倉庫番やらを任され魔女の家に行く前と大して変わらない生活を送ることになっていた。
のだが……。
耳に作物の揺れる音が聞こえ、俺の背丈の何倍もある村の倉庫を見上げてため息をついた。
「おい、こっちの作物は倉庫にしまっておいた! そっちはどうだ?」
「お、おお、こっちも終わったぞ。……えっと、俺らは村長に報告してくるからな、傷があるお前は好きにしててくれ」
「ああ」
ぎくしゃくする返事を聞きながら半分生返事のまま返すと、もう一人作物の収穫をしていた村の男衆の一人が村の中で一番大きな家へ走っていく。
その姿を見送りながら、俺は胸に手を当てながらももう一度ため息をついた。
確かに俺は生きている。
だが、妻が居なくなった時と同じ。無責任にもこの村での仕事に退屈さを覚え始めてしまっていた。
あの魔女の家での命が無くなったかもしれない出来事も、意味がさっぱり分からなかった魔女の教えも、ひと月もたっていないのにずっとずっと寂しい思いを感じてしまっていた。
憎まれ口がなく気遣うようなそぶりをされてしまうと、妻を思い出してしまうことも多かったし、仕事を休まされてしまうことも多く、余計に考える時間が増えてしまっていた。
気遣いは分かるのだが、居辛さは依然と何も変わりがなかったのだ。
なにより、あの魔女の憎まれ口を思うと胸の中が熱くなり、もっと彼女を近くで支えてやりたいという思いばかりが強くなっていく。
魔女のことを考え、自然とこぶしを握って終いっていたことに気が付き、開いた拳の手を開けば、魔女に付け替えられた、青々とした人間とは思えない手の色。
まだ、自由がきくがいつか聞かなくなるかもしれないと思うと、この村だけで平凡に過ごすということが何よりも楽しくないものだと感じてしまっていた。
「俺の寿命はもう、十年ないんだよな……」
何もない手のひらを見つめ、そうつぶやく。
残された寿命はもう残っていない。なら、こうして考えている時間ももったいないと思ってしまうのは、妻に対してあまりに非情だろうか。
覚えていなければ、彼女は本当に死んでしまう。
だが、いつまでも思い続けていても、きっと彼女はこの世で迷ってしまう。こういう時妻なら迷わず自分の行動したいという思いを優先しろとでも言ってくれるだろうか。
「ははっ、誰かのおかげで前向きになったもんだ。……考えるだけ無駄なのかもしれないな」
考えていても、妻が居た時の事しか思い出せない。ならば、行動して妻の言葉を忘れないようにしようと決意し拳を握った。
俺は村長に頼んで、太陽が一回りごとに休みと仕事を入れ替えてもらうよう頼みに行くことにした。
* * *
相も変わらぬ、湿った空気が肌に張り付き、急いで着たために汗で張り付く髪を避けながら俺は揺れる視界の中、目的地を見る。
沼地は相変わらず苔のせいか緑色に光り、幻想的とも不気味ともいえる雰囲気をかもし出していた。
時折空気が割れるようなぽこぽこという音は沼地の水が泡立つ音だろうか、不気味とは言えないが生理的な嫌悪感を覚えてしまう音だった。
緑色に光る沼のせいか漂っている空気まで緑色に染まっているかのような錯覚を覚えてしまい、余計に不気味さと君の悪さを助長し、ここが不気味な沼地であることを自覚させられる。
そんな沼地を目指して森を抜けると、森川の陸地にランタンがつるされた棒の下から沼地を渡るための歪な橋がかけられ、沼地の真っただ中の小島の上までかけられたガタガタの木材の作られた橋を渡ると、グネグネ通り紛った瓦屋根の特徴的な魔女の家がそびえたっていた。
意を決して橋を渡ろうとすると、橋の入り口にあった吊るされていたカボチャのランタンがキィという音を立てて動き始めた。
「あら、お帰りなさい、人間。いつ戻ってくるかって沼地のお友達とかけ事をしていたのに、思ってたよりもお早いお帰りね」
最初来た時は喋らなかったのに、ランタンはまるで自分を覚えたかのようにそう喋りかけられ、目を丸くする。
喋ったことにではなく、魔女の言う通りしゃべることが出来たのかという驚きと、喋り方を初めて知ったという驚きが不思議と大きかった。
「あ、ああ。これからは日が一週ごとにくる。もしかしたら常連になるかもしれない」
「あらあら。不思議な人間。私は知らないけれど、あの子は寂しがり屋なの、もっと顔見せにいらっしゃい」
ランタンはそれだけを言うと満足したかのように、微動だにせぬ物になってしまった。
ゆっくりとそれを背中で見送りながら、軋みを上げる橋をゆっくりと渡り、家のドアの前に立った。
無言のままドアを開けると、俺が出ていった時と変わらない、多少片付いて見えるがまだまだ物が山と積まれているあの時の部屋が見えた。
通り道を邪魔しないように積まれた本の山、あれから多少出入りはしたのか泥が付いた玄関周りが広がり、時間が経っているのを表していた。
そして、
「また来たのか、脳無しが」
出窓近くのソファを見れば、底に腰掛けてこちらを渋い顔をしながら退屈そうに顎に手を当てている魔女が座っていた。
「命を助けてもらった礼がしたい。掃除する人間はいらないか?」
「……今度からここに来る守りはかけてやる。しばらくは……お前の好きにしろ、おせっかい」
彼女はそれだけを言うと、そっぽを向いてしまった。
俺は彼女の悪口が甘くなったのに心が温かくなりながらも俺の寝室へ向かうと、中の道具は大事に掃除されていて、思わず笑ってしまった。
これは、沼地に住む人恋しい魔女が、妻を亡くした掃除道具を大事に使う物語のようだ。