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 目が覚めると魔女が俺を見下し、こちらの顔を覗き込んでいた。


 背中には硬い感触……意識を失う直前まで感じていたあの床の感触で、魔女はいつの間にか帰ってきていたのか、俺のことを発見したようだった。


 自分の胸に違和感を覚え、見てみると魔女に手を触れられドキリと心臓が高鳴ると同時に、周辺の皮膚の色が、腕と同じ色に変色していて何があったのか推し量ることが出来た。


 しかし、思っていたよりも近かった魔女の距離にどぎまぎし、魔女が一度俺の下腹部とちらりと見たと思うと、

「よう、気分はどうだ、変態野郎」

 とあいさつをされてしまった。


「あー、おかげさまで最高だよ、沼地の魔女様」

「そりゃよかった。俺様は危うくお前の頭をかち割って殺人者になる所だった」


 座りが悪い下半身のまま上半身を起こすと、魔女はふんと鼻で笑いずかずかとまるで床に設置されたかのように不動のソファへ歩み寄り、どっかと腰を下ろした。


 あまりにもいつも通りに接されてしまうので、俺だけがおかしいのかと困惑させられてしまう。彼女がそうするので俺もできるだけそうなるように心掛けた。


「何が起きたんだ?」

「はっ、そんなの俺様が知りたいね。物音に気が付いて帰ってきたら頭が落ちててお前が死にかけだったんだ。まあ、残り香的に知り合いが馬鹿したんだろう。運が悪かったな変態」


「そう、か……。そうなのか」

「ぼうっとするな変態。まだ起こしたばっかりだ。あんまりいつも通りに動くなよ、素敵な顔色がどんどんイケメンになっていくぞ」


 それは、顔色が悪いということを遠回しに言っているのか。

 何が起きたのかと部屋を見回すと、水が入ったままの桶はそのままに、入り口のドアをふさぐように倒れている掃除道具。片付けたはずの泥たちはいくらか窓の近くに散乱し、本来であれば風を防いでくれているはずの窓はやけに風通しがよくなってしまっていた。


 風通しを良くした原因に目を向ければ、赤く染まってしまった水たまりの中心に俺が倒れこみ、さらに周りには多少積もる様にガラスが散らばっていて、急いで俺の上からガラスを取り払ったのであろうことが分かった。

 のんきにもこれを掃除するのはいったい誰なのかと言いたくなったのは職業病だろうか。


「……生きてるのか、俺は」

「今更だな、愚図野郎」


 呆れた魔女の声に確かに彼女の言う通りだと同意しながら、ハッとして慌てて抱えていたはずの頭を探す。が、転がっていってしまいそうな場所で見つけることはできず、ついにやってしまったかと思っていると、魔女の「はっ」と鼻で笑われてしまう。


「お前が探してるのはこいつのことか?」


 コンコンと魔女が何かを――慌てて視線を合わせると出窓の床だった――叩き、そこには魔女が大事にしていた頭が傷つくこともなく、元の場所に置かれていた。


「安心しな、たとえ壊れたとしても直せはする。それに……守ったんだろう? お前が」

「は?」


「呆けるなドアホ。それくらいは分かる。どっかの誰かの泥のせいとはいえ、掃除できなかった事と、今回の傷を治してやった件はチャラにしてやるから、咽び泣いて感謝しろ、愚図」


 相も変わらぬ口の悪さだったが、言葉の端々に気遣いが見え隠れし、当人は恥ずかしそうにそっぽを向くんで、魔女が照れ隠しにそう言っているのだと分かる。

 この人は、なんでこうもぶきようなんだと苦笑してしまう。



 しかし、いつまでもこんな床に寝ていられないといい加減立ち上がろうとすると、強烈な眩暈に襲われ、吐き気と世界がぐるぐると回っていくではないか。

 驚いて落ち着くために膝と手を床にをつくと、魔女が「馬鹿が」と罵られてしまった。


「勝手に動くんじゃねえよ、たったいま蘇生したばかりなんだ。血も足りねえし、気力も足りねえ。普通に動くと死ぬだけだぞ間抜けが」

「で、でも部屋が……」


「へや?」

「掃除しろって言われたのに……」

「あ? はっ、この期に及んでてめえの仕事の心配かよ、畜生が。忘れたのか? 俺様は魔女だぞ」


 魔女が無駄に自信過剰に言うと、ふいっと人差し指を動かした。すると、崩れてしまっていた物たちが自分勝手に動き出し、崩れていた棚やびしょぬれになった本たちが宙に浮き始める。


 やがて、泥に浸された本は外へ飛び出しカタンと屋根の上から音が、落ちてしまっただけの物や、壊れてしまった棚はまるで時間が戻るように


 呆気に取られてその光景に見入っていると、あっという間に俺が片付けた時の場所に物が戻っていき、綺麗に道が開けていた。


「おっと、思ったより片付いてるじゃねえか。はっ、掃除道具としては及第点らしいな」

「これが魔法? すげえ……」

「だろう? まあ、これに関してはあの人たちの契約の逆輸入だから、俺の力はほとんどねえけどな。それに……」

「それに?」


 先ほどまでとは違い、素直に喜ぶ姿ではなくどこか悔しそうにつぶやいたかと思うと、魔女はソファから立ち上がって出窓近くに立っていた。

 いつになく機嫌を損ねたかのような顔で、窓の外を眺め、横目でこちらを見る。


「あと十年だ」


 魔女は静かに振り返り、いつもの馬鹿にしたような笑いではなく、真剣にそう言った。

 意味が分からず「じゅうねん?」と繰り返してしまう。いつもなお来られる返しだったのだが、魔女は気まずそうに頭を書くと「はぁ……」とため息をつき、腕を組んでこちらに向いた。


「あと十年。お前は生きれる。ちっと少なくなっちまったが、普通の人間として生きるにはそれで十分だろ。むしろ、あんな目に合って十年なら長いもんだ」


「つまり、あと十年の命ってことか?」

「それ以外にあるかよ、愚図」

 

 罵倒はされたが、不思議と彼女の罵倒に腹が立つことはなく、すんなりと言っていることを受け入れてしまう。


 残りの寿命としては当然……と言えば当然か。千切れた腕に風通しが言っときよくなった胸。どちらも普通の人間ならば死んでいたとしてもおかしくない傷だ。


 むしろ、妻の最後の言葉を思い出した今となってはどことなく、あと十年と言う寿命がどこか清々しく、妻からの贈り物のようにも思えて悪い気はちっともしなかった。

 

 しかし、そんな俺の気持ちなど知らないのだろう。

 魔女は「ふん」と言って背を向け、手でシッシと追い払う動作を見せた。


「お前の体はもう大丈夫だ。血は足りねえが、お前の村に変えるぐらいのお守りはつけてやる。さっさと村に帰りな。俺様の所に居ても今日みたいに良いことなんて何もありゃしねえよ」


 彼女はいつも通り。吐き捨てるようにそう言った。

 お別れ、と言うことらしい。


 実際、もう俺がここに居る理由などないのだから、体が治ったら出ていくのは至極当然と言える。だが、いかんともしがたい思いが後ろ髪を引き、ここに残りたいという気持ちがあった。


 だが、今の魔女からすればあんまりいてほしくないだろうというのもわかる。だから、すこしだけごねてみることにした。


「感動的なお別れは無し、か?」

「はっ、お前は馬鹿か? 感動的なフィナーレなんぞ道化師の仕事だ。俺様を道化師とあざけるのなら話は別だけどな」


「なんだ、魔女様は感動的な別れは嫌いなのか」

「はっ、感動なんて欲しけりゃ物語を見ろ。感動がすべてじゃない。感動的なお話が必ずしも良いとは限らない。そんなの誰が見たって明らかさ。お前はそんなことも知らないのか知識なしめ」

「知らない。だから、俺にもっと教えてくれないか」


 知らない間に直っていた窓がカタカタと音を立てて揺れ、魔女の目が泳ぐ。


「……。馬鹿は移るのか? 俺様はお前を助けるなんてことはもうしないぞ」

「移した相手は誰か知らないが、それでいい。どうせもう長くない命だ、知識のない俺にお前が知識を教えてくれ」


「俺様の魔法をお前に? はっ、ただの人間に仕えるもんじゃねえよ。せいぜい、ただの人間が出来るのなんてこの家の掃除ぐらいだ」

「ならそれでもいいぞ。俺は妻が居なくなった俺なんかを何度も助けてくれたあんたに礼がしたい。魔女様は掃除なんて得意じゃないらしいからな」

「それは……」


 胸元に手を当てながらそう言うと、魔女は俺を睨みすぐにため息をついた。

 しばし逡巡し、あからさまに動揺したのか窓の外に視線を映したり、部屋の中を見回したりと落ち着かなかった。

 

 しかし――。

「駄目だ」

 魔女はつぶやくように言い、窓のカタカタと揺れる音はしなくなってしまっていた。


 いつも夜になると引きこもる部屋のほうへ歩いていく。止めようかと迷っていたが、ドアの前に立つと立ち止まり、振り返らずに「お前は」と言った。


「お前は普通の人間だ。ここは俺の家で、この沼地は俺が借り受けた場所だ。お前たち人間が気安くは言っていい場所じゃない。だから用が済んだのなら出ていけ、愚図野郎。お前が居ても俺様が困るだけだ」


 魔女は静かにそう言った。

「――っ」

「帰れるうちに帰るんだな。この魔女様に助けてもらったことを吹聴しろ。お前は生き延びたんだ。その命を捨てる真似はこの俺様が許さねえ」


「それは、出て行けということか、沼地の魔女様」

「……ああ、そうさ。幸せに離れねえかもしれねえが、まあ、あと十年好きに暮らせ。掃除の才能はあるんだからな」


 魔女はそういうと自分の部屋に引きこもり、出てこなくなってしまった。

 しばらく待っては見たものの、一向に出てくる気配はない。あまり長いをし続けるのも男としてはあんまりなのではないかと思い、今回助けてもらった礼代わりに倉庫をしっかりと分かりやすく片付け、魔女の家を後にした。


 不思議なことに、その日は襲われることもなく森を抜け出せてしまい、目の前には日が落ちたからか、焚火か何かの明かりが灯された村だった。


 無事に戻れたことでつい、心が落胆に包まれすぐに自分の気持ちに気が付いて苦笑してしまう。

 妻の言葉を何も反省できていなかったらしい。俺は渋々元の村での生活に戻してもらえるよう村長に頭を下げに行くことにした。

 



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