表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

6/8

 5 


 今日は偉く体の調子がいい日だった。

 魔女が俺の寝床として用意した藁の寝心地は作物が残っていない村の倉庫で寝るよりはるかに居心地がよく、何度も何度も他愛のない俺の自責の念をくだらないと言ってくれるおかげで、明るい思考にもなってきてくれている。


 変な場所に住んで趣味の悪いちんちくりんな魔女だが、生真面目さと優しさは評価に値するべきばじょなのは間違いがない。

 俺が感化されているだけなのかもしれない。


 ただ、体には何の不調もなく、時折不穏な違和感を感じる色が変わった腕にも違和感なく動かせるほど快調だった。


 腕を振ってみたり、飛んだり跳ねたりして調子を確認していると、俺の起きるタイミングを見計らったかのようにドアが開け放たれ、向こうの部屋から中を覗き込んでくる人影……魔女が居た。


「お、起きてるな。体の調子も良さそうじゃねえか」

「村に居た時よりもずっといい。沼地に住んでる引きこもりの魔女様のおかげだ」


 俺がそう言うと、魔女は驚いた表情を見せながらその瞳を真ん丸にしていた。

 何を馬鹿なことを言うんだ、って顔だった。


「何を馬鹿なことを口走ってるんだか。当たり前だろう? この俺様が作った薬に腕だぞ? 本人に適合しないように作るほど阿呆じゃないさ」


 どうやらあたりだったようで胸がすっとする。

 ここ数日で彼女の性格を把握できたことを満足していると、「腕を見せな」と見せなと言った割に勝手にとった腕を見ながらもいつも通り自慢げに話し始める。


 色々な意味でいら立っているときはどうしようもないが、常時なら煽てて俺の利を運んでくるように仕向けた方がお互いに良い。今日は皮肉交じりでも受け取ってくれる当たり相当機嫌が良いと見た。


 腕の調子を見終えたのか、腕を放られ彼女の後について行くと、ソファーの前に来た途端くるりと振り返り、得意げに人差し指を突きつけられる。


「さあお前にはやってもらうことがある」

「やってもらうこと? 俺にか?」

「ああ。だいぶ今更になっちまったが、沼地で無様に殺されかけた愚図なお前は寛大で優秀な俺様に助けられた。そうだな?」


「……不本意ながら」

「はっ、偉そうに言っているが、愚図の腕を見ているのは俺様だ。お前の命は俺様が握ったようなもんだろ?」


 えらく上から言う魔女の言葉だったが、命を助けられたというのは事実だし、彼女がこう言っているときは素直にうなずいた方が話が早いのだ。

 そもそも長くする意味ないのでとりあえずは頷いた。


 それを承諾と受け取ったのか、彼女は満足そうにうなずくと俺の胸を指でつつかれてしまう。


「それなら今日も掃除をしてもらおうか。なげぇ間ここに居座りやがった宿代変わりだ。俺様は裏奥の畑に用があるんでな。そこに顔を出している間にこのリビングの掃除を頼みたい」

「このリビングの……?」


 本気で言っているのか?

 このリビングといえば、本が山のように積まれ、入り口のドアもあるので沼地の泥で汚れているだけでなく雑多に物が置かれている。


 それだけではなく、あの頭部まで置かれているのだ。

 不気味……とまではいわないが、あれがどうなってしまったかの時なんて考えたくもない。


「嫌そうだな? そう邪険にするなよ。入り口の周りの泥の掃除だけしてくれればいい。棚には触るなよ。本は歩きにくかったら退かせ。道具はお前の寝ていた部屋に置いてある」


「掃除道具ってそれの掃除も必要なのか?」

「ああ? ああ、今日はそれも頼むぞ、変態。ああ、物は壊すなよ。直せるとはいえ、面倒が多いからな」

「なら、掃除道具も次に使うときもそのまま使えばいいんじゃないのか。今まではそれでいいと……」


「ああ、今まではそれでよかったよ。俺様はこれでも長年生きるんでね。綺麗さっぱりしたい時にしておいた方が長く生きるのにはひつよ――いや、これは覚えなくてもいい」

「はあ」

「いいから、行けよ」


 意味不明な言葉で切った魔女を不思議に思いつつ、言われたとおりに道具を取りに行く。

 自分の寝室兼倉庫の中に入りなおし、言われた桶とモップを探し出す。と言っても、俺が置いた場所から引っ張り出して来るだけなので、早退した量の仕事じゃない。


 ほかの道具と比べて比較的ほこりをかぶっていないのはここ数日で俺が何度か使えと命じられたからだろう。

 道具を手に取ってリビングに戻ると魔女が中空に浮かんだ水に手を掲げながら待ち構え、ぎょっとしていると俺の持っていた桶の中に水をぶち込んで水が跳ねる。


「水はこれを使え。沼の水なんて使った日にはぶっ飛ばすからな。それと、床に水をこぼすんじゃないぞ。できるだけ泥も水も家の外の沼に落としていけ。腐らないように防腐処理はしてあるがやらねえにこしたことはねえ」


「分かってる」

「はっ、よろしい。それじゃあ俺様は畑に行くから。問題を起こすんじゃねえぞ」


 上機嫌にドアをくぐって行こうとする魔女を見送ろうとする。すると、魔女は「ああそうだ」と言ってドアを開けてからこちらに振り返った。


「あの頭。絶対に壊すんじゃねえぞ」


 魔女は窓際の頭を指差し、俺はもちろんだとうなずくと、さすがに聞き分けのいい俺の態度に嫌な感じをしたのか訝しんだ表情で掃除道具と俺を見つめ始めた。


「……いいか、そこらへんの本と棚と道具だったら最悪バラバラにするだけで許してやるが、あの頭だけはてめえを永遠の呪いにかけてやるから覚悟しておけ」



 そう言い残すと、入り口のドアを開けたまま彼女は陸に続いている橋を渡りきると、ランタンに何か話しかけられたのか、何事か怒鳴りずかずかと森の中へ入っていってしまった。

 そんな魔女に嘆息し、さてとあたりを見回してとりあえず物をどかすことから始めることにした。

 

      *     *     *


「よし、これでいいかな」


 死ぬほど汚かった床掃除を終え、物が偏った部屋を見渡してみる。

 落ちていた靴の泥と思わしきも跡は全て綺麗にふき取り、床の木板がはっきりと見えるほどになっていた。


 高く積まれた本の山も出来るだけ順番が同じになるように積みあげ、棚や本棚に入っているほこりも出来るだけ揺らさず場所も変わらないように配慮をする。入り口からソファ、俺の寝室や魔女が良く通る道は最低限通れる程度に物を避け、しっかりと歩けるようにものを整理した。


 床にさわれば軋みを上げて曲がる床以外は素足で触れられるレベルのきれいさまで仕上げて見せた。

 我ながら誇れる仕事をしたと額に流れる汗を拭い、鼻を鳴らし誰に見られているわけでもないのに満足する。


「さて、残りは慎重にできるように残しておいた窓際か」

 これまで以上に慎重に事を運ばなくてはと窓際を振り返り――。


 窓の外、はるか遠くの方から泥のような何かが部屋の中へ吹き飛んでくるのが見えた。

 また何か変なことに巻き込まれたのかとあたふたとしていると、窓の外の泥が近づくにしたがい、真家全体が超常現象のように揺れ始め、せっかく積み上げた本や棚の小物たちが一斉に落下を始め嫌な予感に包まれる。

 

 これほどの揺れ、出窓に置かれていた魔女が大事にしている頭も無事では済まない。

 あれを壊してはいけないという使命感に苛まれ窓を見れば、案の定ゆらゆらと動きあっという間に床のほうへと落ちようとしているではないか。


 窓の外の脅威から身を隠そうとも、自分の身が危ないと思うよりも先、とっさに体が動きその頭を守ろうと動いてしまっていた。


 どうしてだかは、今もわからない。

 魔女に助けられたから? 魔女に恩を感じているから? 魔女に呪いをかけられたからだろうか。……それとも魔女に……好意を抱いているから?


 だが、あの頭が無くなればきっと魔女は怒り狂うか、涙を流すに違いない。

 それだけは、させたくないとそう思い込んでしまっていたのだ。


 気が付いた時には出窓の近くにより、落ちかけていた頭を守ろうと落下先に手を伸ばす。しかし、同時に大きく家ごと揺れ、バランスを崩した俺は床に前のめりに突っ伏してしまった。鼻先が熱く痛み、もしかしたら出血しているかもしれないと冷静に考えながらも顔を起こすと、目の前には落下してきていた頭と伸ばしたままの俺の手が視界に入る。


 そして、ちょうど頭の落ちてくる場所、底には俺の指先が伸びていて……魔女しか触れたことがなかった頭に手が触れた瞬間、覚えのない映像が頭の中でフラッシュバックした。


      *     *     *      


 俺は誰かを守ろうとしていた。

 誰かは……わからない。相手は暴力とも、圧力とも……怒りの矛先だったようにも思える。

 ただ、これだけは分かった。


 俺は、その誰かを好ましく感じていた。

 好きだとか、愛しているという話に限りなく近い感情を覚えていた。


 周りには操られていると言われていた。ただ、そんなつもりはなく、ただ一緒に居て誰よりも楽しく、誰よりも安心できて、誰よりもうれしく感じる。助けられて、見惚れて一方的について行こうと思ってしまうほど、その相手は俺にとって特別だと感じていたのだ。


 一生一緒にはいられなかったかもしれない。一分一秒を。共にではなくとも同じように生きられている時間に感謝をしていた。


 ただ、俺はずっと思っていたのだ。

 最後まで俺にやさしくしてくれた誰かが、俺を悲しい目で見続けている。それが……寂しくて……。

 俺は……ただ……


      *     *     *      


「ぐぅ、あ……いつつっ……」


 背中に当たる固い感触で、俺の意識は現実に引き戻される。ゴゴゴゴという何か大きなものが近づいてくる音と、部屋の中の物が揺れ動くカタカタという音の中、痛む体に混乱してしまう。

 ――ここは、魔女の家。今、のは……?

 現実に戻ると、俺は俺ではないだが、確かに別の誰かの記憶を見ていたとはっきりと思い出し、痛みと共に意識が自分の元へと帰ってきてくれる。


 明らかに別の誰かの……。


 ふと、俺は小脇に何かを抱えて天井を見上げていることに気が付いた。

 頭だけを動かして小脇に抱えていたものを見ると、魔女が後生大事にしていた頭が、まるでボールのように俺の腕の中に納まり、俺のことを見上げていて多少の恐怖と、納得感が俺の中に満たされていく。


「なるほど、お前は誰かを守ろうとして死んじまったんだな」

 

 そうか、もともとのこの頭だった誰かは、彼女を守ろうとしていただけだったなのかもしれない。

 自分にやさしくしてくれた彼女を守るために。

 ふと、死んでしまった相手のことを想い、村で魔物に襲われて死んでしまった彼女――妻のことを思い出す。


「ごめんなさい、か……もっと早く分かってればよかった」


 そうすれば、こんな森と沼地のど真ん中にあるごちゃごちゃしてきたない家なんかに来ようとすら主無かったのに。死ぬ間際まで俺の妻でいてくれた彼女と思い至らなかった自分の馬鹿さ加減に苦笑して、涙がこぼれる。


「悲しませるつもりはなかったか。そうだな、俺の妻もそうだったのかもしれないな……俺もそうしなければいけなかったかもなあ……」


 そう思いながらも頬の上に涙が流れていき、あきらめた声が天井で跳ね返った。

 当然だ、だって――。

 現実に戻った俺は、自分の降り注ぐ窓ガラスの雨を、見下ろすことしかできなかったのだから。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ