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 魔女にリハビリをさせられるようになってから、さらにまた月日が経っていた。

 リハビリにおかげか、それとも魔女が何かしたのか。体の調子は村に居た時よりもずいぶんと良くなり、日常生活を送る上では十分すぎるほど動けるようになっていた。


 体力づくりと動作確認のリハビリをする日々に余裕が出てくると、覚えなくてもいい好奇心が芽生え、安全だと思われる家の周りを散策するようになり、あちこちを見ていて、改めて魔女の住む沼地が異常なもので溢れかえっていることに気が付いた。


 不可思議で安全を保障されたものには好奇心が働くのが人間の悪いところだ。

 入り口にある喋るランタンや、山のように積まれている言語の分からない本。光る沼地に魔女の家がある周辺にはなぜか入ってこない魔物。どうやって形を維持しているのかわからない家も何もかもが目新しい世界だった。


 何よりも気になっていたのは、沼地の腐臭を隠すためなのか、家の中に常時漂っているこの不思議な甘い香り。

 甘い香りには男女の仲を深める働きがあると、旅の商人から聞いた事があるが……。

 すぐにかぶりを振ってあの魔女に限ってそれはないと否定した。


 あの口の悪い男っ気のない魔女に限って、相手に興味があるとは問うて思えない。もとよりただの臭いけしであろう。


 ただ気になるものは気になるのが好奇心であり人間だ。臭いの下を辿っていくと、魔女は部屋の臭いを嗅ぎまわっている俺に気が付いたのか「はっ」と鼻で笑うのが聞こえた。


「何だ臭いなんて嗅ぎまわりやがって。お前は新しい家に来たリャーディ――猫人のまねか?」

「いや、この家ずっと甘い匂いがするからさ……。それがずっと気になってて」


 そう口にすると「そうか!」と言って魔女はソファの上で胡坐をかき、にやりと笑ってソファの脇にあるテーブルとは逆にある積まれていた本の山から一冊の本を手に取った。


 意味も分からずに見つめていると、魔女は俺の顔を見て得意げに本を片手に持って座ってみせる。

 ふふんと鼻高々に見下ろされなんとなく腹が立った。


「この匂いが気になるか? 良いだろう、賢明な俺様が好奇心旺盛な愚図野郎に学を授けよう」

「そりゃどうもありがたいことで」


 あまりに横暴な態度だったのでいやみは言いはしたが、やはり気になるものは気になる。この魔女がわざわざ教えてくれるというのは珍しい事だったので素直に聞く姿勢をとると、魔女はページをめくる音を出しながら何かを探し始める。


「不自然に甘ったるい臭いの正体は"ワリッセ"って言ってな。はるか昔にはカボチャと呼ばれていた野菜を煮詰めて溶かして香料にした匂いさ」

「野菜なのに甘い臭いがするのか」

「ああ。ここらへんじゃちっけえ芋しか掘れないから、馴染みはねえだろうが、野菜って言っても甘いものはいくらでもある。それこそ果物みたいに甘い作物だって場所によっては作られてる」


 そう言って魔女が開いた本の頁を見せびらかしてくる。

 開かれたページには不自然に変な形をした球体が描かれていて、縦線のような筋が入っている不思議な形をした野菜だった。


 不思議とそのワリッセ――、カボチャのことを話す魔女はどこか嬉しそうにも見えて、このにおいがカボチャの物だと理解するのと同時に、どうして彼女の家でそんな物の臭いがするのかと疑問が浮かんだ。


 素直に疑問を口にすると、嬉しそうだった魔女の顔が曇り、「あー」とばつが悪そうにしていた。


「その……なんだ。俺はここの匂いが好きだった。沼地のカビた臭いとか、カビの生えたチーズの特有の臭いとかな? しばらく人里から離れてて、この辺の空気に慣れちまってよ。ただ、お前がここに居座るっていうんだ。その……たまには……空気の入れ替えみたいな、それだよ。ほれ、沼の臭い余暇マシだろう」


 恥ずかしそうにそう言って、魔女は奥の方にお茶を淹れに戻って行ってしまった。

 正直臭いの感想だけを言えば、腐った臭いに甘い臭いは鼻をつく組み合わせでしかないのだが、魔女が誰かに配慮をしようとする姿には素直に驚いた。


 村では散々人を殺して貪り食う化け物と呼ばれていたり、代わらない人の姿で過ごし続けている魔物だと噂をされているのが嘘みたいではないか。


 ふと、そんな配慮をした魔女が、この魔物しか住んでいないような沼地の中に住む理由や、ここに一人で住む理由が思い当たらず、奇妙に思ってしまう。


 実はここ数日、故郷の村のことが気がかりになったり、彼女のことを思い出すたび魔女からは悩みがあるだろうと声をかけられ、聞き流してこそいたが俺の話に耳を傾け、バカバカしいと罵ったり、新しい興味の対象をそれとなく突き付けてきたのは彼女の誘導によるもの。

 妻が居なくなってから、気が楽になったのは間違いなく彼女のおかげだ。


 なのに、彼女は一人でこの沼地に居るのが慣れたというではないか。

 ほんの少しだけ、彼女に興味がわいた。


 なにか手掛かりはないかと部屋の中を見回す。

 うずたかく積もれた本や棚はいつも通りなのだが、棚に置かれている不思議な色をした水が入っている小瓶や動物の骨らしき物……今までは目を向けていなかったが、ここ数日で余裕が出て奇妙で君の割りインテリアが目に入るようになる。


 彼女の性格を考えれば、貴重なものがそこに置かれていたとしてもおかしくはない。

 だが、室内の方ばかりを見ていても何か見つかるわけでもなく、自分が掃除しろと言われていた場所ばかりで何かあった覚えもない。


 ということは、俺がいつも見ていない、掃除もするなと言いつけられているソファ横の窓のあたりだろうか。


 彼女の見つめていた先、窓際のすぐそばには球体にも見える何かが逆光で影になって、窓の出窓のような場所に何か置かれていた。

 いったい何なのだろうとそれを見つめていると、球体の正体に気が付いて眉をひそめる。


 そこには頭があったのだ。


 骨などではなく、肉の残ったそれは、まさに誰かの頭部であり誰かの模型というにはそれはあまりに人間の形に精巧に作られ過ぎていた。


 まるで、今すぐそこで数多だけを切り取られ生きたままそこに飾られているかのように綺麗な見た目の人間の頭。


 新品の蝋燭のように白い髪の毛に、人形のように白い肌はよくよく見れば人間の生きた肌のそれだ。

 それに見入られるように近づいてしまい、魔女が言っていた甘い臭いがかすかにその頭部周辺から強くする、と言うことは魔女が作った香料がこの周辺にあるということだ。


 その人間の顔はやけに整っていて、それが余計にオブジェ感を増してこそいる。だが。間違いなく人の頭だった。


 人間の頭をここまで精巧に残せるのだろうかとそれに見入っていると「気になるか」と声が聞こえた。


 それは奥からコップのような何かを持ってきた魔女の声だった。

「これは……?」


 驚いた声が出て、それを聞いた魔女はつまらなそうに俺を避けるといつものようにソファに腰かけ、俺の腹を殴った。


「別に大したもんじゃねえよ。俺に惚れた第一号ってところだ。お前も聞いたことがあるだろう? 魔女に惚れた男はそうして頭だけになって飾られてるってな」


 耳を疑った。

 彼女に惚れる?

 どんな気の狂った男だったのだろうかと思わず考えてしまった。


「おい、あんまり調子に乗ってこいつに無礼なことを考えるんじゃねえぞ」


 コトリと魔女が飲んでいたコップを机の上に置いてこちらをギロリと睨んできた。

 考えを読まれたかとドキッとしてしまったが、そんなわけもない。慌てて首を振ると「ふん」と鼻を鳴らして再び窓の外へ視線を戻した。

 

「俺様が気まぐれで助けてやった木偶の坊のくせしてその男を気安く罵倒するんじゃねえよ。そいつを罵倒していいのは俺様だけだ」


 彼女はそれだけを言って、まるでここに立っている俺に興味がなくなったかのようにコップに口をつけた。


 魔女の今までとは違う態度でつい気になってしまい、視線が頭に誘導される。

 耐えがたい腐敗臭がするにはするが、よほど入念に手入れをしているのか。はたまた魔女の霊薬とやらを使ったのか。気になるほどの醜悪な臭いが強烈にするというわけでもない。


 それどころか 自分の鼻も魔女の匂いに侵されて変になってしまったかと錯覚するほど、甘いかぼちゃの匂いに比べれば幾段もましとすら思える。


 もしかしてと思い窓際に置いてある頭と、ソファに腰かけている魔女を交互に見てみる。すると、この家に来てから何度目かの不思議な違和感のような物を覚えた。


 別段気にするほどの違和感ではない。それどころか俺が気にするのも変な話なのかもしれない。

 だが、その頭を見ていて感じたこと。


 その男性の頭もまた、ずっと彼女のことを見つめているような気がしたのだ。

 まるで、この家に住んでいる彼女を観察するかのように。じっと……じっと魔女を見つめているのだ。


 その違和感に気が付くと、もう気にせずにはいられなかった。

 先ほどまで何も変わらない表情に見えていた人の頭が魔女のことを特定の表情でみつづけているようにしか見えなくなってきてしまったのだ。


 ああ、俺はおかしくなってしまったのだろうか。


 じっと魔女を見続けている彼の表情は……、どこか寂しげであった。




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