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魔女の家は簡素な家だったが、不思議なものにあふれていた。
緑色に光る沼の小高い丘上で、かろうじて積まれた土台の上に石を積んで出来上がった壁の家が建ち、不自然に曲がりくねった奇妙な形の屋根には瓦がくっつくようにして貼られ、強いて言えば家、と言った様相を醸し出していた。
魔女と言えど沼地の水に濡れるのは避けたいのか、沼になっていない場所には木造の橋が架かり、それがいくつもあるので、この沼地の中では非常に目立つのだ。
森から見て魔女の家に通じる橋の手前には、天井からつるしてあったのと同じようなランタンが吊るされた棒が置かれ、魔女曰くそいつはおしゃべりが好きなマダムなランタンなんだだそうだ。
見た目だけなら神秘的に見えないこともなかったが、これでは肥溜めのほうがましだろうという臭いが沼地には充満し、嫌な顔をせずに突っ立っているのは無理であろうと断言できるほどだ。
では、沼地の臭いを避けようと魔女の家の中に入れば、室内はごちゃごちゃと放り出したかのように物があふれ、かろうじて寝室と行き来できる足の踏み場が用意されているだけ。
動物革の装丁をした本の山や、青みがかった黒い色の木材で作られた不格好なテーブル。魔女のお気に入りなのか、これだけはふかふかとした不思議なソファがでんと本棚の前に置かれ、ただでさえ狭く感じる室内が異常に狭く感じさせられる。
俺は数日、そんな奇妙な家に滞在することをなぜか許されていた。
帰れと言った割には俺が起きた倉庫のような狭さの部屋が寝室だーなり、ここに居座るのならお前の部屋の道具で掃除しろなり、とにかく行ってることがめちゃくちゃで、口では帰れというのに一向に俺を追い出そうとはしない。
掃除をしろと言われ、俺が起きた部屋に戻ると起きた時には気付かなかった掃除道具がわんさか置かれ、変な虫が湧いていそうな室内にやけに目立つ新品のベッド。曲がった木のバケツに箒や雑巾が置かれていた。
数日間、魔女が言うには動くためのリハビリという掃除に突き合わされながらも、興味深い話を何度もされた。
表に居る喋るランタンは自分が作り出したとか、魔法は誰にでも扱えるものではなく、魔女や俺たちのような人間は、魔法を使えるとしても基本は同じ種類の魔法しか使えないという。
何よりも驚いたのは、この"沼地の魔女"と呼ばれる魔女は確かに珍しい魔法は扱えるが、魔法に死人を生き返らせる力など存在しないし、彼女は厳密では魔女でないらしい。
俺が村で聞いた話とは……ずいぶん違う話だった。
「聞いた話と違うって? ああ、そりゃああれだな。魔女の霊薬のせいだろ」
いつも通り、彼女は俺が本や獣臭い絨毯。本棚やティーセットなどが詰まっている棚がひしめき合っているせまっ苦しい部屋で運動させられるのを見ながら、魔女は優雅に窓の外が見れるソファに座ってお茶を飲んでいた。
俺が掃除をする手を止め、彼女の方を向いて胡坐をかくと魔女は嫌そうにそっぽを向いたが気にせず話しかける。
「魔女の霊薬って?」
「魔女の霊薬は霊薬さね。脳無しの変態愚図野郎でも聞いたことあるだろ?」
「ないわけじゃないし、すごい薬っていうのは分かる。だが、詳しい話は聞いたことがない。どんな薬なんだ?」
「そうだなあ……。あらゆる不調を瞬時に治し、本来なら長くても五十年ちっとの人間の寿命を最大で百くらいまで延長することが出来る魔女の秘薬中の秘薬……。本当かどうかはさておき、人間に使いにはもったいないほどの薬なのは間違いないねえ」
彼女の話を聞いてさらに驚愕した。
人間の寿命がそれほどしかないという事にも驚いたし、それを倍にすることが出来る薬があるなんて夢にも思わなかったからだ。
魔女は「ふん」というとお茶に口をつけて窓の方へと視線を移した。
「大方、それを偶然手に入れたっていう馬鹿野郎が普通よりも長く生きて、それを不死の霊薬と思って不死身の魔法が使えるとでも吹聴したんだろう」
「そんな……。それじゃあ俺がここに来たのは……」
「無駄足ってこった。さっさと治して村に帰るのが一番さ。そんな不死身の薬があるんなら、俺様が使ってるって話だしな」
彼女が生き返らせる方法がないと説明され、がっかりするのと同時に安堵もしてしまった。
もし本当に彼女がよみがえってきたらなんと言われるのか、それが不安で仕方がなかったからだ。
俺に価値があると散々もてはやして最後には守ることすら出来ず、挙句の果てにこんな場所にまで来て命を捨てるようなことをした俺になんて言葉をかけられるのだろうか。
それを想像するだけで震えが止まらなくなる。
それが無くなり安堵してしまいながらも魔女を見ると、魔女は窓の外を見ていて、その目が遠い物を見ている気がして親近感がわいてしまったのだ。
だから、だろうか。
つい、魔女の過去のことが気になってしまい、
「魔女もそんな無駄足を踏んだことがあるのか?」
などと聞いてしまった。
「は? ……どうしてそう思った」
「ずいぶんと遠い目をしていた気がして……。そんな目をした人間は村で見たことがなかった」
「はっ、俺様は魔女だぞ? 人間じゃないさ。――さあな、ずいぶん昔にそういうやつを見たってだけだよ」
前半は茶化すように言った後、後半はどこか遠い昔を思い出すようにかみしめながら口にしていた。そう、感じてしまった。
こんな口悪い魔女がそんな顔をするほどの相手。それはいったい誰のことを言っているのだろうか。
彼女のが言う昔がどれほど前のことなのかは俺には想像できなかったが……。
覚えてしまった親近感はさらに強くなってしまっていた。