正義の味方は遅れて登場する
俺は、周りのざわめきによって意識を取り戻した。時計を見ると、いつの間にか昼休みになっていた。
そういえば、一時限目の数学の途中から記憶がない。ってことは寝てたのか。
何か作為的なものを感じるが、学校でこんなに寝たのは初めてだ。やはり朝が早すぎたようだな。
ってか誰か起こしてくれてもいいだろう。冷たい奴らだ。
と、教室の出入り口からけたたましい音が聞こえてきた。思わず顔を向けると、そこには両手に小さな包みを持った恵里が、何かを探しているように、目をきょろきょろさせて立っている。
どうやら、ものすごい勢いで教室のドアをスライドさせたらしい。他のクラスメートたちの目も、教室の出入り口に向けられたまま固定されていた。
今は関わらない方がいいと悟った俺は、慌てて顔を伏せようとしたが、時すでに遅し。目がばっちりと合ってしまった。
「ヒロちゃん、一緒にご飯食べよー」
目が合った瞬間、にこっと笑い、学校中に響きそうなほど大きな声で、そう叫んだ。そして、机の間を縫って、俺の席に向かって歩いてくる。
普通順番逆だろ。席の近くに来てから言えばいいものを……。
顔を引きつらせながら、決して相手に伝わらない脳内苦情を垂れる。そこへ、俺の机の前に、ずんと緒川が仁王立ちした。まるで、俺と恵里を遮断しているようだ。顔は恵里に向けられている。そして、さすがお嬢様と言うべきか、なかなかに威厳のある声でこう言った。
「田中恵里さん。少しお話がありますので、私もご一緒させてもらっていいですか?」
教室中は愚か、たまたま廊下に居合わせた奴らの好奇の目が、全て俺たち三人に向けられていたのは言うまでもない。
恵里は、渋い顔をしながら了承している。
何だか嫌な予感がしてきた……。
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現在、中庭の芝生の上にて、三人が向かい合うように座っている。もともとここで食べる予定だったのか、恵里が結構な大きさのレジャーシートを持ってきていたので、制服の汚れは気にする必要はない。
「はい、ヒロちゃん」
「おぅ、サンキュ」
恵里から弁当を受け取る。俺の分も作っておいてくれたそうだ。素直に嬉しい。口には出さないないけどな。
「…………」
無言の緒川は、細い目をして弁当を見た後、恵里の方を見た。しかも、なんと同時に、恵里も緒川の方を向いた。そして、二人は見つめ合ったまま固まっている。
二人の間で、火花が散ったように見えた。居ずらいことこの上ない。
ちなみに、浩二はどうしたのかというと、俺の机の前で恵里と緒川が向かい合っているのを見て、そそくさと立ち去っていった。本当に薄情な奴だ。
一分ほど経っただろうか、二人はお互いに目線を外し、何もなかったかのように自分たちの弁当を取り出した。
俺も二人に倣って弁当の包みを解く。そこで俺は、飯を食べるのに欠かせない、あるものがないことに気づいた。そう、箸がないのだ。
「なぁ恵里、箸がないんだけど」
特に問い質す訳でもなく、軽い口調で尋ねる。
すると恵里は、わざとらしく、えっ?っと、驚いたフリをしてこう言った。
「入れ忘れちゃったみたい。ごめんね?」
どことなく目が笑っているように見えるのは気のせいだろうか。しかし、例えわざとだとして、特にメリットはないと思うのだが、一体どういうつもりだ?
まぁ、それはともかく、食堂にでも行って割り箸もらってくるか。
「ちょっと食堂で割り箸もらってくる」
「ちょっと待って!そんなことしてたら時間掛かっちゃうでしょ」
立ち上がろうとしたのだが、見事に止められてしまった。
時間が掛かると言っても、箸がないと飯が食えないんだから仕方がない。つうか今更言っても無駄だが、恵里がしっかりと確認してくれれば良かったんではないだろうか。とにかく、取りに行く以外選択肢はないのだ。
「いや、箸なかったら飯食えねぇし」
「ご心配なく。私があ〜んってしてあげるから」
そう言った恵里の顔は満面の笑みだ。こうして見ると、学年一の美少女だという噂にも頷ける。端から見たら、その美少女に食べさせて貰えるというのは、至上の幸福なんだろう。
しかし、俺からしてみたら、羞恥プレイ以外の何物でもない。まして、こんな開放的な空間で、みんなが容易く視界におさめることができるような場所で、そんなことが出来るはずがない。
困った。どうやってこの場を切り抜けよう……。
「それには及びません!」
と、そこに救世主、天下の緒川財閥のお嬢様、緒川流美の登場だ。
誠に失礼ながら、正直、存在を忘れかけていた。
「私のお箸を使って下さい」
そう言うと救世主は、にこっと笑って(天使の微笑み)自分の箸を差し出した。
「でも、それだとお前が食えなくなるだろ?」
気遣いは有り難いのだが、それで自分だけ食べるってのは気が引ける。
「いえ、大丈夫です。私には予備がありますので」
そう言ってにっこりしながら取り出したのは、2本の鉛筆だ。それも、まだ削られていない真新しいやつだ。
「それ、鉛筆……」
俺は、なるべく緒川を傷つけないよう
に、あくまで穏やかに指摘した。突然のことでうまく舌が回らなかったが。
言われた緒川は、みるみる顔を赤くして、慌てて鉛筆をしまった。そして、10秒ほどカバンをごそごそと探ると、今度は正真正銘の箸を取り出し、俺の眼前、しかもとても顔の近くに突き出した。
使われている木の木目だとか、艶の良さだとかがよく見える。専門家じゃないので良し悪しの区別は出来ないが、おそらく上等なものだろう。
「こっ、これです」
すごい恥ずかしがっているみたいだが、傷ついた様子はないので一安心だ。
しかし、ある意味和やかなこの空気を断ち切る雷鳴のような舌打ちが、緒川とは反対側から聞こえてきた。
軽く深呼吸をして自分を落ち着けようとしている様子から見て、幸いなことに、緒川には聞こえていないみたいだ。
「ありがとな。はははは……」
俺の乾いた笑い声が、中庭によく響いた。