時と場合を考えよう
ガンッガンッ!
「ん゛〜〜」
「しぶといわね……」
ガンッガンッガンッガンッ!!
「あぁもう!うるせぇよ!!」
朝。俺は目覚まし時計よりも強力な騒音で目が覚めた。布団を蹴っ飛ばしながらだ。
「あっ!おはようヒロちゃん」
「おはようじゃねぇよ!ってなんで恵里がここにいるんだ!?」
そこにはにっこり笑った、しかし目は悪意に満ちている恵里がいた。なぜかフライパンとおたまを持っている。
「なんでって、覚えてないの……?昨日あんなことしたくせに……」
おたまを恥ずかしそうに口元に持っていき、視線を俺からそらしながら顔を赤くしてそう言った。
「あっ、あんなことって!どんな、こっ、ことだよ!?」
迂闊にも俺は狼狽えてしまった。
でもあんな風に言われれば仕方ないよな?誰でも狼狽えるよな!?
「そんなこと、女の子の口から言わせるの……?」
今度は目を潤ませながら見つめてくる。尚も顔を赤くしながらだ。
ちょっ!なにこれ?なにこれ!?訳わかんねぇよ!!俺が何したってんだよ!!やべぇ、記憶がねぇ……。何故か昨日の記憶がねぇ!
「……ぷっ」
俺が脇目も振らず思考の海へと飛び込もうとしていると、恵里から吹き出す音が聞こえたような気がした。
「……ふふっ」
今度は確実に笑い声が聞こえた。
考えるのを止めてふと恵里を見ると、目が合った。口の端がひくついていて目が笑っているというなんとも滑稽な顔をしている。一体何なんだ?
「もぅ、限界……、アハハハハッ」
次の瞬間、恵里はそう言って笑い出した。
……わけわからん。なんで笑ってるんだ?
「ふふっ、まさかヒロちゃん、私の言ったこと本気にしてないよね?」
寝起きの為もあるが、頭がついていかない……。
「はっ!まさか……」
「そのまさかよ。私がそんなことをするわけないじゃない」
してやったりみたいな顔をしながらにやついている。
え?何?じゃあさっき言ってたの全部うそ?はぁ、焦った……。ったく、朝から疲れちまったじゃあねぇか!……ってあれ?
「じゃあ何でここにいるんだ?」
「浩二に合い鍵貸してもらったの」
恵里は制服のポケットから鍵を取り出し、チャラチャラと見せびらかしながらそう言った。
ってかこいつもう制服に着替えてやがる!なんて奴だ、侮れない……。ってそんなことはどうでもいい!
「それは浩二をしめるとしてここにいる理由を聞いてんだよ!」
「やだなぁ。夫を起こすのは妻の仕事でしょ?」
俺が少し強い口調で言ったにも関わらず、冗談なのか顔をほんのりと赤く染めてもじもじしながら上目使いでそう言った。
何だその反応は。ってかいつから夫婦になった。婚姻届けは出してないぞ。
「本当の理由は?」
さっきのことは完全にスルーの方向で、いつもの調子でそう言うと、恵里の背後から不機嫌オーラが漂ってきた。そして次の瞬間。
「私に何にも言わずに勝手に帰ったからでしょ!」
少し強い口調で勢いよく放たれた恵里の声は寝起きの俺の頭にがんがん響いた。
あ゛〜、頭痛てぇ。朝から元気ハツラツかよ……。もう少し小さい声でしゃべってくれ。
「ってかそれだけかよ」
「そんな言い方ないでしょ?挨拶なしじゃ寂しいじゃない……」
先程とは打って変わって、拗ねたようないつもと違う恵里をみた。
「……それは悪かったな」
やっぱり挨拶はするべきだな、うん。今度からしっかりしよう。
「わっ、わかればいいのよ。ご飯作ったから早く降りてきてよね!」
いつの間にかいつもの元気を取り戻した恵里は、勢いよく部屋を飛び出していった。
「……着替えるかな」
恵里が勢いよく部屋から飛び出していった後、俺はベッドから降り、着替えるために制服を用意する。
ってかなんか眠いな、今何時だ?
充電器に差してある携帯電話を手にとり時間を確認すると、七時九分だった。
「早いだろ!」
思わず一人しかいない部屋の中で叫んでしまった。狭い部屋に自分の声が響く。何となく寂しい気持ちになってしまった。
しかし、こんな早い時間に起きたのは何年ぶりだろう……。おっと、感慨にふけっている場合じゃねぇ。早く行かねぇとまた何が起こるかわからないからな。
身の危険を感じた俺は瞬時に制服に着替え、廊下に出てリビングに向かう。すると、廊下の奥から何とも言えないいい匂いが漂ってきた。
……ん?この匂い、もしや……。
「ヒロちゃん遅い!ハンバーグ冷めちゃうでしょ?」
予感的中!すげぇぜ俺!ってそんなこと思ってる場合じゃねぇ!どうすんだ?これ。なんで朝からハンバーグなんだ?
「昨日準備しすぎちゃって挽き肉余っちゃったんだ」
恵里は恥ずかしそうに笑いながら俺の考えを読み取ったような的確な返答をした。
「いやいやいや、朝からこれはきついだろ……」
「えっ、嫌だった……?昨日おいしそうに食べてたからつい……。今何か作るから待ってて……」
俺はさぞかしげんなりとした顔をしていたのだろう。俯いた恵里の顔はかなり落ち込んでいるようだ。
おいおい、そんな悲しそうな顔されたら食べないわけにはいかないだろ?
「いや、恵里の作ったもんならなんでもいいよ。だからそんな顔すんな」
驚いたことに、知らずのうちに普段出したこと無いような優しい声が出た。
「あっ、うん!……ありがとう」
俯けていた顔をこっちに向けた恵里は、薄く頬を染めて嬉しそうにそう言った。
「今日の恵里は素直だな。いつもそうなら可愛いのに」
「大きなお世話よ!」
「冗談だって。いつも可愛いもんな」
「そっ、そんなこと言っても無駄なんだからね!」
顔を真っ赤にして怒っている。いつもの迫力がないところを見れば、本気で怒っているわけではないようだ。
一応言っておくが、俺が言ったことは冗談でもなんでもない。俺の本当の気持ちだ。恵里は、そこいらの女子では、比べ者にならないくらい可愛い。芸能界でも通用するんではないだろうか。
実際、何度も告白されていると風の噂で聞いたことがある。恵里自身から聞いたことはないのだが。しかし、全部断っているみたいだ。なんでも好きな人がいるらしい。俺だという噂も聞いたのだが、いつも一緒にいるとこを見たどっかのバカが流したのだろう。今度聞いてみようかな……。
っとそれはともかく、さっきから何かが足りない気がする……。まるで、眉毛を剃り落とした人と出会ったときのような感じだ。体験したことは無いんだけどさ。ん゛〜……あっ、浩二がいないんだ。
「そういえば浩二は?」
「まだ寝てたからほって来たのよ」
「……へぇ」
恵里はまるで、当たり前だと言うような軽いのりで言った。
まぁ、恵里らしいと言えば恵里らしいのか?よくわからないが悪びれている様子の全く無い清々しい顔をしている。
その後は二人とも黙々と朝飯を食べ続け、食べ終わると特に何もすることもないので直ぐに家から出た。
家を出た後、俺たちはまたも黙々と、学校に向けて歩いていた。すると、普段と比べて上機嫌な恵里が話しかけてきた。
「ヒロちゃんと登校するの久しぶりだね」
「そういやそうだな」
こんなに早く登校するのはすごい久しぶりだ。空気が気持ちいい。
「これから毎日一緒に行こうよ」
「それ本気?」
何を血迷ったのか、恵里が名案とばかりにそう提案した。朝が弱い俺にしてみれば名案ではない。言わば駄案だ。
「いや……?」
さっきまでの上機嫌は何処に行ったのやら。急にテンションの下がった恵里は、訴えかけるような目で俺を見てくる。
「時間がちょっと……」
「それなら大丈夫!」
俺が言いにくそうにしている雰囲気を醸し出して答えると、余程いい打開策があるのか自信満々な顔で言い切った。
何が大丈夫なんだ?頼むから変なことは考えないでくれよ。
「私が毎朝起こしてあげる」
何がおかしいのか、満面の笑みでそう言い放った後、ふふっと笑った。
来たよ。ホント碌なこと考えねぇよな。っていうか早く起きれないんじゃなくて早く起きたくないんだけど。眠いから。
「朝ご飯も作ってあげるから」
相変わらずのハイテンションでそう付け加えた。
「いや、それはさすがに悪いし」
「私がしたくて言ってるの!いいでしょ?」
「……はい」
結局は恵里の思い通りになるのだ。甚だしいことに。まぁ予想はしてたけどさ。酷いと思わないか?拒否権無しだなんて。みんなはちゃんと人のことを思いやれるような優しい人になってくれよな。今、切に願う。
そのあとも、恵里がいろいろと一方的に話しかけてきたので、俺はあぁとかへぇとか適当な相槌を打っていた。数分間そんな感じで歩いていると、後ろから聞きなれた声がした。
「ちょっと待ってよー」
後ろを見ると、浩二が全速力で走って来ているのが見えた。
「はぁはぁ、やっと追いついた……。ひどいな二人とも!何で置いていくんだよ!」
途中から早足になった浩二は、息を整えながら横に並び、話しかけてきた。
「ぐっすり寝てたから起こしちゃ悪いと思ったのよ」
浩二の方を向かずに、全く感情のこもっていない冷たい声で言い放った。
いつも合っていながら恐ろしいな……。俺はこんな奴といつも話していたのか……。
「いつもは叩き起こしてるのに!?」
浩二にしては珍しく、興奮気味に言い返している。
「今日は今日よ」
恵里は尚も冷たいオーラを放ちながら淡々と話している。
浩二、お前にはこの黒いオーラが見えないというのか?これ以上けち付けるとどうなるかわからないぞ……!!
「もういいだろ?道端で喧嘩すんなよ」
いつまでも続きそうな雰囲気なので、面倒だが止めてやった。さらに面倒なことになったら困るんでな。
「今度からは置いていかないでよ!」
「はいはい」
浩二が最後に念を押すように言ったのだが、恵里は適当にあしらっているようだ。
「なんだよその言い方は!」
「一人でもいいでしょ!子供じゃないんだし」
「そういうことじゃねぇよ!」
それによって二人のバトルが激化した。浩二なんていつの間にか口調が変わっている。
「もうやめろ!見られてるだろうが!」
人とすれ違う度に感じる視線が痛い。二人は笑って誤魔化している様子だ。
結局被害を被るのは俺か。まぁわかってたけど。少しは人のことを思いやれるような優しい人になってほしい。今、切に願う。……これ二回目か。まぁいいや。
俺は二人を置いてさっさと先を歩いていった。二人はちゃんと後からついて来ているようだった。