男は引き際が肝心だ
少し経ってから俺は飯を食い終わった。
浩さんと芳恵さんは先に食べ終わっていて、浩さんはテレビをつけてその前のソファにどかっと腰をおろしてテレビを見ている。芳恵さんは自分と浩さんの分の食器を洗っている。
恵里と浩二は大人しくなり、二人とも無言で箸を動かしている。
俺は席を立ち、自分の分の食器を流し台へと持っていき、ちょうど芳恵さんの隣に立ったときお礼を言った。
「今日もありがとうございました」
「気にしないで。毎日来てもいいのよ?」
芳恵さんはそう言いながら輝かしい笑みを浮かべる。
そんな美しい笑みを浮かべるあなたは一体何者ですか!?
内心そんなことを考えているとは顔に出さず普通に受け答えをする。
「さすがにそれは申し訳ないです」
「恵里はどう思う?」
俺の返答に少し考えた素振りを見せた後、何故か恵里に話を振った。
「私はどっちでもいいかな……、出来れば来てほしいけど」
ちゃっかりと盗み聞きをしていたのか、自然と会話に入ってきた。芳恵さんもそれをわかっていて話を振ったのだろう。最後の方が聞き取れなかったが、様子からして嫌ではないようだ。もし嫌なら何事かするだろうからな。
「ほら、恵里もこう言ってるし」
「僕には聞かないんだね」
「それに私たちは家族と思ってるんだから」
またあの小悪魔的な笑みを出して綺麗に浩二をスルーする芳恵さんはやはりあなどれない。
「そうだぞ!どうせなら恵里と結婚して本当の家族にならないか?ハッハッハ」
こっちでもちゃっかりと話を盗み聞きしていた人が相変わらずの大声でとんでもないことを口走った。
「もう!私たちはそんな関係じゃないの!ねぇ?ヒロちゃん」
恵里は一気に顔を赤く染めあげた後、恥ずかしそうに話を振ってきた。
「その通りだな」
そういうと恵里は、少し残念そうな顔をしながら自分の食器を流し台へ持っていった。
「でも、ヒロと兄弟って兄でも弟でも嫌だな……」
恵里の真意が掴めないでいると、先程まで何事か考えていた様子の浩二が感慨深げに言ってきた。
「なんでだよ」
「兄だったらこき使われそうだし、弟だったら刃向かわれそう」
どんな想像をしているのか知らないが、顔は少し青ざめていて、目線は定まっていない。
「お前失礼だな。俺をなんだと思ってんだ!」
「自分主義の迷惑なやつ?」
コンマ一秒も空けずに、馬鹿にしたような顔をして即答しやがった。
もしや今までこれを考えていたのだろうか。だとしたらいつかの機会に制裁をくだすとしよう。
「どうする?ヒロちゃん」
浩二が黙ると、待っていたかのように芳恵さんが話し掛けてきた。
「ならお願いします」
「恵里も喜んでるわ」
そう言うと、お得意のあの笑みを浮かべて恵里を見た。
「そんな訳ないでしょ!お風呂入ってくるから……、覗かないでよね!」
何故か俺を睨みながら、芳恵さんの視線から逃れるようにリビングから出ていった。
ってか覗くわけないだろ。
「一緒に入って来たら?」
恵里の足音が聞こえなくなるタイミングを見計らって芳恵さんが口を開いた。
ってか何言ってんですかあんたは!
「それはいい考えだ!ハッハッハ」
あんたは自分の娘の心配はしないのか?
時計を見るといつの間にか結構な時間になっていたので帰らせていただく事にした。
「そろそろ帰ります」
「あらそう……、泊まっていってもいいのよ?」
芳恵さんは勧めてくれるが、そこまで世話になるわけには行かない。
ってか着替えも何も持ってきてねぇし。まぁそういう問題じゃないがな。
「いえ、遠慮しときます」
「それは残念、またいらっしゃいね」
「そうだ!また来い!ハッハッハ」
「それじゃまた学校でね」
芳恵さんはにこっと、浩さんは豪快に、浩二は爽やかな、三者三様の笑顔を浮かべて見送ってくれた。
「ありがとうございました。それじゃ、おじゃましました」
そう言って俺は田中家をあとにした。
あっ、そういえば恵里に帰ることを言うの忘れてた……、まぁいいや。後でどうなるかを考えると恐ろしいがな。
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「ふぅ……」
俺は今、街の高台にいる。結構前に見つけて以来、お気に入りの場所になってしまった。
ここから見える景色が俺は好きだ。特に夜が。街の明かりが綺麗に見える。
いつもここに来ると、何をするでも考えるでもなく、ガードレールに座り、ぼーっとこの景色に見入っている。一番心休まる場所に違いない。人も来ないしな。
ちなみに、誰にもここのことは教えていない。いわゆる秘密の場所だ。
ふとケータイを見ると、恵里からメールが来ていた。
『明日は覚悟しなさい!』
……なんだこれは。明日何が起こると言うんだ?まぁ恵里のことだから何かとんでもないことをやらかすに違いない。警戒するに越したことはないな。
例えば、俺の恥ずかしい写真をばらまかれるかもしれない。最悪の場合、招待された夕飯の席に毒を盛られるかもしれない……。ってかそれはもう犯罪だからありえないな。それでも酷いめにあうのは必須か……。明日が憂鬱だ。
時計を見ると、いつの間にか日付が変わっていた。
「そろそろ帰るか」
俺はガードレールから腰を上げ、何故か重たい足を引きずって帰路についた。
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やっとの思いでアパート自分の家の前まで辿り着いた俺は、疲れているのか、鍵に手こずりながらも何とか玄関のドアを開けて入った。
「ただいま……、って誰も居ねぇか」
ここ2、3年の間に独り言が多くなってきた気がする。やっぱり家に一人だからだろうか。まぁ一緒に住む人がいないのだから仕方がない。
本格的に田中家に世話になろうかな。
俺はいつの間にか自分の部屋のベッドの前に立ったいた。そのまま倒れ込むようにしてベッドに横たわる。このまま寝たいのは山々だが、まだ風呂に入っていないことを思い出した。やっぱり風呂に入らないと不衛生だろう。
洗濯機に脱ぎ捨てた制服を投げ入れ、浴室の中に入る。お湯を溜めていなかったので溜めつつ体やら頭やらを洗った。ちょうどいいくらいに溜まってきたところで湯船に浸かった。俺は湯に浸かりながら今日一日の疲れを癒やす。
「はぁ〜、極楽」
ついつい口走ってしまった。後には引けないのでタオルを頭に乗せてみる。浸かっているうちにだんだんと瞼が下がってきた。
「はっ!もう上がるか……」
もう少しで風呂の中で一夜を明かすところだった。風呂から上がりジャージに着替えると、俺は一直線に自分の部屋へと向かい、ベッドにダイブし、そのまま眠りについた。この時にはもう明日起こるであろうことが頭から抜けていた。