『道草を食う』って馬のことらしいよ
果たしてこの世界に、柔らかい午後の陽気に打ち勝てる人間は何人いるのだろうか。しかも春の、である。俺の中での狭義の世界、つまりクラスだが、その世界の中でそれに該当する人間は、どうやら半数にも満たなかったようだ。まぁ、俺もその中の一人なんだが。
斯くして午後の授業及び終わりのショートホームルームを全てすっ飛ばし、現在放課の時間となっているわけだ。
「ずいぶんとよく寝たようだね」
長い間椅子に座ったままの姿勢で固まった体を解すために、立ち上がって伸びをしたり、首や肩、腰を回して骨を鳴らし、少しだけいい気分に浸っていると、横から浩二の声がした。その表情はいつものにやけた顔ではなく、少々呆れ気味だ。
「お前が合い鍵渡すから悪いんだぞ。おかげで朝からひどい目に遭ったんだからな」
軽く睨みながら言うと、肩をすぼめて、ごめん、と言ってきたので、仕方なく許してやった。
つうかさ、いつも思うんだけど、何でちょっと早起きしただけで一日中眠くなるんだろうな。もしかして俺だけ?
「ちょっと、顔しかめて何を考え込んでんのさ」
「いや、何でもない」
いつの間にか深く考え込んでいたようで、浩二に細い目で見られた。それを適当にごまかし、私物を鞄の中に適当に詰め込んで肩に担いだ。
「さっ、帰ろうぜ」
「いや、実は今日ちょっと寄りたいところがあるんだ。先に帰っててよ」
完全に帰宅モードにギアチェンジした俺は、浩二に促したのだが、俺の背後をちらっと見てから苦笑いをして言った。
一瞬、付き合おうとも思ったが、浩二が先に帰れと言うんだから別にいらないんだろう。大人しく先に帰っておくことにしよう。
「そうか。家には来るんだよな?」
「うん、すぐに終わると思うから行くよ」
少し考えた様子を見せてからそう言った。
「わかった、んじゃあな」
「じゃあね」
そのまま俺に背を向けると、教室から出ていってしまった。
それにしても、結局凛とのことを聞けず終いだ。帰り道で聞き出そうと思っていたのに。楽しみが一つ減ったな。もしかすると、寄りたいところってのは嘘で、凛と一瞬に帰るのかもしれないな。まぁいい、あとでじっくりと聞き出してやろう。
そんな無駄な考えをしているうちに、教室に残っている人数は5、6人に減っていた。そろそろ帰ろうと、肩に担いでいた鞄を担ぎ直し、歩き出そうとしたその瞬間、後ろから肩を叩かれた。ゆっくりと後ろを振り向くと、真剣な顔をした緒川が立っている。何か用か、と口を開こうとしたら、意を決したようにこう言った。
「あの、一瞬に帰りませんか?」
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四月に入ったとはいえ、まだまだ日の入りの早い日が続く今日この頃。新学期早々七時限をこなした現在四時半の空は、早くも茜色だ。
そんなことを意味もなく分析するのも、空の鮮やかな色とは反対のどんよりとした灰色の空気が俺の周りを渦巻いているのも、全ては今俺が置かれている状況のお陰である。
「…………」
「…………」
気まずっ!!
「……なぁ」
「なっ、何ですか?」
「いや、何でもない」
「そうですか……」
すいませんんんん!誰かいませんかぁぁーーッッ!!
こんなことを思ったところで、周りに俺たち以外誰もいないのは一目瞭然である。なんたって二人きりで住宅街を横切っているんだからな。
それにしても、断る理由も特にないから一緒に帰っているんだが、まさかこんなことになるとは思いもよらなかった。話題がなんにも浮かばない。いやまぁ、普段から会話らしい会話なんかしたことないんだけどさ。
「あの」
「ん?どした?」
何か打開策は無いものかと思案していると、唐突に声をかけられた。だからと言って何だということはないんだが、何か話題を提供してくれるのならそれに越したことはない。
そんな他人任せなことを考えながら返答を待っていると、よほど言いづらいことなのか、何度か躊躇するような仕草を見せてからこう言った。
「本屋に寄ってもいいですか?」
何というか、そこまで迷ってまで言うようなことか?確かに、相手の都合を考えたら少々言うのを躊躇ったりするかもしれないが、そこまで深く考え込む必要はないと思う。
都合が悪かったら、また今度の機会にするなり、別れて一人で寄るなりすれば良いだけの話だ。いちいち無理して付き合うようなやつはいないだろう。
「ちょうど良かった。俺も寄りたかったんだ」
今回は、実は相手も寄りたかった、と言うパターンだがな。
住宅街を抜けて商店街に差し掛かると、通行人も増え、賑やかな雰囲気が辺りに漂い始める。今時珍しく、コンビニの無いこの町唯一の商店街なだけあって、町中の人が集まって来るのだ。
そんな活気のあるこの商店街の利点は、どんな店でも軒を連ねているところにある。スーパーから洋服屋、本屋、美容院、果てはホームセンターまで、何でも来いだ。
「そう言えば、緒川はどんな本を買うつもりなんだ?」
「えっ?えーっと、ちょっとした参考書と問題集ですよ」
何となく気になったので聞いてみたら、予想もしなかった答えが返ってきた。さすがクラス委員長なだけあって、みんなの手本になるな。
「そう言うヒロさんは何か買うんですか?」
「ん?まぁな」
会話が途切れた所で、ちょうど本屋の目の前まで着いていた。別に特筆するようなことはない。ただ、着いたと同時に店に入っただけだ。