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 ――コンッ、コンッ!

 先に馬車を降りた使者が両開きの玄関扉に向かい、強めにノッカーを叩く。

「何をしておるのだ!? リリア様がいらっしゃったのだぞ! 早うここを開け、お出迎えせんか!」

 使者が中に向かって声を張れば、重厚な扉はすぐに中から開かれた。

 ……あぁ、ついに私は婚家に足を踏み入れるのだ。バクバクと胸が早鐘を打ち、ドレスの下の両脚は無様に震えていた。

 ――ギィィイイ。

 薄く開いた隙間から、まず大柄な男性のシルエットが浮かぶ。次いで、仕立てのいい長衣と腰に下がる輝石をあしらった立派な長剣を視界に捉え、息を呑んだ。

 ……まさか、侯爵本人だろうか!? 直視するのを恐れ、気付けば反射的にギュッと瞼を瞑っていた。

「リリア」

 ……え? 

 聞こえてきた第一声に、私はまず幻聴を疑った。だって、ここでその人の声が聞こえてくるのはおかしかった。

「君を迎えに来た」

 けれど再び、低く甘い声が優しく私の耳を打つ……。

 私は小刻みに睫毛を震わせながら、ゆっくりと瞼を開いた。

 目にした瞬間、心が震えた。

 あり得ない状況への「どうして?」を凌駕して、ただ一年振りに見えた愛しいその人の姿に歓喜した。

 目頭がジンと熱を持ち、喉の奥が詰まる。

 これまでは、ボリュームのあるスカートの下になんとか隠していた足の震え。それが今は、ドレス越しにも隠せぬほど、全身が激しく震えていた。

 だけど視線だけは、逸らせずに見つめていた。

 その人がトンッと一歩を踏み出せば、あっという間に二人の距離が詰まる。

「リリア、約束通り君を俺の妻にする」

 間近に見るブルーグリーンの双眸に、ヒュッと喉の奥が鳴り、両の眦からブワッと涙があふれ出た。

「……セラヴィンさん」

 口にした私の声は掠れていた。

 目元に手が伸びてきたと思ったら、掠めるような優しいタッチで涙の雫を拾う。だけど柔らかな感触に誘われるように、また新たな涙が滴った。

「……これは、夢? 私は夢を見ているんでしょうか?」

 一年前よりも、精悍さが増していた。落ち着いた威風堂々とした佇まいは、貫禄すら感じさせる。元々ガッチリとしていた体躯は、更に筋肉がつき、一層逞しさを増していた。

 だけど私を見つめるブルーグリーンの輝きは、一年前と寸分も変わらない。一年前のセラヴィンさんと、まるで同じ。

「夢でたまるか。君の幻影を夢想して過ごすのは、もうお終いだ。俺はもう、夢の中のリリアでは飽き足らない」

 力強いセラヴィンさんの声が返る。

 私が食い入るように見上げていれば、頭上に影が落ち、セラヴィンさんの美貌が迫る。唇にそっと唇が重なって、二人の距離はゼロになる。埋まったのは、セラヴィンさんと私の距離だ。だけど、実際の距離だけでなく、まるで一年分の時間までもが、埋まったかのような錯覚が浮かぶ。

 口付けはほんの一瞬で解かれたけれど、唇に残る温もりと感触はいつまでも消えなかった。

「君は俺の物だ」

 熱い吐息と共に、セラヴィンさんの囁きを聞く。気付いた時には、私は逞しいセラヴィンさんの胸にすっぽりと抱かれていた。

 嗚咽で喉が詰まり、とてもではないが、まともに声を紡げる状態ではなかった。

「リリア、君の答えは聞かない。何故なら、君からの答えはもう、一年前に聞いているからだ」

 だけど、私の答えは端から不要だった。

 優しい夢は、一年の年月を経て、現実となって実を結ぶ。まるで防波堤が決壊してしまったみたいに、ますますあふれる涙は止まりそうになかった。

 だけど逞しい胸板にそっと目元を押し当てられて、あふれる涙は、こぼれ落ちる前にセラヴィンさんのシャツに吸い取られた。


 どれくらいそうしていただろう。セラヴィンさんの温もりに包まれて、嗚咽は止み、涙は止まった。

 私がセラヴィンさんの胸から顔を上げた時、玄関から使者をはじめとした人の姿はなくなっていた。だけど屋敷の奥へ視線を向ければ、セラヴィンさんの配下と思しき複数人が距離を置き、控えている事に気付く。

 私は羞恥とあまりの居た堪れなさに顔を真っ赤に染めて、逃げるように目線を落とした。

 そんな私の様子を見て、頭上のセラヴィンさんがフッと表情を緩めたのが分かった。そのゆとりを、ほんの少し恨めしく思った。

「なにリリア、恥ずかしがる事などない。彼らは、俺がリリアを迎えるためにニルベルグ王国軍から選りすぐった兵士らだ。当然彼らは、俺たちの関係を承知している」

 ……え?

 羞恥の最中にあって、セラヴィンさんが語った『ニルベルグ王国軍から選りすぐった兵士』という言葉が、頭の中で反響していた。

 ……セラヴィンさんは、自ら兵士を動かせる立場にあるの? セラヴィンさんがニルベルグ王国の出身だろうというのは、出会いの状況から察していた。だけど今の言い方は、まるでセラヴィンさんが国の要人であるかのよう。……ううん、もしかしたら私は混乱していて、何か聞き間違えたのかもしれない。

「あの、セラヴィンさんはどうしてここに? それに、マクレガン侯爵はどうしたんですか?」

 私はそう結論付けて、セラヴィンさんに問いかける。

 僅かばかりに冷静さが舞い戻った頭で考えてみれば、そもそも何故、セラヴィンさんがここにいるのか。再会の喜びにばかり気を取られていたけれど、これは普通に考えて、あり得ない事だ。

 一年前の約束を守るにしても、私を先回りするようにマクレガン侯爵家で待ち構えていたのはどうして……? 何故、そんな事が出来たのだろう?

「最初にマクレガン侯爵に関してだが、奥で俺の側近と今後について協議中だ。ちなみにマクレガン侯爵には、既にこの婚姻の違法性を説明した。そうすればマクレガン侯爵は快く婚姻の無効を了承してくれた。だからリリアは、なんの心配もいらん」

 セラヴィンさんの答えには、新たな疑問がいくつもあった。なにより、セラヴィンさんが語った言葉には明らかな嘘もある。

 屋敷外にまで聞こえてきた言い合うような声……。今考えればあれは、マクレガン侯爵の怒鳴り声に違いない。少なくともマクレガン侯爵は、婚姻無効を快く了承などしていない。

「……ええっと、婚姻が違法だった?」

 だけど私が口にしたのは、感じた一番大きな疑問。

「あぁ、リリアは正式にスチュワード辺境伯の籍には入っておらず、国籍はいまだ出生国であるニルベルグ王国にある。ニルベルグ王国との国交が絶たれている今、国を跨いでの婚姻は出来ん」

 ……あ! セラヴィンさんに聞かされて、気付く。

 私自身、お母様の再婚と同時に、対外的には「リリア・スチュワード」の名を名乗るようになっていたから、すっかり忘れていた。けれど私は、お義父様と養子縁組はしておらず、正式にはお義父様の籍に入っていない。

 ならば国籍は、いまだニルベルグ王国のまま……!

 目を丸くして見上げる私に、セラヴィンさんは鷹揚に頷いた。

「当然、スチュワード辺境伯夫妻、マクレガン侯爵共にこれを知らなかったはずはない。マクレガン侯爵の若い女好きは有名な話だ。監査が入る事は稀で、調べがつく事はないに等しいゆえ、双方ともに油断をしていたのだろう」

 そうか、この婚姻は法的には認められないものなんだ。

 だけど若い女性を望む侯爵と、支度金の入手を急ぎたいお母様の利害が一致して、婚姻は強行された。正式な入籍手続きは、両国の国交回復を待ってするつもりだったのだろう。

 現在デルデ公国は、ニルベルグ王国と国交正常化交渉の最中だ。

 政変中と前政権時代、両国は完全に国交断裂の状態だった。しかしニルベルグ王国が新体制となり、安定した政権運営が見込めるようになった。デルデ公国はニルベルグ王国に国交回復を申し入れ、現在使節団を派遣している。

 識者の間では、両国の国交回復も間もなくだろうと囁かれていた。

「……そうだったんですね」

 とはいえ、現行法に背くこの婚姻は、セラヴィンさんの言うように違法だ。

「さらに言えば、婚姻に際しての金銭授受も違法だがな」

 付け加えるようにセラヴィンさんが言った。

 ……デルデ公国は規制が緩い。貴族社会において結婚支度金は暗黙の了解となっているから、これに関しては仮に明るみになっても断罪されるとは考え難い。

「そうしてリリア、俺が何故ここにいるのか、その答えはひとつだ。君がいる場所に、俺は行く。どこだろうと、俺は君を手に入れる為に、場所も手段も選ばん」

 真っ直ぐに私を見つめるブルーグリーンの瞳の強さに、熱く心が震えた。

「……とはいえ、君が多額の支度金と引き換えに老侯爵の元に嫁がされると知った時は、胸が押しつぶされそうだったが」

 私とお母様の母子関係を想像したのだろうか。セラヴィンさんの瞳が、私を労わるように細められた。

 そうしてセラヴィンさんの手が伸びてきたと思ったら、宝物にでも触れるみたいな丁寧さで頬をサラリと撫でた。触れられた部分から、温もりと共に愛しさが湧き上がる。

「間に合って、本当によかった」

 止まったはずの涙が一滴、ホロリと眦から頬へと伝えば、セラヴィンさんが指先でそっと拭い取った。

「セラヴィンさん、本当に迎えに来てもらえるなんて……」

 なんだか無性にホッとして、気付いた時にはこんな言葉が口を衝いて出ていた。

 するとこれまで、穏やかに私を見下ろしていたセラヴィンさんが、その顔に不遜な笑みをのせる。

 ……え?

「ほう。よもやリリアが、俺の言葉を信じていなかったとは」

「え!? ……い、いえ、決してそういうわけじゃ」

 慌てて釈明してみせる私の鼻先に、セラヴィンさんが迫った。

「いや。あの状況でした口約束自体に、そもそも無理があったのは承知している。だが、これからは違う。リリアが俺の妻だと、これからいくらだって分からせてやる」

 瞬きをする間に、私はセラヴィンさんの胸にグッと掻き抱かれた。その懐にすっぽりと閉じ込められて、熱く口付けられた。

 熱い口付けに翻弄されて、セラヴィンさん以外全ての感覚が遠ざかる。のぼせたみたいに頭が真っ白になって、セラヴィンさんの事しか考えられなくなった。

 セラヴィンさんは広く逞しい胸の中に、まるで私を守るみたいに抱き締める。私はそれに、きつく抱き返す事で応える。

 ……幸せになってはいけないはずだった。

 だけど今、セラヴィンさんという絶対的な存在が、大きな愛と温もりでもって、私をすっぽりと包み込む。

 今この瞬間は、胸の中で奔流みたいに迸る愛おしい感情が、お母様への後ろめたさも、お父さんの遺言への使命感も、すべてを押し流して洗う。

 私はまっさらな心でただ、セラヴィンさんとの相愛に酔いしれた。




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