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ここは婚姻式の会場となる大広間の隣に設えられた控えの間だ。
私はここで、入場の時を待っていた。
「……いかん、なにやら緊張してきたな」
「あなたが緊張してどうするんですか!? 今日の主役はリリア様と陛下ですよ! しっかりしてくださいな!」
「うーむ。まさか儂が花嫁の父になる日が来ようとは思ってもみなかったからなぁ」
「あら、私は可愛い娘を持つ希望を捨ててはいませんでしたよ! おかげでほら、こんなに可愛いリリア様を娘に迎えられたんですから!」
ゴードン伯爵夫妻の軽妙な掛け合いに笑みが浮かぶ。私のお妃教育ではマナーの講師も請け負った貴婦人の中の貴婦人、そんな夫人はしかし、気の置ける夫の前では随分と自然体だ。
……私は今日、セラヴィンさんに嫁ぐ。
同時に、私はこの国の王妃になる――。
視界にやわらかな影を落とすベールをそっと撫でれば、触れた部分からスコット子爵夫人とゴードン伯爵夫人の温もりを感じた。
スコット子爵夫人の手で作られたこのレースのベールは、義母であるゴードン伯爵夫人の手で掛けてもらった。
二人は本当の血縁ではないけれど、私の心の中で、二人は確かにお祖母ちゃんであり、お母さんだ。
「……おふくろ、おやじ、会話が表まで筒抜けだ」
正装に身を包んだルーカスさんが、控えの間を覗き込んで声を潜めた。
「あらま!」
「す、すまん」
ルーカスさんはヤレヤレと肩を竦めると、二人からそっと私に視線を向けた。
私とルーカスさんの目線が絡むと、その目は優し気にスッと細められた。
「リリア嬢、あんたはこれまで多くの苦労をしてきてる。王妃となる事で、今後も苦労はあるだろう。だが、これからは苦しい時、思い悩む時、夫のセラヴィンや実家の俺達をいくらだって頼れ。あんたの未来には、きっと苦労以上に喜びの多い人生が待っている。リリア嬢、いや、義妹よ、幸せになれ」
目頭がジンと熱を持つ。飾らない義兄からの祝福に胸が詰まった。
「ルーカスさん……いえ、お義兄さん、ありがとうございます」
ルーカスさんは柔らかな笑みで頷いた。
「それじゃリリア嬢、おやじ、司祭とセラヴィンが待っている。登場してくれ」
告げられた入場の指示に、私は滲む涙を拭ってスッと前を向く。
「ではリリア様、参りましょう」
ゴードン伯爵が、先ほどの言葉など嘘のように、隙のないスマートな所作で私に腕を差し出した。
「はい」
私は差し出された腕を取った。
「リリア様、自信を持って」
背中に夫人の励ましを受けて、ゴードン伯爵のエスコートで大広間に踏み出せば、盛大な拍手喝采が響き渡った。
そうして大広間の中央まで歩行路を進んだところで、私はゴードン伯爵の腕に添えていた手をそっと解いた。
「リリア」
代わりに差し出されたセラヴィンさんの手を取れば、グッと深く抱き寄せられた。その温もりと力強さに、脈が大きく跳ねた。
盛大な拍手が降り注ぐ中を、私とセラヴィンさんは司祭様の待つ祭壇に向けてゆっくりと歩き出す。
「俺の妻は女神より美しい」
熱い吐息と共に耳元で囁かれ、頬にカッと朱がのぼる。
だけど明らかに、私には過ぎた賛辞だ……。
「セラヴィンさん、ずいぶんと贔屓目で見ていますよ」
「そんな事はない。リリアを妻にできて、俺は世界一の幸せ者だ」
参列客らの目に不自然に映らぬよう、私が繋いだ腕を軽く引いて訴えれば、セラヴィンさんは蕩けるような笑みで、さらに私を蕩かすような台詞を続けた。
甘い台詞は否応なしに私の体温を上げる。だけど私の胸には、ほんの少し負けん気も浮かぶ。
「それはどうでしょう? だって、世界一の幸せ者は私だと自負していますからね」
セラヴィンさんは驚いたように目を瞠り、すぐに弾けるように笑った。
「はははっ! 一番の幸せ者の座を譲る気はないのだが、なかなかどうして! リリアには敵わんな!」
……体が宙に浮きあがるみたいに、ふわふわした。
それくらい、愛しい人の微笑みには力がある。それは心をいっぱいの幸せで満たす、まさに魔法の力。
その眩い笑みを見上げ、ゆっくりと口を開く。
「セラヴィンさん、誰もが己を世界一の幸せ者だと胸を張れる、そんな国って素敵だと思いませんか?」
私は今、溢れるほどの幸せの中にいる。だけど私は自分だけ幸福を享受して、それで終わりにはしたくない。そんな思いの断片を、私はセラヴィンさんのブルーグリーンの瞳に向かって告げた。
「それが理想と言えるだろう」
唐突な言葉にも関わらず、セラヴィンさんは真摯に頷いて答えた。
「ならばその理想を、私はどこまでも追い求めようと思います。ニルベルグ王国に住まう全員が幸せと胸を張って言えるように、私はそのためのあらゆる努力を厭いません」
語ったのは、私の決意。
セラヴィンさんはかつて、王妃という重責に怯える私に『微笑んで隣にいてくれれば、最低限王妃としての体裁が整う』と、そう言った。当時、この言葉に、私が僅かばかりの救いを見出した事は事実だ。
だけど今、その言葉は私にとって救いではない。
妻として、そして王妃として、私はセラヴィンさんに甘えるだけではいたくない。
「セラヴィンさんの懐に守られているのは安心で、心地好くて……。なによりその選択は、私にとって一番簡単なんです。だけどそれでは、本当の意味でセラヴィンさんの隣には並べません」
私が望むのは、自分の足でセラヴィンさんの隣を歩む事――。
夫婦だから、当然その重荷を共に支え、分け合う事もあるだろう。ならば私は、より重い責を負うセラヴィンさんの重荷こそ、引き受けたい――!
「セラヴィンさん、この婚姻式が終わったら、委譲の可能な政務を一部、私に引き継いでいただけませんか? 復興支援や各地の慰問、視察といった部分から、手伝いが出来たらと思っています」
生前のスコット子爵夫人は、私を見守ってくれていた。そうして私に労わりの言葉をかけて、優しく手を握ってくれた。
それらは私にとって、どんなにか励みになっただろう……。
その実体験から、私も継続的に現地に出向き「この地を見ています」「この地を応援しています」と復興に邁進する人々に伝えていきたいと考えていた。
「王妃である君が慰問や視察に出向けば、多くの民が励まされるだろう。復興の一番の励みになる」
セラヴィンさんは眩しい物でも見るようにブルーグリーンの双眸を細くした。
「君という存在は俺だけでなく、この国をも明るく照らす、まるで光のようだな。……リリア、俺達でニルベルグ王国をどこよりも幸せに溢れた国にしよう。君とならきっと出来る。そして世界一の幸せ者の座は、国民皆で競い合おう」
「はい」
壮大な理想は、私とセラヴィンが二人三脚で挑む一生涯の課題となった。私達は目と目を合わせ、同じ決意を確かめ合った。
二人、ゆっくりと前に向き直る。
実際に私達の視界に映るのは、歩行路の先の祭壇。だけど確かにこの瞬間、私とセラヴィンさんは同じ未来を見つめていた。
一層大きくなる歓声と拍手を後ろに聞きながら、私はセラヴィンさんに手を取られ、祭壇が設えられた一段高いひな壇に上がる。
『リリア、どうか幸せに』
注ぐ祝福の中に、ふと、お父さんの声を聞いた気がした。
……お父さん、私はこれからセラヴィンさんと共に、この国の人々の幸せのために人生を捧げます。もちろん私自身も、セラヴィンさんと共に幸せを築きます。
それから、私にはお母さんを幸せにしてあげる事は難しかった。だからお母さんの事は、天国でお父さんが幸せにしてあげてね……。
天国のお父さんに向かって心の中で告げた。
『ありがとう、リリア』
私の胸に笑みの残像を残し、お父さんが消える。それっきり、もうお父さんの声は聞こえなかった。
私は凛と前を向き、足を進める。不思議な事に、踏み出す足が随分と軽くなっているような気がした。
祭壇の前へと、セラヴィンさんが先に一歩進み出る。私もセラヴィンさんに続き、同じ歩幅で踏み出した。
ピンと背筋を伸ばし、セラヴィンさんの隣に並んで大広間を埋め尽くす列席客を臨む。
……あぁ。これが、セラヴィンさんの隣から見る景色――。
セラヴィンさんの隣に並んで見る景色は、これまでとは違っていた。圧し掛かる責任と緊張に足が震えそうになるのを、意思の力で堪えた。
だけど心の震えは止められなかった。胸に木霊す歓喜が、心を熱く震わせていた。
こうして多くの祝福が降り注ぐ中で、私は正式にリリア・ニルベルグの名前を授かり、セラヴィンさんの妻に、そしてニルベルグ王国の王妃となった。




