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リリアの寝室から政務室に戻れば、スコット子爵夫人の葬儀に列席する使者の手配や一連の事件の後処理、迫る婚姻式の調整など、やるべき事は山積みだった。
ちなみに、事件に関して言えば、主犯であるマルグリットが毒の影響で意識混濁となっており、いまだ本人からの証言は何一つ取れていない。もっとも、証拠は既に十分過ぎるほど上がっており、今更本人の証言に重きを置くわけでもない。なにより、意識がはっきりしていたところで、マルグリットからすんなりと証言が引き出せるとは誰も思っていなかった。
しかし、俺には訊ねてみたい思いがあった。
――コンコン。
「セラヴィン、御殿医による解毒が功を奏したぞ。マルグリットの意識は正常に戻ったそうだ」
ルーカスからの報告は、まさにそんなタイミングで寄越された。
「そうか」
「おい!? まさかお前が直接行くのか!? 正気でも、あの女が今更何か吐くとも思えんぞ」
政務机を立った俺に、ルーカスが声を上げた。
「……処刑後には逆立ちしたって聞けんからな。生きているのなら、もしかすれば聞けるかもしれん」
マルグリットがリリアを殺したいほど憎んでいた事は分かった。だが、そこまで憎むに至った理由が、俺にはどうしても分からなかったのだ。
向かった地下で、マルグリットは石畳の独房に、膝を抱えて座っていた。
俺の足音に気付いたマルグリットが、緩慢な動きで顔を上げる。そうして俺を視界に捉えると、マルグリットは不遜な笑みを浮かべた。
「これは若き国王陛下、こんなところまで一体何用でしょう?」
「其方に訊ねてみたかった。何故、そうもリリアを厭う?」
「……」
マルグリットは笑みの形に口を引き結んだまま、口を開こうとはしなかった。
「俺はかつて、一度其方と会っている。静養で滞在した湖沼地帯のガラス工房で、『どうかこの子と仲良くしてやってね』と、リリアに手を引かれて出向いた俺に、其方は笑って言った」
マルグリットは食い入るように俺を見つめ、そしてハッと気づいたように目を瞠る。
「……貴方、もしかしてセーラ? あの子が友人になったと言って連れてきた、あのセーラなの!?」
「かつて、そう呼ばれていた事もある」
「なんて事……」
「俺の記憶には、確かに我が子を慈む貴方の姿があるんだ。だからずっと、疑問だった。……何故、こうもリリアを厭うに至った?」
再びの俺の問いかけに、マルグリットは顔を歪めた。
「慈む……? 馬鹿言わないでちょうだい。……でも、そうね。確かに慈しもうと努力はしていたわね」
怨嗟の篭る低い呟きに、俺は格子越しにマルグリットを注視した。
「私の人生はね、あれの母親になったところから、坂道を転がり落ちるように不幸になった。あれはまるで、私を不幸に陥れる疫病神。私はね、そもそもあの子を望んでいない。望んで母親になど、なったんじゃない。私が望んだのは、あの人に愛されたいと、ただそれだけ……。女として、妻としてあの人に望まれて、それだけで私は幸せだった。だけど、望まずとも愛し合う行為の先に、あの子が生まれた。でもね、あの人が、あの子の誕生をそれはそれは喜ぶものだから、私も悪い気はしなかった。あの人を喜ばせてあげられた事が、嬉しかった。あの人があの子の成長に目を細めた。幸せそうなあの人の顔に、私まで幸せな気持ちになった。どんな女性に成長するのか楽しみだとあの人が言うから、私もそれを楽しみと理解した」
マルグリットは俺に向かい、淡々と語る。その目には、確かに俺が映っていた。しかしマルグリットは俺を見てはいない。
マルグリットは今この瞬間、俺には見えない自分だけの世界を見ている違いなかった。その世界にはきっと、愛したリリアの父と自分の二人だけが住まうのだろう。
「……なのに、あの人はいなくなって、あの子だけが残った。望んだあの人はいなくなって、あの子だけが残るなんて、……ねぇ、どうして? そんなのって、おかしいでしょう? だって私、あの子を望んでいないもの」
少女のように純真な目で、マルグリットは悲し気に眉を寄せて問う。あまりにも身勝手なその問いに、俺は戦慄く拳を握り締め、軋むくらいに奥歯を噛みしめた。
「マルグリット、もういい」
……これ以上、マルグリットの言葉に耳を傾ける事に意味はない。
「だけど現実はとても残酷、あの人との思い出だけでは生きていけない。だって人は、日々食べていかなければならないから……。でも、あれ以上実家を頼る事も出来なくて、仕方なく再婚を決めたわ。戻るところなんてないから、なんとしても二番目の主人と良好な夫婦関係を築こうと思った。前評判の悪い男だったけど、会ってみたら存外に優しくて驚いた。それに私の事を美しいって、手放しで誉めそやしてくれた。悪い気なんてしなかった。私が若々しく身綺麗にしていると彼は喜んだから、私は肌も髪も手入れにはこれまで以上に気を使ったわ」
ところがマルグリットは、俺の制止など届かぬ様子で言葉を続ける。
ルーカスは、御殿医らの解毒が功を奏し、マルグリットが「正気」だと、そう言った。しかし目の前のマルグリットは、とうに正気とは程遠いところにある。
「でもね、再婚してすぐの頃、夫が私に向かって若作りも本物の若さには勝てないって言い放った。馬鹿らしいって思った。だけど同時に、どうしようもなく悲しかった。夫の心が私に無い事より、またしてもあれが奪っていく事が許せなかった。なのにあの子、私の気も知らないで『お義父様が体を触ろうとしてくる』だなんて、私に訴えるのよ。怒りに我を忘れるってこの事なのね。あの子を打っていた手が扇子の端で切れて擦り傷になっていた事に後になって気付いた。もうね、さっさと夫のいいようにされてしまえばいいと思ったわ。なのに、あれは小賢しく知恵を絞って夫を遠ざけて、あげく私が整えた結婚話も踏み倒す始末。さらにはニルベルグ王国の若き国王に見初められて王妃ですって? ……そんな事、許せるわけがないじゃない」
握り込んだ拳に爪が食い込んで痛みが走る。しかしリリアの事を思えば、手よりももっと心が痛んだ。
「そうそう、私ね、あれが何か食べているところが大嫌いだった。だってそれらは、私の犠牲で得た物だもの。それからね、あれが段々と女に変わっていくのも嫌で嫌でたまらなかった。なんだか、私の若さも美貌もあれに吸い取られてしまうような気がした。……こんな事なら、さっさと殺しておくんだった。わざわざ娼婦の真似事までして見つけた王宮勤めは使えない薄野呂で。苦労して手にした金を叩いて雇った侍女も役立たず。ね? もっと早くに殺しておけば、私がこうも苦労する必要はなかったでしょう?」
マルグリットは心底残念そうに言い、肩を落としてみせた。
「……マルグリット、其方の苦労はもう終わる」
マルグリットは緩慢に俺を見上げた。
「人生が終われば、苦労する事もなくなる。其方は一週間後、処刑台に立つ」
マルグリットは俺を真っ直ぐに見つめ、ふわりと微笑んだ。
「……そう。私はやっと、あの人のところに行けるのね」
場違いなほど穏やかな笑みを浮かべ、マルグリットは眦からホロホロと涙を零した。
その姿はあまりにも歪だった。
込み上げる怒りの渦を理性を寄せ集めて抑え込む。それを真正面からぶつけたところで、マルグリットには響かないと分かったからだ。
俺はマルグリットに背中を向けると、そのまま地下牢を後にした。
マルグリットはこれ以降、取調官の聴取にも口を閉ざし、一切語る事はなかった。それは一週間後の処刑の瞬間まで、一貫していた――。




