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「まさか母親が娼婦に身を窶してまで、我が子の命を奪う計画を実行しようとは……」
リリアの事を思えば、やるせなさに胸が締め付けられた。
自分を慕う男を捨て駒にする事を厭わない。なにより自分自身リスクを顧みず、罪を重ねる事を厭わない。
そこまでして何故、かつて夫と共に慈しんで育んだリリアを厭う……?
母親でありながら、何故――。
「セラヴィン、親と子というのは分けて考えた方が、物事はすっきりするぜ」
掛けられた声にハッとして、隣のルーカスを見る。
「親子神話なんてものは幻想だ。血というのは、単に種を繋いでいくための繋がりにすぎん。もちろん血縁を蔑ろにするわけじゃない。親子の絆が正しく結ばれて育ったなら、大事に温めていけばいい。だが、親子という縁に呪縛のように縛られなくていい。あらゆる縁は最初から結ばれているんじゃない、己で結ぶものだ。己の心が求める者を選び、心を繋ぐんだ。それこそが、正しい縁のあり方だ」
ルーカスの言葉は、俺の意表を突くものだった。
逃亡生活で暮らしを異にした時期こそあれど、あれだけ立派な両親を持つルーカスが、「親子」をこういった見解で語った事に驚きは隠せなかった
「驚いたな……。アントニオと夫人、あんなにも立派な両親を持つお前が、そんな考えを持っていようとは」
「だからこそだ。俺は血などなくとも、彼らの人と成りを尊敬していたさ。むしろ血という繋がりが、幼い俺を憤りに苦しめた。俺の父さんなのにと、何度思ったかしれん。父は、我が子よりもお前を最優先に行動していたからな」
「……すまなかった」
ルーカスはいつだってざっくばらんな物言いをして、豪胆な態度を崩さない。アントニオが俺に付きっきりになっていた幼い時分も、ルーカスはそんな様子はおくびにも出さなかった。
「なに、お前が謝る必要はない。なにより今となってはもう、過ぎた昔の話だ。それよりも、事は急いだ方がいいぜ。今のところ母親に動きはないが、実行犯の男からの情報がいつまでもなければ、計画の失敗を悟るだろう」
ルーカスに言われずとも、差し迫った状況は十分に承知していた。
「現在、桃源楼の状況は?」
明るみになれば、死罪は免れない。計画失敗を悟れば、自害すら十分にありえる。それくらいの覚悟を持ってマルグリットは今回の犯行に及んだのだ。
でなければ、わざわざリリアを追ってこの国にやって来て、桃源楼に身を潜ませるなどしない。そんな事をせずとも、スチュワード辺境伯家から不当に得た大金があれば、どこでだって不足なく暮らす事が出来たのだ。
「昨夜の客が全て出て行ったのを確認した。周囲は配下の者で監視を続行、今のところ館内への業者等の出入りは確認していない。いつでも、踏み込む準備は出来てるぜ」
毒物の混入から既に四日目。いつ、マルグリットに動きがあってもおかしくなかった。
グッと瞼を瞑り、固く両の拳を握り締める。
マルグリットを生きたまま捕縛したいならば、今しかない……!
「マルグリットを殺人未遂容疑で捕縛する。ルーカス、陣頭指揮はお前に任せる。必ず生きたまま連れて来い」
「そんなのは言われずとも分かってる。俺を誰だと思ってる? 全て任せておけ!」
ルーカスは言い切ると、足早に応接間を後にする。
俺もひと息吐いて席を立つと、ルドルフ捕縛を指示するべく、近衛隊長の元に向かった。
「セラヴィン様! 今報告にあがろうかと思っていたところです!」
俺が近衛隊長の待機する部屋に向かい廊下を歩いていると、向かいから近衛隊長が血相を変えて駆けてきた。
「一体どうした?」
「つい今しがた、ルドルフが監視の目をかい潜り、行方をくらましました」
近衛隊長から聞かされたのは、予想だにしない報告だった。
「状況は?」
「ルドルフが手洗いで勤務を離れた後、勤務配置になかなか戻らぬ事を訝しんだ近衛が確認に向かったところ、手洗い場の窓から外に逃走した模様です。現在、近衛兵が手分けして行方を追っております」
「近衛隊長、リリアは今も自室か? なにか報告は入っているか?」
リリアが場所を移せば、護衛の任にあたる近衛兵から報告があがる。それらの情報を統括する立場にあるのは近衛隊長だ。
「いえ、特に報告は受けておりません」
その近衛隊長に報告がないのなら、リリアは自室から出ていない。
「そうか」
ルドルフは外に逃走したという。ならばルドルフは、単純に差し迫る捜査の手を躱しただけか?
「近衛隊長、非番の近衛も捜索に投入し、ルドルフの確保を急げ」
「ハッ!」
俺の指示を受け、近衛隊長は踵を返して駆け出した。同時に俺も、リリアの部屋に向かって走っていた。
リリアは事件の後は、本を読んだり、これまでの妃教育の復習をしたりと、自室で静かに過ごしていた。同室には女官長はじめ、護身の心得を持つ侍女が常時控えているし、部屋の外には手練れの近衛兵が複数人待機している。リリアが口にする飲食物も、管理は徹底しており、再びの毒物混入はまずあり得ない。
……だからリリアの身に、何があろうはずもない。
頭では思いつつ、何故か胸が騒いだ。俺は言いようのない不安に突き動かされ、リリアの部屋に駆けつけた。
「リリアはいるか!?」
部屋の前で立っていた近衛兵は、突然現れた俺に目を丸くした。
「リリア様でしたら侍女と共に散歩に――」
「何故報告をあげなかった!?」
リリアが外に出ている!? すぐにでもリリアを捜しに駆け出したい思いを抑え、俺は近衛兵の言葉を遮って問う。
こういった通常ではあり得ない状況の裏には、作為的にそれに追い込んだ何者かの意思があるからだ。
「侍女が、リリア様は庭で陛下と落ち合う約束をしていると。階下ですぐに陛下付きの護衛と合流するから私達の同行は不要だと、そう申しましたので」
「その侍女の名は?」
「イライザ・バークレーです」
……リリアどうか無事でいてくれ!
耳にした瞬間、俺は走り出していた。
***
……あぁ、まただ。
死神が去っても、夢は幾度となく繰り返される。
私はまた、夢の中で七歳の子供になって、燃え盛るガラス工房で身を縮めていた。
かつての記憶というのは、容赦がない。まるで、忘れる事など許さないとでもいうように、私は夢で何度だって同じ結末を辿るのだ……。
炎があらゆる物を巻き込んで、ガラス工房を赤く焼いていく。燃え上がる炎はついに、天井にも燃え広がって這うように進む。
――ギシッッ!
頭上に響く不穏な物音で見上げれば、燃え滾った天井の梁が崩れ落ちてくる。
私はなす術なく、スローモーションに迫ってくるそれを見つめていた。
――ドォォオオーンッ!
その時、大きな爆発音と共に衝撃が体を襲う。
「リリア――!!」
……え? セラヴィンさんの声が聞こえてくるのはおかしいと、ふと、疑問が過ぎった。それにあの時、こんな爆発音はしただろうか? 私は父の腕に抱かれ、ガラス窓を突き破ったのではなかったか……?
……ううん。これは私の見ている夢。だから、必ずしも忠実に事実を辿るわけではないのだ。
物思いは一瞬で、私はすぐにこれが夢の中での事と納得した。
夢の続きで、私は硬く弾力に富んだ何かにすっぽりと抱かれていた。私を抱くそれは濡れた感触がした。
え? 薄く瞼を開こうとしたけれど、大判の布のような物を掛けられて、視界が遮られてしまった。掛けられた布も、私を抱くその人と同様に濡れていた。
私を深く抱き直すと、その人は体勢を低くして、濡れた布越しにも肌を焼くような熱さの中を駆け出した。
私は少しでもその人の負担にならぬよう意識してピッタリと身を寄せた。
やっと熱さを脱したと思ったその時、周囲から耳をつんざくような歓声を聞いた。
「セラヴィン様!」
「ご無事でございましたか!! おお、リリア様もご無事であったか!」
歓声の中には、いくつか知っている声もあった。
「お二人が戻られたぞ!!」
「すぐに御殿医をこれへ!」
いまだ私の視界は塞がれたままで、その光景を見る事は叶わない。
夢の中の出来事のはずなのに、不思議な事に直接脳裏に映像が浮かんでくる事もなかった。だけど耳だけは正しく機能しているようで、方々から上がる歓声は詳細に聞こえていた。
ここで視界を遮っていた布が、ずっと口元を覆っていた手巾ごと取り払われた。
「リリア無事でよかった……!」
愛しいその人が私にグッと顔を寄せ、満面の笑みを浮かべる。
その微笑みが滲んでいた。それは果たして、ずっと紗で覆われていた目に陽光が眩しかったからなのか。あるいは溢れる歓喜が目に熱い物を滲ませたからか……。
「俺は小屋の外で、割れたガラス片と共にこれを見つけた」
セラヴィンさんの手が一度懐に消え、何かを掴むような動きをして、再び私の前に差し出された。
「これを放った君の、生きようという強い意思を感じた。そして俺は、君の生存を確信していた!」
目に飛び込んだのは傷だらけになって蓋を無くした銀細工と……、欠けたブルーグリーン――!
「……っっ!」
かつてまん丸だったはずのそれは今、一部分が欠けて複雑に光を反射していた。
……う、……そ。だって、それは六歳の私がセーラに……。
「幼かった九年前の俺は、リリアとの再会の約束を守れなかった。だが、俺はもう二度と違えない! みすみすリリアを手放してなどやるものか! これからだって、いつ何時、どんな状況だろうと、リリアは俺が助ける。リリアは俺がこの手で守り抜く!」
想像を悠に越える展開に驚き、滲んだままの像しか結ばない両目を見開く。
欠けて複雑に光を反射するブルーグリーンより、尚美しいブルーグリーンの双対が私の心を震わせる。
故郷の湖面を写し取ったみたいな鮮やかなブルーグリーンは、セーラと同じ――。
「デルデ公国で君を再び腕に抱き、もう二度と離さないと、俺は誓った。この誓いは共に天に召される最期の時まで違えはしない」
……あぁ、今日の夢はどこまで私を有頂天にさせるのだろう。
「リリア?」
あまりにも優しい夢の結末に、見開いた両目からツーッと涙が頬を伝った。零れる涙を追うように、そっと瞼を閉じた。
眠りの中に、もう悪夢は訪れなかった。代わりに私は眠りの中で、懐かしい友との再会を果たしていた。
……セーラ! 私達は再会を喜んで笑い合った。
だけどセーラの微笑みは、いつしかセラヴィンさんの微笑みと重なってひとつになった――。




