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……あぁ、どうして。神の計らいは時に、あまりにも残酷だ。
内庭に通じるガラス戸の横、はためくカーテンに隠れるようにして、摘み取った花々を腕に抱いてリリアが佇む。その足元には、野花が一本落ちていた。
「……リリア」
「セラヴィンさん、今の話をもう一度、はじめから聞かせてください。お母様の事ならば、私には知る権利があると思います」
扉の外に控える護衛兵含め、俺の政務室には信用のおける者しか置いていない。そうして彼らは皆、俺の意図を汲み、リリアを丁寧に遇する。
リリアが政務室に俺を訪ねてくれば、彼らは躊躇なくリリアを室内に通す。
とはいえ、リリアが俺の政務室を訪ねてくる事は稀で、ルーカスが緊急の報告を上げてくる事自体も稀。しかもこの日に限って、リリアは内庭から訪れた。更に、普段閉め切っている事の多いガラス戸は、今は換気のため、薄く開け放たれたままになっていた。
いくつもの偶然に偶然が重なり、リリアは俺たちの会話を耳にした……。
「リリア、話はこちらでしよう」
俺は政務机を立つと、戸口で佇むリリアの元に足を向けた。リリアが抱えた花ごと肩を抱き、政務室に引き入れる。
ゆっくりと、リリアを奥の応接ソファへと促した。リリアの抱える花は、途中でそっと預かって、政務机上のラックに立て掛けた。
「綺麗な花をありがとう。後で花瓶を用意させる。今は一旦、座って話そう」
そうして二人掛けの応接ソファの一端にリリアを掛けさせて、その隣に俺も並んで座る。ルーカスは俺達から一歩分の距離をおいたところに立って控えた。
「リリア、こちらにもまだそう多くの情報が入っているわけではない――」
そうして俺は出来るだけ言葉を選び、ルーカスから知り得た情報をリリアに伝えた。
リリアは長く口を噤んだまま、俯き加減で膝に置いた拳を握り締めていた。
「ルーカス、まずは母君の所在確認を急いでくれ。状況に動きがあれば、逐一俺に報告を上げてくれ」
俺は俯いたままのリリアから、脇に控えるルーカスに視線を移すと、今後の指示を伝えた。
「……了解。そんじゃ、俺はさっそく人選から始めよう」
そうして俺が目線だけでリリアと二人きりにしてくれと訴えれば、ルーカスは直ぐに察し、政務室を後にした。
ルーカスが出て行って、室内にはリリアと俺の二人きりになった。俺はソファの端で小さく背中を丸めるリリアにそっと体を寄せた。
そうして背中に腕を回し、細い肩を抱き締める。反対の手は、固く握られたままのリリアの拳に重ね、上から優しく包み込んだ。
「ルーカスが人員を厳選し、母君の捜索に向かわせる。じきに母君の所在も知れるだろう」
リリアの不安を取り払えるよう、努めて柔和に語り掛けた。
「リリア、なにも心配はいらん。我が国とデルデ公国は、いまだ国交回復の条約締結には至っていない。よって、かつての犯罪人引き渡し条約も、現行では効力を持たん。だから母君を発見した後の処遇に関しては、俺の方で母君の不利益にならぬよう取り計らう」
俺が語ったのは、一国王としてはあり得ぬ、不当な権力行使を前提にした言葉。けれど俺に躊躇はなかった。
ただ一人、生涯の伴侶と定めた愛しいリリア。そのリリアの憂いを取り払う”力”を俺は持っている。ならばここで使わず、その”力”は一体いつ使うと言うのか……!
「……セラヴィンさん」
リリアがゆっくりと顔を上げる。その顔には、苦渋が色濃く滲んでいた。
「今はいったんお母様の処遇については保留にさせてください」
「保留?」
リリアの口から飛び出した、不可解な台詞。俺が怪訝に反復すれば、リリアは重く頷いた。
「その計らいというのは察するに、デルデ公国での罪は不問のまま、母にこの国での新たな身分を偽装するとか、そういった類ですよね?」
言い当てられた事に驚くと同時に、俺はリリアの頭の回転の速さに、内心で舌を巻いていた。
まさかリリアが、真っ先にその発想に行き着くとは思っていなかった。そうして改めて目の当たりにしたリリアの優秀さが、不謹慎にも嬉しいと感じた。
「それはセラヴィンさんにとってあまりにもリスクが高い。セラヴィンさんの不利益にしかなりません。……なにより、王としての公正さを曲げる事です。将来王妃となる私が、それを知りながら甘え、願っていいものではありません」
俺はリリアの事をよく分かっているつもりでいた。不当に遇される事をよしとせぬ、清らかな心根もよく知っているはずだった。
「……けれど、母は私にとって唯一の肉親である事も事実で。だから、お母様の言い分や主張を聞いた時に、その計らいを絶対に願わないとは言い切れなくて。なので狡くも保留と、……都合のいい事を言ってすみません!」
それでも今、面と向かって告げられた台詞は、驚きを伴って俺の胸を熱くする。
……リリアはなんと思慮深く、そして深い懐を持つのだろう。
改めて、リリアに尊敬の念が湧く。
「なにが、狡いものか。リリアほど公明正大な心で物事を見通し、行動できる者がどれだけいるか。そうして肉親への情は、そう簡単に切り捨てられるものではないと、俺自身身をもって知っている。リリアの言った保留の意味、よく理解した。母君の処遇に関しては結論を急がずに、共に納得のいく決着を考えよう」
俺は叔父上に父と兄を奪われ、俺自身も命を狙われた。
けれど幼い日に、叔父上の大きな手に頭を撫でられた事もあったのだ……。
「セラヴィンさん、ありがとうございます」
「ではリリア、ひとまずこの一件は終わりだ。報告が上がってくるのを待とう。それから折角だ。今日は俺と、昼食を共にしないか?」
「もちろん喜んで! あ、だけどセラヴィンさんは、お忙しいんじゃ……?」
「なに、ちょうど切りのいいところだったんだ。それにいくら政務が忙しかろうと、俺は妻と共にとる昼食時間くらいは融通するぞ。王とて、そのくらいの自由はあって然るべきだ。では行くか」
「はい」
俺がリリアの手を取れば、リリアはふわりと微笑んだ。
***
お母様の処遇について、私がセラヴィンさんに申し出た「保留」。あまりにも虫のいい私の訴えに、しかしセラヴィンさんは共感し、賛同を示してくれた。
あまつさえ、私と一緒に考えると、そう言ってくれた。
愛しい思いが、幾重にも折り重なって胸に積もる。胸は、苦しいくらいにセラヴィンさんへの愛で満たされていた。
「今日はリリアと共に昼食を取る。食堂に二人分を用意してくれ」
セラヴィンさんに手を取られ、政務室を後にする。セラヴィンさんは政務室を出るとすぐに、外に控えていた侍従に告げた。
「かしこまりました」
侍従は柔和な笑みで頷くと、踵を返し、足早に厨房の方向に消えた。
「急な事で、厨房の方たちには申し訳なかったですね」
私の昼食は、ゴードン伯爵夫人や他の教師の先生方と一緒に取る事が多い。
一方のセラヴィンさんはというと、政務の合間に軽食を抓んだり、そもそも昼食自体を取らなかったりと、きちんと昼食を取る事自体が稀なようだった。
「なに、夫婦ならば本来はこうして毎食を共にする方がむしろ自然といえよう。今はどうしても政権の立て直しに掛かり切りになってしまっているが、婚姻式後にはきちんと調整する。俺は食事も含め、夫婦の時間はきっかりと持つつもりだ」
セラヴィンさんを見上げれば、柔らかな光をたたえたブルーグリーンの双眸とぶつかった。
「……セラヴィンさんは魔法使い?」
「なんだって? すまんが、よく聞こえなかった」
私が小さく呟けば、セラヴィンさんがキョトンとした顔をして聞き返す。
「いえ、セラヴィンさんとお昼ご飯が食べられて嬉しいなって、そう言ったんです」
「そうか」
私がセラヴィンさんを見つめて答えれば、セラヴィンさんは納得した様子で柔和に微笑んで頷いた。
……まるで、幸福のただなかを歩いているようだと思った。この幸福に、私を誘うのはセラヴィンさん。セラヴィンさんといると、いつだって私の胸は温かで優しい思いで満たされる。
セラヴィンさんの一言一句、微笑みも眼差しも、全てがまるで幸せの魔法……。
だからセラヴィンさんは、魔法使い。私をとびきりの幸福に導く、私だけの魔法使いだ。




