霧吹く薬缶
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
うーん、どうにもねえ……。あら、つぶらやくん。今日も調べものかしら? あなたもなかなか熱心よねえ。
あたし? うん、同じ要件よ。研究対象として、神話や昔話に片っ端からあたっているの。
――どうしてため息をついていたかって?
いやあ、調べていると婚姻ものの話がたくさん見つかるんだけど、課題婚もたくさんあって、一筋縄じゃいかないケースがあるじゃない。オオクニヌシノミコトはスサノオから命を落としかねない条件を出されるし、かぐや姫なんかはいわずもがな。海を渡った先のギリシャ神話に出てくるアタランテ―なんか、求婚者と徒競走をして、自分が勝ったら相手の命を奪う。現代の感覚じゃちょっとぶっ飛んでて、批判と一緒に、カルト的な人気でも出ちゃいそうよ。
個人間から家々の関係まで、恋愛と結婚をめぐる複雑な絡み合いは、今も昔も頭の抱えどころ。創作のネタとしても、関心を集めやすいでしょうよ。
私も、ちょっと前にマイナーなネタをゲットしてね。時間が許すようだったら、その話を聞いてみないかしら?
むかしむかし。裕福な貴族の家の一人娘は幼い頃から美しいと評判だった。髪結いの儀を終えた直後より、多くの男性から文を初めとして、求婚の旨を伝える様々な届け物を受けたらしいの。彼女をひと目見ようと、連日、彼女の屋敷前には人が押し掛けたとか。
彼女自身は御簾越しに姿を現わすのみで、取り次ぎに関しては御簾のすぐ外側に立つほっそりとした父親がすべて引き受ける。そして、彼女の家族が求婚者を受け入れるにあたり、どの人にも同じ条件が課されたそうよ。
手渡される薬缶の中を蓋など一切せずに、三日以内に霧で満たすこと。それを持ってくることができる相手であれば、今すぐにでも婚礼の儀に臨んでも構わない、と話したらしいのよ。
当時の薬缶は文字通り、薬を煮出すために使われていたわ。無骨な黒鉄を加工して作った一品を、彼女の両親は求婚者たちへ貸し出す。そしてお眼鏡にかなう代物を持ってくるように言い渡したの。
さすがというべきか、両親は小手先のごまかしは通用しなかった。運ぶ直前まで沸かした湯を入れたり、氷から湯気を存分に吐き出させたりしたものなどは、すぐに見破られた。
律義に野山へ取りに行く者も多かったが、霧が発生する場所となると、それなりの高所でなくてはならない。薬缶に入れ、言いつけ通りに蓋をせず持ち帰っても、届けに行く頃にはすっかり抜けてしまっている。
絶対に何か細工が必要だ。そう考えはするのだけど、時間も足らず発想も至らない。与えられた時間を消費しつくした時、求婚者の数は当初の二十分の一にまで減っていたわ。
条件に合致し、蓋なしの薬缶の中に霧を蓄えることに成功した求婚者たちは、更にふるいをかけられる。改めて蓋のない薬缶を渡されて、この場で薬缶の中へ霧を立ち込めさせることを求められたのだとか。
何も新たに加えることなく、ただ取っ手を握るだけで、ひとりでに薬缶の中へ霧を生み出さなくてはいけない。その厳しい条件に、残った人の九割方が間引かれ、ついに残すところは二人だけとなってしまったわ。
この間、御簾の向こうの彼女はじっと座ったまま。ときおりすき間から入り込む風に髪を揺らす以外は肩を微妙に震わせて、身にまとう白檀の匂いを外へ漂わせるばかり。眠っているのか、まれに大きく息を吸い込んで吐き出すような、声が聞こえることもあったとか。
そしてついに、候補は二人までに絞られる。片や父親と同じくらいの歳ながら、たっぷりと貫禄のある美貌の中年。片や貧相な体つきで、貴族たちの間では何かと軽んじられている、成人したばかりの若者。父親はどちらか一方に絞ろうと、何度も新しい薬缶を渡し、その差を測ろうとしたみたい。
二人は全くの互角だった。蓋のない薬缶には、真上の注水口と側面部の注ぎ口の二つがついたけれど、彼らが取っ手を握ったはしから、どちらも白い霧を盛んに吐き出した。瞬く間に彼ら自身を薄く覆い隠してしまうほどで、もはや量だけでは甲乙がつけがたかったとか。
らちが明かない勝負に、中年の貴族から提案が。
「ひとつ、ここは蹴鞠で雌雄を決するというのはいかがですかな」
もちろん、これは貴族の得意とする分野。年季の違いで圧倒する意図を察して、若者の方も口を挟んだわ。
「いやいや、これからの世、雅のみならず頑健さも必要となってくるもの。相撲で決するというのはいかが」
体格差こそあれど、若者は小さい頃から組み合いをたしなんでおり、図体の大きい相手を下すことには慣れていた。このくらいの相手なら投げ飛ばせると、踏んでいたの。
両者、互いに自分の得意分野へ引きずり込もうとする、舌戦が展開される。容易に決着がつかぬ様を見て、御簾の前の父親が口を開く。
「ならば、双方が娶ることができれば、問題はなきか?」
その言葉に、両者は今一度、御簾の向こうを見て「あっ」と声をあげかける。
彼らがもらいたいと思っていた女の影が、二つに増えていたのよ。その背、髪、すき間からのぞく単の柄……いずれをとっても、同一の人物としか思えない。
「二人の素養、まことに見事。たった一人に絞り込むなど惜しきこと。なればこそ、二人を共に迎えたいというのだ。受けてくれるな?」
「お言葉ながら」
中年の貴族が、父親の突拍子もない発言に反駁する。
「最初から二人いることを隠し、我らをここまで競わせたのは、罪深しと言わざるを得ませんな。たった一輪のみの花と思うたからこそ、皆は熱を持ってことに臨んだのであります。我らとて、それは同じ心持ちのはず。
そこを「惜しい」という理由ひとつで、唐突に秘を明かし、取り込まんとするは義なき行いかと思いまする。力及ばず、ここをさった者への礼を失する行いかと。
さすれば、拙者は辞退する。心を愚弄された気がするのでな」
「――どうあっても?」
父親は不動のまま、すっと貴族を見据える。返事の代わりに、彼は踵を返したのだけど、一部始終をハラハラする心持ちで見守っていた若い貴族は、はっきりと見たわ。
御簾の中に並んでいた、二つの人影。それらが姿勢もそのままに移動して、貝を合わせるようにまたひとつの影に戻ってしまったこと。
先ほど、自分たちが薬缶から吐き出し、いまだ散りきらずに周囲へ残っていた白い煙が、にわかに御簾の向こうへ勢いよく吸い込まれて行ってしまったこと。そしてそれを取り込んだと思しき女性の影が、目で見えるほどに一気に膨れ上がったこと。
そして更に、その影すらも座った姿勢を崩さぬままひとりでに動き、御簾を持ち上げて、ここまで身体を動かさなかった父親へも重なっていく。
めくれてから父親の中へ入るまでのわずかな間、彼に見えた彼女の影は服を着て、長い黒髪を垂らしながらも、顔のない肉塊のように見えたの。しかも父親と肉塊をつなぐように、太い管が横たわっているのも見たわ。
謀られた、と思った時には、父親は「娘」を完全に身体の中へ取り入れている。身体は相応に膨れ上がり、身に着けていた直衣がちぎれ、烏帽子が落ちた。
人だった痕跡は、ほぼ丸々と膨らんだ肉の中へうずまりかけている顔面の部分のみ。足は完全に見えなくなり、手も掌をわずかに外へのぞかせるばかりとなったの。
立っていた縁側から、とんと小さく跳び、庭へ降り立つ。先ほど自分たちが薬缶から出した煙を全身から吹き出し、勢いよく転がりながら、中年の貴族へ突撃する。これは物音を聞きつけた彼が、再度振り返りかけるまでの、ほんの短い間でのことだったわ。
肉塊は、あっという間に貴族を巻き込んだ。それでも勢いは止まらず、地面を軽くえぐりながら庭を覆う壁に衝突。大きくひびの入ったしっくいの壁を意に介さず、動きを止めた肉の球は満足げに煙を吐き出し続けている。
若い貴族は逃げた。球とは反対側にあたる庭の壁を這い上り、自分の屋敷まで一気にかけて、厳重に戸締りをする。太刀を抱えて眠れぬ夜を過ごした彼は、自分が去ってほどなく、件の屋敷から物音が響いてきたのを聞くも、一歩も外へ出なかったとか。
翌日。彼は屋敷が倒壊したことを彼は耳にするわ。特に壁の一角が壊れ、大きな球が転がり出た軌跡が残っていたけれど、それはいくらも進まないうちに途切れてしまう。あの球に飲み込まれた貴族は、屋敷へ戻ってこなかったとか。
壊れた屋敷からは、あの薬缶から出た煙とほぼ同じものが、一日中吹き出し続けたわ。それらがなくなった後の撤去作業で、屋敷の床下から人間数人分に及ぶ、傷んだ肉塊が見つかったとか。
生き延びた彼は晩年、あの薬缶は自分が取り込むにふさわしい相手を見つける道具だったのだろうと語ったわ。逃げそびれたあの家族は、きっと肉の球の伴侶として、今もその中にいると思う、とも。




