プロローグ
――――2019年某日、出雲大社
19世紀末頃、神々が大量に殺された。
ツァラトゥストラという一人の世捨て人が、お節介にも神の死を触れ回ったのだそうだ。
現代の常識に慣れ親しんだ自分の浅い理解で言えば、過激なことを言って周囲を焚き付けるアジテーターの一種にしか思えなかったりするが、当時の人々、また神々にとっては違ったらしい。
とある哲学者がその様子を寓話の形式で書き上げたことを契機に論争が論争を呼び、現代にも続く一つの、あるいは様々な主張、思想、学問の下敷きになっている。
遠く異国の地で起こった出来事である上に、おおらかな気質の者が多いこの国の神々も、受けた衝撃で言えば相当なものがあったらしい。
よくぞと傲慢に褒め称える神がいるかと思えば、酒に任せて呪詛を吐く神もいるようで、喧々諤々、様々な意見を戦わせる論議の場になっている。……はずだった。
西洋では半ばタブー視される神殺しの顛末を、彼女は――箱庭世界の女神ラクタールは、相応の覚悟と心構えを持って切り出したはずだ。
神として歴史の浅い彼女はその時代にはまだ認知されていなかったし、そもそも地球人たちの神様ではない。ラブクラフトが名を付けた外宇宙の神々に系統としては近いものがある。もちろん、あそこまでおどろおどろしい存在ではないが。
ともかく彼女は、当時を生き残った神々に、件の話を聞き、その智慧から現状を打破する術を学ぶ心づもりだったのだが……。
――ぜんぜんまったくこれっぽっちも参考にならない……。
彼女は会議にあたって、人の運命や縁を決定付ける神聖な場であることは学んでいたし、あらゆる意味で場違いなことも承知してはいたので、最悪、ここ出雲大社で行われる神々の会合から追い出されることも視野に入れていたはずだった。
故に彼女は、まさに藁にもすがる思いだったのだ。
だと言うのに、目の前で繰り広げられるそれは、酒まで交えてどう見てもどんちゃん騒ぎのそれだ。
陽気なのは結構なことだが、もう少し厳かにはできないのか。
馴れ馴れしい神々がしきりに勧めてくる盃を、ラクタールは苦笑交じりで受け取る。末席とはいえ神たる彼女は決して呑めないという訳ではないが、あまりにもしつこい。
この国に住まう八百万の神々にとっては酒の肴でしかないのかもしれないにしても、もう少し真剣味を帯びた話をしてほしい。
詮無い話ではあるが、愚痴めいた言葉が次々と浮かんでは消える。
――はぁ、結局自分でなんとかするしか無いのかぁ……。
もはや無礼講同然となった社で、執拗に尻を撫で回してくる助兵衛爺の手を払い除けつつ、彼女は憂鬱そうにため息を一つ吐いた。