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悩みの種と魔法(仮)

 

 今世での方針を決めてから体感で半年くらい経った。



 この部屋には日付が分かるものがないので今が何月何日なのかは分からない。

 体感で、というのは最初は日の出と日の入りを数えていたのが、チマチマと数えるのが面倒になり、加えて、後で説明するが寝不足でイライラしていたこともあって数えるのを諦めたからだ。



 そして、今、俺は世話係のメイドさんに見守られながらハイハイの練習をしている。

 これが思ったよりキツい。

 まだ全身の筋肉が十分に発達してないから腕や脚が上がらず、全く前に進まない。

 メイドさんは手を叩きながら謎言語でこっちだよーという風に語りかけて俺を自分の下へと誘導してくるが、その距離は赤ん坊の俺にとって、千里の道のように遠い。



 だが、俺は挫けたりはしない。

 早めの段階でハイハイができるようになれば行動の幅が広がるし、何よりも、この半年間は寝たきりで一歩も動けず、死ぬほど暇だったからだ。

 疲れるのは確かにそうだが、何もできずに寝て、起きて、寝るを繰り返すしかなかったあの頃よりもずっとマシだ。



 俺はひたすらにハイハイを続ける。

 腕を上げ、脚を上げ、腕を上げ、脚を上げる。

 ただ愚直に、一生懸命に、何度も何度も繰り返す。

 たちまち息は上がり、繰り返す毎に体は重さを増していく。

 キツい、とてもキツい。



 それで進む距離は全体の内の何分の一にも満たない微々たるものでしかない。

 だが、微々たるものでも、俺とメイドさんとの距離は着実に埋まっていく。



 それから、数十分が経ち。

 長きに亘る戦いも、終わりの時を迎える。



 俺と彼女の間にあった距離もハイハイ一歩分まで埋まり、俺が上げているこの腕を下ろせばその距離さえもなくなるだろう。

 俺は最後の力を振り絞り、腕を床へと叩きつける。

 衝撃が部屋全体を駆け巡り、地面が共鳴するかの如く、激しく揺れる…………なんてことはないが彼女との距離はゼロになった。

 そして、距離がゼロとなると同時に、部屋の中には快哉が響き渡る。



「■■■■■■■~♪」


「オオオオオオオオウッ!!(やったぁぁぁぁぁぁぁ!!)」



 やった…………、やったぞ…………、俺は……やりきったんだ……!長く辛い道のりを乗り越えたんだ!



 メイドさんと共に喜びの声を上げながら、俺は達成感に浸っていた。

 この赤ん坊の体になってからというもの体が重くて仕方がなかった。

 可動域は狭いわ手足は短いわ重いわで思ったように動かないし、ただ腕を持ち上げるだけでも体力を削られる。

 だがそんな中でも、それでも、俺は成し遂げたのだ。

 果てしなき道をハイハイしきった。



 心地よい達成感と身を委ねていると、メイドさんは俺を持ち上げてどこかへ歩き始める。

 どこへいくのだろうかと思って彼女の顔を眺めると、俺の視線を感じたのかニッコリと微笑みを返してくる。

 疲れた俺を気づかってベッドに運んでくれるのでは、と思ったがそんな風でもない。



 何となく嫌な予感がして、彼女の視線を辿るとそこはスタート地点だった。



 はえっ………………ちょ、待っ………。



 呆気にとられて固まっていると、彼女は流れるような動作で俺をスタート地点へと置き、自分だけゴール地点へと戻った。

 そして、無慈悲にも再びこっちだよーの声と拍手を響かせ始める。



 ……………。



 …………………。



 ………………………。



 ハッ、ハハッ、

 ハハハハハハハハハハッ……!!!

 ハハハハハハハハハハハハハハハ!!!



 チクショオオオオオオオオオオオァァァァァァ!!

 良いだろう、何度でもやってやんよォ!!

 この鬼畜メイドがァァァァ!!!殴ってやるからそっちで待ってろやァァァァァァ!!



 後になって思えば、寝不足でテンションがおかしくなっていたのかもしれない。

 結局、足腰が立たなくなるまでハイハイをすることになりましたよ、ハイ……。



 そんな感じで、楽しく充実した毎日を送っている俺だが一つだけ重大な問題を抱えていた。



 それは、空気の問題だ。

 メイドさんと俺の雰囲気云々ではなくて、単純に呼吸に使う大気の話だ。

 昼間の起きている時間帯にはさほど気にならないのだが、夜になり、一人で静かに目を瞑っているとその問題が顕在化してくる。

 説明が難しいのだが、空気に圧迫感のような、ムズムズするような、そんな不思議な気配、違和感があるのだ。



 それがまた結構な不快さで、例えるならば熱帯夜で寝苦しいところに何匹も蚊が飛び回わっているというような感覚の不快さなのだ。

 これが始まった正確な日は覚えていないが、おそらく、十日ほど前からそれがずっと続いている。

 おかげで、慢性的な寝不足だ。



 それだけならまだ被害が自分だけなので我慢のしようもあるが、夜泣きしてしまうのが問題だった。

 転生してからというもの、体の幼さのせいもあってか感情が不安定になるとすぐに泣いてしまう。

 寝不足でイライラしただけでも涙が溢れてしまうほどに涙腺が緩いのだ。



 そのせいで、世話係のメイドさんに大きな負担を掛けてしまっている。

 深夜でも起きてきてすぐに寝かしつけてくれるのはとてもありがたいが、その度に物凄く申し訳なく感じてしまう。



 俺の精神衛生と安眠と健康の為にもなんとかしたいと思っているのだが、いかんせん空気だ。

 前世のように空気清浄器があるわけでもないし、そもそも空気清浄器があっても、この謎の気配に有効かどうかも分からない。

 また、この世界にそれに類するものがあったとしても、赤ん坊の体では操作することなんてできやしないだろう。



 とまあ、こんな風な状態でなんとかする手立てが全く思い浮かんでこない。

 かろうじてできるのは気配に対して、どこかに行ってくれ、と祈りつつ、我慢することぐらいだ。



 とはいえ、それはなにもしないよりは気分的にマシというだけのもので、羊を数えて眠くなるというあれの代替程度の効果しかないだろう。

 このまま何の手も打てず、安眠できない状態が続けばネオニートになる以前に狂ってしまうかもしれない。

 そんな不安を感じつつも、どうすることもできずに手をこまねいていた。



 そして、今夜もそれは同様だった。



「あうぅ……(最悪だ……)」



 日が落ちてからしばらくするとメイドさんは照明を消して、俺をベビーベッドへと運ぶ。

 彼女は俺を寝かしつけてから静かに部屋を出るのだが、メイドさんが部屋を出て一人になると、俺は空気の不快さで目を覚ましてしまう。

 そして、不快さにイライラして夜泣きしてしまうのだ。それがここ十日間の不眠のパターンだった。



 そして今夜もその例に漏れず、一人になると目が覚めてしまった。

 今日は日が落ちるまでハイハイを続けたため、死ぬほど疲れている。

 肉体的にも精神的にも、今日ばかりはゆっくりと眠らせて欲しい。

 だがこうして、目が覚めてしまっている以上、それはもう叶わない。



 気休めでもいいから何かにすがりたかった俺は、一心不乱に、呪文のように祈った。



(どこかに行ってくれ!、どこかに行ってくれ!、どこかに行ってくれ!、どこかに行ってくれ!、どこかに行ってくれ!、どこかに行ってくれ!、どこかに行ってくれ!、どこかに行ってくれ!、どこかに行ってくれ!、どこかに行ってくれ!、どこかに行ってくれ!、どこかに行ってくれ!、どこかに行ってくれ!、どこかに行ってくれ!、どこかに行ってくれ!、どこかに行ってくれ!、どこかに行ってくれ!)



 他に考える隙がないほどに、ただただ祈る。

 そうすることしかできなかった。



(どこかに行ってくれ!、どこかに……、あれ?)



 しばらくして、俺の必死の祈りが届いたのか、今まで我慢するしかなかった不快な気配がだんだんと遠退いていき、それに引っ張られるように空気の塊が移動して、微かな風が巻き起こった。

 涼風が部屋の中を駆け巡り、ふわりと俺の頬を撫でる。



 祈り続けて数分もすると、気づけば俺の周りからは不快さを感じさせる空気は微塵もなくなっていた。



 突然起こった不思議現象に困惑したものの、その困惑よりも蓄積された疲労と眠気の方がずっと強かった。

 俺はこの現象については明日に考えることにして、とにかく今は眠ることにした。




 ――――――




 次の日の夜。

 俺は昨日の現象について検証するため、寝たふりをやめて目を覚ました。

 メイドさんの寝かしつけ攻勢を耐えきるのはつらいものがあったが、なんとか耐えきった。

 昨夜、どこかへ消えた不快な気配は一日という時間を経て、完全に復活している。

 昨日までの俺ならば絶望していたかもしれないが、解決の糸口を手にした今ばかりはありがたい。



 とりあえず、昨夜の状況を再現してみることにする。

 ただ、昨日と全く同じようにやって、不快な気配が消えてしまえば検証が全然進まないことになる。

 そのため、最初の実験は祈りの内容を変えてやることにする。

 内容は適当に……俺を中心に一周しろ、とかで良いだろう。

 これが再現できたのならば、不思議現象に再現性があるか、祈りの内容が違っていても大丈夫か、などが分かるはずだ。

 もし、それで駄目なら検証に時間はかかることになるが、昨日と全く同じことをしてみよう。



(よし、やってみるか)



 俺は不快な気配に対して念じた。



(俺を中心に一周しろ、俺を中心に一周しろ、俺を中心に一周しろ、俺を中心に一周しろ、俺を中心に一周しろ、俺を中心に一周しろ、俺を中心に一周しろ、俺を中心に一周しろ、俺を中心に一周しろ、俺を中心に一周しろ、俺を中心に一周しろ、俺を中心に一周しろ、俺を中心に一周しろ、俺を中心に一周しろ、俺を中心に一周しろ………。



 ―――――――おっ?)



 実験を始めてしばらくすると、散らばっていた不快な気配がひとかたまりに集まっていき、動き始めのエンジンような鈍重さで動き始めた。

 そして、体の右側、足の裏側、体の左側、頭皮あたりを順番に嘗めるように、ねっとりとした気配が通りすぎていく。



(うひぃぃぃぃぃぃぃ………)



 袋に入れた砂鉄に磁石を当てた時のような動きで鳥肌が移動していく感覚がして、思わず背筋が伸びる。

 身の毛がよだつというのはまさにこのことだろう。

 そして、不快な空気の塊は長い時間をかけて俺の周りを一周し終えると、もとあった所に戻るように拡散していった。



 (ふ、ふう……やっと終わった)



 不快な空気が精神攻撃をしてくるという、まさかの出来事に少し面食らったが、不思議現象の謎をいくつか知ることができたのは喜ばしい。



 一番嬉しいのは昨日の現象に再現性があったということだ。

 念じることでこの不快な気配を消せるというのは大きな収穫だ。これで今後、空気の不快さで寝苦しい夜を過ごすことがなくなる。

 また、念じた内容によって起きることが変わるというのも良い。

 まだ具体的な内容は何も考えていないが、もしかしたらこの不快な気配を利用することでいろいろなことができるかもしれない。



 それにしても、念じただけで空気が動くなんて、一体どうなっているのだろうか。それに、空気全体ではなく不快な気配がする部分だけが動くというのも不思議だ。



 流石は異世界だ。



 色々と気になることがどんどん増えていくが、成長するまではどうしようもないので、頭の中の先送りボックスの中に入れておく。



 それで、今回の検証で再現できた念じるだけで不快な空気が移動する謎の現象は、異世界らしく魔法(仮)、不快な空気自体は魔力(仮)と呼ぶことにしようと思う。

 異世界と言えば魔法が付き物であるし、前世にはなかった不思議な感じがまるで魔法みたいだからそう名付けた。



 今夜からは毎日、魔法の検証と練習をすることにしよう。

 今の俺にとって魔法はいい暇潰しになるだろうし、将来ネオニートになる際に魔法が何かに役立つかもしれない。



 そうと決まれば、検証の続きだ。

 次はどんな内容を念じてみようか。

 圧縮?拡散?うーん…………。



 そうして、夜はどんどん更けていった。




 それで、ついつい夜更かしをしてしまい、結局、寝不足になったのは反省しないといけない。




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