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空を歩く

作者: 蒼烏
掲載日:2018/01/19

拝啓、未来の僕へ


貴方が大人になったとき、貴方は何を諦めたのでしょうか。

好きだったゲームのカセット?それとも、友達と買ったミニフィギュア?

大人になるには、貴方が一番大切にしてる思い出の品を捨てなくてはいけないらしい。

それが僕等と『空』との約束だから。そんな話を聞きました。

貴方は、『自分』を捨てられましたか?


* * *


今から半年前、数週間後に一人暮らしが迫った冬のことだった。

慌しく準備が進む中、それを見つけたのは本当に偶然と言って良いだろう。子供部屋の押し入れの奥に仕舞われたダンボールから、必要なものとそうでないものを仕分ける。残しておくべき記念品とするには些か数が多すぎた僕のガラクタは、数年間一度も陽の光を浴びることのないまま、薄灰色の埃を被って眠りについていた。

ミニカーや戦隊モノのフィギュア、好きだったゲームのカセット、当時流行りの歌手のCD。こっそり隠したテストの紙なんて苦い思い出も見つけながら、僕は昔の記憶をゆっくりと掘り起こしていく。

ふと、ダンボールの中を探っていた指の先が冷たいものに触れた。それは冬の冷気で凍りそうな程に冷えた金属製の物体で、中身に心当たりの無かった僕は首を傾げる。

取り出してみると、洒落た細工の施された小箱だった。嫌味のない落ち着いた金色が目に優しい。けれど、僕の趣味に合うものでは無かった。お洒落なアンティーク調は男子よりも女子に人気がありそうに思える。

兎にも角にも、開けてみないことには始まらない。見覚えのない箱に手をかけたとき、僕はようやくその中身について思い出した。

箱の中にはさらに小さな小箱と、1冊の小説が入っていた。小説は子供が楽しむには少し難しい内容の話で、当時大人に憧れていた僕が背伸びをするように読んだものだった。

『大人になるには、子供の頃の思い出を何かしら捨てなければならない。それは貴方が持つ未練であり、羨望であり、何よりも輝いていたという証なのだから』

そんな小説の冒頭部を、僕は今でも暗唱することが出来た。


* * *


ごとごとと揺れる電車の背もたれに体を預ける。ふかふかした柔らかい手触りだったそれは、長年使われ続けたことによりすっかりくたびれてしまっていた。線路を走る車体の揺れを体に受けるのは存外体力を奪われる。猛暑の中をひたすら歩き続けた僕は、束の間の休息であったはずの車内に少なくない不満を持ちながら、電車からの猛攻に耐えていた。車内には、僕を除けば、幼児を抱いた母親と老人が居るばかりである。たった四人だけを乗せて、電車は終点へと駆けていた。駆ける。その言葉が最もこの状況に適切だろう。何処までも続く田畑の真ん中を走る車体は、草原を駆ける馬のように思えた。

何気なく外の景色に目を向けていた僕は、視線を車内に戻す。変わり映えのしない風景に飽きてきたので、何か面白いことはないかと思ったのだ。

ふと、母親に目を向ける。母親は静かに目を閉じて、子供を抱いたままこくりこくりと揺れていた。子供をあやしているうちに、自分も眠くなってきたのだろうか。まだ髪も生え揃っていない子供は、母親の腕の中で、気持ち良さそうに眠っている。すうすうと寝息が聞こえてきそうな彼の口は小さく開いたり閉じたり、金魚のようにせわしなく動いていた。友人達と夏祭りで見た光景と重なって、くすりと笑ってしまう。ひとしきりそれを眺めた後、僕はゆっくりと視線を左に逸らした。

そこに座っていた老人と、一瞬目が合って、僕は心臓が飛び上がったように感じる。何となく、悪いことをしてしまったように思えて俯くが、老人は大して気に留める様子もなく再び雑誌を読み始めた。

今度は彼ではなく、彼の持つ雑誌に目を向ける。開かれたページをそっと覗くと、何処かで見たようなアイドル達が可愛らしい衣装を着て踊っていた。他のページとは明らかに異なる、鮮やかなカラーが目を引く。老人の外見とは似ても似つかない趣味に内心酷く困惑する。が、彼はその内容に興味を示さず、すぐにページを捲った。お目当ての内容は、アイドルではなかったらしい。安心と失望の入り交じった奇妙な気分になりながら、僕は次々と捲られていく雑誌を食い入るように見つめた。

突然、老人が手を止める。前のページを見ようとしていた僕の体が、自然と左に動いた。老人はもう一度ちらりとこちらを見てから、また興味を失くしたように手元に視線を落とす。今度はすぐにページを捲らず、白黒の写真をじっと眺めていた。

老人が興味を持った写真が気になったが、残念なことに僕の位置からは平たく歪んで、何の写真であるかまでは分からなかった。座席をずらせば容易に見えそうだったが、そうまでして確認したいとは思わず、諦めて視線を雑誌から外した。

ふと、老人の顔を見る。それは顔を少し上げたための偶然かもしれないし、僕自身が意図してやったことかもしれない。あまりにも自然に行われた自分の行動が、意識したことなのか無意識下の行動であったのかは正直なところ僕にもわからなかった。ともあれ、僕は老人の顔を見た。そして、声には出さないものの確かに驚いたのだ。

老人は笑っていた。くつくつと声を上げて笑うのではなく、静かに口角の端を吊り上げていた。それは先程まで仏頂面にも見える無表情を貫いていた彼からは想像出来ない表情で、僕は思わず瞬きをした。

何を見て笑っているのだろう。それは今の僕にとっては小さくない疑問の一つだったが、がたごとがたごと、耳に残る音と共に走る電車の中でそれを確かめるのはいささかマナーに反するように思えた。

僕はもう一度老人の雑誌を覗いた。結局、あの写真は見えなかった。老人がページを捲る。そして再び笑顔を消した老人は、何かを求めるように続きを読み急いだ。

それきり全くこちらに興味を示さなくなってしまった老人から、僕は静かに目を逸らす。もう一度あの親子を見るが、先程と変わらず揺られながら眠るばかりだった。

はぁともふぅとも取れるような溜め息を吐き、ぼんやりと窓の外を眺める。田舎というのはどうしてこうもつまらないのだろう。そんなことを考えてしまうほどには、田んぼと山しかない風景に飽き始めていた。

『次は地平線、地平線です』

感情の籠らない声で、車掌さんがアナウンスを流す。静かだった車内を突然荒らしたその音に、びくりとして母親が目を覚ました。子供を落とさないよう大切に抱え、母親は慌てたように辺りを見回す。暫くして遠くに駅のホームが見え始めた。ホームの看板に書かれた文字を確認し、母親は漸く安心したように息を吐く。

耳障りな金属音を立てて、電車は駅のすぐ横に止まった。ぷしゅう、という気の抜けたような音と共に扉が開く。ゆっくりと立ち上がった母親が、まだ眠気の取れない頭を軽く振って降りていった。彼女が降りてから少しして、電車の扉が再び閉まる。気の抜けた音を置き去りにして、電車は再び僕を倦怠の世界に誘った。

駅を過ぎてから暫く、電車は地平線の上を走った。家からよく見ていた一本の線は線路にするには少し頼りなく思える。僕の席からは、丁度地面のある方が見えた。遠くの方にはビルや家々が小さく見え、それらがミニチュア模型のように思えて少し楽しかった。

後ろを振り向くと、地平線の「あちら側」が広がっている。上下の感覚すら忘れてしまうような空が、どこまでも続いていた。空を見下ろす感覚は新鮮で、いつしか僕は一心不乱に窓に貼り付いて空を眺めていた。まるで幼児のような自分の行動にはっと顔を赤くするが、雑誌を読みふける老人と二人の車内で、それは無意味な行動に他ならなかった。

やがて、線路は地平線から逸れ、僕らを載せた電車は再び大地を走り出した。また退屈な風景が続くのか、と陰鬱な気分になるが、幸運なことに列車は田園地帯を通らなかった。緩やかな坂を登り着ると、車体はそのまま空へと昇り出す。一瞬の浮遊感が少し恐ろしく感じた。

『次は虹の麓、虹の麓です』

再び車内アナウンスが流れた。その言葉が言い終わる前に老人は立ち上がり、扉へと向かう。読んでいた雑誌を脇に抱えて、真っ直ぐに外の風景を見つめていた。老人の視線の先には青い空が広がるばかりだ。僕もつられて、老人と同じ窓の先を見た。

老人と同じ青を共有していると、突如視界が灰色に覆われた。車体が雲の中に入ったのだ。

再度音声が流れ、間もなく到着することを告げた。

電車が緩やかに速度を落とす。

きい、と高い音を立てて止まった電車の扉が開くと、老人はしっかりした足取りでホームへ降りていった。いよいよ僕一人になってしまった、と、少し寂しく思う。挨拶すら交わさなかった関係だというのに、僕はこの短い間で電車を去った彼らにある種の親近感のようなものを覚えているらしかった。

ぷしゅう、と閉まった電車の音に寂しさを感じながら、僕は再び電車に揺られ灰色の世界をぼんやりと見ていた。しかし、直ぐに灰色の世界は終わりを告げる。目が痛くなるような強い青が視界いっぱいに広がり、反射的に目を瞑った。恐る恐る目を開くと、雲一つない青空が広がっていて、電車が通ってきた雲は遥か後方に起きさってしまったのだと悟る。駅から離れ、ぐんぐん高度と速度を上げる電車は、もう殆ど揺れを感じなかった。そこで漸く、僕は車体の揺れる音が消えていることに気付く。中に浮く線路はあくまで道標であり、車輪と擦れたりはしないのだろう。可能な限り後方を覗くと、遠くに虹が見えた気がして、あそこから来たのか、と思った。麓の雲は残念ながら見えなかったが、うっすらと二重のアーチが美しく輝いていた気がして、思わず笑みがこぼれる。虹が幸せの象徴だという逸話を思い出したのだ。

車体はさらに高度を上げて、雲の遥か上を滑るように走っていた。

通った道程もすっかり見えなくなり、田園風景以上に代わり映えのしない青が続く。にも関わらず、不思議と飽きる気はしなかった。微妙な空のグラデーションを眺めていると、まるで本当に空に吸い込まれていくようだった。

外の景色に満ち足りた気分を味わった僕は、くるりと向きを変え、座り直す。窓に体を向けていたのから、車内を向いた僕の体はぐらりと揺れ、自然と手すりに寄りかかる形となった。

「あー……まだ、かな」

目的地がずっと先であることを察して、小さくため息を吐く。

車内を見ると空の世界から現実に引き戻されるようで、それが先程の爽快感とは一転、忘れかけていた憂鬱を呼び起こした。

気の命じるままに目を閉じ、体の力を抜く。すると睡魔が静かに僕を蝕んだ。闇の中に意識を落としながら思う。

終点は、きっとまだ遠い。




どれ位の間、そうしていただろうか。夢と現の境を行ったり来たり、やがてそれすら飽きた頃、旅の終わりのアナウンスが鳴った。

『次は終点、空の果て、空の果てです。お忘れ物の無いようお気をつけください』

速度を落とす列車は何だか名残惜しそうで、最後の一瞬まで走ることを楽しもうとしているように見えた。

僕は真っ直ぐに改札へと向かう。古い改札は機械式ではなく有人のタイプで、それなのに駅員の姿は見えない。料金を払えないことに戸惑うが、少し考えてその必要がないことを思い出す。ここに着くための運賃は、とうの昔に払い終えていたのだ。

空を踏みしめながら、僕は無限の青の中を歩いていた。駅の外は先程まで眺めていた景色がそのまま広がっていて、寧ろ窓が消えた分先程よりも澄んだ光は視界を暴力的なまでに美しく染め上げていく。目が眩むような空の中、僕はひたすらに足を動かし続ける。不思議と、終着点が近い、そんな確信を抱いた。




視界を埋める青に鮮やかな赤が混じった頃、足を止める。ひとつ大きな息を吐き、改めて見るとそれは色とりどりの塊で、僕は漸くそこに辿り着いたことを悟った。

世界の端、最果ての地には、ガラクタが積み上がっていた。

花束、手帳、学生服、年代物のテレビに傷のついたスマホ、錆び付いた鉄パイプなんてものもある。それらは確かにガラクタで、使わない人からしてみればゴミともとれるものばかりだった。それなのに無造作に積み上げられた物からは少しも『いらないもの』という気配が感じられない。太陽の光を浴びたそれらは、まるで自ら発光しているかのようにきらきらと輝いていた。

その山に、まるで吸い寄せられるように近づく。

ガラクタの片隅に、僕はそっと手を伸ばす。それはけしてそれらを拾うためではない。優しく、優しく、決して傷つけることのないように、僕はあの日の小箱を取り出し、中身を開けた。




中には、真っ白な封筒が入っていた。

子供の下手糞な字で僕の名前が書かれている。

それは、僕にとって、大切な子供時代の思い出だった。


だから僕は、その手紙の主と交わした約束を果たす。

僕は手紙をガラクタの山に置いた。初めからそこにあるべきであったかのように、手紙はそれらによく馴染んだ。

「またね」

そんな言葉を呟いて、僕は空の果てを去る。

空の中を歩いていく。



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