それぞれの思惑と時の勢い
駿府に戻ると書状を2通内密に送る。
「親方様が躑躅ヶ崎にと何度もお伝えしておりますが」
「家康が動いておるから動くわけにはいかぬと言っておろう」
これで何度目の使者か勝頼からの評定に出るようにと言うことだが、それを徳川勢に対する守りを理由として動かずにいる。
「何故なのですか、確かに徳川からの手が日に日に強まっているとはいえ」
田中城の城主であった昌景の息子である山県昌満が聞いてくるので、
「こないだの、長篠での亡くなった将兵に対する恩賞をおこなっておらぬ、それを進めることができにと言うことだ」
多数の戦死者を出しその保証を与えねばならぬが大敗して渡せる土地もなく、金も黒川金山が枯渇して軍資金さえ足りずにおり家臣達の不満は高まっている。
「何れにせよ建て直すには商業を何とかせねばならぬと言うことだ、お前の父や主だった重臣は倒れたからな考えてみるがいい」
そうは言ったが要は信玄から私が小金を隠しているのを聞いているのだろう、それを借りて一息つきたいと言うことだが、
「信君(穴山)に責任を取らせればまだ考えもしたがな」
そう言うと昌満は暗い顔で躑躅ヶ崎に向かった。
私は長篠に行く前に甲斐の館にあった金銀やここにあったものはすべて運び出して空にしており勝頼も私の後を継いだ血のつながらぬ息子に聞いていて焦りを感じており毎日のように使者が来るようになっていた。
私は日課の駿府城内からでて河原に顔を出す。
「長老、飯をもらいにきた」
昔と変わらず権力が届かぬこの場所で暮らしている民の中で安心をする。
「いらっしゃいませ、どうぞお座りに」
焚き火のまわりにある木に座ると鍋で煮込まれたごった煮出されて食べる。
「毎日来ても飽きぬなこの味は、城の中よりうまい」
運んできた少女も嬉しそうにしておりこれからの事を色々考える。
「それとお坊様ですが、ぎりぎり命脈を保っている様子で1年持つかどうか」
天海という坊主は病気をこじらせて療養しており肺を患っているようで完治はできぬということで面倒を見させている。
「なくなったら内密に」
そう言いながら城へと戻ると知らせがきた。
「奥三河と犬居谷を攻めたか」
奥三河はいいが犬居谷を落とされると天竜の要所である二俣城への援軍が出せなくなりそれは天竜川を容易に越えることができるということで遠江を守るのが厳しくなると、それと同時に織田への牽制である東美濃の岩村城へと信長の嫡男である信忠が攻め入ったと、対応をしなければならないはずだが戦後処理も終わってない武田に直ぐに動かせる兵は多くないが援軍を送らねば前戦の城は寝返る事になるため出陣をしていった。
私は援軍の依頼に息子を甲斐に向かわせ私は三千の兵を率いて二俣城へと向かった。
「徳川は旗本が主力か」
すでに二俣城は包囲され徳川の別動隊である旗本が犬居谷を攻めているが二俣城の向こうなので兵力差もあり攻めることはできずに城主の天野には撤退をするように知らせ家康も私だとわかっていたのか手を出さずにいてくれた。
「そうか岩村は落ちたか」
援軍には間に合わずわかってはいたが秋山が夫婦共々貼り付けになるかと思い出しながら駿府へと戻った。
年が明け織田では安土城がと思いだし初夏を迎えると徳川が再び動き始める。
躑躅ヶ崎に知らせると勝頼も兵を率いて駿府へ入り久しぶりの対面となった。
「叔父上、いい加減に引きこもっておらずに一門として何かなされようがああるはずです」
会うなりそう言ってくる勝頼に感情を出さずに、
「美濃や奥三河、二俣城が落ちた状況に躑躅ヶ崎では何をどうするつもりかわかりかねると言うことです」
「信龍殿少し口が過ぎるのでは」
処罰を免れて勝頼の側に戻った梅雪(信君)が言うのを、
「前にも伝えたとおり信春や昌景等がもうおらなんだ、なれば次の世代の者が決めればよかろうと申しているだけ」
のらりくらりと交わしている私にいらついた勝頼が、
「もうよい、叔父上とはいえ怠慢と受けとらねかねぬ言動見逃すことできませぬ、梅雪よ江尻と共に駿府も任せる」
それだけ言うと援軍のため出撃をしていった。
「あまりにも一門であり重心である」
「言うな、当主の決めたことむやみなことを言う出ない」
長篠を生き残った老臣が勝頼に反発しようとしたのを押し留めると駿府郊外の小さな館に入り隠居を宣言した。
「さてすまぬが影武者をたてて流行り病と言うことでこもる表状はな」
小太郎に準備をさせると頭を剃り天海と名のると船に乗り尾張へ上陸して安土へと入った。
「頭を丸めたか腑抜けの佐久間をあと一歩まで追い詰めわしの前でこれ見よがしに突撃してきたお前が、そうかわかった中を見ていくがよいぞ」
信長に面会を求め面会待ちをしている公家や商人等の横を抜けて天守閣に入る。
「どうせ散るならと、突破はなりませなんだがいっし報いたかと」
「唯一馬防柵を突破したからのう、それでわしに仕えると言うことだな」
「まだ滅亡しておりませぬが」
「そう思っても居ないようだがな、何れにせよ謙信を何とかすれば勝頼など物の数にもならぬからな」
「それと岩村城攻略のおり謙信に信濃へ攻めこむように頼んだが動かなかったのは」
「信玄亡き後、謙信を頼れと唯一老臣で残った高坂が同盟を求め義によってと言うことでしょう」
「つまらぬな義など何の意味もない、しょせんは田舎大名か」
久しぶりの信長との話を楽しみながら昔見た品々を改めて見せられながらしばらくを過ごして書状を貰うと諏訪原城を包囲している家康の元に向かった。
「攻め落とせ、ここが落ちれば高天神も奪い返す事も出来るぞ」
徳川の士気は高く立て続けに落とせた事により勢いもある。
書状を渡して人払いを頼み家康と正信(本多)の3人で話をする。
「信龍殿が前戦におらぬと聞いてはいたが外され隠居をされたとは」
家康も驚き私を見る。
「なかなか寒くて叶わんですな、天海と呼んで下され」
信長からの書状を読み対武田についての助言を得るようにと言うことで早速諏訪原城の弱点を聞かれたので、
「東側の谷間から右に一気に登れば見張り台の死角になるので夜陰に紛れてと言うのはいかがでしょうか」
私が昌景と建てて昌景が亡くなったあと少しだけ改修を行い欠点を大きくしたその弱点を伝えると忠勝(本多)が朝駆けでかけあがり占領をしてしまったと言うことで高天神への攻略と共に武田崩壊のカウントダウンがはじまる。
「私は一度甲斐へ戻ります」
家康に告げると隠居の館に戻った。
「何度も申し上げているように病にふせっておりますので」
「顔を見たいと言っているだけ、何か隠しだてするような事があるのか」
勝頼の近習が蜂の巣を突っついたように叫んでおり私はわざと薄暗くした中を通した。
「隠居をした身に今更何のようかな」
そう言うと諏訪原城が落ち高天神城がとまくし立てるように言うのを静かに聞きしゃべるのを止めるまで無言でとおす。
「わかったわかった」
仕方なしにと体を支えられながら輿に乗り久しぶりの甲斐へと戻る。
「梅雪は関を復活させたか」
禁止されていた税を名目の関を復活させており勝頼もなにも言わないらしく前に比べれば商人の数も減っているようだった。
信就が継いだ自領を通ると驚くほどに荒れ果てており、
「戦死した働き手で生産量が落ちましたが例年と変わらずさらに納めよと命令され村人は離散してしまいこのような状況に」
井伊が戦死して血のつながらぬ信就が好き勝手で梅雪の助言でもあったのだろう損失を取り返すために重税をかけており他の将もだが勝頼の支配下もひどいのをあきれた様子で見ながら躑躅ヶ崎に入った。
「忙しいところすまぬな」
御旗、楯無の前には諏訪原城を落とされた敗軍の将の勝頼が何故か自信に満ちて座っており一門とはいえ隠居をして一番角に座っている私を気にすることもなく話し始める。
「今回は間に合わなくて残念であったが、上杉と北条との同盟が成立しさらに将軍直々により毛利と同盟を組み織田に対する包囲を行うことになった」
あのお歯黒が最後の屁で最後の包囲網をしいたと言うことだが、
「北から西へ上杉が上洛を行い我らは北条の力添えにより諏訪原城や二俣城を取り返していく」
甘い言葉に相変わらず踊らされている勝頼に鼻で笑うしかなく評定を聞いているだけだった。
「隠居は病からようやくだがこれで武田も安泰であろう」
勝頼が自慢げに言うので、
「北条との同盟、大変よいこととおもいます」
私が言うと勝頼は満足そうな顔をする。
「しかしながらこれには大きな問題が有りますが」
やな顔をしたが止めるわけにもいかずに黙っているので、
「北条と上杉との同盟が無ければ磐石とは言えず、氏康との一時的な同盟は謙信にとって関東の豪族に愛想をつかされ後悔をしていると、なればこそと言うことですし北条も佐竹などが連合を組み死力を尽くした戦いになり援軍を送る余裕もあろますまい」
図星を言われて勝頼は顔に赤みがさしており、
「それと恩賞の件、家を継ぐことは許しておられるようですが沙汰がないと、信玄公の頃には戦いの後直ぐに恩賞を行っていましたが」
切れる寸前にさらに、
「その事について信綱の遺児に後見人でなく昌幸に継がせると発表されたようですが筋が違うと」
「黙れ、当主が決めたこと何の問題があろうか」
勝頼はとうとう爆発して立ち上がり大きく足を鳴らして恫喝してくる。
「家の事は筋が通らなければ後々問題も出てくると、決めたと言うなら何があっても言い訳をされぬように」
そう言うと勝頼は退出し他の将も出ていったが私の前に当の昌幸が座って信綱の家臣についての相談を受けた。
「やはり収まりがつきませぬでしょうか」
急に継ぐことになったがやはり信綱の影響力は未だにと言うことで私に相談をしてきた。
「わかっておる。昌幸が正式に継がねば武田のように分解してしまうと言うことは」
「兄信綱の猛勇は圧倒的であり武藤を継いだ私が入ることに真田はかなり異論があると言うことに」
勝頼と同じで武藤を継いだ昌幸に対して本家は侮っており色々昌幸も行っているが中々上手くいかずにおり顔のシワが以前より増えている。
私は少し考え信綱の家臣にも久しぶりにと言うことで、
「海津にも行かねばならんついでに行こうか」
昌幸は喜び数日後出発した。
躑躅ヶ崎を出発して水無川に沿って北上する。
「昌幸よ、この地形どう思う」
後年、新府城の予定地を右に見ながら河原で休憩をとる。
「この高台、城を建てればかなりの防御と、それにもし城下町を造れば周辺の広さもあり発展しやすいのではないかと思いますが」
流石は昌幸と思いながら、
「当主が行っている商業は躑躅ヶ崎では街道から外れ広さもないと言うことだ」
「流石は信龍殿、余裕があればと言うことですか」
休憩中に周辺の事を調べようとしたので、
「時間がかかろう、これにすべて書いておる」
前もって調べていた書類を渡すと何度も礼を言われて出発した。
「圧政がひどいな相変わらず」
重税に逃げ出した者が居るようで見せしめにと言うことでそれを見て昌幸も何も言えずにいる。
「甲斐もだが貧しすぎるからこそ内政にもっと力を入れれば変わったかもしれぬが今更だな、忘れてくれ」
愚痴を言ってしまった私はこの転生に何の意味があるのかと思いながら滅亡した後天海で生きるのは良いのかと自問自答してしまい精神的に壊れてているのかと思いながら海津城へと入城した。
「遠いところよう来てくれました」
昌信(高坂)が出迎えてくれあの時以来の事に嬉しく思う、
「病にふせられたと聞いておりましたが床上げされたと、安心しました」
武田の中でも気遣いは昌信の右に出るものはいないと思いながら嬉しく頷き昌幸と共に夕飯を共にする。
「しかし今回上杉との同盟を組めたこと昌信のおかげで滅亡を免れたと、本来なら岩村を落とした織田が上杉と共に信濃へと進行しようとしたが謙信が動かず攻めることできなかったと聞いておりますぞ」
「信龍殿にそこまで誉められようとは、何よりの恩賞にございます」
昌信は嬉しそうにしている。
「しかしこれからひとつ間違えれば武田は滅ぶ」
そう言うと昌信も昌幸も厳しい顔をする。
「謙信も何れはだが武田と同じ、いやそれ以上に跡目の争いがあろう、景勝と影虎の」
「私ももう長くはないと思いますが確かに懸念している事で間違えば北条との戦いになると」
「どちらが継ぐとしても上杉の弱体化は避けられぬしそれは武田の滅亡にもつながる」
「それでは織田と組めればですが無理と言うわけですか」
昌幸が言う言葉に頷き、
「織田と組めれば安泰だが高天神と岩村を落とした時点でもう無理と言うこと、信長が亡くなれば別だがな」
真田が北条と徳川そして豊臣ととっかえひっかえしながら生き延びた事を思い出しながら話していく、
「勝頼殿次第と、だが信龍殿は目先にとらわれるだろうと当主が」
昌信に言われてうなづくしかなかった。
「昌幸、今後は頼むぞ」
昌信に言われていくつか話して翌日に佐久へ出発し、先ずは信綱の正室北に会わねばと信綱の館に向かった。
「久しぶりだな北殿」
私の配下に一時的にいた信綱の婚姻に私も出席をしており京や堺の珍しいものを送っており手紙のやり取りもしていたので全然知らぬなかではない、
「信龍様ようおこしになりました」
私の後ろに昌幸がいるので顔をこわばらせてしまう北に、
「わしも隠居したのだが信綱殿の家の事を評定で聞いたので急ぎ北殿に会おうと思い迷惑でなければですが」
「信綱も喜んでおります。信龍様の心遣いには」
そう言うと信綱の書斎だった部屋に通される。
「私も信綱殿の嫡子が継ぐことについては当然だと思っている」
私の言葉にほっとする北に、
「だがそれでは武田もだが真田も滅ぶことになる」
武田の現状を話て真田は上野への押さえが重要であり勝頼のように仮では家臣はまとまらず家自体が滅ぶことになると、
「しかしそうなれば」
「わかっておる。なれば昌幸から提案のあった娘と息子の婚姻で信綱との絆をつくる。息子達は元服後にそれ相応のを与える。北殿にも暮らしていけるように昌幸から領地を分けてもらう」
しばらく考えている北を待つと、
「昌幸殿は了解されておられてるのですか」
「もし履行しなければ私が許さぬ」
そう言うと昌幸は静かに平伏して北も了承した。
「わかっておろうがこれから無駄な時間はない」
昌幸は頷き
これから起こる事の重さを噛み締めるように真田を継いだ。
「このまま北へ向かう」
小太郎に言うと籠に乗り換えて北へと善光寺へお参りをして北へと向かった。
「一条信龍と申します。謙信殿に面会がかないありがたく」
「高坂殿からは聞いておる。長篠での事は武田にとっての試練」
私は頭を下げながら、
「信長からの信濃侵攻を思い止まっていただき感謝しかありません」
「わかったところで何かな」
「加賀の一向宗との和睦、将軍からの仲介があるでしょうが上手くいっていないと」
武田との和睦と平行して北陸から越前に上杉勢が攻めるためには一向宗との和睦を締結しなければ無理なので、対話をしているが七里の本願寺家代官と加賀の僧侶そして一向衆の三者が対立しており交渉は上手くいっていない、
「その様だがそなたは何をしに」
「1年間ほっとけば分裂し抵抗するのは坊主のみとなりましょう」
「それをすれば織田も北陸へと手を伸ばすことになろう」
攻められると言うことは守る事もと言う事で関東の北条とも事を構えなければならないし佐竹等が北条との決戦に動き始めている状況で難しいのが謙信の本音であるが、
「武田を飲み込めば上杉も何れは」
謙信が亡くなったあと二人の息子は争い本能寺が無ければ上杉は滅ぼされていたと言うのは想像するに簡単であると、
「何れにせよ武田との同盟により上洛をと考えておるが北条次第」
何と言う話ではないが考えを話し合えたことに納得して駿河へと戻った。