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信玄と勝頼

「家康もこれを見れば出てこざるおえまい」

歴史通り浜松の城が見える場所で信玄は転進して後ろを見せて三方ヶ原へと向かう、浜松の天守で小馬鹿にされ怒りにうち震えている家康が想像でき信玄の最後の灯火だが怖さを見せつけられながら斜面を上がりムカデ衆の指示通り魚鱗の最右翼へ展開する。

この頃には私と信玄の不仲は公然の秘密であり私は気にもせずに徳川が表れるのを待った。


陣を張りおえる前なら徳川にも勝機はあるがすでに静かに待機しており家康の脱糞を思い出し笑いをしながら鶴翼の陣で魚鱗を左右から押しつつもうとする家康、陣太鼓が鳴り響き武田の各将が家康の首を狙い動き始める。

私は皆と同調せずに徳川勢の最左翼を迂回しながら鉄砲を準備させた。


「圧倒的だな」

坂から下る勢いは鶴の翼を食い破り虎に率いられた猛獣が飲み込んでいく、

「装填」

本来は迅速に行うが今回はあえて確実にと言いながら目の前を退却していく家康を遠目に見ながら火縄をつけさせると発砲させた。

夕闇の中徳川勢の側面を攻撃だがもうひとつ目的がある。

「小山田及び山県隊から誤射の恐れがあると」

「構わぬ、目の前の敵を倒せばよい、御屋形様から指示があれば別だがな」

目の前を連射して足を止めて抗議に来るが私がそう言い返すと大きく迂回して追撃を続けていく、他の隊にも同じ様なことを続けているとムカデ衆が表れ追撃を行うように命令されたので、

「倒した敵の耳を取れ、それから追撃をする」

自分が一番嫌う目の前の功名を優先させその他の隊が家康優先で打ち捨てた雑兵の耳も全て刈り取りしんがりで追撃を行い犀ヶ崖で本隊に合流した。


「空城の計で襲わないとは」

結果を知っている私は鼻で笑いながら小太郎を呼ぶ、

「徳川が夜襲を仕掛けよう、こちらの見張りを潰し裏切りが出たとふれまわれ」

夜襲を成功させるように内密に命令をくだし離れたところで陣をはると夜半に怒号と鉄砲の音が聞こえ小太郎なのか爆発音までして徳川の夜襲に私は少数を連れて本陣へと向かった。

勝利で気が抜けていた武田勢は混乱をしており先に駆けつけた昌景(山県)が、

「何をしておる御屋形様の前でなんと言う醜態、敵は少数慌てずに各個で撃破せよ」

そう言うと自ら向かい代わりに私が本陣を守る。

「信龍か」

信玄が出てきたが疲れと夜に起こされたせいで顔色はすぐれずにいる。

「徳川の夜襲です。勝利のおごりが出ましたな敵ながら天晴れ」

そう言うと燃えている味方の陣を確認して信玄は下がっていった。


翌日、浜松を望む犀ヶ崖で評定が行われ戦功に対する報償が行われる。

「その前に、我らが追撃をしようとしましたが一条隊が鉄砲をはなち追撃を遅らせたことについて御屋形様はいかがお考えでしょうか」

小山田が言うのに信玄はこちらを見る。

私は耳の入った器を多数ならべ、

「我らの功が罪と言うなら何も言いますまい、家康を取り逃がし勝利におごり夜襲で手痛い損害を受けた方が問題かと考えますが」

普通なら私のおこしたこと問題になるはずだが武田では戦功をあげ損害もほとんど無い私に何も言わず、

「昨晩の事の方が問題である。勝って兜のおを締めよ」

信春(馬場)が代わりに言い私には耳に対する報償が与えられ徳川の野田城へと移動した。


もう少しで命つきる兄である信玄の輿を見ながら進む、最後に何を言ってやろうかと考えながら最低限の事しかしゃべらず野田城へと到着した。

「一度落とされており徳川も改修しているようだな」

信玄は小さな城だが攻め方が限定されているのを確認して金山の金堀衆を呼ぶと城の水を絶つように命令を与える。

「信龍殿、最近顔色が優れぬが何か困ったことでもあるかな」

昌景が気を使ってくれて陣を訪ねてきてくれる。

「兄上の事、最近食も進まず病におかされておるようだ」

「さすがに気がついておられているようで、御殿医も無理は禁物といわれておりますが、あと少しで瀬田に」

本気で心配している昌景に同情しながらも、

「無理すれば命つきよう、そうならぬために一度甲斐に戻ってはと思うが」

勝利に沸き返る将兵はこのままで瀬田まで一気に行けると考えており体調は気になるが撤退を口にするものはいないのを私が口にしたのでほっとして同意してくる。

「ここを落とせば何時でも三河に入れますからな提案をしてみましょう」

「頼む、暖かくなれば元気も出よう」

その前にと思いながらようやく水を絶ち降伏した野田城へと入り評定が開かれる。


「撤退とは何を弱気に、今少しで徳川をいや織田を倒し京に入ることができようぞ」

穴山が昌景の意見に反論して他も同調する。

「これ以上寒くなれば体調に差し障る。起きることも叶わぬと言うに」

今更だが私はわざと言いその様な体力がないと言うと重臣も含め黙りこみ言い出した私にお伺いをたてるように言われて信玄のもとへ向かった。


「信龍にございます」

そう言うと近習が襖を開け中へと入る。

「人払いを」

頼むと信玄は頷き近習は下がる。

「最後をわざわざ見にきたか」

唐突に言われて大きく息をはくと信玄を見つめ、

「武田の終焉を見届けに」

そう言うと信玄は何も表情に出さず私に続けるように促す。

「結局兄上は最初から最後まで担がれ古い考えに固執して武田を滅ぼそうとしておられました」

「跡継ぎも武田勝頼としていますが家内では諏訪であり兄上の対応も竹王丸と言い風林火山の旗はと禁止と内々に言われたようですが、その間に大きくなった織田に飲み込まれましょう」

「重臣がおる」

信玄が呟く、

「確かに馬場や山県等がおりますがそれをは兄上が父上を駿河に放逐して重臣に担がれている状況と同じ、いや家が大きくなりすぎそれ以上の重荷となると」

懐かしそうな目に一瞬なるが私を厳しく見つめる。

「板垣や甘利と兄上にはおられましたが勝頼には義信の様に重臣が最初からついておらず」

そこまで言うと信玄にもういいと手をあげられた。

「武田が滅ぶのは勝頼にあらず」

それだけ言うと下がりその晩から信玄は急激に体調を崩して躑躅ヶ崎へと戻ることになった。


主の病気に影響を受け力なく攻めてきた道を戻る将兵、長篠城へと入り療養するが喀血してすでに虫の息であり宿老達も静かに回復を祈りながら年越し春へと近づいた。

暖かくなり少し赤みがさしたような信玄に直ぐに甲斐へと三河街道を進むと途中で大きく血を吐き意識を失い慌てて村の家に運び込んだ。

「わしの死は3年秘匿せよ、遺骸は諏訪湖に沈めよ」

「竹王丸の後見を務めよ、謙信を頼るがよい」

やはり聞き入れられずと思いながら宿老達それぞれに後を託し最後に昌景を呼び、

「源四郎、明日は瀬田に旗を立てよ」

そう言うと静かに目を閉じる。

私は呼ばれず一族だが宿老から離れて最後を見届けた。


「御屋形様」

命脈がつき巨星落ちる。

血のわけた兄弟であるはずだが悲しいはずなのだが涙も出ず、二度と開くことがないあの目を思い出しながらただ見つめ目をとじた。

翌日遅滞なく行軍を行う、信玄の影武者である弟の武田逍遙軒が馬に乗り信玄健在であるとむなしく知らせている。

甲斐へと戻る途中幾度も宿老を含め話し合いが持たれる。

「御屋形様の遺骸は諏訪湖に沈めぬで良いな」

勝頼がそう言うと皆頷くが私は何も意思表示せず皆を毎回見つめていると勝頼が気がつき、

「叔父上は可とも否ともせず何かありますでしょうか」

宿老達も気がつき聞く、

「御屋形様にはもう伝えておる。それでこの判断をしたと言うのなら何も言うまい」

そう言うと信春(馬場)が進み出て、

「御屋形様から信龍殿に勝頼の後見を頼むと」

そう言われた瞬間私は血が瞬時に沸騰したように顔が熱くなり信春をにらみ、

「私の言ったことを汲み取らず後見をせよと言われるか兄上、風林火山もない者になんの苦しみを与えると言われるか」

床に拳を叩きつけ板が割れ血が出る。

私の怒りに宿老は驚き昌幸(真田)が慌てて傷口を押さえて私を見た。


私は宿老の向こうにいる信玄を見つめながら、

「3年秘匿と言えば武田の内情の苦しさを信長や家康に与え矛先が向こう、すでに伝わっておる」

「そして何より勝頼殿を竹王丸の後見として武田を臨時で務めよと、その様なことでまとまるとお思いか、これを認めなければ勝頼殿は棘の道を歩み次の世代へつながるとは思えん」

そう言うと梅雪(穴山)が、

「しかし御屋形様の遺言にございます」

「遺言と言うなら諏訪に遺骸を沈めよ」

そう言い返すと下を向く、

「だがそれでも守らねばなりますまい」

信春が言うのを、

「絶対の服従を勝頼に出来ぬだろう、勝頼も聞く耳持たぬ宿老に嫌気をさし行動を始めるであろう、そう言う不協和音を心配しておる」

「叔父上、宿老も私に従うと申しておれば何とぞ後見をお願いしたく」

結局、最初から最後までこんなことが続きこれが武田かと思いながら了承した。


躑躅ヶ崎へと戻ると勝頼と共に信玄の遺骸を担ぎ上げ斜面を登り穴を掘り木を組み上げのせると火を放った。

太陽が西へと沈み暗闇の中燃え続けそれを見つめ続け灰になると骨を納めて弔った。

「叔父上これからどの様に政を行えばよろしいでしょうか」

勝頼と下りながら聞かれる。

「しばらくは家臣を落ち着かせしかるのち棟梁としてするべき事をすれば良いでしょう。それと相談できる側近を」

そう言ってこれで宿老ともめるだろうがそれを選んだのは双方と思いながら駿府へと戻った。


「私に会いたいと言うものがおると言うのか」

城代として過ごしていると誰かわからないが面会を求められ広間へと通す。

私はその姿をみて驚き懐かしくなりながら、

「父上お久しぶりにございます」

信玄が追放した父信虎その人でありわざわざ私に会いに来たと言うことで喜ぶ、

「晴信は亡くなったか、最後まで親不孝ものめ」

昔のわだかまりは信虎的にはすでになく厳しい顔つきだが気持ちは穏和であり孫の勝頼の為にあることを提案しにと言うことだった。

私はそれを聞いて喜びすぐに躑躅ヶ崎へと信虎をつれて向かう、

「甲斐に信濃と駿河に上野か」

信虎は息子が広げた領土になにか思うところがあるのか呟き躑躅ヶ崎の門をくぐる。

すでに知らせてあるので家臣達が出迎え先々代の国主を緊張と不安の顔で出迎えており大広間へと入った。


「勝頼か、大変だろうが頼むぞ」

信虎が言うのを勝頼は何故か緊張しながら不安を隠せず頷く、信虎は気にせずに本題へ入った。

「徳川の正室である築山殿が武田に息子と共に組すると言う話で窓口は岡崎の奉行の一人だがどうじゃな」

唐突に言われ勝頼は戸惑うので私が、

「父上もお疲れだろうからゆっくりとされ、その間にどうするか話し合いをいたします」

そう言って信虎を別室に下げると評定が始まる。

「本当なら良い話ではないですか、岡崎を押さえれば徳川も物の数では」

評価は良いが勝頼の顔は何故か優れず築山の件は信春に任せるとなった。

お開きとなり広間から皆が出ていくと勝頼が聞いてくる。

「今さらなぜに帰国をされたのでしょうか」

その問いに私は勝頼の不安に合点がいく、祖父である信虎の事は色々聞いているのだろう部下を手打ちにして強引に事をはこんでいたのを、

「信虎殿は国主に代わろうと思ってはおりませぬ、そこだけは安心を」

そう言ったが結局最後まで気になったようで器と言うか嫡男で育てられなかった面が欠点で出てきてしまっており信玄を恨んだ。

信虎には私の領内で隠居場所を提供して落ち着いてもらいすごすことになった。


「朝倉が滅んだと、まことか」

勝頼が内政に必死になり金山の埋蔵量も尽きかけており商人を保護した政策を行っていると知らせが到着する。

勝頼ただちに宿老達を呼び評定が行われた。

「当然の結果だな」

信春が言う、

「我らの西上に合わせて動くはずの朝倉が動かなかったからな」

信長包囲網をしいたはずだが当主である義景が動かず信玄を激怒させたのを皆は思い出し口惜しい気持ちになっている。

「問題はこれからどうなるか」

昌景が言うのに皆沈黙してしまい勝頼が聞いてくる。

「浅井も近いうちに同じようにたどると思います。これにより勢力をましさらに難しい状況に」

「浅井もか、しかしそう簡単には」

「朝倉の後ろ楯があればこそにございます。我らで言うなら北条と上杉のどちらも欠いても崩壊しましょう」

「なれば今のうちに東美濃と東遠江を落とす。先ずは美濃を落とすための作戦を叔父上」

これで武田の行く末が決まった。

織田との同盟を結ぶと言うのもありますと喉まででかかるが腹を据えて諜略を行うことにして準備にかかるとさらに知らせが、

「奥平親子が徳川に寝返りました」

流石に手が早いと思いながら怒りを我慢している勝頼に説明を行う、

「総数は1万5千程を動員します。対する敵は2万以上は確実かと」

最大で4万は出てくると説明をすると小山田が、

「しかし本願寺の門徒が近畿各地で織田を攻撃していると聞く信龍殿は敵を過大評価しすぎではないか恐れるあまり」

普通なら臆病者呼ばわりされて怒りもでるはずが沸き起こらず、

「織田の攻めは火のごとく侵略を行います。朝倉を滅ぼしたのも数日ですしこれを恐れないと言うなら愚か者と言わざる終えませぬ」

そう言うと顔を赤くして横を向く、

「なればどうする」

勝頼が仲裁しながら聞いてくるので、

「速攻で攻めますが城内の諜略を行い裏切らせるのが良いと」

来年に向けの行動が決まり私はすぐに美濃へと手を伸ばした。


年がかわり出陣をする。

主城の明知城を含め18の城で成り立っており宿老が競って襲いかかった。

美濃に侵攻して数日で次々と城を落としていく、これだけ見れば武田の力まだまだと思われるが、虎でない犬に率いられた虎の集まりであり相手が強ければと思いながら明知城の城郭に不意に火がつき裏切りが成功したのを見て勝頼に促した。

「攻めよ」

号令と共に500人程が守る明知城に突入して一気に落とす。

信長が援軍を集結させていると知らせを受けた翌日に落とすことができて胸を撫で下ろした。

「皆の者ご苦労であった」

勝頼は嬉しそうにしており逆に宿老はうかれている勝頼を良くは思わず寡言を始める。

自信をつけた今の勝頼には宿老の言葉は嫌みでしかなく、宿老からすればこの様な小さい勝利で浮かれるとは諏訪の小僧と言う感じで見ており徐々にであるが溝が深まっていった。


凱旋して甲斐の民も勝頼を誉め信玄亡き後を明るくさせており数日後に評定が開かれた。

「高天神を落とす」

勝頼の宣言に皆顔をしかめる。

信玄でさえ落とせなかった城を落として自分の力を誇示したい勝頼に宿老は反対の意見で険悪になると私に意見を求めてくる。

「落とすのはよろしいが広げすぎれば守るに難しくなると」

「勝ち続け徳川を滅ぼし織田も飲み込めば良い」

宿老に対抗するための自信過剰に私以外は寡言を繰り返し余計かたくなにさせ出兵が決まった。

「信龍殿言ったとおりになった」

別室で宿老が集まり誰となく呟く、

「ここは国をしっかり押さえて織田とは不戦を結べば良かろう」

「しかし我らの声もう届かぬ」

「御屋形様に申し訳がたたぬ」

代理とはいえ勝頼に仕えると決めた宿老達は静かに一人ずつ出ていき武田の終焉を1歩ずつ感じさせた。


「馬場が諏訪原に城を造り上げた。出陣を」

勝頼はこの勝利を得て家臣団の把握をさらに進めたいと言う欲にかられた出兵であり宿老で誰も賛成するものはいない、今回私は別動隊と言う名目で飯田に入り家康に浜松を攻めると言う謀略を行い援軍を出させないようにする。

「国境の民を追いやれ、武田がせまっていると噂を流せ」

嫌がらせに嫌がらせを続けていると数ヶ月ようやく高天神を落としたと知らせが着た。

「これで援軍が出せなければ家臣に見捨てられる」

崩壊の重要な物事であり長篠の戦いのきっかけである奥平親子の討伐も決まるだろうと思いながら甲斐へは戻らず駿府へと戻った。


躑躅ヶ崎の事は逐一聞いており勝頼はさらに自信をつけ奥平親子の討伐をと言っており宿老と衝突しているらしい、私にも何度か来るように言われたが疲れなのか病で寝込んでおりこれ幸いと黙りを決め込んだ

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