□ 奇妙な主張 □
少年は椅子から腰を上げ、洗いざらしの様な髪を少しうるさそうに払いながら、Jの前まで寄ってきた。
「あ、ごめん。つまんなかった?」
ひょい、とJの視線の高さに合わせる様にしゃがみこんで、無邪気な笑顔を見せる。
――とくん。
「Jってば……無口だから――」
かぁぁ、とJは顔が火照るのを感じた。
「……ちがっ……だって、J−10だって、話……しな……」
「あーー。他人行儀」
少年はちょっと拗ねた表情をして、首をかくん、と落とした。
「俺、Jって呼んでるのに」
簾のようになった前髪の間から覗く瞳は本気で拗ねている。
――では、何と呼んだらいいのか。
Jは本気で考えこんでしまう。自分たちのネームコードはどちらも『J』で始まる。JにJでは、ややこしくなってしまう。
「――ま、いいや。今度の時まで、好きな呼ばれ方考えとく」
「……今度?」
少年は少し目を伏せて立ち上がり、暗さを増した窓の外――ベランダの向こう――を見据えた。
「俺……今夜『壁』を越えるつもり。課題授業は全部終わらせたし」
「――な……何で!?」
『壁』はこの世界を囲んでいる、活動域の終わりを示す物だ。
そこが世界の端なのだ。
その『外』には何もない。或いは、何もないと思われている。
誰も気に留めないし、教えられもしない。
それを越えるだなんて、意味のある事とは思えない。
Jには全く理解できなかった。
「そんな、意味の無いこと……!」
J−10はふっと大人びた笑いを浮かべた。
先程までの無邪気さはもうどこにもない。
「そうだろうねぇ。みんな、そう言う。でも、まぁね。俺にとっちゃあイミアルコト、なんだな。これが。自由になりたいから」
――自由……? 今、自由じゃないって言うの? なんで? 何でも出来るじゃない。
「せっかく『古典世界』の授業があるのに、なんでみんな不思議に思わないんだろう? その時『壁』は無かったんだよ?」
それはそうだ。昔は『壁』を作る技術など無かった。
人々は安全に暮らせなかったのだ。だから人は滅びかけ、安全に暮らしていけるよう『壁』を作った。それの向こうでは生きていけるはずがない。
訝しげに眉を寄せるばかりのJに、少年は少し哀しそうに微笑んだ。
「自由っていう名の壁で俺達は囲まれてるんだよ……」