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第五話 茶道

第 五 話   茶 道   − お点前 −


 ケビンは客間で、主の栗人が趣味で集めたと思われる主にビクトリア調の絵や家具、照明器具などのアンティークの調度品をしげしげと眺めていた。そこへお手伝いさんらしき初老の女性が入ってきた。

「お待たせいたしました。お茶室へご案内申し上げます」

「OK!」

 ケビンは緊張してわざとらしく背筋を伸ばし神妙な顔付きでついて行った。中門をくぐりたっぷりと打ち水された茶室へと続く露地に降りる。そこからしっとりと濡れた飛び石づたいに進むと素朴な板づくりの腰掛けに出た。

「こちらで、しばらくお待ち下さい」

 女性はケビンを残しゆったりとした足取りで帰って行った。そんなに広くはないが手入れの行き届いた露地のたたずまいをケビンは食い入るように見ていた。梅雨空のどんよりとした灰色の雲が季節を感じさせる。


 やがて手桶をさげ髪の毛をアップに結った着物姿の女性が木の間がくれに見えた。思わず立ち上がったケビンはしばらくそれがマリエだとは気づかなかった。ケビンはそのマリエの変わりようと妖艶なまでの美しさに目を見張った。マリエは無言のまま萩焼の大鉢を使った蹲いの水を回りの石や草にかけ、それからゆっくり手を洗う。そして持ってきた手桶の水をその蹲いにあふれさせた。筧の水が落ち回りの時間が止まっているかのようにそこだけが動いている。マリエは水屋口に手桶をもどすとケビンの前で深々と頭を下げた。ケビンはどぎまぎしながらあわてて同じようにお辞儀をした。今までとは違うマリエに鳥肌の立つような身の引き締まる感覚を覚えながら。そしてマリエに促されながら見よう見まねで蹲いで手を洗うと、清浄な気持ちになって柴折戸を抜けた。そのまま掃きこまれて箒目のついた砂利の間からにじり口に進む。

《えっ、ここから入るの。》と言った表情で、ケビンは狭くて小さな戸口を無言で指さした。マリエはきりりと口を結んだままこっくりと小さく首を振る。ケビンはマリエに言われるまま恐る恐る沓脱石に蹲って板戸を開けた。そして中を窺い頭をにじりこませようとした時、《ゴツン》とにぶい音がした。ケビンがしかめっ面で後頭部をさすっている。マリエはこらえきれず手を口に軽く当てクスッと小さく笑った。


 桧皮葺きの入母屋造りの小堂の中は、ほの暗くひんやりとして空薫きの香がほのかに漂っている。もともとはベネチアガラスの化粧品入れを香合にしてお香が焚かれていた。それは清らかな気に満ちたサンタル(白檀)の香りだ。ケビンは幽寂な佇まいに心清まる思いがした。台目畳を敷いた四畳半の小さな部屋には炉が切ってあり、『静』と書かれた掛物が掛かっている。これがこの日のテーマでもある。そしてその前に置いてあるトルコブルーの花入れには小ぶりのアジサイがさりげなく可憐に生けてある。炉を切った畳の上にはすでに見事なまでに灰抑えが施された風炉釜が置かれ、真っ赤な炭の上でチリチリとかすかな音をたてていた。

 

 ケビンとマリエは炉を挟んで対峙した。マリエは炭点前の基本となる割り稽古を省くことにした。鎌倉の禅寺での痺れで苦痛に歪んだケビンの顔を思い出したからだ。ケビンは胡座をかいて座ることを許してもらった。マリエが深々とお辞儀をするとケビンもぎこちなく頭を下げた。まずケビンは静寂の中で行われるマリエの流れるような鮮やかな袱紗さばきに驚かされ目を見張った。それは、まるで精妙なマジックショーでも見ているかのようだ。続いて、なつめ、茶杓を拭く。茶巾のたたみ方や茶筅通しにもケビンは真ん丸に目を皿のようにして瞬きひとつせず見入った。さらに、指を器用にからめるような柄杓の出番になるとケビンはもう目を回しそうになった。鬼気迫るものすら感じられる。茶筅が改められ一気に茶が点てられた。抹茶の香りがふんわりと押し寄せて来る。差し出されたどっしりとした瀬戸黒の茶碗を促されるまま訳も分からずケビンは一気に口に運んだ。次の瞬間彼の顔が渋面に変わった。だが、毅然としたマリエの表情に圧倒されたかのように眉間に皺を寄せたまま黙って飲み干した。マリエのもてなしの心が深い茶の中に収斂されている。ケビンは唇に付いた緑の抹茶をゆっくりと味わうように舌なめずりをした。

「終わりました」

 マリエは屈託なげにやっと口を開いた。ケビンは緊張の糸が解けたかのように《フーッ》と深い息を吐いてにっこり笑った。子供のように満足気で無邪気な顔で。マリエも同じようににっこりと真綿のような柔らかな笑顔を見せた。同時にマリエの心に不思議な風が過った。 唐突に三十歳以上も年上のオジサンが初めて可愛いと感じたのだ。

 ケビンはマリエの真剣な眼差しと優艶な姿に正直気圧されてしまっていた。しがしまだ自分の娘と同じような感覚以上のものは持っていなかった。恋心を抱くにはあまりにも年の差があり、病身のうえに家庭を持つ身としてはどうなるものでもない。


 今回マリエはケビンをなにげなくお茶に誘ったようだが、彼女は単なるお点前以上に強かな深い考えをこのとき持っていた。

 マリエは鎌倉の禅寺で、厳しくも気高い空間に身を浸し一身に枯淡の境地を目指そうとしているケビンの姿に心を打たれていた。ケビンの病状を他の僧侶からそれとなく聞く。そして彼が気功や禅の力で必死に自分の病を治そうとしていることを知った。

 マリエは、《茶と禅は一つであり、茶の中に禅がある》とかねがね思っている。小間の茶室で侘びを追求するのは面壁の座禅と同じように凝集して自分を見つめることであり、茶掛けに禅語を掛けるのは心をその境地に持っていくための指標でもある。

《茶を行じる事で禅で悟るのと同じような悟りの境地に達し得る》と信じていた。さらに茶は広い教養を必要とする。それは、和歌の道であったり、建築、造園の知識であったり、美術の分かる審美眼、演出力、統率力、想像力などだ。自ずと向学心を醸成させる。だが最も大切なのはなんといっても心の問題だ。マリエはそれをケビンにお点前を通じて少しでも理解してもらえればきっと病気の回復にも貢献出来る、と確信していた。



 その夜ケビンは、質素だが日本の伝統的懐石料理の夕食という待遇をマリエの家族から受けた。ぶりのつけ焼きやふろふき大根などをメインとするメニューだ。日本に来て、禅寺の精進料理しか味わったことのないだけに思いもよらないうれしい歓待だった。

 由美子は過去に一週間の燃えるような恋をした相手がそこにいるような錯覚に陥っていた。単に顔が似ているだけではない。なんとなく物腰から醸し出されるフィーリングの中にもリチャードを思い起こさせるものがある。全く他人とは思えないほどの根拠のない予感めいたものを覚える。

 由美子は自分でもおかしいほど心の高ぶりと顔が紅潮しているのが分かった。何とも言い様のない複雑怪奇な気持ち。だがそれはむしろ心地の良いものだ。嫣然と笑みを浮かべ目映そうにケビンを意識していた。

 マリエはといえば、今まで見たこともないようななんとなく上気して落ち着かないそわそわとした母のそんな様子を興味深く面白がって眺めている。


 一方、父の栗人は、英語が極端に苦手なことも手伝ってか、終始無愛想でほとんど相槌を打つ程度にしか会話に加わろうとしない。垣間見える風貌には狷介な趣がある。一見どこか無慈悲な冷酷さを漂わせて。だが色白で鼻筋の通った面長な顔立ちは若いころの端正な面影を彷彿させる。恰幅のいい長身に似合う深い藍染めの着流しが彼を一層引き立てる。さらに栗人を不機嫌にさせている要因がある。

 東森家は、そもそも裏千家に端を発し江戸中期からその流れを汲む一派として関東を中心に門下を広げてきた。今は、千を超える茶道教室と数万人の弟子を抱える名門家元の頂点にある。

 栗人は東森家の六人兄弟の末っ子の一人息子として生を得た。つまり、五人の姉を持ち、跡取りとしてやっと誕生したことになる。まさに待望の男子だ。それだけに彼に期せられた責任たるや想像を越える重いものがあった。生まれながらにして一身にその責を負わされただけに当然自らの後継者には必要以上に神経質にならざるを得ない。勢い、大学卒業を目前に控えているマリエの男友達の交友関係には一段と厳しいものを持っていた。それだけに自分の目にかなった相手を早く見つけて決めさせねばという焦りに似たものがあった。そこに、いかに結婚相手の対象にはなりえないと理解してはいても、自分より年上の、しかもどこの馬の骨かも分からぬ半病人の外人を連れてきたことに激しい不快感を隠しきれないでいた。

 だがその焦りとケビンの出現こそが、栗人にとって同時にある一人の青年の狡猾な罠にすんなりと乗せられる要因を内在させていたのかもしれない。いずれにせよそういった栗人の気持ちと態度はこれから起ころうとする事柄の前触れのようなものを予感させるものだった。


 栗人は会話もそこそこに食事をそそくさと済ませた。とうとう一度もケビンと目を合わせる事なく席を立つ。その夜は夜咄の茶事を催すことになっている。

「今夜は大事なお客様がいらっしゃるのよ」

 無口な栗人に代わって由美子がケビンに言い訳した。

「後でケビンをお庭に連れていらっしゃい」

 栗人が席を立つのを見計らって由美子がマリエに促した。

「いいの?」

「シュアー(勿論)」

 珍しく由美子が気取った口調で英語で応えた。地酒の酔いも手伝ってか少し大胆になっている自分に気づいていた。二十数年前の自分を重ねてそこにリチャードと居るような錯覚に完全に酔いしれている。マリエは揶揄するように由美子の脇腹を軽く小突いた。


 頃合いを見てマリエがケビンを庭に誘った。

「良いって言うまで目を瞑って」

 ケビンはマリエに言われるまま恐る恐るマリエに手を引かれ、その夜のお客が茶室に入った後の庭に降りた。

「いいわよ、目を開けて」

 ケビンは思わず息を呑んだ。露地の暗闇にいくつもの明かりが浮かぶ。夜の茶会では客の足元を照らすため庭の全ての灯籠や行灯に火が灯される。ケビンは幻想的な光景に目を奪われ言葉を失ったままいつまでも立ち尽くしていた。張り詰めた心が溶け出し癒されていく自分の姿を感じながら。



 それからというもの、マリエは機会を見つけてはケビンをデートに誘い出した。ただデートと言ってもその場所はマリエが通っている弓道場であったり、合気道場や乗馬クラブだったりだ。それにもマリエがなんとかケビンの病気の回復に役立ちたいという思いが込められている。

 弓道や合気道では、技術的なことよりもケビンの体力をつけることと集中力や呼吸法など、精神的なことについてより細かく教えていった。特に屋外で行う弓射はそのときの気温や湿度、風などの自然条件を考慮し計算しなければならない。一度として同じ条件はない。無理な力を抜き集中して頭でなく心で感じる。自然体の極意が不可欠だ。


 乗馬に関してはマリエはもっと積極的だった。アメリカ人のケビンには多少の乗馬の心得がある。彼の子供たちが小さいころは、家族でゲストランチ(観光牧場)へよく出かけては乗馬を楽しんだこともあったからだ。だが、マリエのケビンに対して求める乗馬はそういった観光目的でケビンがこれまで体験してきた、ただ馬に乗って歩くだけの単なるお遊びの乗馬とは似て非なるものだ。

 ある種の馬は特別の人に対して心身両面を癒す能力を持っている。いわゆるアニマルセラピーの一種である、ホースセラピー(乗馬療法)だ。歴史は古く古代ギリシャ時代から負傷した兵士の身体機能回復に使われていたと言われる。さらに二十世紀に入り、ホースセラピーを取り入れて小児マヒを克服した馬術の選手をイギリスの医師が1952年のヘルシンキ・オリンピックで見事銀メダルに導いたとして、それ以降ホースセラピーは欧米で注目を集め急速に広まっていった。マリエは、スポーツ、教育そして療養という三要素を合わせ持つホースセラピーを、留学中モンタナの牧場で学びかじっていた。特にアメリカでは鬱病患者の治療的視点に重きを置いており、これならケビンの療養にも効果的でアメリカに帰ってからも無理なく続けられると考えた。


 祖父の影響で小さいころから乗馬に慣れ親しみ、馬術部門で国体出場の経験を持つマリエには御殿場に行きつけの乗馬クラブがある。そこには彼女の所有する葦毛でアラブ種の《テンダー》という名の駿馬がいた。テンダーは競走馬として育った神経質なサラブレッドと違い、おっとりとした優しい穏やかな性格を持ち合わせている。ただ乗るだけでなく、餌をやったりブラッシングしたり身体や足を洗ってやったりと世話をすることで能動性を与え社会的機能の向上を促すことが出来る。さらに寝食を共にするまでもなく日がな一日馬と一緒に居て、つぶらで優しい目に見つめられ大きな身体を自由自在に操ることで馬との一体感と制御感、達成感が得られ人が精神的に癒されていく。

 マリエは時々愛馬をトレーラーに乗せ富士の裾野の草原にケビンと出かけた。そこで、人馬一体となりコミュニケイトしながら自然の風に吹れ広大な草原を二人で走った。マリエはなんとかして自分の手でケビンの病気を治したいと思い始めていた。

《どうしてもケビンに生き続けていて欲しい》

という頑なまでの強い気持ちがいつしかマリエの中に芽生えていた。



 ケビンも当初、

《自分はやがて死ぬ身だ》

と勝手に決めつけていた。参禅や気功の修行は一年後の死に向かって歩いているその恐怖から逃れるためのもの。あくまでも死ぬことを前提とした諦めの叙情に満ちていた。しかしマリエと過ごす日が重なるたびに脱皮を繰り返すかのようにケビンにも

《死にたくない、もっともっと生き続けたい》

という生命欲が知らず知らずのうちに沸々と沸き上がってきていた。

 しかしマリエはそんなケビンに対する気持ちはおくびにも出さなかった。茶道も弓道も合気道も、そして乗馬においてもケビンを病人という意識はせず基本から徹底的に厳しく指導していった。そんなマリエの教えにケビンはあたふたと見よう見まねでなんとかついていく。しかしすぐに息が上がってほとんどマリエのやっている姿を満足げに見ていることのほうが多かった。そしてその間、時々マリエと目が合うと心から嬉しそうな笑顔を見せた。ケビンは今まで味わったことがないような充実した幸福感をひしと噛み締めていた。


 マリエの少女のような屈託のない笑顔と華麗な容姿の中にもとびきり無邪気な明るさに癒され、マリエの思惑通りいつの間にかケビンは薄紙を剥ぐように健康を取り戻していった。


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