第二話 LA 1
第 二 話 L.A. 1 − ケビン (53歳) − (2002年3月)
「親父、もう仕事出かけたの?」
ケビンの息子で、外科医を目指す大学四年生のショーンが慌ただしくトーストを口にほお張りながら、母親のステファニーに聞いた。
「まだ、ベッドよ。最近なかなか起きて来ないのだから」
シックなスーツ姿のブロンズヘアーのステファニーは、いかにもインテリ臭いメガネの奥から少しうんざりした目付きで奥のベッドルームに向かって叫んだ。
「ハニー、いつまで寝てる気? 遅れても知らないわよ」
「どうかしたの、パパ。具合でも悪いんじゃない? なんだかこのところ、元気ないみたい」
UCLAの文学部二年生で東洋文化を専攻している娘のグロリアはちょっと心配気に言った。
ロス郊外の閑静な住宅地の一番奥まったところにケビン・ハンターの家はある。十年ほど前購入した築約二十年の中古住宅だった。平屋ながら四つのベッドルームに三つのバスルーム付き、車三台が悠々と入るガレージにさらにプールまで付いているという贅沢なものだ。しかしこの辺りにしては破格の値段だったこともあり、子供たちの成長に合わせて少し無理をしたがローンを組んで購入した。
夫のケビンはロスのダウンタウンに事務所を構える、とうに五十歳を超えた中堅弁護士だ。
ロスの中流家庭の長男として生を得る。ベビーブーマー世代だ。学生時代いわゆるヒッピー族としてならした。ベトナム反戦運動にも傾倒する。
当時、平穏な大学生活に飽き足らずアルバイトをしては貯まったお金で旅をしていた。放浪の旅を繰り返す。資金がショートし、旅先のカンザス州・ウィチタ近郊の牧場でアルバイトをした。その折そこの娘と恋仲になる。彼女が、粗野だが頭が切れ洗練されたケビンの虜になったのだ。二歳年上で結婚願望が人一倍強かった。ロスまでケビンについて来た。同棲生活の中、学歴のない彼女はケビンの大学への復帰を強く望んだ。彼女の稼ぎに頼りケビンは学業に戻る。彼女はおっとりとして柔順そうだが言い出したら聞かない心の強さを持っていた。時を移さず学生結婚をした。その後ケビンは憧れていた弁護士試験に臨むが幾度となく失敗を重ねる。
やがてエミリーという名の女の子をもうけた。だが稼ぎのないケビンは、都会生活に不慣れな妻に愛想を尽かされてしまう。裁判を起こされたあげくすったもんだの末、離婚が成立。養育費の支払い能力のなかったケビンは結局子供の親権も奪われ、挙句会うことさえ禁じられた。酒に溺れ、ケビンは荒んでいた。
エミリーが二歳のときだった。別れ際、訳も分からずにっこり笑って手を振った姿が目に焼き付いていつまでも離れない。思い出すたびに目頭が熱くなる。後ろめたさを引きずりながらいつかは必ず会えると信じ続けた。
その後、臥薪嘗胆の思いでやっと弁護士資格を取り、現在の妻のステファニーと再婚した。前妻とのもめごとの狭間で紆余曲折を経たものの。
その現在のケビンの妻のステファニーは、独身時代からニューヨークに本社を持つファッション関係の雑誌の出版社のロス支店に勤めている。仕事に生き甲斐を感じている言わばバリバリのキャリアーウーマンだ。前妻とは対照的に一見勝ち気そうだがナイーブなところも窺える。
ケビンは再婚後、ステファニーとの間に一男一女を授かった。ショーンとグロリア。それ以降彼は酒もタバコも嗜まず、信仰心は厚く毎日曜日のミサは殆ど欠かさず参加する。家族を大切に思う絵に描いたような仕事熱心な模範的真面目人間へと一変した。
今、彼らの二人の子供たちも大学生になった。教育費はかなりかかるものの、手がかからなくなった分子育ても一段落といったところだ。結婚生活も二十年をとうに過ぎていた。特別これと言った共通の趣味も無い。アンニュイさを漂わせながらもお互いに干渉することもせず、何不自由なくそれぞれの仕事に打ち込んでいる状態だった。はた目には誰しも羨む理想的な家族像だ。
◇
「おはよう」
パジャマ姿のケビンが物憂い気配を漂わせ、少し青ざめた顔をして欠伸まじりにおぼつかない足取りで起きてきた。いつもは一番に起きてきて何紙もの新聞に目を通すのが常だ。だが、この一週間前当たりからなかなかベッドから起き上がれないでいた。
「大丈夫? お父さん。なんかしんどそうよ」
グロリアはそう言うと、
「じゃ、先行くわね。あ、今日ちょっと遅くなるかも」
と、はにかんだ笑みを浮かべる。そして家の前まで迎えに来ているボーイフレンドのシボレーのピックアップ車に手を振りながら小走りに玄関を出て行った。
「また、ジョンとデート? 門限十二時だからね、忘れないで」
ステファニーはグロリアの背中に向かってかん高い声で叫んだ。そして自分もガレージに続く勝手口を開けた。
「あ、僕も乗せてって。親父と一緒じゃ学校遅れちゃうよ」
「先行くわよ、ケビン」
そう言い残すとステファニーとショーンは、最近購入したクラシックでカプリオレ仕様のエンジのクライスラーに手際よく乗り込んで出て行ってしまった。
いつもの慌ただしい朝の風景だ。
一人残されたケビンはこめかみを押さえながら、体のだるさを感じつつ洗面所に入って行った。鏡に写った自分の顔を見て愕然とした。これが自分の顔なのか、と。頬はこけ、うっすらと不精髭が伸びている。目は虚ろ。皮膚もかさかさと乾き切っている。まるで他人の顔を見ているようだ。
彼は一月ほど前から何かにつけ億劫で、商談にも身が入らずやる気が出なくなっていた。
週一、二回通っていたトレーニングジムもサボりがちになっている。体力の低下とともに性欲も落ちている。逆に、何かにつけ怒りっぽくなっている。時々頭痛と吐き気がしてきりきりと胃の痛みを感じることもしばしばだ。それにこのところ何をやっても楽しく感じない。物悲しい気分に陥りふっと死を意識することもあった。不安定な精神状態が続いている。
家に帰ってもまだ誰も帰ってないことが殆どで、一人でレトルトの食事を済ますことも多かった。食欲そのものが低下している。気分が沈みベッドに横になってもなかなか寝付けない。そのうち、だんだんと部屋に引きこもるようになった。当然夜の夫婦生活もほとんどなくなっていく。
妻のステファニーは《仕事で部屋に籠もっているのだろう》と全く気に止めることもなく、夫の身体の異変にも気づかないほど無頓着になっていた。ケビン自信も歳のせいだろうと高をくくっていた面もあった。
◇
ロスのダウンタウンのシビックセンター駅とロサンゼルス市警との間に位置する高層ビルの二十二階にある法律事務所の机の前で、ケビンはいつものようにパソコンのメールをチェックしていた。
「おはようございます、ケビン。最近ちょっとお疲れのご様子ですね」
秘書のケイトはそう言いながらも、今日のスケジュールを読み上げていった。
「夜は、A社の創業五周年記念のパーティーが入っています」
ケビンはいつものようにその日のスケジュールを一通りこなしていった。だが顔色は悪く、その上集中力に乏しく仕事の内容的には極度に精彩を欠いていた。何をやろうにもどうしても気乗りがしない。ケイトも、数週間前からケビンの様子の変化が気になっているところだった。
「ケイト、悪いが今夜のA社のパーティーの出席は、断ってもらっていいかな」
「はい、私もその方がよろしいかと思っていました。お休みもとられずだいぶ無理していらっしゃるような気がしますわ」
つらそうなケビンを見るに見かねていたケイトは、渡りに船とばかり手際よく断りの連絡を入れた。
「花束と、メッセージも手配しておきました。今日は早くお帰りになって、十分お休みになった方がよろしいと思います」
「ありがとう、そうするよ」
彼女の本当に心配そうな表情と如才ない気配りにケビンは心から感謝した。ケイトはケビンの事務所開設以来、五年ほど前から秘書を務めている。ネイティブ・アメリカンの血筋を持つ彼女はケビンよりちょっと年上でどこかおっとりした性格。夫に先立たれ子供のいない彼女は生真面目に仕事をこなしている。彼にとっては余計なことは言わず細かいところによく気が付く申し分のない働き手だ。ただ、最近太りぎみのケイトはこのところダイエット中心の健康オタク的に良いも悪いもうんちくを垂れるほどその道にはまっている。
この日ケビンは、フォードのセダンでちょっと早めだがいつものように帰宅の途に就いた。頭の内側からこめかみが突き上げられるような激しい痛みを堪えながら。マリオットホテル脇からハーバーフリーウェイと呼ばれる110号線に入る。そのまま、今はヒストリック・ルート66号線になっているパサディナフリーウェイを左手にドジャースタディアムを見ながら進み5号線に移る。ケビンにとってはいつもの見慣れた風景だ。パサディナ方面に北の方角へ家に向かうケビンは相変わらず極度の体のだるさを感じていた。だんだんと思考力が薄れていく。朦朧としていつの間にか五車線の一番左側の車線を時速80マイル(約130キロ)ほどで走っていた。そこは『CARPOOLS ONLY』といって時間帯によっては二人以上乗せた車でないと走ってはいけない車線だ。
ケビンは薄れる意識の中で白バイのサイレンを聞いたような気がして、半ば無意識のうちに路肩に車を停止させた。
「免許証と車の登録書を。この車線は・・・・・・」
バイクから降りたシュワルツネッガーばりのいかつい警官は、事務的な口調でそう言いかけてケビンの様子が異常なことにようやく気がついた。
「どうかしましたか?」
ケビンは警官の質問にも答える事が出来ず、シートに後頭部をもたせたまま目を閉じ口を半開きに開けている。
「大丈夫ですか?」
警官はレイバンのサングラスを外し、ケビンのまぶたを開け瞳孔を確認すると腕を取って脈を調べた。顔面蒼白のケビンの状態を見て事の緊急性を察知した警官はすかさず無線で救急車を呼んだ。
◇
警察から連絡を受け病院へ駆けつけたステファニーは、医者からケビンの容態を聞いて愕然とした。
「胃に二インチほどの悪性の腫瘍が見つかりました」
「それってどういうことなんですか、先生」
「申し上げにくいのですが、御主人の症状はかなり深刻です。残念ながら胃ガンに犯されています。それに重い鬱病を患っておられる」
「まさか」
ステファニーは医者の言葉がにわかに信じられない。普段から陽気で図太い神経の持ち主だ。転んでもただで起き上がる人ではない。子供たちが小さいころ、なんでもそつなくこなす父親のことを《わが家のスーパーマン》と表したほどだ。《あの人に限ってそんな病に冒されるはずがない》と高を括っていた。
一見太っ腹で野太そうに見える。だが繊細な感性を持ち合わせる。本来生真面目で仕事一途な性格のケビンは、家族の期待と苛酷な仕事のストレスが溜まっていたのだろう。脇腹には帯状疱疹の症状も出ている。ステファニーは二十年以上連れ添った夫の意外な一面を見た気がした。
「手術をすれば治るんでしょ? 大丈夫なんでしょ、ね、先生」
ステファニーは事態が飲み込めないまま畳み掛けた。
「早急な手術が必要です。だがうまくいっても・・・・・・」
ケビンの大学の後輩で主治医でもあるフランクは、ちょっと言葉を詰まらせた。
「うまくいっても、なんなんですか、先生」
ステファニーは、さらに勢い込んで尋ねる。
「一年もつか・・・・・・」
医者は非常な言葉を繋いだ。
「そんな・・・・・・」
ケビンの症状は、ステージ分類で言えば四段階のうち、リンパ節移転が見受けられるステージ四になっている。内視鏡検査やCT検査など今後の精密検査では他の臓器への移転や周囲臓器への浸潤が考えられる。リンパ節郭清という周辺リンパ節の徹底的な切除と消化管の再建を行う根治的手術は極めて困難な状態にある。合併症のリスクも伴う。ガンによる出血や狭窄など症状を改善するための緩和手術とその後の抗ガン剤投与に頼るしか術がないようだという。だが抗ガン剤による化学療法では完全にガンを消失することは難しいとされる。副作用の懸念もある。この場合一般的な五年生存率は極めて低い。
フランクの宣告に、ステファニーは言葉を失い目の前が真っ暗になった。顔から血の気が失せていくのがはっきり分かる。そして気を失いかけそうになりながらもケビンに悟られないようにするのが精一杯だった。そして混沌とする頭の中でその事をどう話したらいいのか迷った。
一晩入院し、点滴でなんとか自分で歩けるようになったケビンは一旦家に帰った。時折激しい胃痛がケビンを襲う。朦朧とする中ふさぎこんだままベッドに横になり力無くステファニーに聞いた。
「僕はもう長く生きられないんだろう」
「そんな事ないわよ。手術すればきっと良くなるって、フランクも言ってたじゃない」
「ありがとう。でも、気休めはもういいよ。どうせ手術したって同じことさ。切れば治るという保証もないはずだ。それに、僕が手術が大嫌いなことは知ってるだろう」
ケビンは、高校生のときバイク事故を起こし内臓破裂の大ケガをおったことがある。
反抗期に差し掛かっていた彼は、不良っぽさを誇示しようと無免許にもかかわらず友人のバイクで深夜のロス郊外をぶっ飛ばしていた。カーブに差し掛かったところでいきなり飛び出してきた動物を避けようとして急ハンドルを切り木に激突した。彼は十数メートルも飛ばされ、全身を強打した。
奇跡的に助かったが、麻酔から覚める際の吐き気や手術後の措置の激痛などそのとき味わった七転八倒の苦しみを二度と体験したくないと心に決めていた。強いトラウマが彼を支配している。
ケビンはそれとなく自分で先がないと決めつけ、自暴自棄になって生きる気力さえすっかり失っているようだ。
ドアの外で二人の会話を聞いていた息子のショーンが入って来て、半分泣き顔で叱るように叫んだ。
「駄目だよ、親父。手術しなくっちゃ。今の医学の進歩はすさまじいんだ。きっとうまくいくよ」
確かにガン治療の技術は日進月歩だ。
「ありがとう、ショーン。考えとくよ」
ケビンは、強気っぽく無理に笑って親指を立てて見せた。医者の卵としてすっかり大人びてきた息子を頼もしくも感じながら。
◇
モルヒネ系の痛み止めでなんとか持ち直したケビンは、二日後ステファニーに車で送ってもらってとりあえず事務所に出かけた。
ケビンは机の上の貯まった書類とパソコンを前に椅子に座ると、
「胃を切らなきゃならないそうだ。でも、そう長く生きられないらしい。だけど君も知ってる通り僕は絶対に手術はしたくないんだ」
秘書のケイトに、ため息交じり独り言のように呟いた。法律事務所の開業以来ずっとケビンの秘書をつとめてきただけに、多くを聞かなくてもケイトはケビンの性格を理解し絶望的な気持ちが十分把握出来た。
「困った方ですわね、ケビン。でもあなたはずっと休まず走り続けていらしたから。ネジを巻き過ぎると時計も壊れてしまいますわ」
すっかり落ち込んでいるケビンに労りの視線を送りながら、彼女がポツンと意外なことを口にした。
「ところで、東洋医学というのをご存じですか?」
「トウヨウイガク? いや、知らない。聞いた事もないけど」
ケイトは何とかケビンの力になりたいと我がことのように考えていた。
「私も聞きづてですが、東洋医学で余命半年の末期ガン患者が三年経った今でも元気で頑張っているそうです。確か、日本で治療というかそのための修行を受けたとかいう話ですが」
にわかには信じがたいことだった。だが半信半疑でケイトの話に耳を傾けた。聞き終えたケビンは、消えかけていた蝋燭の炎が再び輝きを取り戻したときのように、意外にも沈んでいた目を一瞬輝やかせた。
「本当かねケイト、その話は。日本に行けば、そのトウヨウイガクとやらが受けられるんだね。そうすれば手術しなくても治る可能性があるんだね」
念を押すように聞いた。日本にはまだ行ったことはない。ただ旅好きのケビンにとって日本は以前から強い興味の対象だった。是非一度は行ってみたい国の一つだ。その程度の意欲のかけらはまだケビン奥深いところに息づいていた。
ケイトに車で家まで送ってもらう道すがら、ケビンは《東洋医学と日本についてもっと詳しく知りたい》と彼女に執拗に質問し続けた。彼女は、《にわか覚えですけど》と断りながらも得意げに自分なりのうんちくを披露した。
東洋医学と言っても、元々道教と言われる複合宗教・哲学に発し、中医学、すなわち中国から伝わって来たものらしい。それを日本では、柔術や合気道に代表されるような、日本武術に通底する《気》の思想を取り入れた荒行による心身鍛練法で病を克服しているという。そして、ケイトの知人はそれを日本の《禅寺》と言うところで実践した、と聞いていた。彼女は自分が言った責任上どこでどう受けられるのか、もっと具体的に詳しく調べておくことをケビンに約束した。
治る見込みがないと決め付けていたが、どうせなら死ぬ前に日本に行ってみたいという好奇心がケビンの中に芽生え始めていた。せっかちで思いついたらすぐ行動に移すケビンの気持ちは半信半疑ながら既に日本に飛んでいるかのようだった。
◇
ケビンは家に帰ると、彼の入院の支度をしているステファニーにケイトの提案をかいつまんで話した。
「トウヨウイガク? ニホンですって?」
ステファニーはケビンの唐突な言葉に驚いた。だが、歯牙にもかけず頭から否定し当然のように手術を勧めた。
「なに馬鹿なこと言ってるのよ。そんなの信じられないわ。日本なんかに行って、そんな子供だましの奇術みたいなもので治るはずがないでしょ。今の時代、ショーンがいってたように西洋医学の進歩はすさまじいのよ。手術しなければ、治るものも治らなくなるわ」
彼女はケビンの着替えを手際よくスーツケースに収めながら一方的に早口でまくし立てた。
「一度フランクにも聞いてみたら。きっと同じこと言うはずよ」
「ああ、そうしてみるよ」
ケビンは、予想していたこととはいえステファニーの剣幕に気圧され無気力に答えるだけだった。
確かに主治医のフランクの反応も大同小異だった。
《そんな非科学的なものは、セカンドオピニオンにもならない。絶対に今すぐ手術をした方が良い》
と言って、ステファニーの言う通り当然のように頭ごなしに否定した。だがケビンはケイトの話に陶酔したようにフランクの言葉に耳を貸そうとはしない。激しい問答が繰り返された。昔からケビンの言い出したら聞かない頑固な性格をフランクは十分知っている。最終的にケビンの意志を飲まざるを得ないことは分かっていた。フランクはしぶしぶとしかし冷静に切り出した。
「相変わらずだねー、ケビン。まあどうしてもというなら、仕方ない。無理やり止める訳にもいかないでしょう。むしろ生きようとする意欲が見受けられることはいいことだ」
フランクはあくまでも前向きに捕らえようと考えた。
「しかし、日本へ行けば私は責任は持てないよ。勿論出来る限りの協力は惜しまないつもりだが。リスクはあるがそこまで言うのならあなたの意見を尊重しよう」
後日フランクは、もしものことに備えて《これだけは約束してほしい》とケビンに条件を出した。それは、日本のガンセンターへの紹介状を持って行って、そこで定期的に放射線と抗ガン剤を併用する放射線化学療法を必ず受け免疫効果を高める漢方薬を処方してもらうことだった。そこにはフランクのインターン時代からの日本人医師の友人、藤元がいる。ケビンは快諾した。
その日家に帰ると、ケビンは鬼の首でも取ったかのようにフランクの内諾を得たことを嬉しそうにステファニーに報告した。久々の笑顔だ。微かながら意欲が感じられる。しかし彼女は依然頑として強硬に反対を通した。
「子供たちはどうするのよ。生活費や日本での滞在費、治療費などどうするつもりなの。家のローンだって残ってるんだし」
柳眉を逆立てて半ばケビンに食ってかかった。
「株も持っているし、蓄えもある程度はある。保険だってちゃんと入ってる。迷惑はかけないよ。子供たちももう手がかからなくなった訳だし、分別もあるからちゃんと理解してもらえるように私から説明するよ」
ケビンは消えかかっていた好奇心のかけらを呼び起こすように主張を続けた。確かに、子供たちのことを考えるとケビンは胸が痛む。ステファニーの言うように、子供たちも一様に反対の意を示した。特に、今年からシアトルのワシントン大医学部にインターンとして編入が決まっているショーンは、《そんなもので治るはずはない》と東洋医学に対して最も懐疑的だ。だが、手術をしても余命一年と宣告されているだけに、《ひょっとすると》という一縷の望みも感じない訳ではなかった。ある意味藁にも縋る思いもある。
一方グロリアは東洋文化を専攻していることもあり、以前から日本に興味と憧れを抱いていた。
《いいなぁ、私も一緒にいきたいな−》と言って、父の日本行きを半ば羨ましそうな素振りも見せた。だが、事態が決してそんな楽観的なものではないことぐらいは十分承知している。
子供たちは、小さいころから旅好きのケビンに色んなところに連れていってもらったり、色んな経験もさせてもらっている。いくら成人したといっても寂しさは否定出来ない。だが、もはや誰もケビンを引き留めることは出来ないほどケビンの意志は固まっていた。
「悪いけど、子供たちのことは頼んだよ」
「本当に一人で大丈夫なの? 仕方ないわね。もう、言い出したら聞かないんだから。私も好きな仕事をしている訳だし、当面生活費にはなんとか困らないから」
ステファニーはしんみりとして続けた。
「でもちゃんと療養して必ず元気になって帰って来てね。何かあったら連絡して。すぐ日本まで飛んで行くから。あなたがいないと寂しいわ」
最後は折れて不承不承ながらケビンの決心を了承せざるを得なかった。
数日後、家族と主治医に見送られながら、ケビンは痛々しさを残しつつも不安とかすかな期待を胸に機上の人となって日本に向かった。