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第一話 SEDONA 2

− マリエ (21歳)−  (2002年3月)

 − マリエ (21歳)−  (2002年3月)

 

四年半ほど前に話は溯る。

夕焼けに染まるSEDONAの閑静な住宅地の一画を、マリエは手垢で汚れた一枚の写真としわくちゃのメモを頼りに一軒の家を捜し歩いていた。心細そうな表情を浮かべながら。


 この日マリエは、成田からロス経由でフェニックスまで飛行機でやって来た。そこからKIAのレンタカーでやっとSEDONAに着いたばかりだ。春の日は長くなったといっても、初めて訪れる夕刻迫る土地はいかに海外の旅馴れしているマリエにとっても不安をかき立てる。 


 東森毬恵ことマリエは、神奈川県横須賀市で由緒ある茶道東森家八代目、東森栗人の一人娘として生まれた。茶道は勿論、小さいときから習い事で厳しい躾を強いられて育つ。ピアノ、クラシックバレエは小学生になる前から、弓道、合気道は小学生の低学年で始めた。インターハイなどでは優勝経験もある。今では、弓道四段、合気道三段の腕前を持つ実力だ。

 マリエは、すでに亡くなったおじいちゃん子だったが、そのおじいちゃんが当時騎馬隊の隊長だったこともあり、その影響で小さいときから豊富な乗馬体験も併せ持っている。

 身長156センチ、小柄で一見膨よかに見える。だが膝下のふくらはぎは細く締まり、均整のとれた長い足は人目を引くほど日本人離れしている。高校に入ったころ、横浜元町で芸能プロダクションのスタッフに何度もスカウトされたことがある。その方面にはマリエは全く興味を示さなかったが。母親似の童顔で、フランス人形と日本人形を足して二で割ったような可愛らしい容姿は未だに高校生に見間違えられるほどだ。逆に物腰や話し方は、おっとりと落ち着き払っていて年齢以上に感じさせる。そのアンバランスが彼女の魅力を一層引き立てている。

 才気煥発で性格的にはすこぶる素直に育つ。だが父、栗人の厳しい躾のせいかたまにどこか抑圧された寂しげな表情を見せるときもあった。

 さらにマリエは、高校、大学と通算三年ほどアメリカに留学していた経験を持つ。その地域は主にカリフォルニアとニューヨークだった。

今回訪れたアリゾナ州は、留学時代、観光でグランドキャニオンに行ったことと、友人たちとの旅行でフェニックスから南部のツーソンまで行き、さらに国境を越えメキシコまで足を伸ばしたとき以来マリエにとっては三度目となる。だがSEDONAという町は、それまで行ったことは勿論地名すら全く馴染みのない町だった。


 マリエにとっていつもは初めて訪れる旅行先は、情報誌やインターネットで入念な下調べをするのが常だった。だが今回はどういう町なのか一切調べもせず全く予備知識もないまま、単に住所が書かれたメモだけを頼りに来てしまった。ただ来てみて周囲を奇異な形をした赤い山々に囲まれた町に入った途端、今までに味わったことのないような背筋がゾクッとするほどのパワーのようなエネルギーを身体に感じた。そして《これまで経験したことのない不思議な雰囲気を持った町》という印象を強く覚えた。だがこの時点ではそのパワーが何なのか全く疑問にも思わなかった。また、そういう余裕すらこのときのマリエにはなかった。



 きれいに刈り込まれた芝生の前に、星条旗をあしらったカマボコ型の郵便受けが立っている。

《ビュー・アヴェニュー1256、SEDONA、アリゾナ USA》と書かれたしわくちゃの紙と、その郵便受けに書かれた番地の数字が同じであることを確認したマリエは、家の前で思案気に立ちすくんだ。心臓が太鼓を打つような鼓動をかなえている。

 しばらくすると下唇を軽く噛み締め意を決して数メートル先の玄関を目指してゆっくりと芝生の間の石畳を進んでいった。張り詰めた面持ちで目尻に険しさが浮かぶ。小さなステンドガラスがのぞき窓としてはめ込まれたベージュ色したカントリー調のドアーの前に立った。深く一呼吸して小さく震える人差し指でゆっくりとチャイムボタンを押した。


 ほどなくしてドアーが開き、小太りのネイティブ・アメリカン系の中年女性が出て来た。

「どなた? 何か御用?」

 女はにこりともせずぶっきらぼうに聞いた。訝しげにマリエを半ばにらみつける。

「ハ、ハロー。ハドソンさん、いらっしゃいますでしょうか」

 マリエはつまりながらやっとそう尋ねた。

 女は、マリエのつま先から顔まで上目使いに舐めるように見ている。そのまま返事もせず怪訝そうな表情を保ったまま中に入って行った。

「 リチャード! 誰か玄関に来てるわよ」

 女の叫ぶ声と入れ替わりに、角刈りで日焼けしたがっちりとした体格のリチャードと呼ばれた男が、少しびっこを引きながらゆったりとした足取りで出て来た。

「ハイ!」

 仕事から帰ってシャワーを浴びたばかりなのか、まだ濡れたままの短く刈り込まれた髪をタオルで拭きながら無骨に挨拶する。男はさっきの女と同じように訝しげにタオルの中で首をかしげた。

 太陽に炙られ赤銅色に潮焼けした男は、元USネイビーだったことを感じさせる精悍な顔付きをしている。マリエは、それが母がくれた写真に写っている人物だとすぐに分かった。彼女は感激と緊張の余り自分の心臓の鼓動を聞かれてしまうのではないかと思うほどだった。そして自分でも分かるほどこわばった顔で言葉を見失ったままその場につっ立っていた。金縛りにあったようなマリエの異常な様子に戸惑う風情でリチャードが聞いた。

「どうかしましたか、どなたかな?」

 我に返ったマリエは、

「マ、マリエと言います。日本から来ました」

 と、やっとのことでそう答えた。それを聞いたリチャードも、それが何を意味するのかを捜しあぐねるようにしばらく沈黙している。目を剥きまじまじとマリエを見つめながら。

「マリエ? ・・・・・・日本から?」

 リチャードも少しうろたえた様子でおうむ返しにそう聞き返すのが精一杯だった。


 リチャードは以前、地元のアリゾナ州立大学を卒業後合衆国の海軍に入隊した。その後航空母艦の一兵卒として日本の横須賀にしばしば寄港している。そして彼が二十七歳のときマリエの母、由美子との運命的な出会いを持つことになる。結果的には一緒になることはなかった。ただわずか一週間だけの燃えるような恋が、その後リチャードの心を執拗に引きずり続けた。生真面目で一途な性格からか、約十二年間、由美子にもう一度会いたい一心で事あるごとに連絡を取り続ける。1991年、当時の湾岸戦争で負傷して止む無く兵役を退く。その後このSEDONAで不動産屋を開業する。同時に待ち続けた由美子を思い切るかのように四十歳でやっと結婚に踏み切った。

 ちょうど時を同じくして、マリエがリチャードとの子供であることが確定的になった由美子から、その旨を知らせる最初で最後の手紙が届いていた。それ以来この日まで約十年、リチャードはまだ見ぬわが子のことが頭を離れることはなかった。由美子への思いが、娘、マリエへの思慕へと昇華し増長していった。自分の娘、マリエにいつかは会いたい、いや必ずやいずれは会うことが出来ると硬く信じ願い続けてきた。

 一方、一回りほど年の差がある彼の妻、リンダは順風満帆な事業に加え家族三人の水入らずの平穏な幸せに満ちた生活を送っていた。時々遠い過去を思い出しているかのような素振りを垣間見せる夫に、なにか触れてはいけない古傷のようなものを感じつつも。


「私は、あなたの、むすめ・・・・・・」

 マリエは感動に胸を震わせて言葉を繋ごうとした。が、そう言うか言い終わらないうちにリチャードは両方の手を差し出した。そしてゆっくりと彼女を引き寄せた。言葉を遮ったままそっと抱き締める。このとき彼は思いがけず待ちに待った邂逅の日が訪れたことを理解した。目にはうっすらと涙が滲む。マリエも黙ったまま彼の腕の中に小刻みに震える身をゆだねる。涙があふれ出しそうになるのを必死でこらえながら。

「よく来たね。一人で来たのかい?」

 リチャードはマリエの耳元に息を吹きかけるように優しく声をかけた。

「はい」

 マリエの応えと同時に家の中から声がして七、八歳位の男の子が走りよって来た。

「ダッド、だれなの?」

 リチャードはそっとマリエを自分から離した。そして男の子に気づかれないように首にかけていたタオルで濡れた頭を拭く素振りをしながら目頭を拭いた。

「お父さんの知り合いの人だよ。日本からわざわざ訪ねて来てくれたんだ」

 リチャードは何事もなかったかのように子供に答えた。

「ママが呼んでるよ」

「OK」

 リチャードはにっこり笑うとマリエに玄関でそのまま待つように言った。そして男の子を抱えて又びっこを引きながら部屋の中に入って行った。《あの男の子は私の腹違いの弟なんだ》とマリエは確信した。《一人っ子の自分に弟がいるなんて》と不思議な気持ちが押し寄せて来た。ちょっぴり嬉しくもあった。


 日の長いSEDONAの夕暮れはまだ明るく幽玄にそびえ立つ赤い山々とともに澄み切った空を真っ赤に染め上げている。マリエはまた不思議なパワーを背筋に感じてプルッと小さく身震いをした。しかしこれから先どういう展開になるのか全く予想も出来ず立ち尽くしたまま今まで見たこともないような神秘的な深紅の空を見上げていた。

 リチャードは、家の中に入ったきりなかなか出てこない。だがマリエは、夢にまで見た本当の父親にやっと会えた幸せな気分に時間を忘れて浸っていた。そしてもう一度持っている写真を確かめるように見つめた。上気した気持ちがマリエの記憶を擽ってここへ来るまでの出来事が走馬灯のように頭を駆け巡った。



 この一年半程前、マリエは丁度二十歳になって約三年間のアメリカ留学を終え帰国した。その後横浜のF女子大に編入して日本での生活のペースもやっと取り戻しつつあった。

 そんなある日、夕食をすませたマリエは、自分の部屋のベッドに寝転び物憂げにCDを聞きながらぱらぱらと雑誌に目を通していた。

「アップルティー入れたけど、飲まない?」

 ノックをして、母の由美子が珍しくマリエの部屋を訪れた。

「どうしたの、お母さん」

 マリエはいつもと違った雰囲気を母に感じた。

「なかなかゆっくりあなたと話す機会がなかったから。実は、どうしてもあなたに話しておかなければならないことがあるの」

 由美子は、ためらいと少しはにかむ素振りを見せる。マリエが中学生になったとき出生の秘密が夫、栗人に発覚してからは栗人に対してというよりマリエに対して申し訳ない気持ちに苛まれ続けていた。《マリエに本当のことを告げなければ》と、その機会を模索していた。だがなかなか打ち明けるタイミングがつかめないままに時は過ぎていった。

 マリエが高校三年生になって、アメリカ留学が決まったときも因縁を感じ複雑な心境だった。《アメリカには本当のお父さんがいるのよ》と、このとき打ち明けようかとも思った。だが、最も感受性の強い時期、これからホームステイしながら一人外国で暮らさなければならない前に動揺させてはいけないと、その時はとうとう言いそびれてしまった。

 この夜、夫の栗人は夕食を済ませると所要で外出した。由美子はこのタイミングを逃してはいけない、やっとそのときが来たと思った。着物の合わせから一枚のメモと写真をそっと取り出した。

「びっくりしないで・・・・・・」

 由美子は言葉を慎重に選んでいるような思慮深い顔付きを見せる。

「実は・・・この写真の人が、あなたの本当のお父さんなの・・・・・・。ごめんなさい、隠してて。もっと早く言おうと思ってたんだけど、なかなか切り出せなくって。実は・・・」

 由美子は、頭の片隅にしまい込んでいた記憶を一枚一枚剥がすように、時折涙を流しながら当時のいきさつを語ってくれた。このときマリエは、自分でも不思議なくらい冷静に母の話を聞いていた。


 実はそれより前、マリエが中学生になって間もなく、当時栗人がそのことで母を激しくなじっている声を学校から帰宅して偶然聞いてしまっていた。このとき初めて《自分の本当の父親がアメリカ人であり、当然自分はハーフなのだ》という事実を知ることになる。その時は自分の境遇に何が起きたのか理解できなかった。まるで時間が止まったような感覚だった。再び時が動き出したときそれは気が狂うほどの激しいショックとなって現れた。その夜は一人部屋に籠もり声を殺して泣き明かした。  

だが泣くだけ泣くと激しい衝撃とは裏腹にマリエの心の中に得体の知れないワクワクとした好奇心に似た感情が沸き起こってきた。何か自分の身体の中に新しい可能性を見いだしたかのような快感が走った。そしてマリエはその時はそれ以上自分から母を問い詰めたり責めたりしようとはしなかった。小さな胸にその日の出来事を封印してしまう。

 その後高校生になりアメリカに留学して、日本でなんとなく感じていた閉塞感が取り払われるような解放感を覚えた。それまで半信半疑だったがこのとき初めて自分にアメリカの血が脈々と流れていることをじわりと実感し始める。

 この国のどこかに居るであろうまだ見ぬ実の父の姿を想像しながら。


 この日やっと母から直接打ち明けられて、マリエには母の痛ましい気持ちが痛いほど伝わってきた。そして今も尚その傷を引きずりながらも耐え忍んで必死に明るく生きようとしている母の姿に感銘を覚えた。

「ありがとう、お母さん、本当のことを教えてくれて。私、感謝してます」

 マリエの言葉に、由美子は話終えると胸のつかえが取れたようにほっと胸をなでおろした。


「冗談じゃないわ。そんなこと、認めるなんて出来る訳ないじゃない」

「違うんだ、リンダ。僕の話を聞いてくれ!」

 突然、静かだった家の中から女性とリチャードの大きな声がした。同時にさっきの男の子の泣き叫ぶ声が聞こえてきた。マリエは急に現実に引き戻された。我に返って不安を覚え心臓が早鐘のようにドキドキと波打つのが分かる。

 中でしばらく男と女の言い争う声が続いた。勢いよく玄関のドアーが開く。そこには最初に応対に出たリチャードの妻のリンダが鬼の形相で立っていた。

「あんた何しに来たのさ。帰んなよ。ここはあんたなんかの来る場所じゃないんだよ。私たちの今の幸せな生活を壊すようなことはしないで。もう二度とここには来ないでちょうだい」

 まるで夫の浮気相手にでも言うかのような烈火の剣幕だ。家の奥に戸惑いと申し訳なさそうな顔をしたリチャードの姿が見える。マリエとちらりと視線が合ったが、リチャードはすぐに目をそらした。マリエは勢いよく閉められたドアーに向かって深々と頭を下げた。そしてすでに暗くなった通りを肩を落として泣きながら力無く歩いて行った。


 それからしばらくすると、リチャードがびっこを引きながら追いかけるように玄関から飛び出して来た。だが暗がりの先には闇に溶け込んだマリエの姿をもう見つけることはできなかった。湯上がりのような爽やかな残り香だけが仄かに感じられ、マリエがいたことを物語っていた。

 《夢ではなかったんだ》うなだれて彼が家に引き返すとドアーの前に一枚の写真が落ちていた。そこにはマリエと母、由美子の最近の姿が写っていた。ひっくりかえすと裏には名前のほか住所と電話番号が書かれている。リチャードはもう一度マリエが去って行った暗闇を振り返った。深い懊悩の涙を流しながら呆然と立ちすくんだまま。

しばらくして深呼吸と共にマリエの実在を再確認するかのように残り香を胸深く吸い込んだ。そして写真を握り締め深く沈む闇を見送りながら低い声で呟いた。

「お父さんを許してくれ、マリエ」



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