その2
天宮南高校は比較的郊外にあった。ギスギスしたところのない校風は、事件や犯罪とは無縁な、のんびりとした雰囲気で知られている。
私は地図を片手に、ゆっくりと車を走らせた。誰かの家を探すふりをしながらの運転だ。
いまどきナビもついてないのかよ、と笑うなかれ。あの手の道具は履歴を見られると、色々都合の悪いことが出てくるものなのだ。ハイテクも良し悪しである。
誰かの家を探すふりをしているから、当然ゆっくり運転である。だが実際には事件の気配や違和感を探しているのだ。なっちゃんを困らせるような事件性。どころかにヒントは転がっている。
しかし、何の収穫もないまま、学校を一周。異変の察知をあきらめて、監視の位置に移動する。
監視の位置とは、近隣住民の邪魔にならない場所だ。人さまの家の前とか交差点のそばはアウト。道交法で違反とされている場所以外を指す。さらに言うならば、怪しまれない場所というのもポイントだ。
井上夏海を見張りやすいからといって、校門のそばはいささかマズい。
私は空き地のそばに車を停めた。バスから降りた学生たちを正面に捕らえることができる。そして後部座席に移動した。運転席よりも太陽が当たらない、目立ちにくいからである。そしてコートのポケットから出した、オペラグラスを目にあてる。
学生たちの行進は、覇気にかけていた。誰も彼も眠たそうで、朝から欠伸をしている者もいる。
明日がどうなるかわからない。将来がどうなるかわからない。漠然とした不安しかない。そのクセ勉強という努力はしたくない。
若者とは、いつの時代も同じである。若々しいくせにしなびているものだ。私自身そうだったので、彼らの倦怠感がよく理解できる。
だがそんなしなびた連中の中で、一人だけ輝きを放つ者がいた。
井上夏海だ。
とびきり可愛らしいわけではない。背が高かったり低かったり、太ったり痩せたりしているわけでもない。それでもなっちゃんの姿は、私の目を引いた。さばさばした性格の通り、背筋を伸ばした歩き姿。独特のバネを活かした足取り。まさに青春の躍動と、生命のかがやきに満ちた美しさがあった。
「……なんともまぶしいねぇ」
思わずつぶやいてしまう。私のような中年でさえ、そのように感じた。おそらく彼女の美しさが演技などでなく、ごく自然なものだったからだろう。大体にして彼女は、演技などできるほど器用な人間ではない。そしてこれだけは言えるのだが、なっちゃんに不快を感じるような人間は、性格がひん曲がった人間に違いない。
なっちゃんはしなびた行進を追い抜いて歩く。急いでいるようには見えないのだが、それでも年寄りじみた若者たちを追い抜いてしまう。そして丸めた背中を持ち主が知り合いなら、男女問わず声をかけてゆく。彼女が所属する陸上部の先輩たちだろう。襟の色が違う生徒には、頭をさげて歩く。しまいには教職員にまで声をかける始末だ。
「……青春が香るねぇ」
見たままを口にしてしまう。レモンのように爽やかな、というほど垢抜けたものではない。むしろもっと気取りのない、夏みかんや八朔のような親しみやすさがある。アイドルではなく人気者。そんな油断した印象なのだろう。声をかけられた側に同じような微笑みが浮かんでいた。
しかし、どれだけ観察していても異常は感じられない。私はオペラグラスを畳んで、全体を観察することにした。個人に集中していては全体を見失う。だがそれでも収穫はひとつも無く、始業のチャイムを耳にしながら学校を後にした。
監視をあきらめた私は、車を桜台地区へと向ける。桜台は学校のある美原地区のすぐとなり。しかも都合の良いことに、教室の窓を観察できそうな方角に位置している。藪や茂みといった、身を隠す場所も豊富であった。
それにしても、なっちゃんはどんなトラブルを抱えているのか?
我々の知らない彼女の生活を、ほんの少しのぞかせてもらったが、あれほどトラブルに無縁そうな娘もいないだろう。これでダイエットに悩んでいるとか打ち明けられたら、私も冷静ではいられないかもしれない。彼女のほっぺたをつまんて、左右に引っ張ってしまうだろう。
もちろんなっちゃんは太りすぎを気にする体型ではない。それを気にしていたとしたら、翁に気付かれてしまう。そして何より、私に対する今朝の態度に説明がつかなくなる。
疑問が晴れぬまま、桜台神社に到着。駐車場に車を停めて展望台に足を運ぶ。冬の平日、しかも昼間。当然のように人影は無い。冷たい北風になぶられながら、展望台を目指した。
切り立った崖のそばに立つと、眼下に広がる天宮市を一望できた。正面に美原地区の住宅街。左手には南高校。その向こうには一年の勤めを終えた茶色い畑。
私は天宮南高校の校舎から頭の中で直接を引き、神社の中の小さな森に到着させた。身を隠すための藪があり、茂みがある。私が思うに、絶好の監視スポットである。
暇人の振りをしながら車に戻り、カメラと三脚を取り出した。足早に森へ戻り、監視ポイントを決定する。
三脚を伸ばしておおよその水平をとってから、ペグを踏みつけて固定し、脚の伸び縮みで水平をより正確にする。
カメラを据え付けファインダーをのぞくと、校舎に並ぶ教室が確認できた。生徒たちの顔までわかるように、倍率をあげる。
教室の雰囲気は競争心のかけらも見られず、実にのほほんとしたものだった。
「……夏海は見つかったかのぅ?」
「いや、まだだね。一年生だから、最上階の四階か、二階あたりにいると思うんだが」
「そうそう、四階じゃ四階。右から二つ目の教室。……席は奥の方じゃから、ちょっと暗いかもしれんのぅ」
「こりゃどうも、御親切に」
私はソフトを持ち上げて、礼を言った。
……………………。
しかし、こんな場所に人が来るはずがない。いや、私がなっちゃんを探していると、何故知っている? というか声の主、お前なっちゃんを監視してたのか?
一瞬でさまざまな考えが、頭をよぎった。
だが、鋭く目を向けてみると、見知った顔である。
「……井上翁」
「ずいぶんゆっくりだったねぇ、探偵さん」
「なんでココにいるんですか?」
「孫が事件に巻き込まれるかもしれんのじゃ。老骨に鞭打つのは当然じゃろ?」
「だからって……なんなんですか、その迷彩服? そしてその着なれた感? つーか擬態がハンパないテクニックだし顔にドウランまで塗りたくって……あーーっ! カメラに迷彩テープまで貼って! どんだけ本格派なんですかっ!」
顔に迷彩模様をほどこした翁は、これまた迷彩のバンダナを頭に巻く。
「……まあ、男に陰あり歴史あり、ってとこかのぅ?」
「私の想像し得る翁の歴史なんて、飲み屋のツケを踏み倒して裏町を追いかけ回されるくらいなんですが……」
チッチッチッと、翁は立てた指を振る。
「ワシを追いかけ回したのは借金取りばかりじゃないさ。世界中の美女また美女から、ハート泥棒キス泥棒として手配されとってな……」
「さ、なっちゃんの監視を続けるか」
ふと目を向けると、私の目にさえ解りにくい、迷彩柄のテントが張ってあった。
翁は煙草をくわえ、森の中だというのに火を着けてしまった。それも火の残る灰を飛ばさぬよう、火口を両手で覆うという配慮をしながらだ。その仕草が、また堂に入っている。
この年寄り、どんな経歴があるのか? もちろんハート泥棒キス泥棒といった、法螺はのぞいてだ。
しかしこの街では、過去を詮索しないのがルールだ。それなりの過去があったのだろうとしか、判断できない。
「どうしたかね、ポンコツみたいな顔して」
「いえ、装備が充実してましたからね」
「さっき散々ツッコミ入れとったろう」
翁は笑う。
「まあこれは、アメリカ土産みたいなもんでのぅ。昔の品じゃから、まだまだ使えるぞい」
翁は黒い筒を取りだして、目にあてがった。
ライフル用のスコープだ。私としては、もう嫌な予感しかしていない。
「こう見えても若い頃は、アジアのカルロスとか呼ばれてのぅ、馬鹿みたいにモテたもんじゃ」
カルロスという人物が何者なのか、私は知らない。そしてそれがライフル・スコープとどのような関係があるのか? 知りたいとも思わない。
だがしかし、過去を語る翁の目は、泥沼のように暗く冷たく、妖しい光を放っていた。
これ以上踏み入ってはいけない。
私の本能が警告した。すぐさま引き返せ、命がおしかったらな、と。
「あっちじゃビールも悪くなかったのう。バーバー・ビールなど、軽くて飲みやすかったぞ」
「いやもう結構ですから、翁」
会話にアジア臭とコミュニズム臭、そして危険極まりない臭いがしてきたので、会話を打ち切りたかった。
「……聞きたいかな、探偵さん?」
「何をですかな?」
「ワシの過去じゃよ」
「いいえまったくもって。仕事や事件がからんでいなければ、他人の過去など私にとって無用の長物。詮索する趣味はまったくございません」
忍ぶように翁は笑った。そして携帯灰皿で煙草を消す。
「ずいぶんとツレませんなぁ」
「翁の過去は、私の好みではない香りがしますので」
「戦争は嫌いですかな?」
「好きな人間がいるんですか?」
「いるともさ。自分は戦争に行くことが無いて知ってる連中は、みんな戦争が好きじゃよ」
「ゲスな話ですね」
「おぉ、勝ってる間だけ戦争好きというのも、ゴロゴロおりますぞ」
翁は声をあげて笑った。
だがその目は、まったく笑っていなかった。




