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探偵は推理しない  作者: 寿
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そのGO!


 桜野深雪の悲鳴と、複数の足音が去ってゆく。私は「この街」の住人の特性である、「タフネス」をフルに発揮して意識を保っていた。ただし、先ほども語らせていただいた通り、指先ひとつ動かせない。

 それでもなんとか背中の痛みに耐えて、どうにか頭を持ち上げる。腕時計をようやくの思いでのぞき込んだ。

「二〇時三五分か」

 一人言さえ体に響く。だが、タフガイがいつまでも寝ているわけにはいかない。肉体のあげる悲鳴を無視して、私は無理矢理起き上がった。

 とはいえ、タフガイであっても痛いものは痛い。思わず身をよじってしまうが、そんなことをすれば余計に痛みが走るので、この苦痛に黙って耐えることにする。ただし、頭脳はフル回転させていた。

 己の欲望のためだけに恥辱の衣装で乙女の心を蝕み、この私に美しくもない腕力で痛手を与えた男、藤井和之。この男にどのような形で制裁をくわえるべきか? 復讐心に染まった私は、そのことだけに頭を巡らせる。

 敵は本職の暴力団をけしかけるような輩だ。私としても、ただで見逃す気は無い。

「……すべてをむしり取るか? すべてを失わせるか?」

 アスファルトに落ちたソフトを拾い上げ、髪を整えてから頭にのせた。そして上着の内ポケットから、スマホを取り出す。アドレス機能を呼び出して、目当てのダイアルにアクセスした。

「やあ、探偵さん。どうしたんだい、こんな時間に」

 電話のむこうから、しわがれているが陽気な声がした。この街の住人の一人で、雑貨屋の江戸川じいさん、通称エディさんだ。もっとも、雑貨屋などは表向きの商売。その正体は、頼めば一時間以内に何でも用意してくれる、裏稼業の顔役である。

「エディさん、ちょっと商いしてもらいたいんだが……」

 私は手早く注文の品を口にした。エディさんは「ちょっと待て」と言いながら、メモを取っているようだった。

「……ほほう、探偵さん。あんた新しい趣味に目覚めたのかい?」

「なぜそこで、小柄なレディへのプレゼントかい? というセリフが出てこないかな?」

「あんたがモテる訳が無いからさ」

「おやおや、私の武勇伝を知らないようだね。今度語って聞かせよう」

「あぁ、また今度な。今はビジネスの話だ」

「おいくらかな?」

 エディさんは二〇万円の金額を提示してきた。当然私は、高いと突っぱねる。

「何を言うかい、お前さんの注文は点数が多すぎる。これでも随分マケてんだぞ」

「わかってる、わかってるさ。だがそこを一六万くらいで、どうにかならないかな?」

「……………………」

 エディさんは黙り込んだ。

 私もせっつくことなく、彼の返事を待つ。

「……あんたには借りがあるからな。一六万にしてやるよ」

「よし、決まりだ。早速受け取りに行くよ」

「今どこにいる?」

「事務所前、これから車に乗るところさ」

「……それなら倉庫前に車を着けな。そこから直接、ブツを渡してやる」

 オーケイと言って、私は電話を切った。スマホは上着の内ポケットへ。そして別のポケットからは、煙草とライターを。キャメルを一本抜き出すと唇にはさんで、しかるべき表情を作る。しかるべき表情とはこの場合、苦味走ったタフな表情のことを言う。

 そうだ。ここから先は、間抜けな奴が命を落としてゆく、非情の世界なのだ。

 私は駐車場に足をむけた。襟元に忍び込む夜風を、コートの襟を立てて遮る。

 駐車場に着くと愛車のロックを解き、夜の冷気を招き入れぬうちに運転席へ滑り込む。車内は外よりも寒かった。当たり前だ。私は今、夜気に冷やされた鉄の箱に、四方を囲まれているのだから。

 煙草を備え付けの灰皿に押しつけ、イグニッションに鍵を差し込み、エンジンを始動させる。キャブレーター式のエンジンは冷えきっていて少しムズかってくれたが、軽くアクセルを踏み込むと素直な息吹を取り戻してくれた。さらに二度、アクセルを踏む。ミッション・オイルに気合いを入れてやるのだ。

 水温計の針が動くのを、待ってなどいられない。私はすぐに愛車を通りに出した。それからエディさんの店へとハンドルを切る。都会とはいえ、五番街は都心部から外れている。私は警察を気にすることもなく、アクセルを踏み込んだ。

 エディさんの店は五番街通りだが、倉庫は五〜六番街との間の、中通りにある。つまり、二度左折したらエディさんの倉庫、というわけだ。

 警告灯を点滅させて、私は車を左に寄せた。倉庫はすでにシャッターが上げられ、中で人の気配がしている。私は車を降りた。そして倉庫に呼びかける。

「やあ、エディさん! 注文の品は準備できたかい?」

「八割方揃ったぜ!」

 古い蛍光灯に照らされた倉庫の奥から、しゃがれた声がする。

「こっちに並べてある! そいつを確認してみろ! あとで返品なんて許さんからな!」

 なるほど、テーブルが出されて注文の品物が並んでいる。青、赤、白、黒のカラー・ジーンズ。黒と赤のチェック柄の短いスカート。赤と白、あるいは青と白の長袖ボーダーシャツ。カラフルなパーカーに、丈の長い黒ソックスが数点。さらにはショートのスパッツ。いずれも、私が目測した桜野深雪のサイズにピッタリだ。

「……………………」

 ほんの数分の間に、これだけの仕事をしてのけるとは。やはりその道のプロフェッショナル、あなどることはできない。

「よう、探偵さん。あとは布製のバスケット・シューズだったな?」

 棚の上から、エディさんが顔を出した。

「やっぱり靴もカラフルな方がいいんだろ?」

「あぁ、そうだね。ちょっとおとなしい娘を飾り立てるんだ。明るい色を主体にたのむよ」

 あいよ、と言ってエディさんは姿を消した。

 私は小さめの衣類を手に取り、メーカーを確かめてみた。どれもこれも中国製て、リーズナブルな商品である。品数が多いものの、はっきり言って一六万円はぼったくりである。しかし一六万円の値段は、品物に払っている訳ではない。いつでもどんなものでも、金さえ払えばすぐに揃えてくれる。そんなエディさんの手腕に払っているのだ。

「待たせたかな?」

 いつの間にか、エディさんは私の隣に立っていた。小柄なジイさんである。真っ黒なエプロンが大きく見える。だがこの街の誰もが、何がしかの形でエディさんの世話になっている。

 小柄な老人は、脇に抱えた四つの紙箱をテーブルに並べた。箱を開けると、バスケット・シューズが入っていた。赤、青、黄色、ピンクの四種類だ。

 自慢のチョイスなはずなのに、エディさんの表情はシブい。

「……現物を見ると、この色じゃソックスが負けちまうな。……ちょっと待ってろ」

 正直私も先を急いでいたのだが、エディさんに「そこまでこだわらなくて良い」、などとは言えなかった。なぜならエディさんのすることに、間違いは無いからだ。エディさんが「これでは不十分」と感じたなら、それはやはり不十分な出来でしかない。いかに私といえど、倉庫の奥に消えるエディさんを見送るしかない。

 私は改めて黒いソックスを手にしてみたが、これで十分とも思えたし、逆にソックスの方が負けているとも思えた。有り体に言うならば、所詮相手は子供。そのファッションに感じ入るところは無い。私の守備位置からは、かけ離れた世界の話である。

「……理解に苦しむね、どうにも」

 やがてエディさんが、新品のソックスを束で抱えて戻ってきた。黒いものも混ざっていたが、彩り鮮やかなものが多い。そしていずれも、丈は長い。

 ベースとなるのはチェック柄のスカート。そこにボーダーのシャツをならべ、エディさんは目を光らせる。そこに黒ソックス、青のソックス。あるいは赤やピンクと合わせてみる。今度はエディさんが唸った。そこにバスケット・シューズを試し、パーカーを合わせて確認。

 どの組み合わせがベストか? ひたすら検討をかさねていた。

「エディさん、ここはひとつ私にまかせてもらえないだろうか?」

「探偵さんに?」

「いや、正確には彼に、と言うべきかな?」

「?」

 私の計画は、藤井和之好みのフリフリヒラヒラよりも桜野深雪に似合うファッションを提示し、奴のアイデンティティを崩壊に追い込む、というものだった。

 アホな計画と笑うなかれ。桜野深雪が打ち出した帰還の条件は、藤井和之にゴテゴテ趣味のファッションをやめてもらう、というものだった。つまり、桜野深雪の新たな魅力を見せつけてやれば、自然とフリフリヒラヒラを廃業するはずなのだ。

 ただ、あの手の人種が信仰を失ったとき自我の崩壊が起こり得るというだけで、病気の再発を考慮するならば、一度は崩壊させておいた方が良いだろうと思う。もちろん、この私を暴力で打ちのめしてくれたお礼も含めての計画だ。

 雑貨屋のロゴマークが入ったレジ袋に商品を詰める。

「もう行くのかい?」

「あぁ、人を待たせているのでね」

「持っていきな」

 エディさんは「おまけ」を押しつけてきた。

 確認してみると、カラフルな四種類のショートパンツであった。

「あんたほどの男が、こいつをチョイスに入れてないとはな」

「エディさんだって忘れていたんじゃないのかい?」

「俺はあんたからの注文を、忠実に揃えていただけさ。文句があるなら返品してもらってもかまわないんだぜ」

「ありがたく受け取らせていただく。正直、千人力の気分だ」


 そうだろう、とエディさんは目を細める。

 私はおまけを袋に詰め込み、一六枚の紙幣を支払った。

「ありがとうエディさん、今度飲みに行こう」

「あぁ、そん時ぁあんたの奢りだ」

 エディさんの声を背中に、愛車に乗り込む。暖房で暖められた空気が、私を迎えてくれた。

 これで万全。今夜のゲームは私のものだ。

 若くて金持ちのボンボンで、おそらくイケメンであろう藤井和之から、すべてをむしり取ってやるのだ。貧乏探偵の身としては、心踊るシュチュエーションであった。


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