しょの4
私の目的は、桜野深雪を依頼主栄一郎氏のもとへ送り届けること。もちろん薬で眠らせて車に詰め込み、夜の街を走れば仕事は終了。ごく短い時間で依頼をクリアすることができる。
しかし、そんな力技は私の信条に反する行為だ。あくまでスマートに、できれば本人の意思で家に帰る、というのが理想的だ。当然、報酬を受け取るために私がそばに寄り添って、の話だが。
それに、無理矢理家に送り帰したところで、また家出されるのは目に見えている。そのような結末では、依頼主も不満足であろう。そうなると私の評判は依頼主の都合で勝手に落とされ、大口の仕事が取れなくなるだろう。
そしてなにより、マダムの顔を潰すことになりかねない。それだけは絶対に避けたいところだ。
桜野深雪のとなりの席に、私も腰をおろす。
「さて、悩みをうかがうにも、飲み物があった方がいい」
マダムにカクテルを注文する。
「私にはフローズン・ダイキリのガム・シロップ抜きを。彼女には同じもので、ラム抜きガム・シロップ増しで」
「かしこまりました」
真冬だが、店内は暖房が効いている。冷たい飲み物も十分楽しめる。ちなみに彼女の飲み物はラム抜きということで、単なるライム・ジュースになっている。
「……………………」
シャーベットが盛られたシャンパン・グラスが届くまで、彼女は無言だった。おそらく私という人間を推し量っているのだろう。
「……………………」
私もいたずらに彼女を刺激することは避けた。ただガラス製の灰皿を引き寄せ、愛飲のキャメルを煙に変えるだけだ。
キャメルが一本、灰に変わる。私は灰皿に煙草を押し付け、吸い殻にした。
そして飲み物が届くと、私はグラスを合わせる。
「自由のために」
彼女は乾杯に応じてくれた。
キリリと冷えた飲み物をストローで口に含むと、彼女の表情が変わった。全体に明るみが差す。これはよい兆候だ。話を切り出すために、私は誘いのジャブを放つ。
「お口に合いましたか?」
「えぇ、とっても」
ダイキリの深雪スペシャルは、彼女のお気に入りに加えてもらえたようだ。
「それはなにより、わざわざ家出した甲斐があるというものだ」
「それです探偵さん! 聞いてくださいっ!」
嬉しいことに、話の口火は彼女の方から切り出してくれた。
「もう調べているかもしれませんけど、私には婚約者がいるんです」
「なかなかの好青年、と見ましたが?」
「それが、そうでもなくて……」
彼に浮気癖があるのか? はたまた彼女に他の恋人がいるとか?
桜野深雪がすぐに見つかってしまったため、二人に関する知識は皆無にひとしい。ある意味非常に厄介なケースとも言える。
「和之さんは、確かに素敵な男性です。それだけではなく、私みたいな地味な娘を大事にしてくれて……」
「申し分ない好青年じゃないですか」
「……ですが、ちょっぴり合わないところがありまして」
乙女は顔を曇らせたが、私は大人の態度で接する。
「合わないと言っても、そこは二人で溝を埋めるべきでは? なにしろ君たちには、これからたくさんの時間があるのだから」
「いいえ探偵さん! こればかりは譲れません! ぜひとも和之さんには改善していただかないと、私としても婚約破棄を考えなくてはなりません!」
事態はかなり深刻なようだ。彼女の悩みを聞くなどと、うかつに言ってしまった十五分前の自分に、腹を立ててしまう。
「では、君が態度を硬くしてしまうほどの案件とは、どんなことかね?」
「……………………」
言いよどんでいる。彼女が和之氏に難癖をつけているのではない、というのはわかるのだが、ここで黙り込まれるとそれすら疑わなくてはならなくなる。
「……探偵さん、このことは内緒にしてください……」
「口が固いのは、探偵の第一条件です」
「……実は私、あまり女の子らしくないというか、私服でスカートを履いたことがないんです」
地味が進行してオシャレっ気がなくなった、というところだろうか? 考えてみればこれだけ地味な娘が、オシャレをして華やかな街でショッピングというのも、あまり想像がつかない。なるほどそう考えれば、彼女がスカートを持っていないというのもうなずける。
「だけど和之さん、私には着飾ってもらいたいらしくて、色々な洋服やらスカートやら、似合わないようなものを、どんどん送ってきて……」
「乙女冥利に尽きますなぁと、茶化してはいけないようだね」
「だって探偵さん! 和之さんのプレゼント、一度試しに両親の前で袖を通したことがあるんですが、ピンクのドレスでお姫さまが出来上がったんですよっ! お姫さまがっ!」
……それはキツいものがあるかもしれない。いや、彼女にお姫さまが似合わないというのではない。自分で似合わないと思っている服を、イヤイヤ着なければならないという、彼女の立場がキツいのだ。
桜野深雪のお姫さま自体は、可愛らしいものだと想像できる。おそらく、マダムのお姫さまドレスやミニスカート女子高生よりは、はるかに愛くるしいだろう。しかし、本人がそれを嫌がっているのだから、ここは和之氏が考えを改めるべきであろう。
とはいえ、男心もわからないでもない。将来愛を誓い合う女性……しかも年若い娘。それを自分の好みに着飾らせてみたいというのは、なるほど男子の本懐だろう。おそらく和之氏にしてみれば、桜野深雪という少女は、ズバリ好みのタイプに違いない。以前この街でアンケートをとったことがあるのだが、モテる男ほど地味な娘を好む傾向にある。
愛しさ故に、すれ違う二人。
有閑マダム相手に流される、昼のメロドラマじみたタイトルである。普段の私ならば、一笑に伏していたところだ。だがだが悩みを抱えているのは私の関係者であり、大事な一〇〇万円なのだ。なんとしても、二人のヨリを戻さなくてはならない。
「お願いです探偵さんっ! 身勝手なお願いだとわかってますけど、和之さんをなんとかしてくださいっ! ……私だって、これさえなければ、和之さんのこと……」
私は二本目のキャメルに火を着けた。そしてソフトのツバをひとつ撫でる。ここは思案のしどころだ。
桜野氏の依頼は、ビジネスとしてこなさなければならない。しかし深雪さんの願いをかなえない限り、この事件は再発する。
私に和之氏を、変えることができるであろうか。
「探偵さん!」
……少女の瞳に捕らわれた。そのいたいけな輝きに、私の心は決められてしまった。
和之氏を変えることができるであろうか、ではない。変えなければならないのだ。
「……よろしい、なんとかしてみましょう」
「本当ですか!」
少女の頬に赤味が差した。照れているのではない。血が通って人間らしい顔色を取り戻したのだ。
「ただし私にできるのは、和之氏が変わる手伝いだけ。本当に彼を変えるのは、あなたの愛であり、和之氏本人の意思でしかない。……わかるかな?」
よほど嬉しかったのか、彼女は安く受け答えする。とはいえ、桜野深雪が帰還の意思をみせたのはよいことだ。
私はすぐさま桜野氏に電話をかけ、深雪さんの保護を報告。和之氏との問題が解決次第帰還することを伝えた。私の手早い仕事に桜野氏も上機嫌で、和之氏の住むマンションまで教えてくれる。そして改めて和之氏の意思を翻し、桜野深雪の帰還に助力するよう指示を受けた。
「よし、まずは難関をひとつクリアだ」
もうじき我が胸に飛び込んでくる、一〇〇万円の札束に期待をふくらませながら、スマートフォンを胸ポケットにしまい込む。
「それじゃあ深雪さん、もう一度確認しますよ? ……あなたは和之さんと、結ばれたいですね?」
「はい」
「そのために私たちはこれから和之氏を訪ね、直接対決しなくてはなりません。……OK?」
「お、オーケイ……」
「よろしい」
私はキャメルを灰皿に押しつけた。肺の奥から絞り出すように、大量の煙を吐き出す。
「……ならば、戦闘開始だ」
ポケットから鍵束を引きずり出す。事務所と愛車の鍵だ。私は背中の産毛が逆立つのを感じた。それは、抑えきれないほどの暴力的な破壊の衝動であった。
いってくるとマダムに言い残す。彼女は笑顔で見送ってくれた。
桜野深雪をうながし、店の外に出る。夜気が襲いかかってきた。
ちょうどいい。熱くたぎった血を冷ますには、もってこいだ。
振り返ると桜野深雪は夜気の厳しさに、まぶたを固くつぶっている。
「遅れないように」
私は小さな手をとった。
階段を上がり地上に帰る。五番街通りは、早くも車通りが減っていた。桜野深雪の手を引き、通りを西へ歩く。交差点のむこう、月極の露天駐車場に私の愛車がある。
探偵が高級車に乗ってはならない。鈍足であっても、目立たない車が良い。そんな言い訳で、自分の収入の低さを慰めた。
愛車の姿が夜目にも明らかになってきた。しかし、赤信号で足を止めた時、背後から気配を感じた。
刺客か?
振り向こうとした瞬間、背後から一撃を食った。次は正面からだ。何か固いもので殴られているらしい。私はたまらず膝をつく。
そこに靴のつま先で胃袋へ蹴り。いや、背中も蹴られる。刺客はグロッキーになった相手にも容赦がなかった。おそらくは、プロなのだろう。私はこめかみをかばいながら、紙一重で刺客の攻撃をかわした。
だがそれでも、やはり多勢に無勢。蹴りや長物の打撃を受け、意識はあるのに動けなくなってしまった。
「探偵さん! 探偵さーーんっ!」
あぁ、深雪ちゃんの声が聞こえる。
だが乙女の叫びよりも、闘志を奮い立たせる言葉を、私の耳はひろった。
「深雪さま確保! これより藤井の部屋まで搬送します!」
無線機のむこうから、若々しい声がした。
「よろしい、あくまでも丁重に深雪さんを運んでください」
「了解!」
……つまりこいつらは、和之氏の手先ということだ。ならば話は早い。私の体調が回復したら、奴のアパートに乗り込むだけだ。




