表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
探偵は推理しない  作者: 寿
3/24

その三

 スコッチのグラスをかたむけると、冷水のように引き締まった液体が、口の中を洗ってくれた。マダムは待ってくれている。ひとつの事件を解決した私に、わずかながら憩いの時を与えてくれたのだ。もちろん私もその好意に甘えさせていただく。

 タフガイにも休息は必要だ。事実、休息をとるに足るだけの難解な事件だった。

 この街は病んでいる。

 なにを今さらという台詞だったが、心の中で噛みしめる。そして病んでいる街だからこそ、私のような裏家業が必要とされているのだ。

 私はグラスを空けた。何かにすがりたくなる夜ではあったが、ここから先は非情の世界。銃弾と札束の飛び交う、男だけの世界なのだ。

 アルコールが血液に回る独特の感覚を楽しんでいると、書類用の封筒が差し出される。私は頭を上げた。マダムが黙って微笑んでいる。

 私も笑顔をむけた。

「お待たせしたね」

「かまいませんよ、ゆっくりくつろいで」

 二杯目のスコッチが注がれた。しかしそれには手をつけず、私は封筒を開いた。

 書類が数枚、そして一葉の写真。ブレザーの制服も着なれていない、黒髪セミロングの少女が映っている。

「その娘を捜し出してほしいの」

 書類は捜索の依頼書。そして少女のプロフィールをまとめたものだ。

 娘の名は桜野深雪。この街の名門私立に通う高校一年生だ。交遊関係にも問題はなく、いたって普通……いや、なかなかの優等生なようである。

 しかし探偵をビジネスと割り切る私にとって、より魅力的な項目は、彼女の父が大手農業器具メーカー『サクラ農機』の桜野代表だ、という点だった。

「なるほど、報酬はゴキゲンな額が期待できそうだね」

「あら探偵さん、レディの写真を手に入れたなら、まずその容姿に心奪われるのがエチケットよ?」

「これは失礼」

 私は写真に目を落とした。

 マダムは心奪われるべきと言うが、それはなかなかに難しいお題であった。何故ならこちらのレディ、優等生というだけあって、めっぽう地味な見てくれなのだ。

「……しかし、こんな娘さんが行方不明とは……。親御さんの身分を考えて、誘拐なんてことはないだろうね?」

 それならば警察の出番であって、私のようにチンケな探偵の出る幕ではない。しかし何事にも例外はつきものだし、桜野氏の身分を考慮すれば、ケチな探偵こそふさわしい事件かもしれない。

「そんなことないわ、単純な家出よ」

 確かに。依頼書にもそう書いてある。

「食うに困らぬ家に生まれ育って、何が不満なものやら。……私には理解し難いね」

「探偵さん、女の子には複雑な事情があるの、わからない?」

「これで家出の理由が、毎日の夕食にピーマンが出るからだとか言ったら、お尻をペンペンしてやらないとな」

 私はさらにプロフィールを読む。身長は一五〇センチ。体重は四〇キロを下回っている。グラマラスとは無縁な人生らしい。趣味は読書、得意科目は古文で苦手は体育。まあ、あまり活発なようには見えないので、意外性もなにもありはしない。友人が多い方ではないが、同じような優等生タイプと交流しているようだ。

「ん?」

「どうしたの?」

「こちらのお嬢さん、婚約者がいるらしいね」

「あら本当ね。でも家柄を考えたら、婚約者の五人や六人、いても不思議ではないわ」

「婚約者が五人も六人もという発想は、どこから出てくるのかな?」

 しかし年若いとはいえ、男と女。様々な思惑がからむのも仕方ない。当たり前の発想が許されるのならば、この婚約者氏に不満があるのか、はたまた婚約者同士で共謀し破談をねらった小芝居、などと考える。なんとも判断しにくいところではあるが、まずはその線で調査を始めたいと思う。

 グラスの氷は角がとけて、かなり丸みを帯びていた。好みの濃さにくらべれば、いささか薄い味わいになったが、私は大きく一口いただいた。

 婚約者の名は藤井和之。中部地方を中心に展開する、大型スーパーマーケットの経営者藤井一郎氏を父に持つ、いわば御曹司というやつである。年齢は二〇歳。こちらも地元で名門私立の誉たかい大学に通い、品行方正を絵に描いたような好青年だった。

「マダム、彼の写真は無いのかな?」

「依頼主からは受け取ってないわね。もしかしたら彼には近づくな、というメッセージなのかしら?」

「可能性はあるね。桜野氏とすれば、娘の家出なんて先方に知られたくないだろうから」

 依頼主の名は当然のように、サクラ農機代表取締役桜野栄一郎となっている。

「それでマダム、今回の報酬はいかほどなのかな?」

「まずこちらが返済の必要が無い、つまり領収書を求めていない、真っ黒な経費」

 マダムはカウンターの下から、無造作に札束を出した。一〇〇万円である。

「そしてこちらは、深雪ちゃんを無事桜野家へ送り届けた際の、成功報酬」

 こちらも一本。当然のように一〇〇万円だ。

 口笛を吹いて迎えたくなるような額だったが、マダムの前である。品のない真似はできない。

 そのかわりに一本を背広の内ポケットに突っ込み、残ったスコッチを喉の奥に放り込んだ。

 マダムがカウンターの下に片付ける残りの札束に、思わずはしたない視線を向けてしまう。だがすぐに顔を引き締めて、口の中の細かい氷を噛み砕いた。

「それじゃあ早速とりかかるとしますか」

 家出人の写真はシャツの胸ポケットへ。依頼書の類いはマダムに頼み、焼却処分だ。

「まずはどこから攻めるの?」

「そうだね……彼女の実家界隈には夜遊びできそうな場所が無い。ならば通学路からアクセスしやすい、ミナミから攻めてみようかな?」

「それからどぶ板通り?」

「そのあたりで今夜はお開きだろう」

「探偵さん、ピストルは必要かしら?」

「いや、いらないね。今回の舞台は街中だ。轟音を響かせるわけにはいかない」

 そうだ。今回の依頼は、単純な家出人捜索にすぎない。なにも問題は無いはずだ。

 私はマダムの親切心に感謝しながら、スツールから腰を上げた。

 そしてまた、すぐ座席に尻をもどす。ソフトは頭に乗せたまま、トレンチは座布団代わりに、シャツの胸ポケットから家出人の写真を取り出した。

 そして家出人の姿に目を落とす。その視線が写真を焦がしそうだったのだろう。マダムは不安げな声で。

「どうしたの、探偵さん?」

「静かに、マダム」

 申し訳ないのだが、集中させてもらう。

 私は写真の肖像から、家出人の鼻の高さから頬の平坦ぶりを、頭の中に描いた。その顔は極めてペッタンコ。それが影響してか、全体に地味感が拭えない。立体的なグラフィックを頭の中に描けるくらい、私は写真を凝視し続けた。

 それから私は、視線を店の奥にむけた。カウンター席には、まだ先客の女性が座っている。横顔は平坦で地味な印象の女性だ。グラマラスとはほど遠い、小柄で華奢な体のライン。そして何より、横顔がまだ子供である。

「……………………」

 私は無言でマダムを見た。

「……………………」

 マダムも無言で微笑みを返してくる。

 思わずマダムに言った。

「なんで家出人がこの店におんねん」

「あら、本当ね」

「本当ねって、気づいてなかったんかい!」

「不思議なこともあるのねぇ」

 マダムはあくまで、シラを切るつもりらしい。まあ、それならばそれでいい。こちらも無駄に靴底をスリ減らさなくて済むというものだ。

 私はソフトを目深にかぶり直し、椅子から尻を外した。

 私が立ち上がると女性客、つまり桜野深雪とおぼしき少女は、明らかに身を固くした。おそらくは、私たちの会話を盗み聞きしていたのだろう。

 私が歩を進めると、彼女も席を立った。急ぎ足でドアに向かう……つもりなのだろうが、私に急接近しただけだ。

「待ちたまえ、君!」

 軽く肩を掴んだだけで、少女は簡単に振り向いた。

「小生に、何か用かな?」

 涼しい声で、少女は応えた。自分が呼び止められる理由が、まったく解らない。と、すっトボケた顔だ。正体を見破られない自信があるらしい。

 その根拠が、顔にかけた「鼻メガネ」にあるようなのだが……。

「用がないのでしたら、小生これで失敬するよ」

「お待ちなさいって」

 彼女の頭にツッコミ・チョップ。もちろん、軽くである。

「……桜野深雪さを、ですね?」

 渾身の演技で、可能な限り優しい声を出す。

「私は探偵、あなたのような、弱者の味方です」

 子供を騙す趣味は無いが、嘘がオリーブオイルよりも滑らかに、唇からこぼれ出た。もちろんその隙に、彼女と出口の間に回り込む。

「……弱者の味方?」

 ずれてしまった鼻メガネをそっと外し、彼女の手に握らせた。

「そう、私は貴女の味方。……レディが家を出るんだ、なにか深刻な事情があったのでしょう?」

「深刻だなんて、そんな」

「悩みでしたらうかがいます。幸いここには、貴女の先輩とも言える素敵なマダムもいる」

 悪魔のささやきは効果があったようだ。

 桜野深雪は、素直にカウンターの席席へ戻った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ