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探偵は推理しない  作者: 寿
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その17


 小鹿さとみはすでに校門をくぐっていた。私は部外者だ。変装も無しに突入は許されない。ということで追跡を断念せざるを得なかった。

 だが学校敷地を駆ける、キラキラなバカを目で追うことはやめなかった。彼女はグランドにある幅跳びの砂場を越え、フィールドを駆け抜け、井上夏海の前に立った。

 なっちゃんは首にかけたタオルで、小鹿さとみの汗をふいてやっている。二人の様子をうかがう翁が、ストップウォッチのスイッチを押した。

 小鹿さとみは二言三言、それからゴメンなさいと頭を下げる。なっちゃんは弾けるように笑った。「いいよいいよ」という、許しの言葉が聞こえてきそうだ。

 ときめき成分キラキラーゼを振りまく挑戦者は図に乗ったようだ。グイと顔を突きだし何かを訴える。

 だがなっちゃんの肩をマダムが抱いた。おまけに少し身をかがめて、仲良く頬ずりまでしている。

 挑戦者、被弾。ダメージは深刻だ。それでも踏みとどまろうとしたところへ、なっちゃんの笑顔が炸裂した。

「アタシはどっちかっていうと、お姉ちゃんが欲しいかな?」

 邪気の無い笑顔だった。だからこそ、よく効く。あの笑顔から察するに、マダムや小鹿さとみの百合臭などまったく理解していないと思う。

 まあ、男女共学で女の子同士の恋愛など、なかなか成立するものではない。いや、その発想すら湧かないだろう。

 とにかく、小鹿さとみの頭から被弾の爆煙が上がった……ように見えた。そのまま少女は朽ち木のように傾く。そこを翁が抱き止めて、ゴングを要求した。

 試合終了だ。翁はストップウォッチを止めた。KOタイムが気になるところであったが、私はソフトを目深にかぶり直した。

 事件は解決したのだ。この街はふたたび、日常を取り戻す。

 つまり私はこの場所に、居所を無くしてしまったのだ。

 キャメルの匂いがしみついたトレンチコートの襟を立てて、私は学びやに背を向ける。

 住宅街の生活道路を、中年女性が駆けてきた。自転車の警察官を連れている。

「お巡りさん、早くっ! あの男っ、あの男ですっ!」

 何がどのようにあの男なのか?

 そのような疑問をはさむ時間は無い。自慢ではないが探偵という稼業、お巡りさんに対してやましいところだらけな仕事だ。早速自転車対人間の駆け足という、極めて分の悪いレースに突入する。

 私は自分でも信じられないくらい、力強くアスファルトを蹴った。


 探偵の朝は朝刊の山と一杯のブラックコーヒーから始まる。もちろんそこに、いつものキャメルが煙を立てていたならば申し分はない。

 だがしかし私の事務所兼住宅にはキッチンから漂ってくる、脂とトーストの焦げる煙が探偵の朝を邪魔していた。

「それで探偵さん。お巡りさんからは逃げ切れたの?」

 セーラー服にエプロン姿の井上夏海が、キッチンからひょっこりと顔を出す。

「あぁ、なんとかね。私の脚力もまだまだ衰えていないようだ」

「探偵さん、脚が速かったんだね。……ねねね、今度アタシと勝負しない?」

 食堂兼応接室のソファ。なっちゃんは図々しく私のとなりに腰かけた。

「無理は言わないでくれ。公平なルールと平等な条件で競い合って、私に勝ち目は無いだろう」

「それは探偵さんが卑怯者だって、自分で言ってるのと同じだよ?」

「大人に卑怯者は誉め言葉さ。もっと罵ってくれたまえ、心の底からね」

「……………………」

 なっちゃんは私をジッと見た。あまり見せてくれたことのない、シリアスな表情をしている。

「探偵さん? 現代文の時間に詩の授業があったんだけど……」

「ふむ?」

 何を言い出すのか? 私は片方の眉を吊り上げてみせた。

「……中原中也。汚れっちまった悲しみに」

「自分の汚れを詩にして披露するんだから、中也にとってその汚れは誇りだったのさ」

「うわぁ……詩人台無し……」

「啄木だってそうさ。働けども働けどもジッと手を見てたけど、毎晩芸者たちと大宴会の大フィーバー、激烈ドンチャン騒ぎをやってたんだ。暮らしが楽になる訳なんかないさ」

「授業中にそんな話をしたら、先生に怒られそうだよ」

「これが大人の文学ってヤツさ」

「……大人って汚れきってるね」

 本来ならばここでデタラメ太宰論をぶちまけたいところなのだが、部屋の空気が私の汚れっぷり以上に汚染されていた。

 しかもその汚れ、私のキャメルが原因ではない。

「なっちゃん、フライパンの世話はいいのかい?」

「あっ、忘れてたっ!」

 飛び上がるようにして、ソファを立った。キッチンへ駆け込む後ろ姿に、苦笑いを誘われる。

 そういえばあの後、小鹿さとみはどうなったのだろうか?

 少し気になったが、オメガに似た腕時計をのぞき込むと、もう登校時刻だ。

「なっちゃん! あとはいいから、学校の時間だよ!」

 女子高生の朝は慌ただしい。私は新聞に目を通すふりをしながら、彼女の背中を見送った。


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