その15
「あら?」
腕の中の小鹿さとみの声に、私は顔を上げた。グランドのなっちゃんが目に飛び込む。白地に赤いラインが入ったジャージ姿である。このスタイルの彼女を見て、付き合いが長いのに初めて気づくことがあった。それぱなっちゃんの手足が、私の知る平均的女子高生よりも長い、ということだ。そしてもちろん、バネにあふれた歩き方は相変わらずである。
颯爽と現れたなっちゃんに声をかけるかと思ったが、小鹿さとみの言葉は私の予想を外れたものだった。
「あの方は……?」
ぐんにゃり、という音がした。私の全身から力の抜ける音だった。
グランドの井上夏海のとなりを、同じジャージ姿のマダムが笑顔で歩いていたからだ。
ようやく見つけたストーカー犯が被害者の同級生。しかも同性の女の子。それだけでも頭が痛いというのに、今度はクセ者マダムまで乱入してきた。正直言うと、いかにタフでクールな都会派の野獣を売りにしている私でも、そろそろ舞台を降りたくなってきた。
しかし私はプロ。ハードボイルドなのである。こんなことでくじける訳にはいかないのだ。
戦場へおもむくブルータスを心に描きながら、私は昂然と顔をあげた。しかし、屈強なチャンピオンに打ちのめされたボクサーのように、ふたたびうなだれてしまう。
首からストップウォッチを下げたジャージ姿の翁が、生徒たちに短距離のコーチをしていたからだ。それも当然、という顔でだ。
「どうしたの、探偵さん?」
「……いや、なんでもない」
「だったら早く、夏海さんとの交渉に入らないと……」
うなだれたまま頭を振る。意識をしっかり保つためだ。そして鋼の意志を取り戻すため、実在しないレフェリーに「私はまだ闘える」と訴えた。
しかし待て。私は盗撮の道具を、なっちゃんのために役立てろとは言ったが、護衛と称してつきまとえとは言ってない。
それを許してしまうとこの娘、絶好今まで以上の行為に出る。
これまで曖昧に、当たり障りなく接してきた私だが、ここは厳しく出ることにした。
「小鹿さとみさん」
「なにかしら?」
「交渉に入るのは結構なのですが、その前にはっきりさせなければならないことがあります」
「あら、なにかしら?」
「これまでの状況から推察するに、なっちゃんが気にしていた視線の主は、あなたのものなのです」
「……………………」
小鹿さとみは、まばたきすら忘れたようだ。虚ろな眼差しで、まばたきもせず私を見ていた。
「夏海さんが私の視線を気にしていた、と?」
「もちろんあなたが考えるような、自分に都合のよい意味合いではありません。ストーカーと感じるくらい、不快な感覚です」
「……そうだったの」
気の毒なくらい、小鹿さとみはしょげてしまった。しかし悪気はなかったとはいえ、なっちゃんからすれば迷惑千万。この行為は止めさせなければならない。
「でしたら、このことは包み隠さず夏海さんに告白しなければなりませんね……」
「素直に謝れば、なっちゃんも許してくれるはずだ」
少女は私に背中を向けた。
「行ってくるわ、探偵さん!」
「あぁ、行っておいで」
「夏海さんに愛を告白するためにっ!」
「あぁ、ってちょっと待てーーいっ!」
私は腕を伸ばした。手を広げて小鹿さとみの頭をつかむ。
「ちょっと! どこ掴んでるのよっ! 普通こんな時は胸をつかんで、あ……ゴメン……って赤くなるのが定石じゃないっ!」
「あ……ゴメン……」
「探偵さんが掴んだのは私の頭じゃないっ!」
「いや、呼び止める私が叫ぶのならまだしも、何故キミが叫ぶのかね?」
「すべては探偵さんが悪いわね。私は悪くないわ」
出た、女の子理論。こいつが飛び出すと世界中のあらゆる理論が効力を失い、女の子の理屈のみが正しいとされる、理不尽極まりない理論である。もちろんこの理論は、世の正論をいの一番に否定するという特性を持っていたりする。
「オーケイ、わかった。君が叫んだのは私が悪い。そこに問題はないね?」
「問題はないわ」
「ならば私はおたずねしたい。君は女の子。……問題ないね?」
「もちろんよ、赤ちゃんだって産めるもの」
実にあっけらかんと答える。だからこそ、次の質問に対する彼女の解答は、要注意なのだ。
「では、もうひとつおたずねしよう。井上夏海さんも、女の子ですね?」
「えぇ、私の王子さまよ」
「……………………」
予測される中でも、最悪な回答である。
女の子の君が女の子のなっちゃんに、愛を告白するのはおかしくないかい?
私はそのように質問を続けるつもりだった。そしてその見積りは、あっけなく崩れてしまった。
では、どうする?
私はグランドに目をやった。おそらく、救いを求めるような情けない目であっただろう。そして私の目は、ジャージ姿のマダムに向けられていた。
マダムは極上の笑顔で、「がんばってください!」のポーズを取ってくれた。
つまり、「探偵さんの打たれっぷりを、観客席から見守っています」という意味で、私を救出する気はさらさらないという意味だ。




