その7
「そんなことよりも探偵さん、マダムの成果をどう見ますかな?」
孫娘の貞操が「そんなこと」扱いである。なっちゃんの身になると、救われない話だ。
「まあ、なっちゃんがあの様子で、私たちが想像するような尋問が行われたとすれば、間違いなくマダムに収穫があったのでしょうね」
「マダムの表情も明るいしのう」
どこか夢見心地ななっちゃんを席に座らせると、マダムはクラスメイトたちに頭を下げはじめた。どうやらこれで幕にするつもりらしい。実際、マダムはすぐに教室を後にした。
「……さて、これで私の読みが外れてなっちゃんが何のトラブルも抱えていなければ、このままバーボン・ピクニックの開幕となるのですが……」
「そうはいかないのが、人生の面倒くさいところですなぁ……」
私はソフトのひさしを指先で押し上げた。
「翁、人生の面倒事を避けるほど、私は老いていませんけどね」
「なるほど、若いな探偵さん。それじゃマダムの機嫌をそこねたのは、全部探偵さんのせいにするが、よろしいかのぅ」
「……………………」
「それだけじゃ足らんか。ではマダムをなだめる役もつけ加えてあげよう」
「……………………」
私は翁に目をむけた。そして口をつけないうちに短くなってしまった煙草を、携帯灰皿でもみ消す。
「探偵さん、ハンカチ貸そうか?」
「ななな何故ですか?」
「いや、ものすごい汗をかいとるからのぅ」
翁は相好を崩した。とてもイヤラシイ眼差しで。
翁の申し出を断り、内ポケットから取り出したハンカチで、ジットリとした汗をぬぐう。ハンカチは私の流したイヤな汗で、すぐに重くなった。
翁も無言で私を見詰めていたが、崖っぷちの探偵など忘れたかのように、つれない態度でカメラをのぞき込んだ。
「おう、勇者の御帰還だな」
翁はビールをもう一口。私も何かにすがるように、角のなくなった氷が浮かぶグラスを、大きくかたむけた。
私もカメラをのぞく。カメラのレンズが背筋の伸びた美少女……つまりマダムをとらえる。ちょうど玄関をぬけて、校門を目指すところだ。マダムは私たちに一瞥をくれると、悪戯っぽくウィンクをひとつ。
同時に聞いたこともないような、高速の連続シャッター音が響いた。翁の指が秒速八連打の奇跡を実現したのだ。
ミラクルを達成した翁は、ふぅと息をついてビールを口にする。
「……どうですかな、探偵さん。そちらは撮れましたかな?」
「何をですか?」
「マダムの写真に決まっとるじゃろ。いま可愛らしく、ウィンクのサービスまでしてくれたというのに。……一枚も撮れてないと? それは人生の損失じゃろが!」
「あんた何しにここへ来たんですか?」
「マダムの撮影会に来た訳じゃない。それは確かなんじゃがのぅ……」
固い乾き物を、翁は頑丈な歯で食いちぎった。
「悲しいかな、マダム以上の上玉は存在しなかったんじゃ……」
「人はそれをただのノゾキと言います」
「いいじゃないの、人間なんだから。なにも夏海の新しいばあちゃん作ろうって訳じゃないし、のぅ」
「翁、マダムにはアタックする気マンマンでしたよね?」
「……………………」
香りの強いバーボンを、さらに一口。翁の返事を待つ。
「……探偵さん」
「なんでしょう?」
「マダムとは、もっと大人のコミュニケーション……つまり生活のかからない関係でありたいんじゃがのぅ」
「なるほど、再婚相手は若いお姉ちゃんが好みだと。そう解釈してよろしいんですね?」
翁のテントまで歩き、乾き物のそばにグラスを置いた。そこでさらにキャメルを吹かす。私は余裕のポーズで煙を吐き出した。
「……なんでそんな解釈になるんかいのぅ?」
「翁はマダムと結婚したいんですか?」
食われるぞ? 私は心の中で念を押した。その辺りは、年寄りも心得ているようだ。私から目をそらす。
「マダムは美人だけど歯ごたえのあるタイプです。そんな彼女との結婚を望まないのなら、若くて騙しやすい娘っ子の方がいいってことになりますよ?」
「屁理屈コキよって……」
翁も煙草を一本。
現実逃避を目的とした喫煙のようだ。
「ハンカチ貸しましょうか、翁?」
「いらんわい」
「いや、それでも脂汗がひどいですから」
私は白い歯を見せつけるようにして笑った。乾き物の袋をのぞくと、小さなドライ・ソーセージが、たんまりと入っている。
ウイスキーにはドライ・ソーセージ。これは世界が始まる以前こら決まりきっていることで、私もその掟に背く気はない。ごっそり掴んではポケットにねじ込み、昼食の必要がなくなるほど獲得した。
「ただいま、お二人さん。お待たせしたかしら?」
マダムの帰還だ。もうセーラー服ではない。この茂みを訪れた時と同じ、コートにニットのセーター。そしてデニムのパンツである。
セーラー服はどこへやったのか? そしてどこから持ってきたのか? いや、それ以前にどのような経緯で入手したのか?
疑問は尽きないが、私は本題のみを取り上げた。
「収穫はありましたか、マダム?」
翁から受け取ったビールで喉を湿らせると、彼女の目は鋭く光った。
「大収穫よ、探偵さん。……なっちゃん、ストーカーの気配を感じているわ」
マダムはどうだ、と言わんばかりに胸を張っていた。そしてそれだけの価値ある情報どあるのも事実だった。
今まで雲を掴むような話だったものが、敵という実体を持ったのである。そして後手にばかり回らされていた我々が、敵と肩を並べた……いや、敵が我々の存在に気づいてなければ、先手を取ったと考えてもいいだろう。
「さすがマダム、大手柄ですよ」
「まったくじゃ、マダム。探偵名乗ったどこかのポンコツとは、まったく違いますわい」
「本当に。朝から飲んで御託を並べるばかりで、まともな戦果もあげられないヒョウロク玉とは、比べるのもおこがましい活躍です」
その老いぼれたヒョウロク玉は、ビールをやめてバーボンのラウンドに突入するらしい。片手のグラスに氷を詰めている。そしてマダムは、缶ビールの残りを一息で飲み干した。
「ポンコツとかヒョウロク玉とか罵りあって、あなたたちは私の調査報告を聞きたくないのかしら?」
マダムは慈母の微笑みを見せてくれた。しかし肩のあたりには、微笑みに似合わない殺気がゆらいでいる。少しばかり、我々のおふざけが過ぎたようだ。
「うかがいます、マダム」
「是非ともお聞かせください」
私たちは煙草をすてて気を付けの姿勢をとった。彼女の手の中で、ビール缶も縦に潰れている。
「よい心がけですね、二人とも」
幸いなことに、マダムの視線は和らいだ。機嫌が直ったのか、クーラー・ボックスを開けて次のビールに手をつける。プルを引いて口をつけると、力強く喉を鳴らして生を味わった。
私の背中にはいやらしい汗が流れていた。何故かはわからない。マダムの機嫌は直ったはずだ。それなのにどうしても、油断をすることができない。
満足のため息をフーッともらして、マダムは口元を拭う。
「でも探偵さん?」
あの、マダム。思い出したみたいに、殺気立たないでもらえますか? それも、極上の微笑みで。
「でも探偵さんは、アラサー女性のセーラー服には、否定的なんですよね?」
やはり聞こえてたか。というか、やはりそこにこだわりますか、マダム。ふたつの思いが交錯する。
「いえマダム、私の感想などはまだまだ可愛らしいものでして、翁なんぞは再婚するなら若くて騙しやすい娘っ子の方がよろしいなどと、どうしようもないたわ言をホザいておりまして」
「あ! 探偵コノッ! 汚いぞ!」
なんとでも言ってくれ。今の俺にはホメ言葉に過ぎん。
しかしマダムの微笑みは、まだまだ冷たいものだった。
「えぇ、井上さんの言葉も聞こえてたわ」
ただ一言で、翁は黙らされた。さらにマダムは続ける。
「だけど二人とも、いま大事なのはなっちゃんのストーカー問題であって、探偵さんが私の変装をガンバりすぎだと思ってるとか、井上さんが私を年増扱いしたとか、そっちではないのよ?」
私はマダムの変装に賛辞を送った覚えはあるが、やり過ぎガンバり過ぎなどとは言った覚えが無い。もしもマダムが私の発言をそのように解釈したのなら、それははなはだしい誤解でありもっと互いに理解を深められるよう話し合うべきである。
しかしマダムの中では、それが事実ということになっていた。いや、マダムの手によってすり替えられていると言った方が正しいかもしれない。
だが私はそのことに異を唱えることなど許されなかった。 なっちゃんのストーカーについて、可及的すみやかに話を聞かなければならないからだ。
「ではマダム、なっちゃんが打ち明けてくれたことを、できるだけ正解に教えてもらえるかな?」
「少し待ってもらえるかしら? バーボンが入れば、きっと舌もなめらかになるから」
「待ちましょう」
どうやら危機は脱したようだ。私もグラスを口へ運び、褐色の液体を一口。それから新しいキャメルで一服つけた。